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インタビュー

イノベーション研究 第27回 「スパニッシモ」

旅で直面したグアテマラの貧困問題 旅で思いつき実行したその解決方法

  • 公開日:2015/03/25
  • 更新日:2024/03/31
旅で直面したグアテマラの貧困問題 旅で思いつき実行したその解決方法

本研究では、組織の中でのイノベーション創出のヒントを得るために、イノベーターの方々にインタビューを実施しています。

第27回は、特定非営利活動法人SPANISIMO JAPAN(スパニッシモ)の有村拓朗氏にご登場いただきます。

有村氏は29歳にして、日本から遠く離れた中米グアテマラにて、事業活動を推進している経営者です。なぜ日本ではないのか? なぜグアテマラだったのか? 遥か彼方のそれほど馴染みのない国で、一体何をやっているのか? 次から次へと疑問が湧いてきます。その答えは、以下のインタビューレポートで明らかにしていきましょう。

それでは、さっそくご覧ください。

世界一周を目指しメキシコへ なぜパナマで引き返したのか
現地とSkype(R)で結んだ オンラインのスペイン語講座
特徴は格安の受講料と講師の質 大学教育にも導入された
英語、ネットはお手のもの 起業家志望学生が選んだ就職先
「仕事ができない自分」に直面 社会起業家への夢も生まれる
なぜリクルートでやらなかったか
旅の実績を作るために スポンサーを募る
総括

世界一周を目指しメキシコへ なぜパナマで引き返したのか

エルネスト・チェ・ゲバラ。今なお世界中にたくさんの崇拝者をもつキューバ革命の立役者だ。1951年、23歳の医学生だったエルネストが年上の親友アルベルトと中古のバイクに同乗し、故国アルゼンチンから北へ、南米大陸縦断の旅に出発した。そこで目のあたりにした貧困や搾取といった過酷な現実が、彼の運命を変えた。旅が、不世出の革命家を誕生せしめたのだ……。

旅は人を変える。特に、感受性の強い若者を。

それから60年後の2011年1月、日本から3人の若者が世界一周の旅に出た。大学時代の同級生、いずれも20代後半の社会人である。一旦、日本での生活をリセットし、これから何をすべきかを考える。そのための旅立ちだった。

まずメキシコに入り、キューバ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ。ここで中米編が終わり、そこから、コロンビアからスタートする南米編が始まる、はずだった。しかしその年の10月、突然、彼らの旅は中止となった。事故にあったわけでも、旅費が枯渇したわけでもない。

何と、彼らは旅の途上で起業家となったのだ。創業者2人のうちの1人、有村拓朗氏はこう話す。「パナマで、それまでの旅を振り返って考えたのです。ビジネスをやるなら何をやるべきかと。織物、コーヒー、古着……魅力的な商材がたくさんありました。そのなかで、僕らの心に最も強く残っていたのが、グアテマラで受けたスペイン語講座だったのです」

現地とSkype(R)で結んだ オンラインのスペイン語講座

そもそも、旅の目的の1つにスペイン語の習得があった。グアテマラは、スペイン語学習の中心地だ。グアテマラ人の話すスペイン語はネイティブが聞いてもきれいでアクセントが明瞭、かつ聞く人が理解しやすいゆっくりした速度で話されるという特徴があった。

2人がそれぞれ現地のスペイン語講座を受講してみると、そのとおりだった。1日4時間、週5回。約3カ月で日常会話に不足しない程度まで上達した。しかも費用は1週70ドルと安い。「そんなにも良質のサービスを提供しているのに、語学教師たちの暮らしは決して豊かではないんです。受講者の大半が観光客で、事業基盤が脆弱だからです。観光客の数が減ると、途端に収入が減ってしまい、失業者になってしまう。そこで共同創業の吉川と話す中でふと思ったんです。Skype(R)を使ったオンライン形式にすれば、講師の収益はツーリストだけに依存するモデルから脱却できる。講師の収入も安定する。素朴で明るいグアテマラの人たちをもっと元気にできるのではないかと」

