インタビュー
京都産業大学 高尾義明氏
アイデンティフィケーションの多様性が尊厳ある職場を形作る
- 公開日:2025/12/22
- 更新日:2025/12/22
尊厳ある職場を考える上で鍵となる概念の1つが「アイデンティフィケーション」だ。アイデンティフィケーションとは何か。経営や人事は、従業員のアイデンティフィケーションをどう扱えばよいのか。働く個人は、何をどうするのがよいのか。この概念に詳しい高尾義明氏に伺った。
- 目次
- アイデンティフィケーションとは何か
- アンビバレントなアイデンティフィケーション状態もある
- 全社的な組織アイデンティフィケーション向上は非現実的
- ポイントは「職業アイデンティフィケーションの向上」
- 静かな退職の実践者にも働いてもらうことが大切では
アイデンティフィケーションとは何か
アイデンティフィケーションは、直訳すると「同一化」「一体化」を意味します。経営組織論では、働く個人が組織・職業と自分のアイデンティティをつなげて考えることを指します。簡単にいえば、個人が「私は◯◯社の社員だ」「私は教員だ」などのように、組織・職業をアイデンティティの重要な一部として捉えることで、「帰属意識」にも近い概念です。
似た概念に「組織コミットメント」がありますが、組織コミットメントは所属している組織と個人との間の結びつきに焦点を当てたものです。この2つの概念は、組織アイデンティフィケーションが強まると、組織コミットメント(正確には情緒的コミットメント)が高まるという関係にあります。
また、組織コミットメントは離職すれば失われますが、アイデンティフィケーションは組織・職業から離れた後も残るケースが少なくありません。辞めた会社へのアイデンティフィケーションが残る人はたくさんいるはずです。
アンビバレントなアイデンティフィケーション状態もある
アイデンティフィケーションの対義語は「ディスアイデンティフィケーション」です。自分のアイデンティティを、対象となる組織や職業と切り離そうとすることを意味します。これが高い人は、離職意図が高かったり、組織市民行動が少なかったりすることが分かっています。
2つの概念の関係は複雑です。両者は対立概念ではなく独立した概念であり、「アイデンティフィケーションが高い」「ディスアイデンティフィケーションが高い」以外に、「どちらも高い」「どちらも低い」という状態もあるのです(図表1)。
<図表1>アイデンティフィケーションの拡張モデル

「どちらも高い」というのは、ある組織や職業にある部分では一体化しているけれど、ある部分では一体化していない、というアンビバレントな状態を指します。例えば、個人がある組織に対して好きな面と嫌いな面があり、好きな面とは一体化したいけれど、嫌いな面とは一体化したくない、という状態があり得ます。こうした状態は多くの人に理解してもらえるのではないかと思います。
全社的な組織アイデンティフィケーション向上は非現実的
経営や人事は、従業員に組織アイデンティフィケーションを高めてほしいと願うのが自然です。特に、一昔前の伝統的日本企業は、従業員の組織アイデンティフィケーションが総じて高く、組織のために意欲的に働く従業員が昇進するモデルが確立されていました。今もその名残で、強い愛社精神を求める企業が少なくないはずです。
ただ一方で、働く個人の意識は確実に変わっています。組織アイデンティフィケーションの高い人も低い人もいるのが当たり前になりました。全社的に組織アイデンティフィケーションを高め、全員で一致団結して事業成長を目指す組織のあり方は、非現実的になってきています。
また、専門性重視の流れを受けて、日本でも職業アイデンティフィケーションが高まる傾向にあります。組織アイデンティフィケーションは高くないけれど、職業アイデンティフィケーションは高い人も増えていると考えられます。
つまり、「アイデンティフィケーションの多様性」が増しているのです。現代の私たちが、組織に過度にコントロールされることを嫌う傾向があることも踏まえると、経営や人事が尊厳ある職場を形作るためには、アイデンティフィケーションの多様性を受け入れ、組織アイデンティフィケーションを無理に高めようとしないことが大切です。それはリテンション(離職防止)にもつながるでしょう。
ポイントは「職業アイデンティフィケーションの向上」
個人側から考えるときのポイントは、「職業アイデンティフィケーションの向上」です。
先ほど触れたとおり、職業アイデンティフィケーションが相対的に高まっています。今の日本では、いくら好きな会社でも、やりたくない仕事を続けるのは難しい、と考える人が増えているはずです。反対に、社内異動でやりたい仕事に就くことができ、成果が上がり評価が高まったら、会社のことが以前よりも好きになった、というシナリオは十分に考えられます。つまり、職業アイデンティフィケーションが組織アイデンティフィケーションに影響を与える可能性も高まったのです。
ということは、個人が「ジョブクラフティング」(自身の働き方について主体的に思考し、行動を調整することで仕事の意義を見出し、やりがいを増すアプローチ)をすることで、自らの職業・組織アイデンティフィケーションを主体的に高められるかもしれない、ということです。
また最近、個人と組織の心理的距離の研究において、一人ひとりに適正距離があると考えられています。それなら、組織アイデンティフィケーションも、一人ひとりにちょうどよい高さがあるはずです。もっとも、あまりに低すぎると、組織のなかでの居心地が悪くなり、個人として不利な立場に置かれてしまうこともあります。
以上を踏まえると、企業はむしろ従業員の職業アイデンティフィケーション向上を目指した方がよいかもしれません。それが事業成長をもたらすと共に、組織アイデンティフィケーションも高める可能性があるからです。つまり、従業員に「組織を好きになってください」と伝えるより、「組織を好きにならなくてもかまいませんが、仕事にはこだわりをもってください」と伝える方が、結果的に会社を好きになる人が増えるかもしれないのです。
最近、自分のパーパスを考えた上で、会社のパーパスとのつながりを見つける研修が目立つようになりました。これは、個人が会社との適正距離を測り、組織アイデンティフィケーションを適度に高める意味で、一定の効果があるでしょう。
静かな退職の実践者にも働いてもらうことが大切では
最近、「静かな退職」が話題になっています。これまでの文脈でいえば、組織アイデンティフィケーションが高くない状態といえます。個人が日本で静かな退職を実現するのは決して簡単ではない、と私は考えています。なぜなら、日本の職場は一般的にジョブの線引きが明確でないため、自分の役割だけを果たそうとする人が評価されにくく、排除されやすいからです。
一方で、経営視点では、職業アイデンティフィケーションをもつ静かな退職の実践者を排除しないことは、組織内の人の尊厳を守ることにつながります。人材不足時代には、静かな退職の実践者をアイデンティフィケーションの多様性の体現者と捉え、活用を図ることが大切かもしれません。
【text:米川青馬 photo:平山 諭】
※本稿は、弊社機関誌 RMS Message vol.80 特集1「尊厳ある職場を考える」より抜粋・一部修正したものです。
本特集の関連記事や、RMS Messageのバックナンバーはこちら。
※記事の内容および所属等は取材時点のものとなります。
PROFILE
高尾義明(たかおよしあき)氏
京都産業大学 経営学部 マネジメント学科 教授
京都大学教育学部教育社会学科卒業。大手素材メーカーを経て京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。東京都立大学教授などを経て、2025年4月より現職。東京都立大学名誉教授。『組織論の名著30』(ちくま新書)、『50代からの幸せな働き方』(ダイヤモンド社)など著書多数。
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