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インタビュー

イノベーション研究 第17回 YKK

仕事の方針とやり方を根本的に変える! 理と情を駆使したチェンジ・マネジメント

  • 公開日:2014/05/29
  • 更新日:2024/03/31
仕事の方針とやり方を根本的に変える! 理と情を駆使したチェンジ・マネジメント

本研究では、組織の中でのイノベーション創出のヒントを得るために、イノベーターの方々にインタビューを実施しています。

第17回は、大谷渡氏にご登場いただきます。大谷氏は、YKK株式会社の取締役副社長であり、グループの一貫生産の中核を担う部門の最高責任者です。同社では材料開発・加工技術、設備・ライン開発、機械・金型製造、分析・解析に至るまで一貫して自社で手がけており、その根幹を担っているのが工機技術本部となります。この工機技術本部の存在こそが、ファスナーや窓の最高品質を生み出し、競争力の源となっています。そんな重要セクションのトップに大谷氏が着任したのは今から4年前の2010年でした。2001年度から経営企画室長に就き、2009年より技術力強化推進を担当していたとはいえ、大谷氏は文系学部出身で技術には門外漢。こんな人事には誰しも当惑し躊躇すると思います。

でも大谷氏は違いました。知らないことがあれば聞く。分からないことがあれば尋ね、問いかける。そして1200人もの技術者・技能者集団を見事に動かしていきます。これはまさに組織のイノベーションであり、マネジメントと技術・技能の新結合ともいえるでしょう。

インタビューは2時間半に及びました。そのエネルギー、どの瞬間も楽しそうな口ぶり、時に何かを思い出すかのような表情、すべてに自信が漲っている言葉。圧巻でした。巨艦が動いた訳が分かった気がしました。それでは、さっそく、大谷氏に語っていただきましょう。

ある朝、「天城越え」のメロディが
副社長と呼ばないで 副社長自らが言う
これまでの開発・製造方針を大否定 新たな方針を策定
対話集会を繰り返し開催 現場にも頻繁に足を運ぶ
現場の不満はどんどん改善 言い訳は決して言わせない
目標は全員で考え、進化する工場 アマダ越えはこうして生まれた
天城越えを知っているか? アマダ越えです!
敷地面積半分の新工場 今までの機能が収まるか
総括

ある朝、「天城越え」のメロディが

ファスナーの世界的トップメーカー、YKK。製品のみならず、材料から製造機械まで、自社で一貫して手がける一貫生産思想を堅持しているのが強さの秘訣だ。ファスナー専用機械、窓専用ラインの開発と製造の拠点が富山県黒部市にある。ここには、工機技術本部1200名の社員が働いている。

2013年3月1日朝8時過ぎ、工機技術本部長としてトップをつとめる大谷渡氏が、同拠点の工場内にいた。そこで働く社員たちの“反応”を確かめるためだ。

毎朝8時10分過ぎ、工場では仕事始めのストレッチ体操の前に、決まった音楽が流れる。その日から、実は別の音楽が流れるようになっていた。石川さゆりが歌う演歌の名曲「天城越え」のインストゥルメンタル版である。流れる音楽が突然変わったら、社員はあれっと思うだろう。その瞬間、ああそうだった、と納得していつものように体操するか、それとも、なぜ「天城越え」なのか、周囲に聞きまくるか。反応は2つに1つだ。

副社長と呼ばないで 副社長自らが言う

さて、なぜ「天城越え」なのか。話は2010年初頭にさかのぼる。

大谷氏は、同社社長の吉田忠裕氏(現会長)から辞令を受け取り、現在の役職に就く。文系出身であり、技術のギの字も分からない。それが工機技術本部のトップにいきなり指名されたのである。異例の人事といえた。

吉田氏からは「皆がもっとのびのび仕事ができるようにしてほしい」と言われた。それまでは経営企画室長として、全社の状態を把握できる立場にあったため、その言葉が意味するものはすぐに理解できた。大谷氏は話す。「課題は2つ見えていました。1つは、工機部門の意識が、自分たちの顧客である国内外の製造現場の意識とずれていたことです。具体的には、工機部門が作る機械は、モノとしては高性能なんだけれども、使いづらい、修理しにくい、すぐ止まる、という欠点を抱えていました。もう1つは、職場の風土です。何しろ真面目な技術者・技能者の集団なので、杓子定規なマネジメントが横行しがちで、現場が沈滞しているという雰囲気が感じられました。その2点を変えるのが私のミッションだ、と判断しました」

