「プロ経営者」の育ち方・育て方 第10回 多くのすばらしい経営者に直接触れて 織畠 潤一 氏

執筆者情報
組織行動研究所
所長
古野 庸一
執筆者情報
組織行動研究所
主任研究員
藤村 直子

このシリーズでは、「プロ経営者」の育ち方・育て方への示唆を得るために、複数企業で経営者としての実績を上げた社長へのインタビューを行っています。今回はその第10回として、日本GEプラスチックス、コヴィディエン、シーメンス・ジャパンにて社長職を歴任されている織畠潤一氏にお話を伺いました。


経営者になる覚悟
〜チャレンジできる場に身を置きたい

― 最初に、GEグループで社長に就任されるまでの間、ご自身のキャリア、経営者になることについてどのように決めてこられたのですか?

研究職ではなく、ビジネスをやりたいと思ってリクルートに入社を決めたのが最初のきっかけです。リクルートで新しい事業の立ち上げにも携わることができて、その面白さも知って、「ビジネススクールに戻って、もう一度経営、経済等の基礎を身につけたい、そして、知識以上にネットワーク形成とドアオープナーの位置づけとしてMBAを取りたい」と考えて留学しました。MBA取得後も、ゴールが社長や経営者というわけではありませんでしたが、面白い経営の局面、チャレンジしがいのある局面に携わっていきたいと思い、マッキンゼーに入りました。いろいろプロジェクトをやっていく中で次に考えたのは、外からアドバイスするだけではなく、自らの手で決定を下し、一人称でヒト・モノ・カネをマネージする、そういった職に就きたいということでした。そこで、事業会社に行こうと決めたのです。社長というポジションに就きたいというわけではありませんでしたが、こういう仕事をやったら面白いのではないか、チャレンジできるのではないか、という場に身を置き続けてきたつもりではいます。

― 就職のタイミングで、エンジニアではなくビジネスの領域に、ということで日本に帰国してリクルートに入社されたのが最初の分岐点だったのですね。

実は、一度は日本に帰りたいというのが先にありました。それで、日本に帰るならば、まずは新卒のタイミングで、そしていわゆる一部上場の伝統的な企業ではなく、ベンチャー的な企業がいいと、と思っていました。当時の自分のイメージとしては、日本の伝統的な企業は年功序列。定年退職までいるという確信のもとに就職するつもりはなかったので、伝統的企業だと自分には務まらないのではないかと考えていました。そんな時に、理工系採用、留学生採用に力を入れ始めていたリクルートと縁がありました。この会社だったらやっていけるのかなと思ったのが、日本に戻りリクルートで働くことになった経緯です。

もちろん、メーカーのエンジニアとして就職することも考えていました。たとえば、インターンをやっていたアメリカの軍需製品メーカーであるレイセオン社や、他にもアメリカの国防関連の企業などからオファーをもらっていました。当時レーガン政権で国防予算がどんどん膨れ上がっていた時期ということもあり、MITの電気工学で大学院まで出ているとそういった職をまずは第一に考えていました。

― それは、どこかのタイミングで「自分はエンジニアではないな」と思われたということなのですか?

そうですね。インターンとして2年生の終わりの夏休みから働き、学期中もパートタイムでアルバイトをさせてもらっていたので、かなりの時間をレイセオンの研究所で過ごしました。(学士、修士を同時に履修していて)課目教科を取り終わった5年生の後期の時点では、会社で修士論文を書くなどしながらすでに2年半以上研究所でのエンジニアとして経験していて、これをまだまだやるのかなあという意識は確かにありましたね。個室に入って、コンピュータ相手にシミュレーションプログラムを書いたり、研究したり、というのは、なんとなく違うな、と。さらに言えば大学院に入った時点で博士号取得を目的としていたので、そのまま続ければ博士課程にも進めたのですが、それもやはり違うなと勉強しながら思いまして。博士号取得のタイムスパンとしては、当時3〜4年で取れればいいほうで、下手すると4〜5年、その後もさらに研究、研究となります。そこまで長いタイムスパンで考えられなかったというのもあり、やはり人と接したり、もうちょっとダイナミックな環境でやるほうが自分には向いている、少なくとも面白いと感じるなと考えたんです。

― そして、MBA取得後にマッキンゼーからGEに移られた時には、自ら経営に携わりたいと思われていたのですね。その時に「経営者として」というのはどれぐらい意識されていたのですか?

