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インタビュー

イノベーション研究 第28回 シルバーウッド

日本の超高齢社会を支える静かな「切り札」

  • 公開日:2015/04/22
  • 更新日:2024/03/31
日本の超高齢社会を支える静かな「切り札」

本研究では、組織の中でのイノベーション創出のヒントを得るために、イノベーターの方々にインタビューを実施しています。

第28回は、株式会社シルバーウッド代表取締役の下河原忠道氏にご登場いただきます。

下河原氏は鉄鋼会社の長男として大学時代から父親の仕事を手伝っていました。バブルが崩壊し、景気がどんどん悪化するなか、ご多分に漏れず業績が悪化し続けます。今までとは違う薄鋼製品を作らないと会社の将来はない。そう実感した下河原氏は、徹底的に動きます。そして、薄鋼を活用した全く新しい建築工法の特許を取得し、店舗や商業施設の建設市場に参入するのです。

現在、下河原氏が携わっている仕事は、サービス付き高齢者向け住宅の運営です。実現したいのは、人が安心して亡くなることができる場所を提供する、ということです。商業施設と亡くなる場所。全く異なるこれらの概念は、いったいどのように結びつくのでしょうか?

時系列でインタビューは続きました。なぜこのような変化が、新結合が起きたのか? 記事を読み進めていただければイメージできるでしょう。そこには思いがけないドラマチックなストーリーがありました。

では、早速、下河原氏のイノベーションストーリーをご覧ください。

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これが高齢者向け賃貸住宅なのか? ホテルのような外観、ペンションのような内部
アメリカ直輸入工法を改善し 日本に合ったオリジナル工法を考案
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高齢者向け住宅の分野では 日本が圧倒的に遅れている
あなたがやってみなさい、と言われ 自ら高齢者向け住宅の運営に乗り出す
入居者が看取りの先生だった
総括

これが高齢者向け賃貸住宅なのか? ホテルのような外観、ペンションのような内部

新京成線の薬園台(やくえんだい)から徒歩10分ほど、千葉県船橋市の住宅地の一角に、プチホテル風の3階建ての建物が忽然と現れる。入り口には、思わず腰かけたくなるような陶製のブランコ。特に大きな看板も表示もないため、突然連れてこられたら、ここが何の建物なのか、訝しく思うはずだ。

中に入っても、その謎は解けない。職員がにこやかに挨拶してくれる。受付の下一面が本棚になっており、写真集などの大型本が並ぶ。ますます訳が分からない。ここはペンションなのか。

これが高齢者向け賃貸住宅なのか? ホテルのような外観、ペンションのような内部1

実はここ、名称を「銀木犀(ぎんもくせい)<薬園台>」という、サービス付き高齢者向け住宅(※)なのだ。2014年9月に開所、全52室あり、現在はすべてが埋まっている。運営しているのはシルバーウッドという企業だ。

※サービス付き高齢者向け住宅とは、バリアフリー構造を有し、介護施設や医療機関と連携したサービスを提供し、高齢者が安心して暮らせる住宅のこと。国土交通省と厚生労働省が共同で管轄する。さまざまな基準を満たした上で、都道府県知事への登録が必要となっている

床は、一般の高齢者向け施設では「滑りやすい」という理由で、まず採用されない、ヒノキのムク材を使ったフローリング。壁には、この手の施設につきものの手すりがほとんどない。照明も無粋な蛍光灯ではなく、デザインセンスに溢れたお洒落なものだし、「認知症の人が葉っぱを食べてしまうから」という理由で、これまた高齢者向け施設では敬遠される鉢植えもそこかしこにある。木製で質感のよい机と椅子は和歌山県在住の家具職人によるオリジナルだ。こうした施設特有の鼻につく匂いもない。

共用スペースには「みんなのキッチン」という名称の大型キッチンがある。食事提供の場とは別に、入居者や職員が料理や喫茶を楽しむためのスペースだ。陶芸用の窯を備えたアトリエもある。希望する入居者が、プロに教わりながら、ここで陶器の制作を行う。できた陶器は敷地内に間もなく開設されるショップで販売されることになっている。制作代はシルバーウッドから制作者に支払われる。

これが高齢者向け賃貸住宅なのか? ホテルのような外観、ペンションのような内部2

通常の高齢者施設においては、共用スペースにつきもののテレビもここにはない。入居者がテレビに見入ってしまい、活動量が落ち健康を損なってしまうからだ。その代わりに、オリジナルの環境音楽が流れている。