辞令が社内で公開された翌日、大谷氏の姿が工機部門にあった。工機部門の全社員を集めてこう言った。「今度、本部長になる大谷です。副社長ではありますが、ただの大谷さんでいい。副社長と言ったら罰金を支払ってもらいます。私が理想とするのは、プロ野球チームのようなフラット組織です。皆さんはプロ野球の選手と同じだと思ってください。選手間に階層はなく、1人ひとりが監督やコーチと直接つながっている。私は監督です。皆さんには、誰にも負けない専門性を備えた一流選手になってほしい」と。

それを耳にした工機の社員は、唖然としたに違いない。それまでのトップは、例外なく技術者出身。威厳に満ち、階層のトップとして下を寄せ付けない王様のような雰囲気だった。今度のトップは何か違う。そう感じたに違いない。

これまでの開発・製造方針を大否定 新たな方針を策定

大谷氏は就任早々、組織改革に着手した。まず、それまで工機事業本部と研究開発センターとに分かれていた組織を統合し、工機技術本部として一本化した。前者はファスナーや窓の専用機械・専用ラインを開発し製造する部門、後者は材料開発や高度分析・解析がメインの仕事だった。「前者が実践部隊だとすると、後者は理論部隊です。現場での実践を高めるには原理原則から成る理論が必要となる。逆もまたしかりです。両者を一体化し、良いシナジーを生むことをねらいとして一緒にしました。さらに『研究』という言葉の使用を禁じ、『技術開発』という表現に一本化しました。ここは企業であり、大学ではありませんから、技術を高めることが目的の研究はいらない。成果というアウトプットがあって何ぼのものだと」(大谷氏、以下同)

就任前の予想通り、研究開発センターを含む、当時の工機は大きな課題を抱えていた。「開発に関しては、『テクノロジープッシュ』、つまり自分たちが最先端の技術と思い込んだものをひたすら追いかける傾向がありました。当社では専用機械・専用ラインの開発で必要なのは、不断の改善・改良、進化であり、その継続こそがイノベーションであるということです。ただし、何のためにそれを行うかといえば、国内外の製造現場がメリットを得るためです。ところが、肝心の目的が抜け落ち、自分たちの自己満足とでもいっていい、機械の高速・自動化ばかりを追求するようになっていた。おかげで、機械の操作や修理が難しくなっていました。そこで私が開発方針を定め直したのです。我々が目指すのは『製造現場に適応する設備開発』であると」

製造部門も、同じような課題を抱えていた。「生産性第一」主義をとっていたからである。どういうことか。「自分の部署、持ち場における生産性だけを考え、前後工程のことを考えない。皆がこれをやったら、全体の納期を守れるはずがありません。実際、『納期遅れの工機』として有名だった。海外工場では、機械が故障しても、マシンパーツがいつ送られてくるか分からないから、もしもの場合を含め、倍ほどの在庫をもっていた。大きな問題でした」

大谷氏は、この方針の棄却を命じ、工場のそこかしこに貼ってあった「生産性第一」という張り紙もすべて剥がさせた。その代わりに掲げたのが「リードタイム(所要期間)短縮」であった。

対話集会を繰り返し開催 現場にも頻繁に足を運ぶ

工機は約60年の歴史を持つ。テクノロジープッシュ型の開発、生産性第一の製造、どちらもその約30年間、墨守されてきた方針であった。トップが変わり、別の方針が示されたとしても、並大抵の力ではなかなか社員の意識は変わらない。「技術者・技能者は信念をもっている人たちですから、すぐには思考や行動が切り替わらないんです。しかも、そういう技術者・技能者ばかりで構成されている組織を変えるのは、大きな船の向きを変えるようなもので、さらに大変です。あの手この手を使って、同じことを繰り返し言い続けなければなりませんでした」

