イノベーション研究 第21回 三井物産
リソース、プロセス、カルチャーを変えていけばイノベーションは確実に起こせる

執筆者情報
HR企画統括部
リサーチ&デザイン部
エグゼクティブプランナー
井上 功

本研究では、組織の中でのイノベーション創出のヒントを得るために、イノベーターの方々にインタビューを実施しています。

第21回は、三井物産株式会社の高荷英巳氏にご登場いただきます。高荷氏は、2012年4月に、新しくできた組織であるイノベーション推進室の室長に抜擢されます。「なぜ自分なのか納得がいかない人事」と本人も述懐するその異動を経て、高荷氏は三井物産をイノベーティブにする、という非常に困難なミッションに立ち向かいます。会社とは何か、という根源的な問いに立ち返り、リソース、プロセス、カルチャーを変えることで、ミッションを推進していきます。その方策は大胆不敵、一方、進め方は繊細かつ丁寧でもあります。

設立から2年強が経ち、実際に3つのイノベーション推進案件が進展しています。そして、三井物産はイノベーティブな企業に変わりつつあるといってもいいでしょう。

では早速、高荷氏のイノベーションストーリーをご覧ください。


マレーシア重点開発地域の
スマートシティ化を担う

日本にしかない業態といわれる総合商社。その頂点に立つ5大商社の一角、三井物産が今、こんな試みを始めている。

成長著しいASEANの中心地、シンガポール。マレー半島の南端にあり、そのシンガポールと海を挟んだ対岸に位置するのが、マレーシア・ジョホール州のイスカンダール地域である。シンガポールの約3倍、東京都とほぼ同じ面積をもつ同地域は、マレーシア政府が2006年に策定した5つの重点開発地域のうちの1つだ。

ちょうど中国の香港と深センの関係のように、経済的にもシンガポールと密接に結びついており、その恩恵を受けて近年大きく発展し、2005年に140万人だった人口が、20年後の2025年には300万人に達すると予想されている。

人が増えれば、環境にも影響が生じる。イスカンダール地域では、人口急増に伴い、同じ20年間で1人当たりの自動車の利用距離は6倍に、飛行機のそれは3倍強になると予想されている。結果、CO2排出量も従来の約3倍になってしまう。一方で、マレーシア政府は2009年12月、デンマークのコペンハーゲンで開かれた国際会議で、「2020年までに、CO2排出量を2005年比で40%削減する」という公約を掲げており、これを破るわけにはいかない。

マレーシア政府は開発推進と環境保持の両立を決断した。具体的には、イスカンダール地域の中心地、メディニ地区のスマートシティ化を図ることで、低炭素社会の構築も視野に入れたのだ。スマートシティとは、化石燃料ではなく、自然エネルギーをできるだけ使い、さらにはICTを駆使してエネルギー効率も高めるよう設計された都市のことだ。その実現には直接のエネルギー問題だけではなく、交通システムや医療、水道など、さまざまな要素がからんでくる。

このプロジェクトの中心的役割を果たしているのが、実は三井物産なのである。

エネルギー管理、治安の確保
環境配慮型交通システムの実現

きっかけは、マレーシアの国策投資会社、カザナ・ナショナルから、「長期的パートナーとして一緒にやりたい」と直接提案されたことだった。

三井物産は2011年5月、カザナ社が保有するアジア最大の病院持ち株会社、インテグレイテッド・ヘルスケア・ホールディングスの30%の株式(当時)を取得、病院ネットワーク事業を運営している。さらに、電力、水、ガスといったインフラ事業を世界中で展開している。そうした実績と経験が高く評価されたのだ。

2013年5月、三井物産は、メディニ地区の開発を担う総合デベロッパー、メディニ イスカンダール マレーシア(MIM)の株を20%取得するという形で、このプロジェクトに参画することになった。MIMの下にはICT、タウンシップマネジメントといった事業ごとに、特別目的事業体を設置する予定。それぞれの分野で有力企業と協働しつつ、インフラを含めた都市機能全般を作っていく計画だ。

このプロジェクトにおいては、以下3つの大きな取り組みを構想している。

“見える化”によって消費電力の制御を計る「エネルギー管理システム」の構築、人々が安心して暮らせる「セキュリティ」の確保、EV(電気自動車)バスや路面電車、さらにはリアルタイム渋滞情報の活用などを含む「環境配慮型の交通システム」の整備、である。

