「働く」ことについてのこれまでとこれから 第4回 利己的な勤勉性(江戸時代の労働)【前編】

執筆者情報
組織行動研究所
所長
古野 庸一

人の価値観は、本来持っている思考特性と育ってきた環境によって決まっていきます。
かつては、人の心は白紙であり、与えられた環境において学習するものであると考えられていました。よって、生まれたばかりの赤ん坊は善悪の判断ができず、周りの人たちがどういう行動をするのかを観察して、判断することを学習すると解釈されていたのです。
しかしながら、心理学者たちの研究により、生まれたばかりの赤ん坊であってもその心は白紙ではないことが判明しました※1。

生後6〜10カ月の乳児でも、周りの人の行動に頼らず、自ら判断していることがイエール大学の心理学者らによって明らかにされています※2。ある人形が奮闘しながら山に登るという人形劇を、乳児に見せました。あるシーンでは、お助け人形が主人公の人形を下から押し上げて助け、別のシーンでは、意地悪人形が頂上に現れて、主人公の人形を突き落としました。実験終了後、お助け人形と意地悪人形を載せたトレイを乳児の目の前に置きました。すると、お助け人形に手を伸ばす乳児の方が多かったという結果が得られています。人を助ける行動を好み、意地悪な行動を嫌うという判断基準は先天的に保有しており、学習によって獲得するものではないことが示唆されるとその学者は述べています。


親切な人を好み、意地悪な人を嫌う

人に嫌われれば、仲間外れにされ、狩猟採集民社会では生き残れないでしょう。人に嫌われない行動をすることが、私たちの心のなかには刻み込まれています。
そういう意味では、労働観に関して葛藤する2つの特性があると考えられます。
「エネルギー温存のためになるべく働かないこと」と「怠けることなく勤勉に働くこと」です。

前回のコラムで触れましたが、十分に食料が確保されない環境では、エネルギーの浪費は避けなければなりません。ゆえに、働かずして食料を得ることは理に適っています。
一方で、共同体を維持・発展させることを考慮すると、勤勉に働いた方が有利になると考えられます。個人としても、共同体のなかで怠けると後ろめたく感じるものです。共同体の長い歴史のなかで、人の心は、そういうふうに動くようになったのです。そういう力学が働いたのかどうかは分かりませんが、先進国社会一般として「勤勉性」を重んじており、「勤勉性」は現代日本人の労働観の特徴の1つといわれています※3。

勤勉性は、江戸時代のころから、発達してきたと言われています※4。しかしながら、勤勉性を測定するのは難しいことです。
「あなたは勤勉ですか」と問われたとき、どう答えるでしょうか。
「はい」とも「いいえ」とも、答えるのに難しさを感じます。「他の人と比べて勤勉であるか」「昔に比べて勤勉であるか」というふうに何かと比べて答えるか、あるいは「こんなにしんどいのだから勤勉だなぁ」と何らかの解釈をして答えます。しかしながら、それを集計した数字を使って、日本人が勤勉であると言い切ることはできません。

そうすると、勤勉性を推測する1つの方法として、労働時間を見てみるということが考えられます。労働時間を測定し、それを経年で比較する、あるいは他国に比して長いか短いかで勤勉であるかどうかを判断する方法です。狩猟採集民を語る際にも、労働している時間を観察し、それを記録して、勤勉性を推測してきました※5。
しかしながら、江戸時代の農民や武士がどのくらい働いていたのかを現代から観察することはできません。また、全国規模での労働時間調査もありません。そうすると、古文書に書かれていることから類推していくしかありません。

江戸時代前期に、人口が爆発した

歴史人口学者の速水融(あきら)氏によると、江戸時代の人口は17世紀に急速に増大し、18世紀に停滞し19世紀に入ってから再びゆるやかに増えていきました※6。江戸時代初期の人口について正確に調査されたものはなく、石高と人口の関係で推測され、推計値は1000万人から1800万人と、大きなばらつきがあります。速水氏は1600年当時の人口を1200万人としており、ここではこの数字を使います。

1721年、幕府によって全国人口統計が初めて作成され、それによると当時の人口は2607万人でした。ただし、この調査では武士とその家族の人口が除外されています。除外された人口を調査人口の20%と仮定し、速水氏は3128万人としました。江戸時代に入ってからわずか100年余りの間、つまり1600年から1721年の間に人口が2倍以上増えています。人口増加というよりも、人口爆発でした。その後、1800年には3065万人と減少し、江戸後期1850年には3228万人と再び増加しています。