アメリカ直輸入工法を改善し 日本に合ったオリジナル工法を考案

シルバーウッドは千葉県浦安市に本社を構える、建築用の鋼の躯体を扱うメーカーである。社長を務めるのが下河原忠道氏だ。なぜそうした企業が、畑違いの高齢者向け住宅を手掛けるようになったのか。そこに至るまでには実は二段階のイノベーションがあった。

もともと下河原氏の父親が薄鋼板を扱う京江シャーリングという鉄鋼会社を、千葉県浦安市で経営していた。具体的な製品は自動車のボディー、ロッカーなどの家具、ビデオデッキの外形などである。

アメリカ直輸入工法を改善し 日本に合ったオリジナル工法を考案

バブル崩壊を経て、順調だった業績が下向きになり始める。景気の低迷と鉄鋼価格の下落によるものだ。下河原氏が振り返る。「私は長男ですから、将来は会社を継ぐ可能性がある。そこで、大学に行きながら父の会社の仕事を手伝っていたのです。私はそのとき、痛いほど実感していました。今までとは違う薄鋼製品を作り出さなければ会社の将来はない、と」

必死で情報を漁るうち、海の向こうのアメリカにまさにぴったりのものを発見した。厚さ1ミリ程度の鋼板を加工した鉄骨と木製合板を組み合わせ、3階建てまでの建物を造る建築工法、スチールフレーミング工法である。

善は急げとばかりに、1998年に単身渡米。ロサンゼルスにあるオレンジ・コースト・カレッジで基礎理論を学んだ。それまで英語は苦手、しかも大学は文系だったから、数学や物理の学び直しもあり、大変な苦労だった。しかも理論だけでは駄目なので、同工法を実践している企業の現場で働かせてもらった。

1年後に帰国すると、翌2000年にシルバーウッドを設立。

が、ここからがまさに茨の道だった。学んだ工法を日本で実践するには、日本の基準をクリアしなければならないからだ。目指すは特許の取得であり、国土交通省大臣による工法認定であった。そのために、耐震性、耐火性、遮音性、耐久性、断熱性など、さまざまな実験を行った。

実験を繰り返していくと、新しい発見があった。スチールフレーミング工法で使う木製合板の代わりに、薄い鋼板を使った方が建物の強度が増すことが分かったのだ。独自のスチールパネル工法として、特許庁に申請すると、みごと特許として認められた。

当時、日本の鉄鋼メーカーも、このスチールハウス工法に着目し、何とか日本でも実現できないか、業界あげて研究を進める一方、政府にも働きかけていた。

2001年、国交省が薄板軽量形鋼造と名付けた技術基準を公示。2004年、下河原氏が開発したスチールパネル工法も、その基準をみごとクリアし、大臣認定を受けた。原型となったスチールフレーミング工法に出合ってから7年の歳月が経過していた。その間、各種実験の費用だけでも2億円もの巨費がかかった。

これが第一段階目のイノベーションである。

戸建てを避け、あえて大工が関わらない分野へ

一方で、現場のノウハウもさらに深める必要があった。当時、スチールフレーミング工法を引っ提げて日本進出を果たしたアメリカ企業の現場で働かせてもらうことができ、現場で「修業」を重ねた。

その結果、日本とアメリカのマーケットの違いを認識できた。「そのアメリカ企業は、戸建て住宅にスチールフレーミング工法を根付かせようとしていました。金額的には大分安くて、結構いいところまで行ったのですが、結局、普及はしませんでした。僕ら現場で働いている人間はその原因をよく分かっていました」

どういうことか。

「その工法を嫌がったのが大工さんなんです。木造住宅の場合は金づちと釘が必須ですが、スチールの場合は不要となる。その代わりになるのがスクリューガンとビスです。それを使うには結構な力が必要なんですよ。筋骨隆々のアメリカ人ならともかく、釘と金づちに慣れた日本人の大工さんに、慣れろ、と言っても無理でした。現場の人が嫌がる工法が普及するはずがない。そこで私が目をつけたのが、大工さんが建造に関わる木造住宅ではない、コンビニ、ファミレス、居酒屋といった店舗とアパートなどの共同住宅だったのです」

スチールパネル工法は、地震や火に強く、遮音と断熱に優れると共に、耐久性もいい。材料が鋼だからだ。しかも鉄筋コンクリート造に比べ、コストも削減することができる。鋼材を親会社の京江シャーリングから安く仕入れることができ、主要構造体が工場で生産できるため、工期が短くて済むからだ。

