連載・コラム
「働く」ことについてのこれまでとこれから 第1回
「働く」という概念が変わっていく
- 公開日:2019/03/11
- 更新日:2024/04/02
「働き方改革」ということで、労働時間を短縮したり、働く場所や時間の選択肢を広げたり、副業を認めたりする企業が増えています。
一方で、「新しい働き方」として「テレワーク」「パラレルキャリア」「ダウンシフト」「スローワーク」「ジップワーク」などの働き方が注目されています。
そのような動きは、一時的なブームなのか、今後も続く大きな変化なのか、議論が分かれるところですが、私は大きな変化だと捉えています。なぜなら、それらを動かしている要因が一時的なものではないからです。
働き方が変化する2つの要因
「働き方」に影響を及ぼしている、核になる要因は以下の2つです。
1つ目は「人口動態の変化」です。
日本社会は、急速に若者が減り、高齢者の割合が増えています。高齢者が多くなるにつれて、年金、医療、介護などの社会保障給付費も増大しています(社会保障給付費2000年度78.4兆円→2018年度121.3兆円)※1。今後、増大する社会保障給付費を抑制するために、高齢者が働くことを奨励する社会になりそうです。生涯現役社会です※2。
現在、65歳の平均余命は、女性が約25年、男性が約20年です※3。つまり、65歳で存命している人は、平均して女性は90歳、男性は85歳まで生きるということです。今後、医療技術が発達していくことを考えると、100歳まで生きるということが普通になるかもしれません。65歳で定年を迎えたとしても長期間の老後があります。そうすると、個人としても、経済基盤や社会的なつながりという観点で、80歳あるいは90歳まで働くということが珍しくなくなるでしょう。
2つ目の要因は「技術の発達」です。
技術の発達によって、業界そのものが変わってきています。ICTの発達によって、書店の数は減少し、書籍、雑誌、新聞、CDなどのメディアやデジタルカメラのようなデバイスに多大な変化が起きています。技術の発達は、自動車業界、金融業界、流通業界などの業界に大きな影響を及ぼし、それぞれの業界に属している会社は存続も危ぶまれています。会社は存続したとしても、ビジネスそのものが変わることや自分が行っている仕事がロボットや人工知能に置き換わっていくことも予想されます。つまり、自分が従事している仕事が生涯続くわけではないということが当たり前になっていきます。
※1 厚生労働省『社会保障給付費の推移』
※2 厚生労働省『生涯現役社会の実現に向けた就労のあり方に関する検討会報告書』(2013年)
※3 厚生労働省『簡易生命表』
自分で働くペースを調整するということ
長い期間、働かなければならない一方で、会社や仕事の寿命は短くなってきます。そうすると会社を変わることや仕事を変わること、つまり、セカンドキャリア、サードキャリアは当たり前になっていきます。
60歳ぐらいまで1つの会社で働き、そのあとはゆっくり余生を楽しめばいいと思っていた人にとっては、それ以上の期間働くことに戸惑いを覚えることでしょう。これまで全力でやってきたので、これ以上働く気力が残っていないということもあるでしょうし、社会としても高齢者が働くための仕組みや慣習が整っていないという実情もあります。
長い期間、全力で働くことは大変そうですし、そもそも長い期間、働くことだけに費やすことは難しいと思われます。長い人生の間には、育児や介護の時間が必要な時期があります。あるいは体調を崩して、療養しなければならないことも考えられます。生活そのものの質を高めるために、仕事の比重を下げ、趣味や学びやボランティア活動などの時間を意図的に作っていくことも視野に入ってきます。
20代で就職し、30代に中間管理職に昇進。その後も一生懸命に働き、60歳で引退というモデルは、徐々に少なくなっていきます。
このような時代では、自分で働くペースを調整することが求められます。ロンドンビジネススクール教授のリンダ・グラットンが働き方の未来図を描いた著書『ワーク・シフト』で紹介したカリヨン・ツリー型のキャリアというのが、日本でも現実味を帯びてきました。