パナマから踵を返し、再びグアテマラに戻ると、拠点となる部屋を借りた。年内に事業を開始することを決めた。期間は2カ月しかない。

そこからが、狂乱怒涛の日々だった。語学学校をいくつも訪問した。「僕たちは、オンラインのスぺイン語学校がやりたいんです。システムは用意できるけれど、先生がいないんです。あなた方の学校には優秀な先生がいる。一緒にやりませんか」と。さらにこう付け加えた。「これは、単なるお金儲けのビジネスではありません。グアテマラに雇用を生み出す新しい可能性を一緒に作っていきたいんです」と。

片言のスペイン語と英語で語学学校を訪問すると、話はきいてくれるものの、彼らの口をついて出る言葉は、「で、私の儲けは?」だった。校長先生には、そのことしか頭になかった。お金が大切なことはわかっている。まずはそこがないと始まらないのは痛いほど感じる。でもだめなんだ。お金で来る人は、お金で去っていく可能性が高い。だから目指したい未来に向かって一緒に向かっていってくれる人がいい。「今回もお金の話かな」と思いながらも諦めなかった。50数校目でようやく「私だっていつも自分のところで働く先生の生活が良くなればと思っていたわ。でも私には何をしたらいいのか、その術が分からず祈ることしかできなかった。あなたたちのことはまだよく分からないけれど、私はあなたたちを待っていたんだと思う」と言ってくれる人がいた。CANO(カノ)というスペイン語学校の校長、マリア氏だった。

特徴は格安の受講料と講師の質 大学教育にも導入された

まずは、第一関門突破。次は、CANOの中で興味を持ってくれた講師を面接して採用した。そして、育成である。語学講師としてのキャリアは長いが、「Skype(R)のスの字も知らない講師」ばかりだった。日本人の特徴や彼らとの接し方も、教え込んだ。

教材も、自分たちが「継続して学習したい」という思いから自社開発にこだわった。しかし当然教材開発に関して二人はずぶの素人。面接した講師の力を借り、初級、中級、上級用とどのレベルにも対応できる教材を揃えた。

その合間に専用のウェブサイトを作り、12月21日にプレオープン、1カ月後の2012年1月21日に本オープンした。年内はさすがに無理だったが、計3カ月で正式にスタートした。しかも異国の地で! 若さのなせる業なのか、ものすごいエネルギーである。

スパニッシモのサービスの特徴は1回50分で500円からと、料金が格安なことだ(オンラインでのスペイン語事業者が少ないことあり、対面での標準は1時間3000円~6500円程度)。当初は7名でスタートした講師陣も約70名まで増え、うち30名がスパニッシモの仕事で生計を立てている。グアテマラに雇用を生み出すという目標も、徐々に形になってきているのだ。

特徴的な点はもう1つある。自社で教材を開発し、そしてその教材を使いこなす講師の質の高さだ。この点が評価され、2014年4月からは、京都大学と拓殖大学で、スパニッシモを通じたオンライン学習が単位認定科目となった。こちらも各大学のカリキュラムに連動する形でオーラル学習用の教材を協働で開発した。協働で開発をし、導入された事例はスペイン語業界では日本初だ。学校法人に限らず、早晩、スペイン語圏でビジネス展開している商社でも、企業研修プログラムとして採用される予定だという。

英語、ネットはお手のもの 起業家志望学生が選んだ就職先

有村氏は、旅立つ前まではリクルート(現リクルートキャリア)の社員だった。

もともと帰国子女。父親がアメリカの航空会社に勤務していた関係で、3歳から7歳半まで、ロサンゼルスに住んでいた。日本に帰国後も、毎年の夏休みはサマースクールに入るため、渡米した。その頃の夢は外交官になること。得意の英語を必死で磨き、中学2年で準一級をとるほど上達した。

ネットに触れたのも早かった。小学校3年の頃から、父親が自由に使わせてくれたのだ。ロサンゼルスの旧友とメールやチャットを楽しみ、そのことが有村氏の英語力をより一層高めていった。

高校は一転、バスケットボールにどっぷり浸かり、インターハイにも出場。

大学では得意のネット力を生かし、先輩から譲り受けた大学のポータルサイトを仲間5人で再構築した。「サイトの名称は『望郷』。キャンパスに通う1500人が、日々くることにワクワクするような場所にして、卒業する頃には「また戻ってきたいな」とキャンパスを懐かしい故郷のように思ってもらうことを目標にしていました。バスの到着時間がわかる「ネクストバス」の機能や飲み屋特集、在校生に声をかけて、得意分野をコラムにして発信してもらうコンテンツなどを作っていき、蓋を開けたらよく使ってもらえて、日々300人くらいに使ってもらっていました」

