イノベーション研究 第2回 水ing 最先端の水道技術を世界へ 目指すは「和製水メジャー」

執筆者情報
HR企画統括部
リサーチ&デザイン部
エグゼクティブプランナー
井上 功

本研究では、組織の中でのイノベーション創出のヒントを得るために、イノベーターの方々にインタビューを実施しています。第2回では、今後ますますその重要性が増すと思われる「水ビジネス」を、三菱商事時代から現在の水ing(スイング)株式会社、代表取締役に至るまで一貫して推進している水谷重夫氏にご登場いただきます。また、新事業を生み続ける母体としての総合商社について、三菱商事の執行役員である占部利充氏にもお話を伺いました。併せてご覧ください。


目指すは「和製水メジャー」

円高、新興国企業の追い上げが、家電を中心とした日本の単品型製造業に苦難を強いているのはご承知の通りだ。一方、官の後押しもあり、ますます売上の伸びが期待できる製造業分野も日本にはある。水道、鉄道、発電所といったパッケージ型のインフラ輸出だ。そのうち、特に内外から熱い期待が寄せられているのが水道関連の「水ビジネス」である。

経済産業省の試算によると、世界の水ビジネスの市場規模は、2025年に86兆円と、2007年に比べ2倍以上になるという。

これまで、世界の水ビジネスを牛耳ってきたのは、2社で世界の水市場を2分してきたヴェオリア・エンバイロメント、GDFスエズのフランスの2大水メジャー。この強固な牙城を崩すべく、「和製水メジャー」の実現を目指しているのが、荏原製作所、三菱商事、日揮が出資してつくられた水道事業大手、水ing(スイング)で副社長をつとめる水谷重夫氏その人である。

いつもついて回った
「水」に関する仕事

1980年、三菱商事に入社。農業食品機械部に配属され、荏原のポンプをはじめ、農業関係の機械輸出に携わる。1990年には建設機械部に移るが、主に世界中のダム建設のための機械輸出に従事。1995年頃からは、機械単体ではなく、浄水場などのプラントそのものの輸出に携わる。このように、意図したことではなかったものの、結果的に、水谷氏のキャリアにはいつも「水」がついて回った。

1997年、三菱商事の業務部長であった小島順彦氏(現、代表取締役会長)が業務部内に「民活プロジェクト推進チーム」という組織をつくった。翌年、その組織が機械グループに移り、「インフラプロジェクト開発室」となり、水はもちろん、空港、道路、港湾など、あらゆるインフラ建設における民間活力導入の商機を探り、実際のプロジェクトの立ち上げを目指すことになった。

水谷氏はその開発室のチームリーダーの一人に抜擢された。ターゲットはもちろん、水である。本人が話す。「その頃から、水は絶対に三菱商事が次世代につなげるべきビジネスだと確信していました。利益追求よりも次世代につなげる新規事業を立ち上げるのが仕事です。仕事内容はあまり変わりませんでしたが、時間とお金が十分に担保された形ですから、非常にやりやすくなりました」。

2000年、中国の北京市内にできる第十浄水場の建設から管理・運営、経営までを担当するプロジェクトに入札し、みごと受注に成功する。後に事業計画そのものが一旦立ち消えとなってしまうが、これがきっかけで、水谷氏の活動は第二幕に入る。どういうことか。「この案件について、日本の上水道を管轄する厚生労働省に相談に行ったところ、『海外案件で、政府の支援を得るのもいいけれど、国内の水道にも今後、民活が必要です。御社は水のオペレーションでは業界随一の日本ヘルス工業(現ウォーターエージェンシー)と組んでいるわけですから、日本の水に本気で取り組むつもりはないんですか』と言われたのです」。

日本を背負う、水の会社
ジャパンウォーター

このことを日本ヘルス工業の社長に話したところ、賛同を得ることができ、早速、市場調査を開始するが、「調べる前に走れ」ということになり、三菱商事と日本ヘルス工業の共同出資で同年7月に新会社が立ち上がった。「当時の商事の社長は佐々木幹夫さん(現相談役)でした。そしてインフラプロジェクト開発室長の小島信明さん(現、常務執行役員)、そして新会社の取締役にもなっていただいた小林健さん(現、代表取締役社長)、皆さん、この事業の意義を深く理解してもらえました。創業期でも間にいる人たちは数字についてあれこれ言いますが、この人たちは言いませんでした。必要だから、やれ。それだけです。心強かったですね」。

