「働く」ことについてのこれまでとこれから 第5回 利己的な勤勉性(江戸時代の労働)【後編】

執筆者情報
組織行動研究所
所長
古野 庸一

人の価値観は、本来持っている思考特性と育ってきた環境によって決まっていきます。
かつては、人の心は白紙であり、与えられた環境において学習するものであると考えられていました。よって、生まれたばかりの赤ん坊は善悪の判断ができず、周りの人たちがどういう行動をするのかを観察して、判断することを学習すると解釈されていたのです。
しかしながら、心理学者たちの研究により、生まれたばかりの赤ん坊であってもその心は白紙ではないことが判明しました※1。

生後6〜10カ月の乳児でも、周りの人の行動に頼らず、自ら判断していることがイエール大学の心理学者らによって明らかにされています※2。ある人形が奮闘しながら山に登るという人形劇を、乳児に見せました。あるシーンでは、お助け人形が主人公の人形を下から押し上げて助け、別のシーンでは、意地悪人形が頂上に現れて、主人公の人形を突き落としました。実験終了後、お助け人形と意地悪人形を載せたトレイを乳児の目の前に置きました。すると、お助け人形に手を伸ばす乳児の方が多かったという結果が得られています。人を助ける行動を好み、意地悪な行動を嫌うという判断基準は先天的に保有しており、学習によって獲得するものではないことが示唆されるとその学者は述べています。
◆前編はこちら


人は怠惰であるが、周りに合わせる習性を持っている

人は怠惰です。合理的に怠惰です。長らく狩猟採集の生活を行ってきた影響で、エネルギーの無駄遣いを嫌います。食料をうまく集めることさえできれば、体力を温存しておくことが生き延びることにつながります。私たちの祖先が、みなそういうふうに生活して生き延びてきたからこそ私たちが存在します。そのころの習性が私たちの体に埋め込まれているのです。

一方で、フリーライダーは嫌われます。みなが懸命に働いているときは自分も懸命に働かなくては悪い評判がたって、集団から外されてしまいます。狩猟採集民の場合、集団から外されることは死を意味します。よって、私たちは周りにひたすら合わせる必要があります。周りが頑張っているときに、自分だけ怠けることはできないのです。

私たちにとって周りと違う意見を持つことは容易ではありません。みながAだと言えば、Bだと思っていても、Aと言ってしまう習性を持っています。集団圧力による同調行動です。私たちが思わず同調行動をしてしまうことを、心理学者のソロモン・アッシュは実験によって示しました※3。

アッシュは、実験参加者に異なる長さの3本の線分を見せました。その後で1本の線分だけを見せて、先に見せた3本のうちどれと同じ長さかを問う実験です。これは、間違えようのない問いです。予備調査を行ったところ、37人が12回試行して、つまり37人×12回=444回行って3回の間違い、99.3%の正答率でした。そういう問いです。

次に、8人の参加者で同じ実験を行います。8人のうち7人がサクラで、本物の被験者は1人だけです。被験者は、8番目に回答するように座っています。サクラは、あらかじめ間違った回答を言うように指示されているという状況です。Bが正しいと思っているのですが、自分以外の7人全員が次々とAと答えています。集団の圧力に負けて、どのくらいAと答えてしまうかを測定する実験です。1人の被験者に対して18回試行を行いますが、線分の長さは毎回異なり、サクラは6回は正しい答えを言い、12回は故意に間違えるという設定にしています。

50人の被験者で行い、36人、つまり約74%はサクラに合わせて誤答する結果になりました。50人×12回=600回の試行のうち192回は、思わず同調して誤った回答をしたのです。平均同調率は、32%でした。つまり、サクラが12回故意に間違える設定において、被験者は頑張って正答を言うこともあるということです。しかしながら、私たちは誤っていると分かっていてもつい周りの意見に従い、同調してしまう習性を持っているようです※4。