まずは開発ならびに製造方針の転換を工機の全社員に語りかける対話集会を開いた。1200名を3グループに分けて、説明を行った。現在も年2回、進捗含め、同じような直接対話の説明会が実施されている。

毎月開かれている工機の意思決定機関である工機技術本部月例会議という場も大いに利用した。大谷氏がトップになる前は、文字通り、役員と限られた一部の幹部社員のみが出席できる場だったが、大谷氏は全社員向けに開放。現在でも200人強が集まり、横一線で会議に参加する。

会議ばかりを繰り返したのではない。現場にもできる限り足を運んだ。時間をつくり、単身、海外工場に出かけ、現地の機械を操作している作業者に、直接、機械の使い勝手をヒアリングした。「どうですか? 以前と比べて変わりましたか? と確認して、その中身を、帰国して技術者にフィードバックするんです。自分がいくら改良したと思っても、現場で使う人がそう思っていなかったら、何の意味もありません。これをやっていくと、技術者は、これはごまかしが効かないとどんどん本気になっていきました」

対話集会を繰り返し開催 現場にも頻繁に足を運ぶ

現場の不満はどんどん改善 言い訳は決して言わせない

もう1つの課題である職場の風土改革にも取り組んだ。

大谷氏は、先述のとおり、役員や一部の幹部層ではなく、社員との直接対話を重要視した。あるとき、数人の社員に、ざっくばらんに職場における問題や不満を語ってもらったところ、「開発に思いきり時間を割きたくても、人事が就業時間を厳しくチェックしているからできない」「仕事に集中したいのに、電話が鳴ると取り次ぎをしなければならないため、仕事が中断してしまう」「そもそも上司が意見を聞いてくれない。意見を言える雰囲気ではない」等々、不満が出る、出る!

大谷氏はそれらを1つひとつ改善した。そうした不満はすべて「言い訳」であり、それらを全部潰して言わせないようにすれば、後は仕事に集中するしかないだろう、と考えたからだ。

まず、フレックスタイム制を早速導入した。国内のYKKで現在でも導入されているのは工機技術本部のみだ。次に固定電話を廃し、携帯電話を各人に持たせ、必要な時に必要なコミュニケーションを直接とれるようにした。そして、管理職向けに360度評価を採り入れた。ただし、その内容は人事評価には反映させず、上司にも伝えない。周囲からどう見られているか、自分のマネジメントの巧拙を振り返る材料としてのみ活用している。

出張に関する考え方も大きく転換した。「海外含め、出張もどんどん行かせるようにしています。以前は、海外出張できるのは一定役職以上で、しかも行く前に本部長にその目的と想定成果をプレゼンし、承認を得なければなりませんでした。そんな無駄なことを全部止めました。出張費なんて安いもの、井の中の蛙では人は育ちませんから」

目標は全員で考え、進化する工場 アマダ越えはこうして生まれた

工機技術本部という巨艦は、大谷氏という新しい船長を得て、少しずつではあるが、向きを変え始めた。大谷氏いわく、ベクトルが変わったと実感するまでに1年はかかったという。

向かうべき方向は定まったが、そこで安心してはいけない。分かりやすい具体的な目標はないか。

神奈川県伊勢原市に本社をもつ、金属加工機械の世界的機械メーカー、アマダという企業がある。同社の富士宮事業所はイノベーションの拠点であり、しかも製造工場がいくつも点在する。大谷氏はここに何度も足を運び、特に工場のありかたに舌を巻いた。「何よりすごいのは20年にわたって進化し続けていること。それも社員が主役で、全員が考えながら製造現場を進化させているんです。工機の工場も同じようにしたいと思い、アマダ富士宮のレベルに追い付くことを目標にしました」。2012年1月のことであった。

それにはアマダ側に“仁義”を切らなければならない。同社グループにおける、切削・工作機械を開発・製造しているアマダマシンツールの社長と副社長を黒部事業所に招き、工機の製造現場を案内した。夜の食事会で大谷氏はこう切り出した。「新工場を立ち上げるにつき、御社の富士宮工場を目標にさせていただきたい。具体的には、整理・整頓と『見える化』が行き届き部品が組立作業に同期化して配膳されている、組立者には専用ブースが用意され作業に専念できている、そして全員が製造現場を進化させ続けているという3点に大変感銘を受けました。これらの高い目標に向かうためにも社員の意識を高め、1つにさせたい。ついては『天城越え』の替え歌で、『アマダ越え』をまずは幹部それぞれに作らせて歌わせようと思っています。ご許可いただきたい」と。