それぞれの技術は日本でも、いや各国でもすでに実用化されているかもしれない。しかしそれらをトータルで備えたスマートシティはこの地球上では未だ実現していない。このプロジェクトが形になったら、正真正銘のイノベーションになるだろう。

次世代型ビジネスの創造が
経営計画に盛り込まれる

この難度の高いプロジェクトの実現は、ある組織の存在抜きには語れない。その組織とは、2012年4月、同社の経営企画部内に新設されたイノベーション推進室である。この組織と、それに付随した仕組みがなければ、このプロジェクトが日の目を見ることはなかっただろう。

発端は、2012年4月に発表された同社の中期経営計画「挑戦と創造2012」である。そのなかで、重点施策の1つに「次世代ビジネスの創造」が掲げられたのだ。

この手のものは、言うは易く、行うは難し、である。それを実現するための具体策を講じなければ、絵に描いた餅に終わってしまう。

そこで、同社社長の飯島彰己氏、同専務(当時)の木下雅之氏の指示を受け、経営企画部が中心となって検討を重ね、結果、創設が決まったのがイノベーション推進委員会とイノベーション推進室だった。

イノベーション推進委員会の委員長は木下氏が務め、人数は14名。うち10名が執行役員、3名がコーポレート部門の部長、それに、事務局長として後述するイノベーション推進室の室長が入る。案件の大きさによっては経営会議にかけるものもあるが、次世代ビジネスに関わる意思決定は、原則この委員会で下される。

三井物産が新しいものに触れるようにする
その真意とは?

イノベーション推進室は、このイノベーション委員会の事務局で、委員会で議論する全社施策を提案する、というミッションを与えられた組織といっていい。飯島氏、木下氏がそのトップに選んだのが、高荷英巳氏だった。室員は、高荷氏の下に5名。各セグメントに在籍する兼任者を含めれば総員30名ほどだ。

高荷氏は、もともと金属資源本部出身だが、当時は、化学品セグメントに在籍し、営業部の事業投資を中心とした業務を支援する仕事に就いていた。金属資源本部では、多くの事業投資案件を手掛け、化学品セグメントに異動する前は、ハーバード・ビジネス・スクールに留学しており、その経験と知識を買われての2年間限定の“助っ人”だったという。

イノベーション推進室長への指名につき、高荷氏は、「なぜ自分なのか納得のいかない人事でした。具体的に何をやればいいのか全く思い浮かばず、とりあえず途方に暮れました(笑)」と、当時を振り返る。納得のいかないまま異動するわけにはいかない。そのため、高荷氏は、社長の飯島氏に直接話をしに行く。「いったい私に何をさせようとしているのですか?」という高荷氏の問いかけに、飯島氏はこう答えた。「うちは、今のところ業績がいいが、これからどうなるかは分からない。こういうときこそ、次の準備をしておくべきだ。うまくいくかどうか分からないが、なんとか当社が新しいものに触れるようにしたいと思っている。やり方は任せる」

イノベーションの本質は何か
ひたすら本を読み漁る

その内示があったのが2012年1月。正式就任まで3カ月あった。これまで伝統的な事業領域での経験しかない高荷氏が取り掛かったのが、ひたすらイノベーションについて学ぶことだった。書店に行き、イノベーションと名の付く本はすべて買い込み、片っ端から読み漁った。ハーバード時代に読んだ洋書も引っ張り出した。その数、優に100冊を超えた。

玉石混交のなかから良質なInputをかき集め、ほぼイノベーションに関する考え方が固まりつつあったときに、宝ともいうべき本に出合った。アメリカのSRIインターナショナル(旧スタンフォード研究所)が著した“イノベーションの5原則”というもので、そのなかには、高荷氏が固めつつあった考え方を「N-ABC」というコンセプトとして説明していた。NはNeeds(ニーズ)、AはApproach(取り組み)、BはBenefit per cost(成果とコスト)、CはCompetition(競合)を表す。「この4つをバランスよく満たすものがイノベーションにつながる、という考え方です。このうち起点となるのがNeeds、つまり必要性です。特にわれわれ商社は物を作るわけではないので、Needsしか頼るものがない。日本のメーカーが陥りがちなSeeds(種)を追求するイノベーションを志向してはいけない、と直感的に考えていたので、このコンセプトが大いに腹に落ちました。まさに、自分が求めていたものがそこにあったというような出合いでした」

