「プロ経営者」の育ち方・育て方 第9回 好きなこと、得意なことを伸ばしてBtoCビジネスの変革を 田岡 敬氏

執筆者情報
組織行動研究所
所長
古野 庸一
執筆者情報
組織行動研究所
主任研究員
藤村 直子

このシリーズでは、「プロ経営者」の育ち方・育て方への示唆を得るために、複数企業で経営者としての実績を上げた社長へのインタビューを行っています。今回はその第9回として、アイ・エム・ジェイ子会社2社およびJIMOSにて社長職を歴任されている田岡敬氏にお話を伺いました。


経営者になる覚悟
〜中学時代、父のビジネス書に影響を受けて

― 経営者になることは、いつ頃どのように決められたのですか?

漠然と思い始めたのは中学生ぐらいでした。父が本を読むのが大好きな人で、自分の本棚に収まらないので私の本棚にビジネス書とかを並べていたんですね。その中にあった『アイアコッカ―わが闘魂の経営』をたまたま読んで、すごいなと思ったんです。やっぱり経営者にならないと面白くないんじゃないかなって。他には、コカ・コーラに関する本もとても印象に残っています。経営ってすごいな、マーケティングってすごいな、意思決定するのってすごいな、と思いました。いろいろ読んでいた記憶がありますが、よく覚えているのはこの2冊ですね。

また、父は大企業の取締役まで勤め上げた人なんですけれど、幸せ100%には見えなかったんです。忙しくて家に帰ってくるのも遅くて、体調不良の時もありました。何回か独立したいと思っていたらしいんですが、家族のことも思ってしなかったそうです。好きなことをやりきっていない感覚もあったらしく、私が高校生、大学生の頃、時々そんな話をしていましたし、悔いのないように自分の持っているものを出しきる人生を送るようにとも言われていました。
ですので、経営者になりたいと思い始めたのは、父の話と、本からの影響ですね。ただ、学生時代は漠然と考えていただけなので、そのために何かをやっていたわけではありません。

― 具体的に経営者になることを考えるようになったのは、どういった経緯だったのですか?

いずれ独立したいと思って、リクルートに入社しました。当時は、どこかの社長になるというよりは独立を考えていました。じゃあリクルートで鍛錬を積んだかというと、入社当初数年は営業をがんばっていましたけれど、その後はそうでもなかったんですね。気づいたら31歳でただの一般社員だったので、とにかくマネジメントとしての1歩を踏み出さないとやばいと思いました。リクルートも昔みたいにポジションがいっぱいあるような会社ではなくなっていましたし、このままいてもチャンスが少ないなと思って。30歳超えたあたりから急に危機感を抱き始めて、まずはリクルートを出ることを決めました。当時出向で所属していたリクルートのエンタテインメント系子会社のメディアファクトリーの上司だった鶴さん、樫野さんにいろいろご相談して、結局鶴さんが転職されて取締役を務めていらっしゃった(現在代表取締役)ポケモンにお世話になることになりました。その頃には明確に経営者になりたいと思っていました。

ポケモンでは最初の数ヶ月はマネジャーで、その後法務部長になりました。メディアファクトリーで最後は法務をやっていたんです。ポケモンはその時ちょうどビジネススキームの変更と上場準備をしていたので、その両方を担当していました。前者では新しいポケモンビジネスのスキーム構築、権利の整理や関係者との交渉を、後者ではそれらの変更を反映させた上場準備のための書類作成を、土日もなく1日3時間しか寝ないような生活で1年やっていましたね。その時はすごい勉強になりましたね。ポケモンの社長の石原さんとか鶴さんと、任天堂の岩田さん(当時取締役、現在代表取締役)が毎週ミーティングのメンバーだったんですよ。世界のポケモンビジネスをどう構築するかとか、パートナーとどういう関係を築くかとか、経営の意思決定プロセスとか、ドキュメンテーションとか、根回しとか、とても良い経験になりました。

― 経営陣の中でも「社長をやりたい」と思われたきっかけはありますか?