そんなある日、その人気ぶりにある企業が目をつけた。「バナー広告を打たせてもらいたい」とメールで連絡してきたのだ。月数十万円という高値を申し出たとしても、了承してくれそうな雰囲気だった。でも、有村氏らは一歩が踏み出せなかった。「正直、これまでビジネスをしたことが無く、リアルなお金がからんでくるのが怖かったんです。その後も、外資系化粧品会社のビジネスコンテストや飲料メーカーの商品開発選手権に出て、結構いい成績をおさめたのですが、今から考えると、いずれもビジネスの真似ごとに過ぎませんでした」

大学3年の冬になった。就活が花盛りだ。夏頃までは「俺は就職なんてしない、MBAをとって起業するんだ」とうそぶいていた有村氏も、さすがに不安になり、リクルートのインターンシップに参加。結果としてそれが同社への就職につながっていく。「僕にはアイデアをお金に換える力がない。それを身に付けるには、一から自分でやるより、企業に行って学んだ方がいい。リクルートはその場にふさわしいはずだ。そう思ったんです。しかも、ある先輩いわく、『お前自身が最も試される会社だろう。這いつくばって死ぬ気でやらなければ、おっぽりだされるよ』。いいじゃないか。やってやろう! これがリクルートに就職を決めた理由でした」

「仕事ができない自分」に直面 社会起業家への夢も生まれる

2008年4月にリクルート入社。配属は採用広告営業だった。

先輩の言葉は当たった。連日、先輩や上司から叱られ、小言を言われ、「仕事ができない自分」と早々に直面することになった。「いつも明るくて元気、どちらかといえば褒められて伸びるタイプなのに、連日叱られてばかり。同期と六本木に飲みに行ったときのことです。たまたま席が近かった見知らぬ外国人と、お酒も入って、英語で打ち解けて会話したことがあったんです。翌日、出社すると、こう言われました。昨日の有村の会話はすごかった、別人に思えたよ、有村はまだ本性を現していないね、と」

そんな有村氏を保護する“シェルター”となってくれたのが、シェアハウスの仲間だった。社会人2年目に一人暮らしを引き払い、複数名で住居を借りたのだ。全員が男性で、一緒にサイトを作ったりして仲良くなった大学の同級生3名だった。職場の同僚には言えないような仕事の愚痴や、将来の夢や、彼女のことを、赤裸々に語り合った。

その年の夏。毎年その時期に訪れる過酷な採用広告獲得商戦で、頑張って何とか目標を達成し、燃え尽きた感があった。そんななか、有村氏は本を通じて、2人の社会起業家の存在を知る。

1人は、ジュート(麻の一種)を使ったバッグの製造事業をバングラデシュで立ち上げた山口絵理子氏、もう1人はマイクロソフト元幹部社員で、世界中の貧しい子供たち向けに図書館の建設や児童書の寄付を行っているジョン・ウッド氏である。「リクルートでの仕事は自分の中で意味を見出し楽しくなってきていました。でも、自分の命を燃やしてやりたい仕事か、といえばやっぱり違うと。それで、2人の生き方にひどく感動して、僕ももっと世界を見に行こう、と考えたのです。山口さんはバングラデシュ、ウッドさんはネパール、2人とも故国を離れ、海外の過酷な現実に接したことが起業の大きなきっかけとなっていたからです」

なぜリクルートでやらなかったか

すぐにでも実行に移したかったが、最大の問題は資金だった。貯金がろくすっぽなかった。そこで、有村氏は極めて現実的な線を選択した。リクルートで働き、仕事のやり方を最大限学ばせてもらいながらお金を貯め、旅行の準備をすることにしたのだ。