就任後、早速、SRIインターナショナルのトップに会うべく渡米。N-ABCというコンセプトの使用許諾と、来日してのイノベーション推進委員会メンバーを対象としたN-ABCに関する講義を依頼した。ただし、三井物産に採用するにあたっては、Strategy(戦略)のSを加えた。N-ABC Sモデルというわけである。

稟議制度、評価制度を変え
知のネットワークも構築

同社はこのコンセプトを経営にどう取り入れていったのか。

イノベーションに関する本を読み漁り、自分なりのイノベーションの解を模索するなかで、高荷氏には、もう1つ問題意識があった。それは「会社とは何か」という壮大な問いだった。導き出された答えは、会社は、(1)リソース、(2)プロセス、(3)カルチャーの3つで構成される、というものだった。

リソースとは、ヒト、モノ、カネ。プロセスとは、物事を前に進めるための手続きや制度すべて。具体的には、組織、稟議制度、評価制度など。根回しだって、プロセスかもしれない。カルチャーは、理念、価値観、ミッションなど。雰囲気もこれに含まれる。「会社が変わらなければ、出てくるプロダクトは変わりません。逆に、これらを一つ一つぶっ壊していけば、プロダクトも変わり、新しいビジネスが創造できると考えたのです」

高荷氏は、まず(2)プロセス、即ち稟議制度から壊しはじめた。従来の稟議制度では到底取り扱うことができない案件を取り上げる、イノベーション推進案件という制度を作ったのである。それに認定されるためには3つの要素をクリアしなければならない。1つ目は、重要な事業価値をもつ可能性があること、2つ目は、重要なニーズが存在すること、3つ目は、不確実性を孕んでいること、である。「事業化が手堅く見込める案件、先が読める案件は持ち込まないでほしい、ここで扱うのは先の読めない、不確実な案件のみ、というわけです」

その説明に高荷氏が使っているのが下の図だ(図表01参照)。

図表01 不確実性の様相

「これは私のオリジナルではありません。親しくさせていただいているmonogotoの濱口氏から教えていただきました。不確実性が大切という結論は自分で導き出しましたが、濱口さんはその先を行っていましたね(笑)」

高荷氏が説明する。「皆さんが稟議書を書くときのことを思い浮かべてみてください。1は、よくある右肩上がりのグラフです。2は、それにいくつかのシナリオを示したケース。Sensitivity Studyなんかもこれにあたります。3は、こっちにいくぞ、という方向性は分かっているものの、1や2ほどは確実に線が描けないような案件。4は、今後の方向性が全く見当がつかない案件を示しています。このうち、われわれがイノベーション推進案件制度で狙うのは、3の案件です。1や2に関しては、ほとんどの企業が審議する制度をもっていて、取り上げることができる。しかし、3のような案件は、ほとんどの企業で捨てられている。それは3を審議する制度そのものがないからでしょう。われわれはそれを作ったのです」

そう、先ほどのN-ABC Sを稟議制度上の審議コンセプトとしたのだ。それまでの稟議書といえば、枚数無制限で事業プランが延々と書かれたものばかりだったが、それを最高5枚までとした。そのなかに要領よく、N-ABC Sに即し、簡潔に事業プランを描いてもらうことにしたのだ。

「不確実性のなかから次世代ビジネスの可能性を見出すのに必要なのは力強いストーリーです。IRRとかNPVとか、事業投資に関わる伝統的な判断基準は不要としました。“飛び地”感のある唐突なものも、力強く将来の絵が描ければイノベーション推進案件として推進することにしたのです」

同じ(2)プロセスに関して、走り出す前の稟議制度だけではなく、走り出した後の評価制度も変えた。まず、「3年連続赤字の場合は撤退」という基準に関して適用除外とした。また、撤退案件の担当者は業績評価がマイナスになるのが通例だったが、新しいチャレンジが評価されないのはおかしい。そこで、イノベーション推進案件で損失や減損が生じても、マイナスは評価対象とせず、成功した場合のみ評価する仕組みに変えた。

