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職場に活かす心理学 第14回

情けは人のためならず

  • 公開日:2016/01/27
  • 更新日:2024/05/16
情けは人のためならず

大きな災害が起きたことをきっかけに、日本でも相互扶助が謳われたり、ボランティア活動への参加が定着してきつつあるようです。一方でニュースを見ると、暴力や攻撃性にまつわる話が多く、暗い気持ちになることも多いのではないでしょうか。人々の対立は、国家や宗教や、歴史が絡んでくると、解消することはそう簡単ではないのですが、私たちの周囲の人間関係のいざこざはどうでしょう。これも当人にとっては、思いのほか解決が難しかったり、大きな悩み事になることが少なくありません。

人には攻撃性もあれば、他者に対する思いやりや協調の精神も持ち合わせています。だからこそ人間関係の問題は大きなストレス源になるのです。今回は、人の攻撃性とはどのような特徴をもつのか、またいったん対人関係がうまく行かなくなったときに私たちはどのように関係の修復や和解に取り組むのか、そしてさらに進んで人助けに代表される社会性はそれを提供する側の人にとってどのような意味をもつのかについて考えてみたいと思います。

2つの攻撃性
疲れると攻撃的になる(衝動的な「悪意のある攻撃性」)
なぜ、とばっちりを受けるのか?(「悪意のある攻撃性」の転移)
上司が部下に厳しく接するのは効果的か?(「道具的な攻撃性」)
私たちは仲直りを志向する(和解のスキル)
人助けは自分を幸福にするか(人の社会性)

2つの攻撃性

職場での大きな問題の1つが人間関係の問題です。パワーハラスメント(パワハラ)といった言葉があったり、日本ではそれほど多くはないのでしょうが、職場における暴力の問題も米国などではよくとりあげられているようです。では、なぜ、どのような状況において、私たちは攻撃的になるのでしょう。

攻撃性は、「悪意のある攻撃性」と、「道具的な攻撃性」に分けられます。「悪意のある攻撃性」は、感情的で突発的で、相手に害を及ぼすことを最終目的とします。一方、「道具的な攻撃性」は、計画的で、問題解決や何らかの目的達成のために行われるものであって、相手に害を及ぼすことはその手段にすぎません。「悪意のある攻撃性」と「道具的な攻撃性」は、常に明確に分けられる訳ではありません。また暴力は攻撃性の1つですが、言葉や態度による攻撃もあります。

疲れると攻撃的になる(衝動的な「悪意のある攻撃性」)

攻撃性は進化的に人に備わっている性質であるといわれていますが、少なくとも現代社会では、攻撃性が良い結果をもたらすことはあまりなくなっています。その結果、多くの人々は、無用な攻撃性を抑えるためのメカニズムを身につけているのです。例えば実子でない子供を虐待する確率は、残念ながら実子の場合に比べると高く、この現象は自己の子孫を残すことを優先するという進化によって得られた傾向として説明が可能です。しかし、実際にその割合は非常に小さく、実子でない子供に攻撃を加えることに意味がないだけでなく、社会的なモラルに反すると判断される現代社会において、攻撃性が抑えられていることが分かります。

そこで、通常ならば抑えられるはずの悪意のある攻撃性が抑えられないのはなぜかということが問題となります。そのメカニズムについては、多くの研究が行われています。

例えば、DeWall, Baumeister, Stillman & Gailliot(2007)が大学生を対象に行った実験では、認知的に難しい課題を行った実験参加者は、その後にフィードバックされた自分のエッセイに対するコメントがネガティブで挑発的なものであった場合、コメントをした相手に対して、より攻撃的に振る舞ったことが示されています。一方、認知的に難しい課題を事前に行わなかった場合は、挑発的なフィードバックを受けた後でも、良いフィードバックを受けた場合と同程度に、相手に対する攻撃性を示しませんでした。

