- 公開日:2024/09/30
- 更新日:2024/09/30
産業医・産業保健専門職を養成する産業医科大学は、厚生労働省が2018年度の診療報酬改定で「療養・就労両立支援指導料」を創設した際、いち早く大学病院に両立支援科を設置した。その診療科長であり、両立支援科学を研究する永田昌子氏に両立支援の現状や課題について伺った。
- 目次
- 両立支援科学の研究と、現場での両立支援の両面から
- がん治療前の「びっくり退職」で後悔する人を減らすことが肝要
- 多くの日本企業が何らかの人事制度のひずみを抱えている
- 上司は両立する社員に寄り添う姿勢を示してほしい
- 両立者は多様な相談相手を作った方がいい
両立支援科学の研究と、現場での両立支援の両面から
私たち産業医科大学は、厚生労働省が2018年度に「療養・就労両立支援指導料」を創設するとほぼ同時に、大学病院に両立支援科を設置しました。2020年には医学部で両立支援科学の講座を始め、2023年には両立支援室を立ち上げました。これらの背景には国の後押しもありましたが、それ以上に産業医科大学自体が、産業医・産業保健専門職を養成し、産業医学を振興する機関として、率先して両立支援に力を入れる責務があると考え、主体的に一歩を踏み出した経緯があります。
私はこうした環境のなか、大学で両立支援科学を研究すると共に、大学病院の現場で両立支援の診療にも当たっています。
がん治療前の「びっくり退職」で後悔する人を減らすことが肝要
日本社会の治療と仕事の両立の現状から説明します。内閣府が2023年に行った「がん対策に関する世論調査」には、「がんの治療や検査のために2週間に一度程度病院に通う必要がある場合、現在の日本の社会は、働き続けられる環境だと思うか」という質問項目がありました。結果は、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」の合計が45.4%、「そう思わない」「どちらかといえばそう思わない」の合計が53.5%でした。つまり、半数近くが、日本社会には治療と仕事を両立できる環境があると感じているわけです。しかし、半数以上は治療しながら働くのが難しいと思っているのですから、両立支援はやはり必要です。
私が特に問題視しているのが、がんと診断された人が治療前に退職してしまう「びっくり退職」です。国立がん研究センターの「令和5年度患者体験調査」によれば、がんと診断されて退職・廃業した人たちのうち、55.8%が診断後、初回治療までに退職・廃業していました。
これが問題なのは、主に経済的な理由で、退職を後悔する人たちが多いことです。がん治療に高額な費用がかかるケースが多いことを踏まえると、びっくり退職後に後悔する人を減らすことが肝要です。60代以降で経済的に困っておらず、「がんになってまで働くつもりはない」という人たちの退職を無理に止める必要はないかもしれません。しかし、比較的若い人たちががんになったときは、退職前に後悔しないか、経済的に大丈夫かを冷静に考える機会を設けることが大切です。
初回治療前に、働けないほどの症状が出ることは多くありません。治療の副作用なども起きていません。それにもかかわらず退職してしまう大きな要因の1つは、「現在の職場では治療と仕事の両立が難しい」と感じているからだと思われます。この仮説を踏まえて、私は治療と仕事を両立しやすい職場を増やし、両立を当たり前にすることが、びっくり退職の減少につながると考えています。
多くの日本企業が何らかの人事制度のひずみを抱えている
私が両立支援の現場で頻繁に直面するのが、「企業の人事制度のひずみ」です。
例えば、ある社員ががん治療をしながら仕事を続けるとき、同じ職場の同僚や派遣社員が仕事のサポートをすることがよくあります。その場合、両立者は以前の50%や70%しか稼働できていないのに、従来通りの給与をもらうことに引け目を感じることがあります。一方の支援する側も、同じ給与のままで仕事が増えれば、徐々に不満を蓄積させていきます。上司は職場の一体感を作ることに苦慮するでしょう。全員がネガティブな気持ちを抱いて働くことになってしまうわけです。それぞれの人のその時々の働き方や成果に合わせて、評価され報酬が支払われる職場になれば、すべての人にとって働きやすくなるのではと思います。