カリヨン・ツリー型のキャリアとは「精力的に仕事に打ち込む期間と、長期休業して学業やボランティア活動に専念したり、仕事のペースを落として私生活を優先させたりする期間を交互に経験し、ジグザグ模様を描きながら仕事のエネルギーや技能を高めていく※4」というものです。
※4 リンダ・グラットン『ワーク・シフト』(プレジデント社 2012年)
「働く」時間と場所からの解放
「働く」ということについて、少し別の観点から考えてみましょう。
人工知能やロボットが発達してくれば、私たちが行っている仕事は機械が肩代わりしてくれます。そうすると、理屈上では、今よりも短い労働時間で社会全体の製品やサービスの生産ができるようになります。極端な話、労働しなくても富を享受できる社会になります。そのような社会になった時に、私たちは、これまでのように働き続けるでしょうか。
若手人事の勉強会において、「何時間労働が理想ですか」と質問してみると、「8時間ぐらい」と答える方が少なくありません。労働基準法で労働時間は1日8時間と定められているからかもしれませんが、「朝から夜まで働く」ということが固定観念としてあるからだと思います。一方で「5時間ぐらいがいい」という方もいました。5時間ぐらいであれば、余裕を持って、朝も夜も家族と食事を共にすることができ、その方が自然というのがその理由でした。何時間ぐらい働くのが理想でしょうか。
また、働く場所はどうでしょうか。現代において、働く場所は、オフィスや店舗や工場などであり、自分の家ではないケースがほとんどです。職住が分離している状況です。しかしながら、人間の長い歴史を振り返ると、職住が遠く離れていることは珍しく、職住近接が基本です。通勤という行為は、交通網が発達した近代になって行われるようになったものです。今後、ICTが進展すると、オフィスに行かなくてもオフィスにいるように仕事ができるようになります。人がいる必要がなくなる店舗や工場が増えていき、人は固定した働く場所から解放されていくでしょう。
「有償労働」と「無償労働」
あらためて広辞苑で、「働く」の定義を見てみましょう。
はたら・く【働く】
(1)うごく。 (2)精神が活動する。 (3)精を出して仕事をする。
(4)他人のために奔走する。 (5)効果をあらわす。作用する。
(6)(悪いことを)する。 (7)(文法で)語尾などの語形が変化する。活用する。
定義を見てみると、「働く」という言葉が有償労働を指すこともあれば、無償労働もあることに気がつきます。ビジネスの現場で無意識に使っている「働く」という言葉は、会社で働くことや有償で働くことに限定していることがわかります。ここまでの私の文章も「有償労働」を前提にしています。
「働く」という言葉の語源は諸説ありますが、その1つとして「傍(はた)を楽(らく)にする」というものがあります。「傍」とは周りの人であり、周りの人を楽にしてあげることが「働く」ことの本質にあると考えられます。無償の家事も育児も介護も地域活動も「働く」ことに含まれるのです。結果として、日常生活のほとんどが「働く」ことで占められていることになります。
実際、江戸時代の農民は、家事や育児をしながら田畑で働く一方、治水管理などの地域活動も行っていました。「働く」ことの対価は、貨幣のこともあれば、物々交換のこともあり、名誉や評判という形のものもあったでしょう。どこまでが有償で、どこからが無償なのか、あまり意識せずにやっていたと思われます。
近代的な産業の勃興期、工場では、働く時間や場所や働き方を強制するゆえに、その対価として金銭が支払われてきました。経営者が自由に労働条件を決めることができれば、長い時間働かせようと考えます。しかし、それでは労働者の健康が損なわれ、経営者も労働者も損失につながるので、政府が関与して、働く時間の制限や働く環境の整備が行われてきました。労働に関する法律も経営学もそのことを前提に発達してきました。
労働時間をめぐる裁判はしばしばありますが、基本的には「強制力」が判断基準になります。最高裁判所では、作業服や制服などの更衣時間やビル管理を行っている際の仮眠時間も労働時間とみなされています。判決の基準は、「指揮命令下」であるかどうかということです。つまり、行動を強制されているかどうかということです。