それなりに自分でヒト・モノ・カネを動かすには、経営者というか少なくともマネジャーまではいきたいと思っていました。GEでの最初の仕事は事業開発マネジャーでした。ある意味幸運だったと思いますしありがたいと思うのは、藤森さん(※)のような方に出会うことができて、良い場を提供していただけたことです。GEではMBA取得者や、元コンサルタント、または投資銀行出身の人が、いきなりオペレーションを任されるのではなく、事業開発マネジャーとしてスタートするというのがソフトランディングなんですね。事業開発というのはM&A、提携、合弁事業などの推進をリードすることですが、そこはコンサルタント出身にとってある程度スキル的にも経験的にもテコがきくところでした。そして、兼務という形でIIS(Integrated Imaging Solution)事業部門という、GEメディカルではいちばん小さいけれど成長分野で、私の電気工学の知識もきく領域で、ひとつの事業のP/L責任を任せてもらいました。そこでは、GEなりのオペレーションも経験でき、非常に良い経験でした。それを1年やらせていただいて、今度はいちばん大きな花形のCT事業部門のGMに昇進させてもらいました。さらにまたサービスというGEにとっての本業、本丸のところで統括責任者をやらせてもらって、そういう形で引き上げてくれた方と一緒にやっていきながら、ステージを準備していただけたことはありがたいと思っています。今でも藤森さんを恩人だと思いますし、メンターでいていただいています。

※藤森義明氏・・・当時のGEメディカル・システムズ・アジア プレジデント兼CEO、元:日本GE株式会社 代表取締役社長 兼 CEO、現:株式会社住生活グループ代表執行役社長 兼 CEO

主観的業績
〜異なるポジションで業績を上げ続ける

― これまでを振り返って、ご自身で自慢できる業績としては何が挙げられますか?

どれかひとつというよりも、GE時代6つのポジション、そしてコヴィディエンに移って2年目の10月までの日本での統括、その後のインターナショナルプレジデントという形での日本、アジアパシフィック、東欧まで統括した4年間、ポジションや担当がそれなりに変化しながらも常に目標以上の業績をあげてきたというのは自慢といえば自慢でしょうか。それはもちろん私個人の力だけではなくて、運もありますし、メーカーなのでその時の製品動向もありますし、そういったことの組み合わせです。私を含めてチームとともに戦略を立ててそれを速やかに実践して、それがちゃんと顧客に届いたということでしょうね。

― 運やトレンド、前任者の功績、メンバーの力量などいろいろと環境要因もあるとは思いますが、複数の異なる仕事で業績を上げ続けてこられたということですよね。新しい会社や仕事に携わるにあたって心がけていることや、戦略立案のポイントなどがあれば教えていただけますか?

たとえば今回のシーメンスの場合もそうですが、戦略や製品については、もともといる人のほうがわかっているわけです。心がけていることといえば、本当に大前提ではありますけれど、高いレベルで成長と人の活性化という目標を明らかにしたうえで、みんなをプラス思考にもっていくことですね。仮にそれまでが非常に良い業績だったらそれを認知したうえで、今のところに安住するのではなく、さらに高い目標に行こう、と。私たちに課せられたミッションは成長であり、その成長を遂げるために、社員一人ひとりが成長する。チームとして成長すると、それが会社の成長につながり、その会社の成長が社員のさらなる成長を生むという好循環をつくることが、経営者として私の使命だと思っています。それに対するサポートは惜しみません。その好循環がうまくいった時に、高い業績につながるのだと思います。

組織がマイナス思考に陥りがちな時に心がけたのは、マイナスな状況であっても世界に対して日本のプレゼンスを高めることができるか、ポジティブになるための要素をどうやって見つけるか、それをどうみんなを駆り立てるしくみにするか、を考えることです。そして、1回言っただけではどうしても伝わらないので、ことあるごとに大前提となる方針について、多少事例などを変えながら繰り返し述べていくことも意識しました。やはり重要なのは、小さなことでもかまわないので勝ちの事例を常に積み重ねていき、「こうすれば勝てるんだ」と皆が思えることだと考えています。