やはりポケモンに在籍していた頃でしょうか。社長と非社長は非連続的な存在で、大企業の部長になったから大企業の社長になれるなんてぜんぜん思えなくて、だったら中堅企業の社長をやっている人のほうが大企業の社長になれるのではないかというように考えていました。ポケモンに行った時に社長業を間近で見たからだと思うんですけど、社長は社長で大きくなってくんだっていう感覚が、すごく強くなりましたね。だから、どこかで早めに社長職を経験しなければと思っていました。ポケモンも後半2年半はニューヨークで、最初英語もしゃべれないのにPokemon USAのナンバー・ツーをやっていたんです。経営陣としての事業立ち上げの経験がしたくて「給料上げなくてもいいから、一生のお願いだから行かせてくれ」と頼んで行かせてもらったものでした。

その後、35歳になって社長職を経験していなかった時に、今、社長をやらないとこの後の社長人生はないなと思ったんです。そして、リクルート退職時にもご相談に乗っていただいた樫野さん(当時代表取締役、現在顧問)に相談して、アイ・エム・ジェイ(以下、IMJ)でお世話になることにしました。当時IMJはグループ会社が20社以上あって、どこでもいいから社長をやらせてほしい!とお願いして入りました。IMJでは最初10人ぐらいの子会社のCOOのようなポジションからスタートして、3ヵ月ぐらいでその子会社の社長にしていただいて、そこから先は3ヵ月に1回ぐらい、様々な事業部や子会社のマネジメントの仕事をアサインしていただきました。辞める時は広告・マーケティングのセグメントの責任者で、マネジメントしていたのは子会社2つと事業部5つ、150人ぐらいでした。とても楽しく仕事をしていたんですが、IMJに資本変更があり、資本変更に伴ってIMJと当時のIMJの親会社であるカルチュア・コンビニエンス・クラブ(以下、CCC)との間で事業再編があり、自分の担当領域が半分以下になり、重要度も大きく下がる状況になりました。辞めようって決めて樫野さんに言ったのがリーマンショック2ヵ月後でした。転職活動をし始めたら非常に環境は厳しかったのですが、今まで関わってきたダイレクトマーケティングというテーマと、妻が佐賀出身ですので九州も可というのを投げたところ、ヘッドハンターから紹介されてJIMOSに広告メディアのプランニング・バイイングとネットマーケティング担当の執行役員として入社することになりました。リクルートで営業していたメディアはダイレクトレスポンスメディアですし、その後もリクルート時代にクレジットカード会社のデータベースマーケティングのお手伝いをしたり、Pokemon USA時代には北米のポケモンのECを運営してました。そして、IMJではEC事業本部を作り、通販会社やEC事業者のお手伝いをしたり、ヴィレッジヴァンガードのEC運営受託をしており、ダイレクトマーケティングは繰り返し出てくる自分にとって好きで興味のあるテーマでした。

日々の鍛錬
〜“人インプット”によるリアルタイム・プロブレム・ソルビング

― 経営者になることを明確に意識し始めてから、自分なりに行った鍛錬や意識してやっていたことはありますか?

毎週ジムに行っていますが、ここ5年ぐらいのことです。ジムに行って40分ぐらいマシンやって、4.5キロぐらい走って、1キロ泳ぐっていうのを1セット毎週やっています。自分の精神は肉体に支配されているなと思いまして、良いアウトプットは健康でないと出ないなとつくづく思ったので。6年前に目の病気をして、すごい肩や首がこるようになって、それで集中して考えられなくなったりしたので、マッサージに行ったりしながら、ジムにも通うようになりました。副産物としては健康診断がオールAになりました。あとは、常に仕事が激動・激変・新しいチャレンジだったので、それそのものが鍛錬という感じですね。

― 中高時代のお話を伺うと、その後も読書はされていたのではないですか?