ところがそのメリットをもってしても、業績は思うように伸びなかった。特に店舗分野が散々だった。

各方面に営業活動を行うなか、ある設計事務所から、高齢者向け賃貸住宅の躯体建設をお願いしたい、という依頼があった。大阪にある大手ゼネコンが元請けになっている物件で、場所は滋賀県だった。2005年のことである。

シルバーウッドに白羽の矢が立ったのは、建設コスト削減という言葉が相手に響いたからだった。入居想定者が高齢の低所得者層向けだったからだ。

それまでは多くても20室ほどの共同住宅が対象だったのに、その倍以上、50数室の物件だったが、下河原氏は二つ返事で引き受ける。「ちょうど高齢化が問題になり始めた時期でもあり、漠然とですが、この分野はきっと伸びるだろう、と思ったのです。当時、高齢者向け住宅は、十分な管理が行われていないので、特に医療福祉関係者からは“無届けホーム”と非難の意味を込めて呼ばれていました」

高齢者向け住宅の分野では 日本が圧倒的に遅れている

その仕事をきっちりと仕上げると、ザックをかついで海外へ向かった。下河原氏は思い立ったらすぐ行動に移すタイプだ。勉強のために、海外の同じような施設を見て回ったのだ。

訪れた土地はスウェーデン、デンマーク、ノルウェー、イギリス、フランス、アメリカ本土、ハワイ、そして韓国。そこで、下河原氏は重大な発見をした。日本には特別養護老人ホームのような福祉施設は山ほどあるが、海外では当たり前の高齢者向け賃貸住宅が一切ないことに。「福祉先進国の北欧では、福祉施設は作らずに、住宅のみを作る方向に、舵を大きく切っていたのです。高齢者を管理する施設より、安心して生活できる住宅の方が優先度が高いと。日本はめちゃめちゃ遅れていたんです」

その遅れた日本も見て回った。ひどい状況だった。「ある特別養護老人ホームでは、胃に穴をあけ、管をつけて栄養を送り込む延命治療をやっている高齢者がずらりとベッドに寝かされている光景を目の当たりにしました。まるでプラント工場のようでした。身体が弱って死のうとしているのに、その身体に穴をあけ、強制的に栄養を送り込むなどという行為は医療どころか、虐待ではないでしょうか。第一、日本の医療費は年々鰻上りで、高齢者全員に、こうした“手厚い”医療ができない状況になりつつある。僕はそこに大きなビジネスチャンスを感じ取ったのです」

下河原氏は決断した。店舗も共同住宅も止めた。躯体販売の営業先を高齢者向け住宅一本に絞ろうと。

追い風も吹いてきた。2001年に国交省が高齢者専用賃貸住宅という新しい住宅分類を整備した。無届けホームがようやく公認されたのだ。同制度は現在は廃止され、前述した、サービス付き高齢者向け住宅という制度に切り替わっている。

あなたがやってみなさい、と言われ 自ら高齢者向け住宅の運営に乗り出す

しばらくして、新たな転機がやってきた。躯体販売だけではなく、サービス付き高齢者向け住宅の運営にまで乗り出すことになったのだ。そこには偶然が大きく作用していた。「ある社会福祉法人の理事長をしている地主さんに、土地活用の営業をかけていたのです。つまり、通常のアパートよりも、これからは高齢者向け住宅の方が需要が大きいですよ、という話を熱心にしていたら、あなたが自分で運営してみてくれ、建築費は出すから、と言われたんです。この場合も私は二つ返事で答えてしまいました。分かりました、やります、と」

それで、福祉の門外漢の専門家ばかりを集めて作ったのが、「銀木犀<鎌ヶ谷>」であった。開所は2011年7月。入居者はすぐに埋まり、以後、市川、川崎、錦糸町に銀木犀シリーズを次々にオープンさせる。冒頭に紹介した薬園台、今年4月開所の西新井と、現在までに6棟を数える(川崎、錦糸町は高齢者向けサービス住宅ではなく、グループホーム)。

薬園台はじめ、シルバーウッドのサービス付き高齢者向け賃貸住宅、銀木犀シリーズには、入居にあたって敷金、礼金はゼロ、家賃、共益費、食費、24時間の見守りサービスがついて、月約16万円。「期間1カ月でも入れます。極端なことをいえば、明日亡くなりそうな方でも部屋が空いていれば受け入れます。高齢者が過剰な医療を必要とせず、安心して暮らせる場所、すなわち、安心して亡くなることができる場所、私は銀木犀をそういう場にしたいのです」