話を聞いた両名は、笑いながら、頷いてくれた。

そうやってできた「アマダ越え」は幹部のみならず、課題を認識する社員50人ほどがそれぞれのバージョンを自作した。

「すべての替え歌を私がチェックしているんです。それを読むと、正しく問題意識をもっているか、いないのかがよく分かります。宴会に行くとカラオケで必ず「天城越え」を流し、皆で自作の歌を熱唱しあっています。歌の自動採点機で80点以上をとるのも必達目標にしました(笑)」

天城越えを知っているか? アマダ越えです!

冒頭の話に戻ると、その日の朝8時10分過ぎ、予定通りに「天城越え」が流れた。周囲の反応を見ると、特にざわつきはない。次のストレッチ体操に自然に移っていった。大谷氏は一安心だったが、数日後、200人が集まる工機月例会議で「アマダ越え」の意義をこう念押しした。「私は本気だよ。職場を勝手に巡回し、行き会った人に「アマダ越え」の意味を直接確認します。皆さん全員が朝のメロディーの意味をきちんと答えられるようにしてください」と。

それから1週間後のことである。黒部の隣町の魚津での宴会でのこと。たまたま別の宴会に参加していた工機の女性社員から、「大谷さん、私これから アマダ超えを歌いに行きます!」と元気よく声をかけられた。大谷氏が社員にきちんと方針が伝わっていると確信した瞬間だった。

敷地面積半分の新工場 今までの機能が収まるか

2013年度から4年間の中期経営計画にて、工機技術本部では「Target20」という新たな目標を掲げた。既存機械およびラインの改善・改良、進化とこれまでの延長線上ではない新しい開発アプローチもくみ入れ、加工コスト、電力、機械およびライン価格を、どれも20%低減させる、という内容だ。最初の方針は大谷氏が示したが、現場がすぐにやる気になった。製造部門の責任者が背中に「Target20」と記された真っ赤なジャンパーを作り、社内に配った。社内の意識を1つにするためだ。以前では考えられないことだった。

時を同じくして、工機の敷地内にある部品工場の半分が築50年を迎えていた。製造環境の整備による安定生産やコストダウンに向け、老朽化した工場を取り壊し新しい工場を建設することとしたが、その条件は新工場内にこれまでのすべての製造機能を集約する、つまりは工程面積の半減化であった。竣工は2015年の秋。今までの半分の面積で同じ仕事ができる計算になり、「Target20」推進の重要なきっかけになる。

広さが半分になるのだから、他も減らさなければならない。面積半減に加えて物流距離80%減、主要設備台数40%減、製造人工20%減、計4つの目標が立てられた。「要らないもの、合理化できるものを整理して空きスペースにしたら、その分は部署の担当原価から引いて本部長預かりということにしたら、皆の目の色が変わりました。賞与に直接影響するからでしょう。また、合理化効果は全てコスト(金額)で表現するよう、徹底させました。例えば、作業導線の見直しでは、1歩0.8円とし、必要な歩数を減らしたら、合理化効果を金額で実感することができます。その他、1人で2台の機械を操作していたものを、作業指導やオペレーションの効率性の観点から2人で5台もつようにしたりとか、後ろを振り返る動作を省くために機械にバックミラーをつけたりだとか。本当に真剣にやってくれています。そこで何よりも嬉しいのは、私や上司から言われたからではなく、作業者それぞれが独自に考え、工夫を凝らし始めたことです」

実際、工場内を見学すると、そこかしこで改善・改良・進化の実例が明確に図示されている。説明してくれる社員もどこか誇らし気だ。

理と情で迫る大谷改革。ここまでは順調に進んでいるようだ。ひとまずの結果は2015年秋に出る。

総括

大谷氏のイノベーション創出ストーリー、いかがでしたか。

それでは、いつものようにイノベーション研究モデルの領域をイメージしながら総括をします(図表01参照)。今回の大谷氏のイノベーション創出は、正にイノベーション戦略を基点に行われました。今から4年前、工機技術本部長に就任して以来、さまざまな改革を行ってきた訳ですが、それはすべてイノベーション戦略といっても過言ではありません。それではいくつかの観点で大谷氏の行動を振り返ってみましょう。