現在は読書はあまりしていません。社会人の2、3年目まではしていたんですけど。どちらかというと“人インプット”が得意なので、人とはすごく会いますね。特にこの4、5年はひたすら人と会うようにしています。面白い人とか、仕事上で知り合った人とか、個人的に才能にほれるか人柄にほれるかした人に。

それにはきっかけがありました。マッキンゼーに行った時に、最初にMiNi MBA研修がありました。マッキンゼーに中途で入る人ってMBAホルダーがほとんどなので、そうでない人はマスター、ドクター卒の新卒と一緒に海外で3週間研修があるんです。世界中から来ていて、基本、皆さん英語ネイティブクラスで、スタンフォードとかMITの博士とか、ものすごい人が結構集まっていました。私は英語も微妙、専門用語になると全くわからない、みたいな状態で放り込まれて、大変だったんですけれど、インタビューだけ異常にうまかったんですね。研修でインタビューしながら提案するというのがあるんですが、研修中英語でぜんぜんついていけなくて蚊帳の外なのに、インタビューだけいちばんうまかったりするから、まわりにびっくりされていたことがありました。その後、実際のプロジェクト中にもマッキンゼーのマネジャーに「田岡さんは“リアルタイム・プロブレム・ソルビング”がすごくうまい」と言われたんです。その場で相手とインタラクティブに問題を深めていって、解を出すのがうまいと。だから一緒にインタビューとか行くじゃないですか。そうするとすごいびっくりされることが多くて、インタラクティブにやるのが得意なんだなと、思うようになりました。それで自覚しました。それから、人と会って、インタラクティブに人インプットを増やすことを特に意識するようになったんです。

最も成長した経験
〜この10年間は学びの連続

― ご自身にとって成長された経験というのは何ですか?

いくつか自分の意識が変わったりしたポイントがあると思っているんですけれど、最初に大きかったのはリクルート子会社のメディアファクトリーの時のことです。当時受け身で仕事をしがちなサラリーマンで、案件を与えられると上司に「A案B案C案がありますがどれがいいですか?」というような聞き方をしていたんですね。上司からは「だめだー」とか言われて、最初はよくわからなかったんです。で、ある日突然気づいたんですが、その上司は非常に忙しい人だったので、どんな説明をされようが担当者よりその案件について深く理解することはないという大前提があって、「俺にはわからん。おまえは何をやりたいんだ。やりたいこともないやつには任せない」というスタンスなんだなと。それはそうだなと思いました。逆の立場だったら、自分だったらどうしたいのかとか、どうだったら責任をとれるのかという意志のない人にはそもそも任せないなって。そこから仕事に対する関与の仕方が変わったのが1つ目の大きな変化です。その後は、“A案をやりたいけれどB案・C案も相対比較のためにもっていく”というような、それまでとは違うスタンスで、一応客観的にも比べていますよといった感じで話をもっていくようになりました。それで、イニシアチブをもって仕事を進めるようになりました。

つぎはポケモンの日本にいた時、任天堂の岩田さん含めて経営層の方々と経営視点での仕事にいろいろ触れる機会があったこと。あとはPokemon USAでマネジメントを本格的にやった時も、言葉は通じない、仕事の進め方も違う、そもそも働く価値観も違う人たちと一緒に仕事をしたので、マネジメントの仕事とは何なのか、ということを考えさせられましたし、試行錯誤して良い経験になりました。しかも、当時は対外的にも欧米の超一流企業と交渉して、そういうパートナーを巻き込んで北米・欧州のポケモンビジネスを進めるということもやっていたので、ビジネススキルの面でもすごい勉強になりました。そういったことを我流で試行錯誤しながらやってきた後、マッキンゼーでは体系的にドキュメンテーションとか、フレームワークとか、ディスカッションとかを勉強させていただきました。