一方で、何の定見もなく、投資を行っても成功はおぼつかない。そうした見当はずれの投資を防ぐために、高荷氏は(1)リソースのうち、人の部分にも改善を施した。具体的には、最先端の知のネットワークを社外に作ったのである。「イノベーション推進室のメンバーで手分けして、100人以上の大学の教授や研究所の研究員と面談し、協力を仰ぎました。国内はほんの一部で、大多数は海外の研究者です。ロボット工学の権威、生物学の最先端研究者、IT分野のカリスマ、宇宙飛行士など、分野は本当にさまざまです。このネットワーク構築を通して、どんなテーマの案件が舞い込んだとしても3日以内にその世界のオーソリティにアクセスできる自信がつきました」

走っているのは3案件
年間予算200億円を確保

同じ(1)リソースということでは、資金に関しても新しい仕組みを作った。経営会議に諮り、年間200億円の予算を確保したのである。「委員長の木下からはこう言われています。『お前が使っていい200億円じゃないからな。次世代ビジネスのために営業部が使うための200億円なんだからな』と(笑)」

三井物産の当期利益は、直近で4,222億円(2014年3月期)である。その5%弱を毎年、イノベーションのために投資するのはかなり思い切った経営判断といっていいだろう。

現在、イノベーション推進案件として走っているものが3件ある。最も大規模なものが冒頭で紹介したイスカンダールプロジェクトだ。それ以外に、遺伝子組み換えで作りだした藻を活用し、特殊な油脂を生産させるプロジェクト(ソラザイム・プロジェクト、写真参照)、環境負荷の高い排ガスからバイオ燃料・化学品を生産する新ビジネスの創出を目指すプロジェクト(ランザテック・プロジェクト、写真参照)が走っている。いずれも、これまで説明してきた仕組みがなかったら、三井物産内では到底取り組み得なかったプロジェクトである。

そのうち、イスカンダールプロジェクトについて、高荷氏はこうコメントした。「この事業をわれわれは3年や5年のスパンでは考えていません。20年、30年という長い期間をかけて、何十万人もの人が快適に住める町を作りたい。その間には経済の浮き沈みはもちろん、政治的変化にも見舞われるかもしれない。そういう意味で、これは長期にわたる不確実要因を含むイノベーション案件なのです」

カルチャー変革にも取り組む
キーワードは「リ・ポジション」

高荷氏は、会社を構成する3要素のうち、(3)カルチャーの部分にも切り込んでいる。イノベーションを育む環境を作ることも、イノベーション推進室の重要な役割だからだ。

キーワードは「リ・ポジション」(自身の仕事の再定義)だ。「世の中が大きく変わっていくなかで、今までと同じ仕事内容、同じ仕事のやり方ではいずれ太刀打ちできなくなる。だったら、一度立ち止まって、自分の仕事を再定義してみよう、というメッセージがそこには込められています。そのキーワードに沿って、100枚ほどのプレゼン資料を作り、自らが講師役となって、意識変革のための勉強会を各地で開催したのです。本社単体で6,000名ほどの社員がいる中、2,700名ほどに直接語りかけることができました」

では、三井物産は世の中がどう変わっていくと見ているのか。イノベーション推進室が三井物産戦略研究所と共同で取りまとめたメガトレンドが、以下の7つだ。(1)グローバリゼーションの加速、(2)人口動態の変化、(3)知識・技術の高度化、(4)資源不足の深刻化、(5)地球温暖化の進行、(6)社会構造の変化、(7)新たな市場の台頭、の7つである。こうした趨勢が単体ではなく、束になって押し寄せてくるとしたら、ビジネスの変革(イノベーション)は「やった方がいいこと」ではなく、「やらなくては生き残れないこと」になるだろう。

高荷氏はイノベーション推進室という組織がその役割を終え、なくなることを最終目標に置く。そうした特別な組織がなくても、イノベーションが続々と生まれる組織に会社が生まれ変わることを期待しているのだ。自らの消滅を企図した組織、やればやるほど自分たちの存在価値が薄まっていく活動、それこそ、すこぶるイノベーティブな組織であり活動だといえるかもしれない。