図表01 イノベーション研究モデル

図表01 イノベーション研究モデル

畑違いが技術トップに就任
そこにあったのは必然と信頼

企業が顧客を見定め、顧客価値を規定し、競合優位性を担保し、収益構造を意図することでビジネスが推進されていきます。同時に徐々に囚われてしまうことがあります。しがらみ、作法、ルール、常識、組織風土、フレーミング、バリューネットワーク、といったものです。これらは、ほぼすべての組織の中で、その程度の差こそあれ、無意識にはびこってしまうものといっていい。これらは、凝集性高く一枚岩になってビジネスを推進する際に必要不可欠なものであり、完全に避けて通ることはできません。同時に、イノベーション、つまり経済成果をもたらす新たな価値の創造にとって、残念ながら阻害要因になってしまうものともいえます。

しかし、組織においてこのようなことに抗うことは可能です。大谷氏の工機技術本部長就任は正にそんな一例です。経営企画室長として工機の一部の技術者との面識はあったとは思いますが、しがらみといえるものはなかったに違いありません。仕事を進める上での工機の作法、ルール、常識などとは、職場が違ったので勿論無縁だったでしょう。黒部事業所でじっくりと社員と対話してみないと、表面的ではない真の組織風土は実感できない。そうして初めて工機技術本部の技術者・技能者のものの考え方、つまりフレーミングが理解されます。そして、社内外のコミュニケーションの生態系としてのバリューネットワークに自分自身が位置づけされていくことになります。

大谷氏は、上述したこれらのことには全く関係のない部外者であるが故に、そして技術のことが詳しく分からない異分子だったからこそ、工機技術本部の組織イノベーションを興すことができたのでしょう。

ただ、着任の伏線はいくつかあります。経営企画室長を長く経験していたことがまず挙げられます。全社の経営課題に日々接し、複雑で難しい状況のなかで経営判断をしてきた大谷氏にとって、メーカーの根幹であるYKKの技術的課題にまったく触れてこなかったとは考えられない。寧ろ、経営企画室長時代に自社のボトルネックとしての工機の現状を熟知していたと思われます。工機技術本部長に着任する1年前に、すでに技術強化推進担当をしていたことも、結果として技術本部長就任の前触れと読み解くことができます。

YKKと工機技術本部。全体最適と部分最適。マネジメント観点と技術的視点。大谷氏のなかでこれらが結合して、工機技術本部の組織イノベーションが進展していったともいえます。

その人事を決めたのは吉田社長(現会長)。ただし、吉田氏からは、「工機の社員がのびのび仕事ができるようにしてほしい」としか言われていません。任せる社長に不安はなかったのでしょうか? まったくなかった訳ではないでしょう。ただ、任せるからには、全幅の信頼をおく。そこにオーナー企業の経営者としての凄みを感じざるを得ません。そして、任された大谷氏も自ら方針を定め、これを力強く推進しています。この強固な信頼感があってこそ、工機技術本部の組織イノベーションが進展していったのです。

徹底して対話する
不易流行を実践する

大谷氏は2010年に工機技術本部長に着任して以来、対話を繰り返してきました。

「その根幹にある、大谷氏が伝えたいことは一体何か」と質問したら、1枚のスライドを見せてくれました。そこには非常にシンプルに工機技術本部のミッションが書かれていました。そして、それはこの4年間全く変えていないということも教えてもらいました。不易とでも言うべきそのメッセージはシンプルで強いからこそ、繰り返し繰り返し語りかけられることで、こだわりの強い技術者・技能者のフレーミングを徐々に変容させることになったのでしょう。