IMJでは、2つの子会社と5つの事業部をマネジメントしていた時でしょうか。各部署が当時は複数の雑居ビルに分かれていたので、リモートマネジメントに近いんですよ。ふだん顔を合わせない、週1回ミーティングの時だけ会うという部下も多かったので、そういうリモートのマネジメントとか、事業の管理とか判断って、やっぱりミーティングの頻度を保つことが非常に重要だということを学びました。週1回、別に30分のミーティングでもぜんぜんかまわないので、ちゃんとウォッチして状況をこまめにアップデイトしていくのが重要だなと。そうでないと意思決定を求められても、背景や現状理解に時間が掛かってしまい即断ができませんし、そもそもまとめて情報のアップデイトを受けると情報にバイアスが含まれていても見落としてしまうことがあります。あとはナチュラルローソンではBtoCを多面的に触れられたので、それは今ものすごくベースにありますね。商品開発もやったし、お店のPOPづくりもやったので、BtoCって現場に下りて顧客接点を見ないとよくわからないというようなことを経験しました。

― それぞれの会社で学んでこられたのですね。

そうだと思います。リクルートを辞めた後の人生が異常に濃いんですよ。リクルートを辞める時はただの一般社員ですからね。最初は営業成績も良かったんですけど、その後の7年間はぐずぐずしており、半年に一度の業績評価でただの一度も平均評価すらとっていなくて、ずっと平均以下でした。その後のビジネスキャリアの濃さとそれまでの緩さはまるで別人みたいです。リクルート時代は標準労働時間をきっていた時もあったくらいです。ちょうど第1子が生まれた頃で、家に5時半に帰って、子どもをお風呂に入れて、ご飯を食べて・・・というように、20代後半の世の中的にはがんばらなくてはいけない時期にそんな生活をしていました。そのうち、リクルートで抜擢人事が始まって、過去2年間の評価で昇進が決まるってことになって、そうすると今から2年間がんばらなきゃならないじゃないですか。31歳であと2年間、すでに遅れているので「あ、まずい」ってようやく本気で思いました。

31歳で退職して、10年間ずっと走ってきました。リクルートを辞める時に「もう好きじゃないことはやるまい」って決めたんですよね。当時はモチベーションが安定しなくて、一瞬すごいんですけど、すぐにやっぱりやる気がしないみたいな感じで。好きなことしかやらないって決めてからはすっきりして、得意なことでまずは勝負して、苦手なこともそのうち直るだろう、後回しだ、という感じでいったら、モチベーションも高値安定ですし、仕事への取り組みスタンスも大きく変わりました。

― そういった経験の中で、最も大きい経営判断は何ですか?

CCCとIMJの子会社の代表取締役の時のことです。そこはTSUTAYAの会員・購買履歴のデータベースをもとにマーケティングサービスを提供する会社だったんですね。会員・購買データベースをもとにクライアントのダイレクトメールをTSUTAYA会員に送るサービスと、TSUTAYAの店頭を活かしたプロモーションを提供するサービスと、TSUTAYAのネット会員を活かしたサービスを提供するというのがありました。TSUTAYAの総合サービスっていうとすごく華やかに見えるんですけれど、それぞれのサービスにはやっぱり強い競合がいて、総合提案の前にまずは各サービスの強化が重要と考え、サービス別の事業部にしたんです。サービス開発と営業を1セットにして、各々の事業部がそのサービスから逃げられず、向き合わざるを得ないようにしました。そうすると、そもそもどういうクライアントを深掘りすべきかとか、どういう売り方をしたほうがいいかとか、こういうサービスのほうがいいとか、競合を考えると値付けを変えないと売れないとか、いわゆる3Cからみんな考えるようになりました。結果、前年度が赤字だったのが、1億円ぐらいは利益が出ました。それがいちばんでしょうか。でも、清水の舞台から飛び降りましたっていう感覚はあまりないです。現場からはブーブー言われましたが(笑)。あまりにも市場も競合も見えていない状況で赤字でしたので、TSUTAYAアセットの強さを考えると、ちょっと市場や競合を理解すればすぐによくなるだろうと思っていました。

強み・弱み
〜コミュニケーションで現場のブラックボックスをなくす

― 先ほど強みとして、インタビュー、インタラクティブなやりとりというお話がありましたけれど、その他にご自身で意識されている強みはありますか?