戦略については、すでに戦略や目標が決まっている場合は、着任2年目以降その前年をふまえて、自分が中心になって立てていくことになります。もちろん、すでに決まっているものについても、皆の意見を聞きながら、色づけはしていきます。自分に知識がない場合には、知識のある人たちを集めて、戦略について考える場を設けるようにしています。仮に自由に意見を言える環境になかったらワークアウトのようなこともやりながら戦略を練り出していけばよいと思います。これぐらいの規模の会社、事業となると、自分ひとりで部屋にこもって立てるのは戦略と言えるものではないですよね。コンサルティング経験が多少活きる部分なのかもしれませんが、ある程度骨子やアイディアを出しながらも自分はファシリテータとして関わります。ただ、経営者が単なるファシリテータと違うのは、ファシリテータで終わらずに最後の決定は自分でするということです。日本法人だったら日本における最終責任者となる、事業部長だったら事業における最終責任者となる、それがリーダーということだと思います。人をリードするということは、部下に対して背を向けるのではなく、最終責任を担うよと、決定はしっかりするからね、といった安心感を部下にもってもらうことが必要になりますから。

― 戦略を立てた後、それをやる人々が本気でやらないとうまくいかなかったりしますが、そういった点では何か苦労されたことはありましたか?スムーズにいっていたのでしょうか?

それはもちろん苦労しました。特にGE時代6年間での6つのポジションでは、行くたびに常に部下よりも若いわけです。転職時35歳でGMという役割をもらって、日本GEプラスチックスの社長になったのは39歳ですから。コヴィディエンに行った時もまだ41歳でしたから、本部長以上は私より年上でした。たいていは彼らが私を選んだわけではなくて、ある意味降ってきたような人事というところもあったので、お手並み拝見的な部分もあるし、私の言うことに100%ついて行きますというような人はほとんどいないわけで、常に自分の力を証明していかなくてはいけませんでした。1回言ったからといって「わかりました、すべて実行に移しました」とはいかないので、繰り返し話していきます。とにかく常にチームなんだと、ラグビーの「one for all, all for one」ではないですけれど、そこにいちばん気を遣いましたね。ピープル・リーダーシップというところです。

― ピープル・リーダーシップを培うためにやったことや、こういう経験によって培えるというものがあれば教えていただけますか。経験の蓄積だけでなく、何か気をつけながらやっていたのでしょうか?

少なくともずっとオフィスにこもってパソコンでメールしているだけでは身につかないですよね。人に触れる、それも様々なレベルで触れることが重要です。たとえばコヴィディエンに入った時、前任者は私より20歳も上で、そのポジションを6、7年やっていた方だったのに対し、私はアメリカ本社で人事を決めて入ってきたということもあったので、ダイレクトレポートである部下の本部長以上とは1対1で話をする時間を設けました。そして、全国行脚に行ったり、ラウンドテーブルという形で数十人を集めてコミュニケーションとったり、全員とまではいかないもののかなりの割合の社員とコミュニケーションをとることを心がけました。そこで気をつけたのは、私は結構短気で早口なので、自分では話を聞いているつもりでも聞いてないのではないかという印象を与えてしまうことについてです。アクティブリスニング、とにかく人の話を聞くということを意識的にしました。

また、私にとって、GE時代の藤森さん、ジェフ・イメルトやジャック・ウェルチといったリーダーから、様々なリーダーシップスタイルに触れる機会を多くもてたのは良いことでした。GEが相乗効果を生んでいる部分として、すばらしいリーダーが大勢いて、そういう人たちに触れ合うことによって自分を高めようと思えることです。お互い負けず嫌いですから、競争意識が働くんですね。幸いにして、最初からヘルスケア領域のリーダーシップ・ミーティングに参加することができましたし、3年目からはフロリダのボカラトンで行われているリーダーシップ・ミーティングにも参加する機会がありました。ウェルチのようなカリスマ性は全然まねるべくもありませんが、そういう人たちがどうやって人をひきつけたり、メッセージを発信したりするか、身近に触れることができます。難しいことでも簡単なことでも、「1回言ってもわからない、2回言っても5割しかわからない、3回言って8割わかるんだ」とも教えられましたが、メッセージをできるだけシンプル化して、トップダウンで何十万人いる会社で方向付けを行っていくのはやはりダイナミックです。今でも覚えていますが、たとえば「グローバリゼーション」「サービス」「シックスシグマ」といったイニシアティブを3つ、4つ決めたら、それを愚直に1年または2年、3年言い続けるんです。そのトップが言ったことをそれぞれの部門に落としこんでいくという典型的なトップダウンですね。そういったことはまねて、シーメンスに来た時も最初の出社日に、「成長」と「チームの活性化」と「コンプライアンス&インテグリティ」この3つを大方針としていきたいと話をしました。企業の成長というのは人の成長なくしてはというようなメッセージをことあるごとに繰り返して言うようにしています。