1年後の夏。上司に退職を申し出たところ、慰留された。代わりに半年間の休職を勧められた。半年の間で、やりたいことが見つかれば、辞めればいい。もし見つからなかったら今まで通り働けばいいと。「魅力的な話でした。悩みましたが、やはり辞めることにしました。退路を断たなければ甘えてしまう。その甘えた気持ちで世界に出かけても、切迫感がないから、旅に思いが入らない。旅先で見聞きし接するにも違いが出てしまうと考えたからです」

起業のネタを世界で見つけてきて、それをリクルートで実現させるという選択肢もあったはずだが、有村氏は最終的にそのやり方もとらなかった。「リクルートはベンチャーといってもすでに大企業です。新規事業を社内で推進する場合、面倒な手続きや政治的な駆け引きが必要となるのはよく分かっていました。しかも僕の在籍していたのは営業、明日の種を育てるより、今日の実を集める仕事です。ただ、僕が圧倒的にいい成績をあげている優秀な社員だったら、社内で提案し、受け入れられなかったら辞めます、というやり方もあったかもしれません。入社3年目の僕は、残念ながら違いました」

旅の実績を作るために スポンサーを募る

リクルートを辞めて世界を旅する。シェアハウスの仲間と何度も話しながら、それぞれが自分自身で探している「何か」を見つけにいくために、旅をすることに前向きになっていた。

気心の知れた3人で物見遊山の観光旅行に出かけるのもつまらない。現地にどっぷり浸かりつつ、何か実績の残る旅にしようと考え、辿り着いたのがJICA(国際協力機構) にプロジェクトを企画して実行させてもらうことだった。発展途上国に向けた日本の政府開発援助(ODA)プロジェクトを一身に担う組織だ。そんな組織を相手に、彼らはこんな風に交渉した。「中南米各国のODAの現場を見せてください。ただでとは言いません。僕らは過去にも旅をしながら映像制作の実績があるし、現場を取材しオンライン上で広報のお手伝いをします」と。

JICAの担当者は快く了承してくれた。3人はなおも知恵を絞った。旅は1年間を予定していた。装備を含め、自己資金だけでは旅費が枯渇してしまう。そこで、自らを「ロハス・パッカーズ」と名付け、衣服、靴、ザック、パソコン、通信機器といった、旅に必要なアイテムごとに、企業に物品提供を呼びかけたのだ。

レノボ(Lenovo)が真っ先に関心を示してメインスポンサーとなり、パソコンを寄贈。エバニュー(EVERNEW)がテントや寝袋、ウエア、ウエラブルカメラメーカーのゴープロ(GoPro)がウエラブルの小型カメラを、カリマー(karrimor)がザックを提供するという形で協賛に応じた。

準備はできた。有村氏は2011年1月末付でリクルートを退社する。それより前、仕事の関係で遅れてくる1人を日本に残し、有村氏ともう1人の友人は年明け早々の1月9日、成田空港から空路、アメリカのロサンゼルスに向かっていた。こうして冒頭の場面へとつながるわけだ。

何が起こるか分からない。それが旅というものだ。スパニッシモを作ったものの、世界一周の旅を諦めたわけではない。ロハス・パッカーズはまだ解散してはいないのだ。有村氏はスパニッシモが軌道に乗り、南米編の旅が再開できることを心待ちにしている。

総括

有村氏のイノベーション創出ストーリー、いかがでしたか。

では、いつものように、イノベーション研究モデルを踏まえて有村氏のイノベーションを振り返ってみましょう(図表01参照)。注目するのは、【組織外の情報・知識】と【思いつく】の間の領域と、【思いつく】⇒【磨く】⇒【事業化】に至るところです

図表01 イノベーション研究モデル

図表01 イノベーション研究モデル

現地・現物・現場・現実に入り込む

ロハス・パッカーズとして中米諸国を旅するなかで、有村氏らはグアテマラに注目します。グアテマラの「現地」でスペイン語を習得するという「現物」を手に入れるために、語学学校という「現場」に通います。そこで、グアテマラの語学教師をはじめとする人々の「現実」を知ることになるのです。それは想像以上に厳しいものでした。良質なサービスを提供しているのに、決して豊かではない日々――。