総括

高荷氏のイノベーション創出ストーリー、いかがでしたか。

いつものようにイノベーション研究モデルの領域をイメージしながら総括をします(図表02参照)。今回注目する領域は、イノベーション戦略です。2012年に発表された三井物産の中期経営計画「挑戦と創造2012」は、まさにイノベーション戦略そのものといって差し支えないでしょう。三井物産の経営陣と高荷氏は、この戦略を推進するにあたり、徹底して仕組みに拘ります。その結果、会社全体がイノベーティブな風土・文化に変わっていっているのです。もともと新しいビジネスに対して極めて敏感に反応し、変化してきた総合商社が、「次世代ビジネスの創造」を掲げてさらに突き進んでいく。そんな姿が浮かんできました。それはまさにチェンジ・マネジメントです。

それでは、高荷氏の活動を振り返ってみましょう。

図表02 イノベーション研究モデル

イノベーションを経営戦略の核に
その本質は、『慣行の外に出る』こと

総合商社は、旧来は輸出入を司る事業形態をとってきました。ラーメンからロケットまで、といわれるように極めて取扱商品・サービスが多く、日本独特の事業形態ともいえます。口銭という手数料を主な収益源として事業活動をしてきましたが、商社冬の時代を経て貿易・販売業務や商社金融業務から、大きく事業形態を変えていきます。国内外の企業への出資、経営管理や人材の派遣、システム開発などを行う事業持ち株会社若しくは投資会社の色彩を強めていくのです。連結対象子会社は数百社に及び、各々の企業が各々の領域で事業を推進している。守備範囲の広さからいっても自然と新結合、即ちイノベーションが起きている印象を強くもちます。そんな観点から、総合商社は事業創造会社に変貌を遂げたといってもいい。「次世代ビジネスの創造」をこれほどできている業態を、他にあまり知りません。

その総合商社の三井物産が、敢えて「次世代ビジネスの創造」を経営戦略に掲げることの意味が最初は分かりませんでした。外部から見ると、「こんなにできているのに、一体なぜ」という印象が非常に強かった。しかし、三井物産は違いました。事業投資会社としての機能開発は、あくまでも既存事業に過ぎない。それは、「ビジネスの創造」であっても、「次世代ビジネスの創造」ではないのです。

では、次世代ビジネスとは何か? どうすればそれを創ることができるのか? 高荷氏の結論は、徹底して『慣行の外に出る』ことの実践でした。イノベーションを推進する際に、それが組織の中からであれば、組織の慣行が阻害要因になり必ず邪魔をします。企業のミッションやビジョン、事業ドメイン、保有資源、意思決定の基準値や投資判断基準、文書の様式や会議体での作法、構成員の暗黙知や企業文化など、ほとんどすべての慣行はイノベーションにとって敵となるものだといえます。

それは、イノベーションの開祖であるシュンペーターやドラッカー、クリステンセンやマーチ、野中郁次郎などの経済、経営学者も共通して論を張っているものです。つまり、組織の中からイノベーションを興すということ自体が、そもそも大きな矛盾を抱えているといえるのです。では、組織の中にあって『慣行の外に出る』ことはできないのでしょうか?

『慣行の外に出る』ことを、グーグルや3Mは15%ルールや20%ルールで実現しようとしています。2014年8月に掲載したトヨタ自動車では、本社の影響から離れた場所にイノベーションを推進する組織を置きます。リクルートでは、NVC(New Value Creation)という全く新しい評価指標を1998年に全社員に導入し、現在に至るまで認知と称賛を行っています。組織の中にあって、『慣行の外に出る』ことは不可能ではないのです。

高荷氏は、イノベーション推進室長に着任する前に、イノベーションに関する論文や書籍を読み漁り、どうすれば三井物産を『慣行の外に出る』ようにできるかについて考えたに違いありません。それが、リソース、プロセス、カルチャーの変革に連なっていくのです。

リソース、プロセス、カルチャーの変革
それはまさにチェンジ・マネジメント

会社とは何か、という壮大な問いを自らに課した高荷氏は、会社がリソース、プロセス、カルチャーで構成される、という答えに辿り着きます。そして、まずプロセスを徹底して変えていきます。三井物産のような、巨大で長い歴史を重ねている企業体にとって、意思決定のプロセスを変えることは非常に困難であることは想像に難くありません。高荷氏は、イノベーション推進案件に関する新たなプロセスの導入を経営陣に持ちかけます。その要素の1つに、不確実であること、を掲げます。確実な案件であれば既存事業で進めればいい。不確実なことに対する意思決定の基準を設定するのです。こうして、『慣行の外に出る』ことをプロセスの領域で実現するのです。