― 経営ボードでのファシリテーション、社員の前でのスピーチ、現場に足を運ぶことなど、経営者の仕事にはいろいろな側面がありますが、ご自身の中で、得意、不得意というものはあるのでしょうか?

正直言って、先ほどの心がけていることと得意、不得意というのは必ずしも一致していないと思います。特に新しい会社に入った時は、できるだけ現場に出る、いろんな人と接するというのを心がけています。私自身は異業種勉強会やパーティーに積極的に顔を出すというタイプではなくて、すでにお付き合いのある方を長く大切にするほうなので、いろんなところに出て行って、肩をたたきながら社員に声をかけて歩くことはそんなに得意だとは思ってないですね。どちらかというと、いろんな資料に目を通して上がってきた案件を意思決定したりすることのほうが得意だとは思います。それでも、特に新しい会社に入った時または新しい担当に決まった時というのは、人と触れること、そこでのピープル・リーダーシップ、チアリーダー的なことも含めて、意識的にやろうとはしています。それをやらないと会社は動かないし、新しい社長や事業部長が来た時は、割合はわかりませんけれど、一部不安、一部期待、一部懐疑的、そんなものだと思うんですよね。そんな中で発信されてくるのがメールや文書を通じてだけだと、個々人の中で勝手にイメージがふくらんでいって、それを払拭することが必要になりますし、距離もできてしまいます。少なくとも生の声を聞く、直接顔を見るということが必要だと思います。

― それは誰かから学んだのですか?

これもGE時代でしょうか。入社当時、アジアを7つの地域に分けていましたが、藤森さんとその部下のチーム単位で月の半分各国を一緒にまわったりしていました。そこで藤森さんやそれぞれの国の社長、他のGMたちと一緒になりながら、その時は観察しているという意識はなかったですけれど、見ながら学んでいったのかもしれませんね。

最も成長した経験
〜それぞれの立場での最初の1、2年

― いまお伺いした業績のお話にも通じるかもしれませんが、最も成長された経験を挙げるとしたら何になるのでしょうか?

そういう意味では、それぞれの会社、立場での最初の1年、2年というのは成長しますよね。時間も使いますし、今まで築いたことはベースにはなっていても、再度ゼロリセットまではいかないものの、それなりの立場で毎回行くことになっていたので、下にも横にも上にも自分の力を証明していかなくてはいけません。それに2、3年経つとその会社やチームでの実績も出ているので、別にそこにあぐらをかくわけではないですけれど、知らず知らずのうちに多少ラクをしている部分もあると思います。最初の1、2年はラクをできないですから。リクルートの最初の2ヵ月の営業実習もそうですし、新規事業を1、2年で立ち上げた時期も成長したと思います。マッキンゼーでは2年ごとにアップ・オア・アウトですから、特に最初の2年間でマネジャーになるところまではコンサルとしてやっていけることの証明で、マネジャーになってからも、もちろん常に緊張感はありましたが、最初の2年はやはりちょっと違いました。GEに入っても、コンサルタントあがりというところで本当にオペレーション・マネジャーをできるのか、P/L、ヒト・モノ・カネを動かせるのか、というところがありましたし、コヴィディエンの時には日本で社長業ができるのかというのがありましたから、いずれの時期にも、最初の1、2年というのは特に成長できたのではないかなと思います。

― 経営者を育てるという観点で見たときに、こういう経験が自分にとってよかったというものはありますか?