この実験の結果から、認知的な課題によって自分を制御する資源が使われてしまった状態では、攻撃的な反応を抑えることが難しかったことが分かります。仕事で追い込まれていたり、疲れてくると攻撃的な言動に歯止めが利きにくくなることは、よくある現象であるといえるでしょう。私たちにも思い当たる節があるかもしれません。

図表01 自己制御資源の枯渇と挑発が攻撃性に与える影響

図表01 自己制御資源の枯渇と挑発が攻撃性に与える影響

出所:DeWall, C. N., Baumeister, R. F., Stillman, T. F., & Gailliot, M. T. (2007). Violence restrained: Effects of self-regulation and its depletion on aggression. Journal of Experimental Social Psychology, 43(1), 62-76.

なぜ、とばっちりを受けるのか?(「悪意のある攻撃性」の転移)

衝動的な攻撃性だけでなく、「悪意のある攻撃性」には転移的な性質があることが分かっています。いわゆるとばっちりというもので、攻撃性が挑発をした相手ではなく、別の対象に向かう現象です。

Bushmanら(2005)が行った実験では、実験参加者は、最初の実験パートナーから自分の書いたエッセイに侮辱的な評価をされます。反芻思考を行う群では、その8時間後に別のパートナーと新たな実験課題を行うこと、そのパートナーは自分のエッセイと評価を事前に見ており、8時間後に会う際にそれらの評価の説明を新しいパートナーに行ってもらうことを伝えられます。つまり、新たなパートナーにエッセイの評価について説明する必要があったため、8時間の間に自分のエッセイの侮辱的評価について思い出したり、考えたりする必要がありました。反芻思考を行わない群でも、8時間後に別の実験課題を行うことを伝えられますが、その新たなパートナーには、エッセイの評価が知らされることはなく、それらはこの場で破り捨てるように教示されます。

両群に対して、8時間後に行う課題において、新たなパートナーに対する攻撃性が測定されました。結果は下のグラフのとおりです。8時間後に、課題を行った実験参加者は、その課題について新たなパートナーから評価を受けます。新たな課題の評価がさほど悪くなくても、平均よりやや低い評価を受けた場合にはそれが誘引となって、自分のエッセイの侮辱的評価とは全く関係のない新たなパートナーに対して攻撃性を発揮する結果となりました。

一方、エッセイに対して侮辱的な評価を受けていても、反芻思考を行わなかった群と、反芻思考を行ったものの新たな課題の評価が平均よりやや高く、攻撃性への誘引がなかった場合は、攻撃性が抑えられたことが分かりました。

図表02 反芻思考と誘引が攻撃性に及ぼす影響

図表02 反芻思考と誘引が攻撃性に及ぼす影響

出所:Bushman, B. J., Bonacci, A. M., Pedersen, W. C., Vasquez, E. A., & Miller, N. (2005). Chewing on it can chew you up: effects of rumination on triggered displaced aggression. Journal of personality and social psychology, 88(6), 969.

このように、通常はうまく抑え込まれているはずの攻撃性は、ちょっとしたことでたがが外れてしまうことがあることを自覚することは大切でしょう。その場での怒りの感情はいったん抑え込めたとしても、思い出したり考えたりすることによって、また影響が出てしまうことがあるようです。

上司が部下に厳しく接するのは効果的か?(「道具的な攻撃性」)

職場の場合、上記のような「悪意のある攻撃性」ではなく、少なくとも攻撃を行っている側は「道具的な攻撃性」を意図していることが多いかもしれません。例えば親心で厳しく部下を指導しているつもりでも、相手は攻撃されたと思ってしまうときなどです。このような場合は、攻撃を行っている側は合理的で冷静な判断を行ったと思っているかもしれません。しかし、攻撃が目標達成にとって本当に良い手段であるかは、慎重に考える必要があります。