働けば働くほど、生活水準が高まります。ゆえに勤勉に働きます。村のみんなは、勤勉になっていきます。周りが勤勉になっていくと、怠けたくとも頑張らざるを得ず、村全体が勤勉になっていきます。そのような事態が、江戸時代初期から中期にかけて起こりました。しかしながら、生活水準が安定していくと、徐々に怠けてもいいのではないかと思いはじめます。そもそも人は、怠惰にできています。1人が怠け、2人が怠けていくと、徐々に怠けが村全体に蔓延していきます。そうすると村は荒廃し、貧困になっていく可能性があります。勤勉な村と怠惰な村があり、同じ村のなかでもまじめで勤勉な農民と怠惰な農民が相応に存在し、格差も広がっていたのではないかと考えられます。

江戸時代後期の日本人は、それほど勤勉ではなかった

経済史を専門とする経済学者の武田晴人氏は、1882(明治15)年の英字新聞の記事を引用して、日本人の勤勉性を否定しています※5。その記事は、当時の日本の姿を次のように書いています。
「怠惰で享楽を好むこの国の人々の性癖は、文明への進歩を妨げている。日本人は幸せな人種である。わずかなことで満足し、決して多くを成し遂げようとはしない※6」

外国人の観察は、西欧との比較によるものです。産業革命を終え、工業化が進んだ外国と比較して、日本人は「怠惰で享楽を好む」人々に見えたということです。外国人の観察は、偏ったサンプルからの印象論かもしれませんが、当時の西欧との比較という観点から「勤勉性」というあいまいな概念を捉えたという点で、優れた資料といえます。明治初期、開国後、多くの外国人が来日しては滞在記を残しており、似たような記述が多いことに驚かされます。

明治政府の法律顧問として4年間滞在したジョルジュ・ブスケは、日本人を以下のように評しています。「大きい利益のために疲れ果てるまで苦労しようとしないし、一つの仕事を早く終えて、もう一つの仕事にとりかかろうとも決してしない。一人の労働者に何かの仕事を命じてみたまえ。彼は常に必要以上の時間を要求するだろう。(中略)仕事を休むために常に口実が用意されている。暑さ、寒さ、雨、それから特に祭りである※7」

また、東京大学で動物学・生物学を教え、大森貝塚を発掘したエドワード・モースは、横浜で肉体労働している人を見て、以下のような記述を残しています。
「変な、単調な歌が唄われ、一節の終わりに揃って縄を引き、そこで突然縄をゆるめるので、錘(おもり)はドサンと音をさせて堕ちる。すこしも錘をあげる努力をしないで歌を唄うのは、まことに莫迦(ばか)らしい時間の浪費であるように思われた。時間の十分の九は歌を唄うのに費やされるのであった※8」

日光で旅をしているときにも、モースは同じような光景を目にしました。
「裸体の皮膚の赤黒い大工が多人数集まって、いささかなりとも曳くことに努力するまでのかなりの時間を、いたずらに合歌を怒鳴るばかりである有様は、まことに不思議だった※9」
一方で、1878(明治11)年に療養のため東北と北海道を旅したイギリス女性イザベラ・バードは、日本人を「礼儀正しく、やさしくて勤勉で、ひどい罪悪を犯すようなことは全くない」と称しています※10。バードは、当時、欧米人が訪れたことのない東北の奥地を馬で歩き、飾ることない言葉で綴っています。日本には浮浪者がおらず、雑草が覆われた田畑がないことから、日本人は貧困でみすぼらしいけれども、勤勉性が高い人たちであるといっています。

英字新聞、ブスケ、モースは、日本人は勤勉ではなかったといいます。一方で、バードは貧しいけれど勤勉であったと記述しています。どちらが正しいのでしょうか。勤勉でない人はいたかもしれませんが、勤勉な人も多かったと考えるべきでしょう。ただ、長時間働いてはいたものの、効率のよい働き方ではなかったと思われます。10分の9は遊んでいて、実質の労働は10分の1であり、生産性は低かったと考えられます。働きたいときに働き、休みたいときに休むような気まぐれな労働であったとも思われます。