リソースでは、最先端のイノベーション案件の目利きができるように、世界中のさまざまなメガトレンドに関する専門家をネットワークしていきます。その数100名以上。当該分野の世界の第一人者のネットワークを2年で作り上げていくのです。また、人材以外に資金のリソースも確保します。1年間に投資可能な上限金額が200億円。高荷氏は当初その倍以上の金額を経営に要求したそうです。そのダイナミズムは、もはや常人の域を超えています。企業全体がイノベーションに向けて遮二無二進んでいる印象を受けます。

そして、カルチャー。企業風土や文化を変えてほしいという依頼をわれわれも多くの企業から受けますが、企業文化ほど動かしがたいものはありません。組織の構成員に深く根ざし、時に形式的に、はたまた暗黙的に物事を決めていく。重苦しく、簡単に振り払えない、そんな印象をもちます。イノベーション創出に向けたプロセス改革とリソース確保をカルチャー変革の大きなはずみ車にしながら、高荷氏は仕事の「リ・ポジション」という概念でカルチャー変革に挑んでいるのです。自分の仕事の再定義、そのワークショップを全社員の約半数と実施している高荷氏の行動力には凄まじいものがあります。イノベーション案件の進捗を共有しながら、三井物産の社員の変化に対する対応力を高め続けているのです。

これらの活動は、チェンジ・マネジメントそのものであるといっても過言ではありません。高荷氏からこのダイナミズムを聴いたときに、背筋が震えたのを憶えています。

第5水準のイノベーション
経営管理イノベーションの推進

イノベーション推進室長に着任する際に、高荷氏は社長の飯島氏に、「私に何をさせようとしているのですか?」と尋ねています。そのとき、飯島氏は、「なんとか当社が新しいものに触れるようにしたい」と答えています。イノベーション推進室のミッションは、イノベーションを興す仕組みを作ることであり、イノベーションそのものを興すことが主ではないのです。

イノベーションにはいくつかの様相があります。ここでは、ハメルのイノベーションの階層を例示します(図表03参照)。

図表03 イノベーションの階層 ハメル

ハメルは、その著書『経営の未来』において、イノベーションの階層構造を示しています。そして、イノベーションの最上位概念に、経営管理イノベーション、つまりマネジメントのイノベーションを挙げています。20世紀以来大きく変わっていないと思われる経営管理の方法こそが、今一番必要とされているイノベーションだというのです。それは、商品・サービスのイノベーションやビジネスモデルのイノベーションではありません。経営管理の形態にこそ変革を興すべき、というものです。

飯島氏が期待し、高荷氏が推進しているのは、まさに経営管理イノベーションだといえます。三井物産がイノベーティブになるような新しい経営管理形態を、イノベーション推進委員会やイノベーション推進室を軸に実現する。それが企業風土や文化に伝播し、自然と組織の中でイノベーションが育まれるようになる。現在進行形で進むこの試みは、やがて企業風土や文化に波及し、近い将来、イノベーション推進委員会や推進室が不要になる、と高荷氏は言います。『慣行の外に出る』ことを推進しながら、経営管理イノベーションという『新しい慣行』を創る試みでもあるのです。

【総括(文):井上功 /インタビュー(文):荻野進介】

PROFILE

高荷 英巳(たかに ひでみ)氏
1989年3月 一橋大学 法学部卒業
2010年5月 Harvard Business School General Management Program修了
2012年4月、次世代ビジネス創造を目的として設立された、経営企画部イノベーション推進室の室長に就任。12営業本部の兼務者を含む総勢約30名からなる組織を指揮し、“挑戦と創造”の体現、次世代ビジネスの創造に向けた取り組みのリーダーとして重要な役割を担う。
1989年4月に入社以来、製鋼原料部をはじめとし、鉄鉱石部、非鉄金属原料部など金属資源本部にて経験を積み、2010年から約2年、化学品セグメントに社内出向。海外では、1995年9月より約1年間、マンデラ元大統領就任直後の南アフリカ共和国に研修員として派遣され、2001年から2004年には、米国三井物産New York本店にて鉄鋼原料課GMとして勤務経験あり。

趣味はトライアスロン。Ironman国際大会を中心に活動。Full DistanceのIronmanレース完走歴13回。10月に開催されるIronman World Championship Hawaii 2014に出場予定。

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