仕事以外の時間である余暇は、本来、何をしてもいい時間ですが、多くの企業では本業に支障をきたす活動をしてはいけない就業規則になっています。つまり、余暇中に、属している企業の名を汚す行為や競合企業へ極秘事項を教えること、副業して健康を害することは慎むようにと、多くの企業の就業規則に書かれています。その企業の労働行為でもないし、労働時間にカウントされるわけでもないですが、労働者の余暇活動は完全に自由というわけではなく、節度ある行動が求められています。
強制されることや強いられることが「有償労働」の基本になります。
給料は、強制の対価としての報酬という考え方です。現代でも「しんどいから給料をもらえるのだ」と言う人もいます。肉体的にも精神的にもしんどいことをやれば、その対価をもらわないとやってられないというのも事実です。ところが、面白くて仕方がない仕事、楽しい仕事があるのも事実です。同じ仕事であっても、ある人にとっては面白いけれども、ある人にとっては苦痛というのもよくあることです。
江戸時代と違うのは、現在は職業が多様で選択の自由があり、自分にとって面白い仕事が選べることです。仕事が面白いのにもかかわわらず、金銭的な報酬ももらうということが可能になっています。もしかすると、それは昔からそうだったのかもしれません。外から見ると苦役に見えても、本人にとっては楽しくて仕方がなかったということもあったことでしょう。
「有償労働」と「新しい働き方」
もう少し、強いることが「有償労働」ということを考えてみましょう。
フレックスタイムやテレワークのように働く時間や場所を自由にするということは、強いる「労働」の概念とは正反対です。さらに、副業も自由になり、地域活動やボランティアも奨励するとなると、会社として何を管理し、何を守らなければならないのか、難しくなってきます。また、働いている人も、自由に自分の働き方を考えていいよと言われても、何を基準として自分の働き方を考えればいいのか、多くの人は戸惑ってしまうでしょう。
誰からも何も指示されず、自分で自分を律する活動や時間が限定されない働き方やリモートワークのように場所が限定されない「新しい働き方」は、従来の「有償労働」の概念とは合わないものです。「働き方改革」や「新しい働き方」が進むほど、「働く」こととこれまでの「有償労働」の概念とのギャップは広がっていく一方です。「有償労働」と「無償労働」の境界が曖昧になっていくともいえます。
換言すれば、「働き方改革」を進めていこうとすれば、働く時間や場所や雇用形態の問題を超えて、もっと本質的に「働く」ということを考える必要があるように思えます。
本質的に考えるためには、今当たり前だと思っていることを疑ってみる必要があります。疑ってみるためには、他の社会から見ることが必要で、その方法は2つあります。日本以外の国と比べるというやり方と、歴史から紐解くというやり方です。本連載では歴史から紐解いてみたいと考えています。
以上のような文脈で、この連載は、「働く」ということをめぐって、その動機、意味合い、時間、そして働き方やキャリアの積み方を考えるために、一度現代を離れて、「働く」歴史を振り返っていきます。
具体的には、
「狩猟採集民は何時間ぐらい働いていて、どのような働き方をしていたのか」
「いつごろから私たちは勤勉に働くようになったのか」
「産業革命以降、どのような働き方をするようになったのか」
「現代の労働観はどのように変化してきたのか」
というようなテーマについて、それぞれを検討していき、今後の「働く」ことを考える材料を用意していきます。
そのような材料をもとに、今後、どのように働いていけばいいのかということを考察したものは、書籍『(仮)「働く」ということについての本当に大切なこと』(2019年春出版予定)にまとめています。この連載と書籍は、クルマの両輪のように、呼応したものになっています。必要に応じて、書籍の方も手に取っていただければ幸いです。
執筆者
技術開発統括部
研究本部
組織行動研究所
主幹研究員
古野 庸一
1987年東京大学工学部卒業後、株式会社リクルートに入社 南カリフォルニア大学でMBA取得 キャリア開発に関する事業開発、NPOキャリアカウンセリング協会設立に参画する一方で、ワークス研究所にてリーダーシップ開発、キャリア開発研究に従事
2009年より組織行動研究所所長、2024年より現職
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