経営者ということですと、GEでの最初の2年は大きかったですね。まずはIIS事業部門で高成長を目指した経験です。日本に十数名、アジア各国に30〜40名いて、直属のチームとしては40〜50名ぐらいの規模でした。業績を出すために人を交代させなくてはいけないこともありましたし、それぞれの国に行って競合状況を把握しながらベンダー戦略や提携戦略などを考えたりもしました。2年目のCT事業部門でも、各国の営業組織や各地域の社長とのインタラクションは格段に増えて、もまれながら鍛えられましたね。

強み・弱み
〜負けず嫌いと好奇心

― 社会人になっていろいろな影響を受けて成長されたと思うんですけれど、幼少時、学生時代はどういう方だったのですか?

幼少時から本を読むのが大好きで、一人でも静かに本を読んでいるような子だったと思います。ふつうに公立小学校に通っていたので、よく遊びもしましたし、野球をしたりもしていました。ただ大きな転機がありました。小学校4年生の時に母が外国人と再婚したため、下関の母親の実家で1年過ごし、その後母親と住むことになって茨城県に転校して2学期だけ過ごし、義理の父の転勤とともに今度は札幌で1年、そこで小学校を卒業しました。その後、イラン・テヘランのアメリカンスクールに入学して、今度はアメリカで高校に行って…という環境の劇的な変化です。もともと自分自身ではそれほど積極的な性格ではないと思っていましたが、そういうふうに変化があると、幸いに勉強もできたし、みんなと一緒に野球などのスポーツもできたので、小学校高学年あたりからそれなりに目立つ存在になっていましたね。いちばん努力したのは中学1年で英語がわからなかった時です。数学は日本のほうが進んでいましたし教科書を見ればわかりましたが、アメリカの社会、地理、歴史などはまったく知らないし、ましてや国語は英語なわけですから、そんなものはもちろんついていけない。1学期はどうにか単位をとりました。ただ、2学期、3学期ぐらいからはほとんどオールAになって、中学2年の時には全教科で表彰されるまでになりました。当時からやはり負けず嫌いだったんでしょう。高校も主席で卒業しましたし、その学校から初めてMITに行けましたしね。MITに入ったら井の中の蛙だったことがわかり、大学1年生の時はよく勉強しました。振り返ると、すべてにおいて、転校や転職がよかったのかもしれないですね。環境が変わって新たなところでチャレンジするたび、負けず嫌いの性格が幸いして成長できたので。

― そうした経験を通じてすばらしい適応能力が身について、学生時代から新しい場所に行くたびにご自身の存在感を確立されていったのですね。それが社会人になってからもずっとそうだったんですね。

そうですね、性格面としては、負けず嫌い、それに好奇心が旺盛ですね。今でも本は年間100冊以上、ベストセラーやちょっと面白そうだと思ったら読んだりします。映画も特に出張が多かったので飛行機の中を含めると年間100本以上見たり、コンサートも月1回ぐらい聞きに行ったりします。スポーツは観戦も含めて好きです。好奇心が旺盛というのはよかったのかなと思います。出張も全然苦にならなかったのは、新しい所に行けるとか、ローカルのお酒や食事を口にしながらみんなでわいわいやるのが好きだったからです。適応しているというよりも、その好奇心が幸いしているのかなと思います。

― 学生時代に、今のシーメンス日本社長のような仕事をされていることはイメージしていましたか?

全くないですね。実は大学に入った時は医者になるつもりだったんです。母親の実家が医者で、親戚にも医者が多かったので、ずっと子供の頃から医者になるものだと思っていました。そのつもりで大学に入学して、最初に生物と有機化学を取ったのですが、自分に向いていないかもなあと思って。電気工学や数学のほうが圧倒的に面白かったので、そこから電気工学に進んでいったんです。

理想の経営者
〜すばらしい経営者に多く触れて、自分に合う形で参考にする

― 理想の経営者はいらっしゃいますか?