狩猟採集民にしても農民にしても、あるいは職人にしても、労働といえば肉体労働が主です。しんどいものだったと考えられます。だからこそ、みなで歌を歌い、声を出し合って、励まし合いながら進めていったのではないかと推測されます。1人でやるには辛い仕事も、みなで歌いながらやると何とか乗り切れる。時々休みながらであれば、やり切れる。そういうことが、働くことの原点にあるのではないかと思われます。

日本人の勤勉性について、まとめてみましょう。
江戸時代に入ると平和な世のなかが続き、勤勉は奨励され、勤勉に働く人も増えました。年貢が固定されたことにより働けば働くほど取り分が大きくなり、生活水準も少しずつ高くなっていきました。しかしながら、必ずしも全員が勤勉だったというわけではありません。勤勉な人もいれば、そうでもない人もいました。江戸時代後期には、勤勉でない人も相応に存在していました。総じて、日本人は江戸より前の時代に比べて勤勉になったと思われますが、産業革命を終えた当時の西欧と比べてしまえば、必ずしも勤勉とは捉えられなかったと推察されます。

江戸時代の労働の特徴4:時間はイエに属していた

江戸時代の労働の4つ目の特徴は、時間は個人の所有ではないということです。個人の時間は、個人にではなくイエに属していました※11。

内村鑑三の『代表的日本人』には、二宮尊徳が夜に勉強しているときの逸話が綴られています。尊徳は、伯父から、「おれは面倒を見てやっているのだから、おまえの時間はおれのものだ、おまえたちを読書のような無駄なことに従わせる余裕はない※12」と言われています。そう言われた尊徳はどのように感じたのでしょうか?

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次回は、労働中心の時代(近代以後の労働)です。

※1  スティーブン・ピンカー(2004)『人間の本性を考える 心は「空白の石版」か』日本放送出版協会
※2  Hamlin, J. K., Wynn, K., & Bloom, P. (2007). Social evaluation by preverbal infants. Nature, 450(7169), 557-559.
※3  Asch, S. E. (1951). Effects of group pressure upon the modification and distortion of judgments. In H. Guetzkow (Ed.), Groups,
leadership, and men. 177-190 Carnegie Press.
※4  この結果は、アメリカ人を対象にした実験によるものですが、日本人を対象にしても同様の結果が見られることが以下の論文で報告されています。高野陽太郎&纓坂英子. (1997). “日本人の集団主義” と“アメリカ人の個人主義” 通説の再検討. 心理学研究, 68(4), 312-327. は日本人が集団的であるという通説に対する判例として紹介していますが、異論もあります(北山忍(1998)『自己と感情』など)。
※5  武田晴人(2008)『日本人の経済観念』岩波書店
   武田晴人(2008)『仕事と日本人』筑摩書房
※6  G. C. Allen, (1981)『 A Short Economic History of Modern Japan』Fourth ed., Macmillan Press
※7  ブスケ(1977)『日本見聞記2−フランス人の見た明治初年の日本−』みすず書房
※8  E・S・モース(1970)『日本その日その日 1』平凡社
※9  E・S・モース(1970)『日本その日その日 1』平凡社
※10 イザベラ・バード(2000)『日本奥地紀行』平凡社
※11 トマス・スミス(1995)『日本社会史における伝統と創造』ミネルヴァ書房
※12 内村鑑三(1995)『代表的日本人』岩波書店

バックナンバー第1回 「働く」という概念が変わっていく
第2回 食うために働き、働くために食って寝る(狩猟採集民社会の労働)【前編】
第3回 食うために働き、働くために食って寝る(狩猟採集民社会の労働)【後編】
第4回 利己的な勤勉性(江戸時代の労働)【前編】

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