人口の増減は、それを支える食料の供給の影響を受けます。一方で、食料の供給は人口の影響を受けます。私たちは、生産者であり消費者です。子供が増えれば食い扶持も増えますが、働き手も増えます。増えた働き手が生産高を上げていけば、食い扶持もまかなえます。
実際、17世紀は米の実収石高が増えました。1600年ごろの耕作面積は163.5万町でしたが、1720年ごろには297.0万町となり、ほぼ2倍になっています。まさに新田開発の時代でした※7。しかしながら、その後新田は増えておらず、1850年ごろの耕作面積は317.0万町で、1720年ごろと比べて、あまり変わっていません。

その背景としては、17世紀後半から18世紀前半にかけて、新田開発を行う政策から古い田畑を効率的に利用するような政策に、封建領主の土地政策を修正していったことが挙げられます。土地政策を変更した理由は、急速な新田開発によって洪水などの災害が頻繁に起こり、国土が荒廃していったこと。そして、新田開発を行うあまりに古い田畑の管理・手入れを怠り、荒廃田を生む結果になったことにあります。いずれにせよ、新しい田畑を開発することよりも、すでにある田畑を効率的に利用するような動きが奨励され、新田開発は抑制されました。江戸時代の後期は、耕作面積こそあまり増えませんでしたが、実収石高は1720年3203.4万石から1850年4116.0万石と増加しました。

まとめると、江戸時代前期は人口が爆発して100年余りで2倍以上に増え、耕作面積も実収石高もほぼ2倍になりました。江戸時代後期には、人口や耕作面積がほぼ横ばいであったにもかかわらず、実収石高は1.3倍になりました。つまり、農民1人当たりの生産性が向上したのです。

江戸時代の農民は、なぜ勤勉になったのか

1人当たりの生産性は、なぜ高まったのでしょうか。
通説では、農業技術に関する書物が著され、備中鍬や千歯扱きなどの農具が普及し、肥料も多く使われるようになったなど農業技術の発達により生産性を高めていったとされていました。しかし、速水氏は、1人当たりの労働時間の延長と管理労働の緻密化が主因であったと指摘しています。「勤勉革命」です※8。つまり、江戸時代初期にはあまり勤勉でなかった農民が、江戸時代後期になるにしたがって、勤勉になっていったということです。

ここでの疑問は、何ゆえ日本人は勤勉になったのかということです。
あまりに貧困で働かざるを得なかったのか、あるいは強制的に働かせられたのか、啓蒙させられたのか、それとも自発的に勤勉に働くようになったのか。
江戸時代の農業の歴史を語る上で、農書の存在は欠かせません。1697年に刊行された宮崎安貞の『農業全書』をはじめとして、数多くの農書が生み出されています。農書には、限られた土地でいかに効率的に収穫を増やすかということが書かれています。たえず土壌と栽培技術に改良を加え、農具を駆使し、肥料を多投すると共に家族の労働力をフルに活用し、勤勉に働くことが奨励されています。

農書に、勤勉に働くことがいいことだと書かれていたため、懸命に働くようになったのでしょうか。
懸命に働き収穫を増加させても、領主に年貢として取られてしまうならば、勤勉に働こうという気にはなりません。一方で、勤勉に働いた分のいくばくかは農民に還元され、そのことで生活水準が上がるならば、勤勉に働くということも考えられるでしょう。実際のところ、どうだったのでしょうか。

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次回は、人の周りに合わせる習性などを取り上げた後編をお届けします。

※1 スティーブン・ピンカー(2004)『人間の本性を考える 心は「空白の石版」か』日本放送出版協会
※2 Hamlin, J. K., Wynn, K., & Bloom, P. (2007). Social evaluation by preverbal infants. Nature, 450(7169), 557-559.
※3 杜新. (2001).「日本人の労働観」研究の歴史的変遷: その位相と今日的課題. 慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要, 52, 39-49.
※4 新保博・安場保吉編集 (1979)『近代移行期の日本経済』日本経済新聞社
※5 「働く」ことについてのこれまでとこれから 第2回
※6 速水融・宮本又郎編集(1988)『日本経済史1 経済社会の成立 17‐18世紀』岩波書店
※7 大石慎三郎. (1973). 近世中期の新田政策. 學習院大學經濟論集, 10(3), 59-76.
※8 速水融・宮本又郎編集(1988年)『日本経済史1 経済社会の成立 17‐18世紀』岩波書店
   速水融(2001)『歴史人口学で見た日本』文藝春秋

バックナンバー第1回 「働く」という概念が変わっていく
第2回 食うために働き、働くために食って寝る(狩猟採集民社会の労働)【前編】
第3回 食うために働き、働くために食って寝る(狩猟採集民社会の労働)【後編】

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