コミュニケーションは得意なのではないかという気がしています。プレゼンテーションがわかりやすいともよく言われます。話をするのは下手なほうではありませんでしたが、伝えたいことを構造化する、論理立て、理解・納得してもらえるように伝えることが得意になったのは、マッキンゼーの後からですね。相手が本当に理解・納得すると、その人からまた他の人に話が再生可能で、組織への浸透度・スピードが違う、というのを体感しています。

以前、外部のコンサルタントからJIMOSの執行役員以上全員がアセスメントインタビューを受けた時に、変革リーダーシップが非常に高いというフィードバックを受けました。実際、新しい事業部や会社の担当になったら、短期間に現状を把握して、じゃあ東行こう、南行こう、と1歩目の方角を決めてメンバーに理解納得してもらって、実際現場まで降りて巻き込んで現場と一緒に動かすっていう、そこのワンセットが得意だなという感覚は自分でもあります。

― それはどこで鍛えられたんですか? 一連のこのキャリアの中で鍛えられたのでしょうか?

そうですね。Pokemon USAあたりからだと思います。あとナチュラルローソンでも強化されました。ナチュラルローソンは立ち上がったばかりで小さい所帯だったので、執行役員といっても、たとえばマーケティングでも部下が2人だけ、あと「焼きたてパンプロジェクト」という焼きたてパンの商品開発の担当もしていたんですけれど、そこも部下が3人しかいないので、抽象度の高い話から各論へのこだわりまで、行ったり来たりするのをずっとやっていました。顧客接点を徹底的に理解しようとするのは、意識的にやっています。やっぱり、顧客接点を理解し尽くさないとBtoCができるとは思えないので。顧客接点でのブラックボックスをいかになくすか、ということをいつも心がけています。

JIMOSは通販事業なので電話で注文を受けたりするコミュニケーターが毎日数十人いるんですけれど、日報を書いてもらっていて、その日報は全部読んでいます。お客様からの要望やコミュニケーターからの提案等気になることは返信したり関係者にまわしたりしています。小売業とかBtoCって日常のそういう小さな気づきを拾える仕組みをどれだけ埋め込めるか、そしてそれらの元々は小さいけれど良いアイディアや意見を大きな形にできるか、が勝負だと思っています。

― 一方、弱みは何ですか?

弱みはまだときおり意思決定が早すぎる時があることです。たとえばある事業に関して、なかなかうまくいかない場合、さらに人・モノ・資金の追投資をせずに撤退する、というような意思決定です。少しずつ意思決定するまでの時間を長く取ることができるようになってきましたけれど、まだちょっと弱みかなと思っています。

突然、非連続的に変化するものを発生させるためには、もうちょっと待ったり、放っておいたり、見ないようにしたり、というところを上手につくったほうが良いと思っています。ですので、なかなか具現化しないものとか、うまく説明できないものとか、でも良さそうな芽があるとか、そういうものに対してどこまで見るのかという期間を、意識するようにしています。

― 意思決定に際して、具体的にはどのようなことを意識されているのですか?

何でも意思決定ってポジティブインパクトとネガティブインパクトがあって、トレードオフだと思うんですね。人が意思決定できないのは、「ネガティブインパクトが大きく見えて、ポジティブインパクトが小さく見える」ということや、「ポジティブインパクトは将来のことなので実現化するか不確実、でもネガティブインパクトは意思決定したら確実にすぐ発生する」ということからだと思います。だからネガティブインパクトの定量化をすごく大事にしています。意思決定に関する各論のブラックボックスを抱えたまま意思決定をしようとするから、これをやった時何が起こるかというネガティブインパクトに関しても定量的に言えずに定性的に言う人が多いと思うんですよね。ポジティブインパクトは将来にしか発生しないので、どこまで定量化したってわからない、でもネガティブインパクトはもっとちゃんと現場に降りていくと定量化できるはずなのに、それをしないから意思決定に対してリスクを大きく見積もるケースが多いのではないかなと思っています。先ほど述べたIMJとCCCの子会社でもネガティブインパクトをしっかり見積もっていたので、サービス別事業部への移行を「賭け」ではなく、「合理的な意思決定」として行うことができました。