社名はジャパンウォーター。別の社名でスタートする予定だったが、「日本で最初にできた、日本の水を背負い、支えていく会社」を体現するにはそれしか考えられないと水谷氏が変えたのだ。日の丸を取り入れた社名マークも考案した。「開発室長の小島さんが非常勤の社長、私が副社長という人事だったのですが、出向するなら社長で出して欲しい、という私の希望がかない、その通りになりました」。

商社の課長から関連会社の社長へ。喜ばしい栄転といえるが、困ったことに水谷氏は経営のケの字も知らない。そこから猛勉強が始まった。「三菱商事の1年後輩に今、ローソンの社長になっている新浪剛史がいて、よく知った仲です。彼はハーバードに留学してMBAを取ってきましたが、私にはそんな経歴はありません。MBA組には負けたくないと、MC経営塾だけでは物足りず、大前研一さん主宰の経営塾に通ったり、GEのジャック・ウェルチさんはじめ、沢山の経営者に会いに行ったりして、自分なりに経営の勉強をやりました。経営の一番の勉強は経営者の話を聞くことだ、と言われますが、その通りを自前でやったわけです」。

三菱の源流のひとつに水道事業があった

日本における水道の歴史も振り返った。大きな発見があった。日本で最初の民間水道をつくったのが三菱の創始者である岩崎弥太郎だったのだ。「明治13年、江戸時代につくられ使われなくなっていた千川水道を復興させ、万博の会場となった上野に水を引くプロジェクトを、民間から資金を集めて立ち上げていたのです。当時、そういう言葉はありませんでしたが、PFIそのものです。その後、明治41年まで自社で経営して、東京都に寄付しています。十分な利益は上げていますが、それよりも、国のために必要と判断したからやったことでしょう。ジャパンウォーターの目指す使命がまさにそこなのです」。三菱の源流のひとつに水道事業がある!その事実の発見はどんなに水谷氏を喜ばせたことだろう。

そのうち、水谷氏は「和製水メジャー」という言葉を使い始めた。水に関するすべてを手がける「水の総合商社」というわけである。マスコミも反応し、徐々に広まっていった。

ただ、「和製水メジャーを目指す」をビジョンに掲げたジャパンウォーターの業績は最初は芳しくはなかった。最も大きな原因は2002年まで水道法が改正されず、民間水会社の仕事がゼロに留まっていたからである。その間、本社からは事業継続を疑問視する声が次々にあがった。「それに対しては、この事業自体が世界のためになり、国のためになり、そして三菱商事のためにもなること、そして、海外の事例を出しながら、和製水メジャーを目指すわれわれのビジネスは未来を先取りしたビジネスモデルであることを説明し、納得してもらいました。先述した4人のトップの存在も非常に大きかったですね」。

技術とエンジニアリングが足りない
戦略を練り直して再出発

水道法の改正により、2003年から仕事が次々に舞い込むようになり、国内で14箇所のプロジェクトを引き受け、売上も10億円までいった。が、大きな壁につきあたる。ジャパンウォーターの事業内容が水道のオペレーションのみだったため、事業に広がりが生まれないのだ。これでは到底、「水メジャー」とは名乗れない。

一旦、ジャパンウォーターの社長を辞し、水谷氏は商事に戻った。2007年のことである。そこで徹底的に戦略を練り直した。水メジャーとして足りないものは何か、と。「結論はエンジニアリング機能の補完でした。つまり、オペレーションだけではなく、インフラの建設から手がけなければならないのだと悟ったのです」。

そうだとすれば話は早い。組む相手は、ポンプでは日本一であり、自分にとっても入社以来の付き合いがある荏原製作所しかない。そう思っていた矢先、先方から連絡が入った。「商事と組んでやりたい」というのだ。以心伝心、乗らないという選択肢は水谷氏にはなかった。さらに万全を期して、エンジニアリング会社にも声を掛けよう、となり、日揮に白羽の矢が立つ。