具体的に誰か1人というのはないですね。著名な経営者はそれぞれにすばらしいクオリティをもっていると思うので。もちろん私が今まで幸いにして触れてきたGEの経営者、ジャック・ウェルチやジェフ・イメルトもすばらしい経営者だと思います。シーメンスのCEOのペーター・ レッシャーも、やはりすばらしい経営者です。ドイツのグローバル企業から真のグローバル企業に脱皮しようとしたのがこの3年です。ただ彼らを理想として私がそうなりたいかと、なれるかというとまた全然違う話だと思うので、そういった人たちのごく一部でも、自分に合った形で参考にできたらと思います。これだけ生きていれば、自分じゃないものにはなれないと思うんですよ。それぞれ自分を成長させること、進化させることはできると思いますが、自分でないものになろうとしても無理があるし、それは見透かされると思うので、自分に合った形で、人を引っ張る力だったり、コミュニケーション力だったり、分析力や戦略の策定力、それに決定力や決断力など、そういったものをそれぞれのスタイルで身につけていかなければと思います。ある程度自分なりのやり方で、そして、人の良いところを見て、その人になりきろうということではなく、たとえば何をもって人をひきつけているのかを考えてみる、ということだと思います。そういうものに多く触れて、自分もやってみる機会を多くもつことによって、磨いていけばいいものなのではないでしょうか。経営者だけではないですが、強くないところは強くないと認識したうえで、強みを伸ばしていったほうがいいと考えています。考え方は人それぞれでしょうけれど、私は強みを活かして自然体でいけたらと思っています。

― これができないと経営者になれないとか、これが最低限必要だとか、経営者の条件としては何かありますか?

以前の職場では、リーダーに大切なものとして、3つのEまたは4つのEというのをずっと言っていました。あれはやはり正しいと思います。人一倍のエネルギー(「Energy」)をもっている、それは静かなエネルギーでもいいですし、外に出すようなエネルギーでもいいのですが、少なくとも、人一倍のエネルギーをもっている。それをもって、相手をエナジャイズ(「Energize」)、活性化させられる、エネルギーを伝えられる。ヒト・モノ・カネについてきついことも含めて判断、決断を下せるエッジ(「Edge」)。そして最後に追加された4つ目のEは実行力(「Execute」)。それをどうやるかはそれぞれのスタイルでいいですが、この4つは経営者の条件だと思います。

インタビューを終えて

織畠さんが継続してパフォーマンスを出し続けてこられたのは、ご自身もおっしゃっていたように、生来の負けず嫌いと好奇心に加えて、小学校高学年からの国内外での転校時、早い時期に存在感を出しながら適応していくことを繰り返してこられたことが非常に関係が深いように思えました。そして、すばらしい経営者に身近に触れる機会が多くあったことも、経営者としてのスタイルを形成されていく過程に影響しているようでした。

インタビューさせていただいたのがシーメンス社に着任されて1ヵ月後でしたので、前職までのご経験を中心にお話を伺いましたが、非常にエネルギッシュでパワフルなご経歴やエピソードについて、とても穏やかな語り口でお話いただきました。

インタビュー:組織行動研究所所長 古野庸一 /文:主任研究員 藤村直子
協力:株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO 井上 和幸 氏
※本インタビューは2011年2月7日に実施したものです。

PROFILE

織畠 潤一(おばた じゅんいち)氏 シーメンス・ジャパン株式会社 代表取締役社長兼CEO シーメンスグループ日本代表兼ヘルスケアセクターリード

1963年生まれ。日本で小学校を卒業後、中学1年から2年間はイランの首都テヘランのアメリカンスクールで過ごし、米国ジョージア州の公立高校を首席で卒業。マサチューセッツ工科大学 (MIT) で電気工学学士号・修士号取得後、1986年7月リクルート入社。リクルートでは情報ネットワークサービス事業部門にて新規サービス開発を担当し、FNX(ファクシミリ同報サービス)事業を立ち上げる。1991年MITスローンスクールでMBA取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。ロサンゼルス・オフィス勤務についで、東京オフィスにて、主にエレクトロニクス、テレコム、ヘルスケア企業の戦略プロジェクトに携わる。1999年ゼネラル・エレクトリック社 (GE) に入社し、GEメディカル・システムズ-アジアの事業開発本部長、CT事業本部長、サービス事業統括副社長、日本GEプラスチックス社長等を歴任。2005年1月よりコヴィディエン社(旧タイコヘルスケア)タイコヘルスケアグループジャパン代表取締役社長として入社し、2006年10月より日本、アジアパシフィック、東欧・中近東を統括するInternational President 兼 日本代表に就任。2011年1月より現職。
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