入居者が看取りの先生だった

管理の行き届いた病院でも、介護施設でもない、はたまた身体の弱った人の場合は生活するのが困難な自宅でもない、必要最低限の管理が用意されつつ、人としての尊厳を失わず、かけがえのない生をまっとうできる第三の場を作る。これが、まだ緒についたばかりだが、下河原氏が成し遂げた第二のイノベーションである。それは第一のイノベーションを抜きには語れない。浮いた分のコストを、中身の充実に回しているからだ。「現在、この事業単体では赤字ですが、10棟まで行けば、十分、黒字転換が可能になると思います」

下河原氏にとって忘れられない入居者がいる。銀木犀の第一号である鎌ヶ谷に、最初に入居してきた76歳の女性だ。末期の癌を患っており、「ここが気に入ったから、ここで死にたい」と入居を申し込んできた。下河原氏は戸惑った。「そんなこと言われても困ります」と押し問答になった。

よくよく話を聞いていくと、その人は元看護師だった。「僕は結果的に、自らを材料にした、まさに人間の看取りの仕方をその方から教えていただいたのです」

本人の意思などお構いなく、延命治療に明け暮れる医療現場の矛盾を痛感していたのだろう。女性の要望を受け、まずは往診してくれる医者と訪問看護ステーションを探し、話をつけた。常駐する介護士たちに、この方はいつ亡くなってもおかしくない方だから、と覚悟を決めさせた。その人は点滴をはじめ、一切の治療を拒否、3カ月後、最後は息子さんの見守るなか、眠るように息を引き取った。

ロマンチックな幻想かもしれないが、着実に数を増やしていくシルバーウッドを見て、その元看護師のおばあさんが天国から拍手していると思いたい。

総括

下河原氏のイノベーション創出ストーリー、いかがでしたか?

では、いつものようにイノベーション研究モデルを踏まえながら下河原氏のイノベーションを振り返ってみましょう(図表01参照)。注目するのは、【組織外の情報・知識】と【思いつく】の間の領域と、【思いつく】⇒【磨く】⇒【事業化】に至るところです。

図表01 イノベーション研究モデル

図表01 イノベーション研究モデル

存亡の危機が行動を促す

下河原氏の父親が経営する鉄鋼会社がバブル崩壊の影響を受け、業績が低迷します。インタビューでは、「もともとは親のスネかじりの放蕩息子でした。アルマーニのスーツで高級車を乗り回し、女の子と遊んでばかりいました」と話していました。失礼ながらそんな下河原氏が、今までとは違う製品を作らないとこの会社は生き残れない、という確信に至ります。会社が潰れるかもしれない、という気持ちは少なからずあったのでしょう。会社の存亡の危機です。

そんな状況のとき、人は腹を括ります。下河原氏も行動に出ます。新工法を学びにアメリカへ飛ぶのです。アメリカでの1年間は想像を絶する苦労の連続でした。文系大学出身にもかかわらず、学ぶのは建築学や工法。それも英語で。

技術を習得し、日本に戻り、新しい工法を思いつき、特許取得まで持ち込みます。そして、特許のみならず、この工法の普及を推し進めるために、国土交通省大臣の認定をも得て、業界を作ってしまうのです。

この行動力は凄まじい。インタビュー中は終始穏やかでにこやかだった下河原氏の奥底に、このようなエネルギーが眠っていたのです。存亡の危機だけでは言い表せない、何か信念のようなものを感じました。

高齢者向け施設に注目し
さらなる行動を起こす

住宅用にと考えていた工法が普及しそうにないと判断した下河原氏は、高齢者向け住宅というジャンルに注目します。介護・福祉分野への参入のきっかけとなった滋賀県での高齢者向け賃貸住宅の建設です。当時、無届けホームと批判されていたこの物件を建てきると、また行動を起こします。海外に視察に行くのです。ここでも下河原氏の行動力がいかんなく発揮されます。スウェーデンを皮切りに、最後は韓国まで計7カ国。日本と海外の高齢者向け住宅事情を徹底して比較検討することになるのです。