大谷氏は、ありとあらゆる場面を活用し、すべての技術者・技能者とコミュニケーションをとっていきます。対話集会、工機技術本部月例会議、現場での何気ない問いかけ、本部長室での議論、社員との食事会・・・・・・。しかも対象は全社員。肩書き、役職、事業部、性別、年齢、入社経験等一切分け隔てありません。ミッションを伝え、不満を聞き、ガス抜きをして、だんだんと社員が本音を語るようになっていきます。そして、「製造現場に適応する設備開発」というミッションの浸透が加速されていきます。そのやり方は、相手や状況に応じて変化していったのでしょう。まさに不易流行といってもいい。

そう、大谷氏は工機技術本部の1200名の社員との対話を通じて、不易流行を実践していったともいえるのです。

具体的な目標を見つける
身体性をもった分かりやすさで共有する

不易流行のコミュニケーションを進めた結果、1200名の技術者・技能者が徐々に動き始めます。次に大谷氏が着手したのが、具体的な目標を見つけることでした。目標、即ちお手本となるものはないか? そこで注目したのがアマダの富士宮工場でした。社員が主役でこの20年間進化し続けているアマダの工場や技術者・技能者に、追いつき追い越したい。それが、「天城越え」ならぬ「アマダ越え」になって表れます。

一見単なる語呂合わせか駄洒落に思えますが、大谷氏は本気でした。「アマダ越え」の替え歌を幹部に作らせます。すでに50余名の社員が自らの仕事になぞらえた「アマダ越え」の歌詞をもっているのです。そして、毎朝「天城越え」のメロディが工場に流れます。『大谷さんは石川さゆりが好きだから、朝礼の歌を勝手に「天城越え」に変えたらしい』といった憶測が社員間でささやかれたのは今では笑い話ですが、社員自らが自分の課題を踏まえて作った替え歌が、毎日自然と暗唱され、歌詞も進化し続けるという状態を創り出したのです。その分かりやすさ、自分ごと感、本気度、余裕や遊び心はもとより、次第に癖になっていくことで着実に意識を変えている事実は、MBA等で見かける企業変革のケースを圧倒的に凌駕する迫力がありました。

イノベーションとは、「変わる」こと
イノベーションとは、チェンジ・マネジメントそのもの

大谷氏がYKKの工機技術本部で行ってきたことは、既存の慣性からの脱却ということができます。「変えること」といってもいいでしょう。今までのやり方を否定して、全体最適と部分最適を見定めて、不易流行を考え合わせて、徹底的に繰り返し繰り返し対話して「変えていく」。こうして、組織のイノベーションが進展していきました。

しかし、1人の人間のできることには自ずと限界があります。イメージしてみてください。目の前の人――例えば友達、子息、配偶者、親兄弟、職場の同僚、先生等々――を「変える」ことはできますか? ましてや大谷氏の場合、相手が1200人もいます。強制力を働かせて「変える」のは不可能です。

一方、「変わる」を促すことはできます。「変わる」ことのスイッチを入れることは可能です。事実、すでに工機技術本部では自発的に技術者・技能者が目標を設定し、自律的に目標達成のために行動を始めています。そこに強制力は働いていません。勿論、きっかけは大谷氏が投げかけたと言ってもいいでしょう。その後は、「変わる」ことの支援を徹底しているに過ぎません。

それは、正にチェンジ・マネジメントです。マネジメントの変革。辞書を紐解くと、マネジメントとは、【管理】、【やりくり】、【監督】、【分析】、【選択】、【回避】、【統合】、【計画】、【調整】、【統制】とあります。大谷氏が進めているチェンジ・マネジメントの意味は少し様相が異なる気がします。【気づきの醸成】とでも言ったらいいでしょうか。もしくは【自律性の担保】の方がしっくりくるかもしれません。大谷氏は技術者・技能者に眠る可能性の最大化を、大胆かつ丁寧な対話を繰り返し、「変わる」ことを促すことで実現しているのです。

【総括(文):井上功 /インタビュー(文):荻野進介】

PROFILE

大谷 渡(おおたに わたる)氏

大谷 渡(おおたに わたる)氏

1981年入社、本社財務部では資金調達のためにYKK初となる会社格付け取得に携わる。
1999年にはYKKの経営機構改革に参画。2001年に経営企画室長に就任し、事業構造改革を担当。
2004年取締役上席常務経営企画室長、2009年取締役副社長技術力強化推進担当。
2010年取締役副社長工機技術本部長(現在)。

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