そんなグアテマラの人たちをもっと元気にするために、有村氏らは語学学校が置かれている状況を構造的に把握します。その答えが、ツーリスト依存型のマーケティングからの脱却、というものでした。レアジョブのスペイン語版、というわけです。まさに、現地・現物・現場・現実を手触り感をもって把握した。いや、手触り感ではなく、手触りでそのもの、その対象に入り込んでいったといえるでしょう。

そこには、「不」の探索がありました。語学講師の失業に対する「不安」。学校に実際に通わないと学べないという生徒にとっての「不便」と同じく学校に通勤しなければ仕事ができない講師の「不便」。価格競争に常にさらされるという経営者の「不利」。それらの総体としてのグアテマラの人々の「不幸」。こういった数々の「不」を、実際に旅をすることで捉えていったのです。

実体に入り込み、手触りで対話を繰り返さない限り、真の「不」は獲得できません。有村氏らは旅の最初から意図していたわけではなかったと思いますが、現地・現物・現場・現実を目のあたりにして、「不」からイノベーションを紡ぎあげていったのです。

諦めない・やり切る・徹底する

有村氏の行動には、1つの特徴があります。それは、決して諦めない、ということです。提携してもらう語学学校を探すのに、彼らは50校以上に営業しています。訪問し、説明を繰り返し、説得しても全く相手にされない。「この変な日本人の若者は、一体何をしたいのだろう?」と思われていたのでしょう。日本語ですらままならない説得を、スペイン語で行うのは、想像を絶する困難があったに違いありません。しかし、彼はめげない、諦めない、行動することを決してやめませんでした。

諦めずに行動をした結果、辿り着いたのはCANOという語学学校でした。そして、ついに提携に成功します。マリア校長がまさにマリア様に見えたことでしょう。

アメリカンフットボールで常勝を続けているオービックシーガルズの元監督で、何度もチームを日本一に導いた並河研氏が、以前話してくれた言葉を思い出します。「どんな戦いにも絶対に勝てる方法があります。それは何だと思いますか?」「答えは簡単です。勝つまで戦い続けることです」

確かに勝つまで戦い続けることができれば、最後は勝利を獲得することができる。有村氏はそれを実践しているのです。それも、異国の地で、誰も最初は味方になってくれず、言葉も覚束なく、途方に暮れた状況から。

諦めない。やり切る。徹底する。戦い続ける。これらはイノベーターに強く求められることなのです。

組織の資源を使うか、それともスピンオフするか

有村氏は、イノベーションを興すにあたって、組織の資源を活用する道を選びませんでした。新規事業を社内で推進するときに、面倒な手続きや政治的な駆け引きに巻き込まれるのをよしとしなかったのです。

では、資源には何があるのでしょうか?

まず、人が挙げられます。イントラプレナーであれば、組織の中で思いの丈を吐露して、仲間を募ることが比較的簡単にできそうです。また、普段からコミュニケーションをとっているので、周囲の人となりや志向・能力などが分かっていることが多い。賛同者・共感者を獲得することは難しくなさそうです。アントレプレナーはどうでしょう? もちろん賛同者・共感者を得ることに変わりはないのですが、組織の外から獲得しなければならず、採用や契約が必要となります。これには相当コストがかかりそうです。

次に、モノを考えてみましょう。普段何気なく使っている椅子や机、パソコンなども組織が所有する立派なモノです。組織内では、何をするにも、ほとんど不自由はないと思います。アントレプレナーは違います。オフィスを借りることひとつとっても相当な手間とコストがかかります。ましてや、電話や電気などのインフラから、家具などの什器、知識獲得のための書籍などに至るまで、さまざまなモノを一から用意しないといけません。

カネを考えてみましょう。最近は、コーポレート・ベンチャー制度をうたっている企業が増えています。審査通過案件に数百万円や数千万円の事業資金を投下するケースも散見されます。イントラプレナーにとって非常に魅力的です。一方、アントレプレナーは、特に日本ではつらいことが多い。カネを得るために、まず自分が何者かを説明しないといけません。そして、どんな事業をやるのか、それは儲かるのか、将来性があるのか、等々を説明し、相手を説得しないといけないのです。対象は、エンジェルや金融機関などの投資家です。百戦錬磨の事業化審査のつわものたちが、手ぐすね引いて待っているのです。これは大変です。