Mayerら(2011)では、部下を虐待的に扱うリーダーのもとでは、自分の能力や仕事ぶりに自信のない部下ほど、組織や上司に対して攻撃的な態度や行動を示したり、いらつきや悪意を感じる傾向が強いことが示されました。つまり、良かれと思って部下に厳しく接する場合も、部下が自分の能力に自信がない場合には、部下を良くしようとする目的は果たされず、上司に対する攻撃や悪意を感じて反発する可能性が高いということになるのです。このようになる理由として、おそらく自己の能力に自信がない人ほど、上司の行動を自分に対する悪意と解釈するのではないかと考えられています。

図表03 上司の虐待的扱いと自己の能力への不安感が部下の逸脱行動や悪意に及ぼす影響

図表03 上司の虐待的扱いと自己の能力への不安感が部下の逸脱行動や悪意に及ぼす影響

出所:Mayer, D. M., Thau, S., Workman, K. M., Van Dijke, M., & De Cremer, D. (2012). Leader mistreatment, employee hostility, and deviant behaviors: Integrating self-uncertainty and thwarted needs perspectives on deviance. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 117(1), 24-40.

攻撃性には個人差もあることが知られていて、攻撃的な傾向をもつ人は、相手の意図を攻撃的であると解釈する傾向が強いことが分かっています。さらに、状況の不確実性が高い場合ほど、つまりなぜ上司が虐待的に振る舞うのかの解釈が確定していない状況下では、上司の行動は否定的に捉えられることも示されています。このように、攻撃的だったり、虐待的だったりする行動は、受け手がそれをどのように認知するかで、反応は異なります。仮に攻撃性を道具的に用いようとする場合には、ねらった結果が得られるかどうかについて、かなり慎重になるべきだといえるでしょう。

私たちは仲直りを志向する(和解のスキル)

私たちは社会的動物であり、自らの生き残りのために周囲から受け入れられることは非常に大切です。そのためか、私たちには対立した関係を修復しようとする傾向が強く備わっている可能性が指摘されています。人ではなく類人猿を対象とした研究で、同じグループ内で衝突した相手とは、その後のさまざまな接触行動が増加することが分かっています。同じペアの衝突なしの場合の接触行動は、それに比べると有意に少ないことが分かります。衝突直後の接触行動は、和解行動であると考えられるのです。人にも、特に相手との関係継続が利益をもたらすのであれば、同様の傾向を示すことは容易に想像できます。

図表04 一定時間内に示される非敵対行動の累積割合

図表04 一定時間内に示される非敵対行動の累積割合

出所:Ren, R., Yan, K., Su, Y., Qi, H., Liang, B., Bao, W., & de Waal, F. B. (1991). The reconciliation behavior of golden monkeys (Rhinopithecus roxellanae roxellanae) in small breeding groups. Primates, 32(3), 321-327.

それでは、なぜ私たちはうまく仲直りできないのでしょうか。上記の研究では同じグループに属するサルが対象ですが、私たちはさまざまな集団に属していて、誰が自分の仲間で、誰とつながっておくことが大切かは、いつも明確で安定している訳ではありません。また、人の仲直り行動は単なる身体接触のような単純なものではなく、さまざまなパターンがあり、その結果、相手がそれを仲直り行動ととるかどうかの解釈も複雑になってしまいます。

和解や葛藤解決の方法は、年齢や関係性によって異なります。Laursenら(2001)は、これまでの友人や知り合い、兄弟、恋人など上下関係のない相手との葛藤解決に関する研究を統計的にまとめました。その結果、葛藤解決の方法としては全体的には交渉が多いものの、子供のうちは自分の要求を強要することもある程度行われ、相手との距離をとることはあまりありません。年齢が上がって青年期になると、強要は減って、交渉が増えることが分かりました。また若年の成人になると、交渉が多いのですが、相手との距離をとることも比較的行われるようになります。