かくして、2010年4月、日揮と商事が荏原製作所の水事業子会社である荏原エンジニアリングサービスの株を3分の1ずつ取得し、3社での共同経営が行われることになった。それが2011年4月に社名変更され、水ingとなっている。

2012年8月、水ingは広島県との共同出資という形で、県内の水道施設の管理・運営を行う新会社、「水みらい広島」の設立を発表した。出資比率は県側35%に対して、民間である水ing側が65%という今までにない形だ。こうした形で国内での実績を積んでいけば、海外に羽ばたく和製水メジャーの実現もそう遠くないはずである。

他の総合商社が軒並み、外資との提携や出資という形で、水ビジネスに乗り出しているのと対照的に、このように三菱商事だけが日本での拠点構築という地道な戦略を採ってきた。その舵取り役が水谷氏だ。「日本のメーカーは機器売りまでしか考えておらず、みんな水道事業を本気でやろうと思っていないのです。結果、折角優れたものを持っているのに、日本の水道技術は海外に出る機会を失ってしまい、それこそ、韓国やシンガポールの下で細々と仕事をするしかないのではないか、という危機感が私にはあります」。

三菱グループには「三綱領」という経営の根本理念があり、その筆頭が「所期奉公」だ。その意味は「期するところは社会への貢献」。水谷氏の思いや行動は、一商社マンのそれというよりは、官僚や政治家のそれのようにも思えるが、「三綱領」に即すれば、きわめてまっとうな三菱マンのあり方なのかもしれない。

総括

危機をきっかけに成しえた企業変革と
イノベーション戦略

水谷氏の水ビジネスの推進ストーリーは如何でしたか。ここからは、水谷氏の水ビジネスのイノベーションを振り返ります。

先ず、水ビジネスという<経済成果をもたらす革新>の推進母体としての総合商社を見てみましょう。三菱商事は1980年代に、大きな危機であり転換期を迎えています。その象徴的な出来事が、売上高1位から5位への転落でした。これは単なるカルチャーショックというには済まされないものだったようです。 経営層や現場で何度も議論がなされました。売上競争を続けるか、止めるかと。そして、三菱商事は売上競争を止めることを選択します。現執行役員である占部氏は、「キーワードが2つでした。『トレーディングから事業投資へ』、『インターナショナルからグローバルへ』というものです。そのときにさんざん議論があったわけです。本当に5位に転落してもいいのか、と。しかし、不毛な売上高競争を続けるより、利益を重視しよう。本当に世の中に評価される機能があったらちゃんと利益がついてくるはずだ。自分たちの機能って何なのか?という自問自答を突き詰める形での事業機会や組織の再点検が全社を挙げて行われました。そして、振り返ってみると、売上高競争からの決別という転機を捉えて、事業投資会社への道を邁進することになったのです」と語っています。

この総合商社としての機能の変化が水ビジネス推進の第1のポイントといえるでしょう。事業投資化を進めるために、三菱商事はトレーディング会社から事業投資会社へと大きくギアチェンジします。その延長で、「インフラプロジェクト開発室」が1998年にできます。トレーディング主体の会社のままだったら存在し得なかった組織でしょう。事業価値の変更に伴いイノベーション戦略が強化され、イノベーターである水谷氏の水ビジネス推進が加速します。事業投資とはまさに、<経済成果をもたらす革新>。総合商社としての三菱商事の事業価値創出の変革自体が、イノベーションを推進する原動力になったといえるでしょう。

第2のポイントは、商社本体にあるイノベーションのチェック機能です。水谷氏はインタビューの中で、「間にいる人たちは数字についてあれこれ言いますが・・・」と述べています。本体の経営企画や財務、経理、法務といった部門がまさにこれにあたります。一方、占部氏は、「多くの新規事業が、多くのセクションの様々なチェックを受けます。それはすごくビューロクラシーかつ非効率になりがちだけれども、新しいアイデアを出して企画して実行しようと思うと、社内を先ず関係者にちゃんと理解させて納得させるプロセスが絶対必要であり、大事なことだと思っています。逆に言うとそれぐらい説得できないような事業は生き残っていけないともいえます」と語っています。企画を通すためのご苦労を話した水谷氏も、本社のチェック機能は必要悪とは決して言っていません。寧ろ、「チェックを越えるたびにその事業のコンセプトが磨かれる」とその必要性を強調しています。これは、事業投資に舵を切る以前から営々と培ってきた三菱商事の力でしょう。