人、モノ、カネ以外にも必要な資源はあります。例えば、顧客基盤です。組織の中からイノベーションを創発するときには、顧客基盤がすでにあることは非常に好都合です。プロトタイプに対する意見をすぐに訊きにいくことが可能ですし、テストマーケティングで商品やサービスに対する支払う意志(WTP:Willingness To Pay)を確認することもできます。アントレプレナーはそうはいきません。一から営業活動をしなければならないのです。

ブランドや信用といったこともあります。○○社の□□です、という自己紹介は、○○社が有名な企業であればあるほど、スピード感をもって相手の信用を勝ち得ることができるといっても過言ではありません。アントレプレナーは、スタートアップであるが故に、ほとんどが知られていません。この差は非常に大きいのです。

技術やノウハウ、といった資源も必要です。メーカーなどは研究開発部門を有していることが多いので、組織の構成員であれば、自社がもっている技術やノウハウ、特許や経験を活用することができます。ほとんどが、無償で。アントレプレナーはこういった組織の中にある技術を、そう簡単に活用することはできません。もともと守秘性が高い上に、企業の根幹に関わるものも多いからです。

このように、イントラプレナーが組織の中で活用できるものは、非常に多くかつ魅力的ということができます。ではなぜ、有村氏はスピンオフをしたのでしょうか?

この項の冒頭に記した、面倒さや政治性といったこと以上に、有村氏が強く感じていることがあります。それは覚悟です。組織の中からイノベーションを興すことは、動員できる資源の豊富さからいってもアントレプレナーと比べて極めて有利なはずです。

同時に、甘えも生じます。それもまた確かです。「イノベーションがうまくいかなかったら、元の職場に戻ればいいや」「新規事業が成功しなくても、まあ大した損失でもないし」「そもそも許可した経営者の判断が間違っていたということなのだから仕方ない」といった言い訳の大量生産をすることにも繋がりかねない。有村氏は、そのことが見えていたから、あえて退路を断ったのでしょう。

イントラプレナーがイノベーションを興すのか? アントレプレナーこそが世界を変えるのか? この答えは軽々には出せそうにありません。イノベーションの開祖であるシュンペーターも、研究モデルマークⅠでアントレプレナーこそがイノベーションを興すとし、研究モデルマークⅡでは大企業こそがイノベーションを興す、と変節しました。シリコンバレーのようなオープンなイノベーション生態系をもたない日本では、イントラプレナー型がふさわしいと思います。そこに足りないのは、イノベーターの覚悟であり、覚悟をどのように醸成していくかという組織側の思想や仕組みなのかもしれません。

【総括(文):井上功 /インタビュー(文):荻野進介】

PROFILE

有村 拓朗(ありむら たくろう)氏

有村 拓朗(ありむら たくろう)氏

2008年株式会社リクルートに入社。3年弱一貫して企業の新卒・中途採用支援業務に従事。2011年1月に退職、世界一周を開始。JICA、レノボ・ジャパン、エバニュー(敬称略)協賛のもと、「発展途上国の現場を直視する旅」をコンセプトにロハスパッカーズプロジェクトと題して旅をスタート。中南米の各国のODAの現場を撮影し、10分間のドキュメンタリーにして自身のHP上で発信。グアテマラにて、先生達の不安定な雇用状況を知り、観光業に依存したスペイン語業界に変革をもたらすべくオンラインスペイン語会話サービス「スパニッシモ」を立ち上げる。2012年1月21日よりサービス提供開始。世界経済フォーラム(ダボス会議)Global Shapers日本代表選出。

執筆者

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サービス統括部
HRDサービス共創部
Jammin’チーム
マスター

井上 功

1986年(株)リクルート入社、企業の採用支援、組織活性化業務に従事。
2001年、HCソリューショングループの立ち上げを実施。以来11年間、(株)リクルートで人と組織の領域のコンサルティングに携わる。
2012年より(株)リクルートマネジメントソリューションズに出向・転籍。2022年より現職。イノベーション支援領域では、イノベーション人材開発、組織開発、新規事業提案制度策定等に取り組む。近年は、異業種協働型の次世代リーダー開発基盤≪Jammin’≫を開発・運営し、フラッグシップ企業の人材開発とネットワーク化を行なう。

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