以上の結果は主に欧米での研究をまとめたものですが、私たちにとってもあまり違和感のない結果といえるでしょう。相手との葛藤が、2人の関係性にとってどの程度重要な問題であるか、また解決の見込みの大きさによって、交渉をしたり、距離をとったりするかが決まってくるようです。このほか、自分の要求の強要は、親子や、おそらく上司部下では見られるのでしょうが、同等の関係性のもとではその後の仲直りを難しくして、関係そのものの解消につながる可能性があるために、大人になるとあまり用いられなくなるものと思われます。いずれの葛藤解決の方法が選択されるかはさておき、その裏には、やはり相手との関係を継続させたいという思いが見てとれます。

人助けは自分を幸福にするか(人の社会性)

いったんこじれてしまった関係の修復はもとより、私たちにはもっと積極的に他者のために何かをしてあげたい、人を助けたいと思う性質が備わっているようです。

Akninら(2013)の研究では、130を超える国で調査を行った結果、国の経済力にかかわらず、人のためにお金を使った経験のある人は幸福感が高いことが報告されています。彼らはさらに、人のためにお金を使ったことを思い出してもらう群と、自分のためにお金を使ったことを思い出してもらう群で、その後の幸福感に違いが生じるかどうかを、経済力の異なるカナダ、インド、ウガンダの3カ国で、実験を行い検討しました。その結果、3カ国ともで、他人のためにお金を使ったことを思い出した群ほど、幸福感が高かったことを報告しています。

また、GrantとSonnentag(2010)の研究では、自分の行っている仕事が人の役に立っているという感覚をもつことが、仕事そのものへの内的動機付けの低さや自己評価の低さといった通常はネガティブな要素が感情の消耗に及ぼすネガティブな影響を軽減することが示されました。彼らは米国の浄水場で働く人とその上司に対する質問紙調査を行った結果、仕事への内的動機付けや自己評価が低い人ほど、仕事を通じた感情の消耗を強く感じるのですが、自分の仕事の社会的貢献を感じられる人では(「向社会的影響感 高」群)、その程度は抑えられていることを示しました。さらに、感情の消耗度合いの低い従業員ほど、上司のパフォーマンス評価が高かったことも示しています。

図表05 感情の消耗に内的動機付けや中核的自己評価と仕事の向社会的影響感が及ぼす影響

図表05 感情の消耗に内的動機付けや中核的自己評価と仕事の向社会的影響感が及ぼす影響

出所:Grant, A. M., & Sonnentag, S. (2010). Doing good buffers against feeling bad: Prosocial impact compensates for negative task and self-evaluations. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 111(1), 13-22.

人は合理的な損得判断以上に、他者とうまくやっていきたいと思う欲求や性質をもっているようです。そして事実、血縁関係もなく、直接の相互作用のない他者との協力関係を築くことで、人類は大きな進歩を遂げてきました。

多くの人々が、人とは仲良くやっていきたい、人のために役に立ちたいと思う、という性質をもっているにもかかわらず、対人問題が存在するのはなぜなのでしょうか。何らかの事情で、攻撃性の制御に失敗して仲がこじれることはあるかもしれません。少し頭を冷やすつもりで時間を置いても、その間に相手にされた仕打ちを思い出していては、時間を置いたことは役に立ちません。相手の意図を勘違いして自分への攻撃だと思ってしまうことがあるかもしれません。しかし、人とうまくやっていきたい、そして人の役に立ちたいといった欲求は、敵対している相手にも、あるはずです。それを知れば、人間関係改善の糸口が見つかるかもしれません。

次回連載:『職場に活かす心理学 第15回 「人はどのようにして道徳的な判断を行うのか」』

執筆者

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技術開発統括部
研究本部
組織行動研究所
主幹研究員

今城 志保

1988年リクルート入社。ニューヨーク大学で産業組織心理学を学び修士を取得。研究開発部門で、能力や個人特性のアセスメント開発や構造化面接の設計・研究に携わる。2013年、東京大学から社会心理学で博士号を取得。現在は面接評価などの個人のアセスメントのほか、経験学習、高齢者就労、職場の心理的安全性など、多岐にわたる研究に従事。

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