三綱領の存在とプラットフォーム

第3のポイントとして、大義の存在が挙げられます。それは、「水は絶対に三菱商事が次世代につなげるビジネスだと確信していました」、「日本で最初にできた、日本の水を背負い、支えていく会社」、「この事業自体が世界のためになり、国のためになり、そして三菱商事のためになること」、「折角優れたものを持っているのに、日本の水道技術は海外に出る機会を失ってしまい、それこそ、韓国やシンガポールの下で細々と仕事をするしかないのではないか、という危機感が私にはあります」といった水谷氏の発言に表われています。しかし、大義だけではビジネスは成り立ちません。ジャパンウォーターが成功の軌道に乗りかけたときに水谷氏はあっさりと社長を辞します。真の水メジャーを目指すべく、エンジニアリング機能を持った会社を新たに立ち上げます。オペレーションのみだと事業拡大が覚束ないのです。イノベーターには大義に加えてビジネスセンスも必要となります。

最後にイノベーションを生み出す総合商社のプラットフォームのことに言及します。三菱商事は事業投資先として1300余社もの会社を有しています。直接連結対象でも700社余りあります。つまり、それだけの数の顧客接点を持つということです。イノベーションは<経済成果をもたらす革新>であり、経済成果は顧客を対象としてもたらされるものです。これだけの顧客基盤と顧客価値を有する三菱商事は、水ビジネスなどの過去・現在の新規事業に加えて、未来の壮大なイノベーションプラットフォームを有しているともいえるでしょう。社員の3分の1が常に海外拠点や投資先に出向しており、この人事ローテーションそのものがイノベーションを推進するリーダー開発のプラットフォームになっています。これを座学で補足するプログラムを海外や投資先の社員を含めた各階層向けに本社が整備・実行しています。例えば、「MBAはもちろんですが、部長級は全員エグゼクティブ向けの短期MBAプログラムを受けるように拡充しました。多様な現場体験を体系的に再整理して、グローバルで戦ったりすることを躊躇しないで必死に勉強をしてもらいます」と占部氏は語っています。イノベーターを『新たな革新をもたらす経営者』と捉えれば、この事業と人材のプラットフォーム自体が他社に追随できないイノベーション創出の価値そのものといえるでしょう。

これらのポイントを、イノベーション研究モデルに沿って俯瞰してみます。ここでの大きな存在は、イノベーション戦略です。総合商社が口銭を主な収益源とするトレーディング会社のままだったら、水ビジネスのイノベーションは生まれていません。トレーディングから事業投資へ、というコンセプトがまさにイノベーション戦略の白眉です。その戦略のもと、水谷氏の強い意志で生まれた事業が、本社のチェック機能等によって徹底的に磨かれ、形になってきます。磨かれる段階での厳しいハードルを乗り越えてこそ、アイデアが事業として成長し、真のイノベーションになっていくのだと思います。そこで必要なのは大義です。水谷氏の貢献感溢れる多くの発言は、『三綱領』の発露といっても過言ではありません。また、その大義を強靱な安定性で受け止める経営者の精神性も見逃せません。強い理念と揺ぎない人間の高度なバランスが成しえたイノベーションといえるでしょう。時代の変化を先取りし変化し続ける三菱商事のダイナミズムを実感した取材でした。

【インタビュー・文:井上功 /文(事例):荻野進介】

PROFILE

水谷重夫氏 
水ing株式会社 代表取締役副社長

1980年三菱商事入社。農業食品機械部で主に輸出業務を担当。以降、円借款による浄水場、ダム、プラント建設等に携わる。2000年に株式会社ジャパンウォーター設立、代表取締役に就任。
2007年に三菱商事に戻り、荏原製作所、日揮、三菱商事の3社提携による総合水事業会社設立に携わる。2011年、水ing株式会社設立と同時に代表取締役副社長に就任、現在に至る。

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