福祉と介護。施設と住宅。世界と日本では全く違う。“生きる”ということに対する根本的価値が違いすぎる。そして、日本が明らかに遅れているし、明らかにおかしい。このことに気づいた下河原氏は、帰国後にあっさりと今までの店舗などの商業施設の建設を取りやめます。高齢者向け住宅に絞るのです。

メーカーからサービス業へ
現地・現物・現場・現実を呑みこむ

高齢者向け賃貸住宅建設の事業が順調に推移していた2011年のある日。オーナーから施設の運営を依頼されます。下河原氏がまた動きます。福祉や介護の門外漢ばかりで施設の運営に乗り出すのです。現地・現物・現場・現実を呑みこんで、そこから分かってくることを徹底して磨ききり、さらなるイノベーションに繋げようとする動きともいえます。

行動する人には機会が増えます。機会がさらに行動を加速します。下河原氏の行動は、業種の枠組みをあっさりと超えていきます。住宅建設からサービス業へ。当然のことながら、お付き合いする人たちも変わってきます。建設業では設計士や大工さん、オーナーや自治体関係者、中央官庁もあったでしょう。サービス業では全く異なります。介護士、看護師、医者、ヘルパー、そしてなにより入居者の方々。

イノベーションでは関係するエコシステムのことをバリューネットワークといいます。この価値の体系を崩すことができず、知らず知らずのうちに市場を失ってしまうことが、イノベーションのジレンマです。下河原氏はいとも簡単にバリューネットワークを超えていきます。それもさらりと、あっさりと。そして、銀木犀というサービス付き高齢者向け住宅の運営を多店舗展開しているのです。

幸せな死に場所
終の棲家を作り続ける

下河原氏には信念がありました。それは、「幸せな死に場所を提供し続けること」です。現在、人は病院で亡くなることが圧倒的に多いそうです。でも、希望は違います。多くの人が、自宅で人生の最期を迎えたい。しかし、なかなかそうもいかない事情がある。そこで下河原氏は、終の棲家を作り続けているのです。

人間とは? 人間の生き様とは? 人間の死に様とは? 人間の看取りとは?

鉄鋼業から始まった下河原氏のイノベーションは、この深くて重い課題を解決するべく、その行動力を維持拡大しながら、現地・現物・現場・現実を手触り感をもって感じつつ、日々進化しているのです。

【総括(文):井上功 /インタビュー(文):荻野進介】

PROFILE

下河原 忠道(しもがわら ただみち)氏

下河原 忠道(しもがわら ただみち)氏

1971年、東京都生まれ、1992年より父親の経営する鉄鋼会社に勤務し、薄鋼板による建築工法開発のため、1998年に単身渡米。「スチールフレーミング工法」をロサンゼルスのOrange Coast Collegeで学び、帰国後2000年に株式会社「シルバーウッド」を設立(本社は千葉県浦安市)。7年の歳月をかけ、薄板軽量形鋼造「スチールパネル工法」を開発し特許を取得、国土交通省より大臣認定を受け、耐震性に優れた住宅・店舗などの設計・施工を行う。2005年に初めて高齢者向け住宅工事を受注したのを契機に、高齢者向け住宅・施設の企画・開発事業を開始。2011年7月、千葉県にて、ついに自らサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)「銀木犀<鎌ヶ谷>」を開設。さらには医療強化型サ高住「銀木犀<市川>」も。現在銀木犀シリーズを6棟直轄運営。介護予防を中心に看取り援助まで行う終の住処づくりを目指し「生活の場」としてのサ高住開発を追求する。
一般財団法人サービス付き高齢者向け住宅協会理事。

執筆者

https://www.recruit-ms.co.jp/assets/images/cms/authors/upload/3f67c0f783214d71a03078023e73bb1b/86bd3e59bbe342a4827135c44417efa4/2007171006_5407.webp

サービス統括部
HRDサービス共創部
Jammin’チーム
マスター

井上 功

1986年(株)リクルート入社、企業の採用支援、組織活性化業務に従事。
2001年、HCソリューショングループの立ち上げを実施。以来11年間、(株)リクルートで人と組織の領域のコンサルティングに携わる。
2012年より(株)リクルートマネジメントソリューションズに出向・転籍。2022年より現職。イノベーション支援領域では、イノベーション人材開発、組織開発、新規事業提案制度策定等に取り組む。近年は、異業種協働型の次世代リーダー開発基盤≪Jammin’≫を開発・運営し、フラッグシップ企業の人材開発とネットワーク化を行なう。

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