雇用形態が多様化するなか、「私の会社では、病気時に正社員は2年休職できますが、非正規社員は3カ月しか休めません」とか、「本社社員は短時間勤務制度をフル活用できますが、製造現場では限定的にしか活用できなくて困っています」といった話も日常的に耳にします。
こうした制度上のひずみが、両立を難しくする一因となっています。ぜひ治療と仕事を両立する社員の声、支援する側の声により深く耳を傾け、より良い制度づくりにつなげてもらえたら幸いです。
上司は両立する社員に寄り添う姿勢を示してほしい
上司の皆さんは大変でしょう。デリケートな話題に触れながらのマネジメントは簡単ではないはずです。例えば、乳がんの女性社員を抱える男性マネジャーは日々言葉を選び、細かく気を使いながら接していると想像します。時には「体調どう?」の一言すら、発しにくいのではないでしょうか。一方でマネジャーとして「この仕事を任せて大丈夫か」「期日通りに終えられるか」などと考えながら、業務を割り振る必要もあります。
以上を理解した上で、私は上司の皆さんには、両立する社員に寄り添う姿勢を示してもらえたらと願っています。「体調に変化があれば、いつでも声をかけてほしい」「何でも気軽に相談してほしい」などと伝え、さまざまな事態への対処策を想定した上で、信頼して任せてもらえると嬉しいです。
両立者は多様な相談相手を作った方がいい
治療と仕事を両立する皆さんは、「主体性」を発揮することが重要です。例えば、がん治療には最善の合意がとれている「標準治療」がありますが、何らかの理由があれば、治療方法の再考も可能です。自転車競技で活躍したランス・アームストロングさんは、がんサバイバーとしても有名です。彼は自転車競技への復帰を目指し、呼吸器を守るために標準治療から外れる選択をしました。医師が標準治療から外れるのは勇気が要ることで、自ら提案するのは難しいのですが、患者側が強く望めば十分に可能なのです。そこで問われるのが、患者の主体性です。これからどう生きるのかをよく考え、自ら決めることが大切なのです。
とはいえ、すべてを1人で判断するのは困難です。そこで私が勧めたいのは、「相談相手を多様にもつ」ことです。私たち医師は治療時の最大の相談相手ですが、一方で話しにくいこともたくさんあるでしょう。上司も大事な相談相手ですが、やはり話せることは限られるはずです。他にも家族や友人、カウンセラーなど、いろいろな相談相手を作って内容によって使い分けると、気が楽になると共に、より良い判断ができるようになると思います。公的な相談機関として各都道府県に設置されている産業保健総合支援センターに相談できます。
治療と仕事を両立するときには、始終心が揺らぐものです。「働くのがつらい。辞めたい」と思ったが、友達に気持ちを聞いてもらったら、また働く意欲が湧いてきた。そうした日常がむしろ普通なのです。いろいろな人に相談して、自分の心の揺らぎとうまく付き合いながら、主体性をもって、ぜひ自分なりの両立を続けていってください。
【text:米川 青馬 photo:平山 諭】
※本稿は、弊社機関誌 RMS Message vol.75 特集1「ワークヘルスバランス─治療しながら働く」より抜粋・一部修正したものです。
本特集の関連記事や、RMS Messageのバックナンバーはこちら。
※記事の内容および所属等は取材時点のものとなります。
PROFILE
永田 昌子(ながた まさこ)氏
産業医科大学 医学部 両立支援科学 准教授
産業医科大学病院 両立支援科 診療科長
2001年産業医科大学医学部医学科卒業。パナソニックコミュニケーションズ、ブラザー工業で産業医を経験した後、産業医科大学産業医実務研修センター助教などを経て、2022年より現職。産業医科大学病院では就学・就労支援センター 副センター長も兼務。
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