経営層にあがってくる情報って、意図的かどうかは別として、ものすごく加工されて、一定の見解が加わっていますよね。でも現場まで降りていくと、実は違うものの見方がいっぱいあるというのを体感しているので、絶対ここまで見に行く(各論まで把握する)と決めています。特に同じ業務をずっとやっている人は、一定のものの見方に偏っていたり、そもそもの大事な要素を見ていなかったりするケースもありますよね。見ずに言っているだけだったり、見ていてもデータの見方が最初から先入観にまみれていたりとか。私は、現場にファクトを見に行って、みんなに聞きながらみんなでディスカッションするのが結構得意だなと思っています。最後、自分の意見かどうかは関係なく、真理に近づくというか、実態に近づくというか、「あ、こういうことだよね、起こっていることって」みたいに腹に落ちる感覚はありますね。そうすると意思決定できるし、そのプロセスを経て意思決定すると、「社長が言っていることはよくわからない」とはならないと思っています。現場のファクトとして、数字も定性も両方見ますね。元々自分は、どちらかというと感覚的なものの見方のほうが得意だと思っていて、消費者の購買心理、コンシューマーインサイトには強いという感覚はあるので、いつも定性だけでなく定量も見るのを大事にしています。

― 消費者の購買心理という意味では、化粧品はご自身であまり使わないものですよね?

化粧品自体のリアルユーザーでなくても、物を選ぶ時の基準や考え方や皮膚感覚など、そういうのは商品が何であれ共通感覚があると思っていて、そういう感覚はつかんでいるつもりです。元々もっている感覚なのかどうかはよくわからないですけれど、広告や、お客さんと企業とのコミュニケーション、パッケージデザインなどはとても好きですね。

リクルート時代も、当時お蕎麦屋さんの営業担当をしていた時に、お蕎麦屋さんのお店に置くパンフレットとかも作らせてもらっていました。自分の営業している採用広告に全く関係ない商品ですけれど。食べ物は舌というより脳で食べる部分が多いものなので、どんな材料を使ってどうやって作っているのかこだわりを伝える「作り方編」と、どんな人がどんな思いで作っているかを伝える「人編」といったものを作ってお店に置かせてもらったりしていました。あと組織コンサルティングの仕事でてんぷら屋さんがクライアントの時には、1年間支配人(エリアマネージャー)の皆さんとディスカッションをしながら天ぷらの調理マニュアルと接客マニュアルも作ったりもしました。

自分自身のコミュニケーションのベースは転校生っ子だったところにあります。幼稚園2つ、小学校5つ、中学校2つ通いました。育った環境場所が違えばものの見方も違うし、先入観もあるし、というような状況の中で、常にぜんぜん違う人たちと意思疎通をする必要性がありました。そのうち、転校したら、まずクラスの勢力分布とか人間関係を把握してから、そのクラスでどういうポジションを取るかを決めてというような方法をとるようになりました。

昔はどんな人かと言われると、どちらかというとモノの見方が広くはなく、感情の起伏が激しい人でした。経験を経るとともにだんだん直ってきていますが。以前は、モノや人の見方が狭かったり好き嫌いが多かったり、ネガティブだったり、でしたね。今はだいぶ広くなりましたし、少なくともネガティブな思考をすることほとんどなくなりました。ネガティブなことを考えていても良いことなど本当にないなと思い始めて、いかにそこから抜け出して、好きなことを楽しくポジティブパワーでやるかがいちばん大事だなと思うようになったんじゃないかと思います。

理想の経営者
〜現場を理解し、社員が自発的に動ける環境づくりを

― 理想の経営者はいますか?

あまり考えたことはないですね。誰かを理想だとか誰かを目指しているとか、そういう感覚はないです。ただ、どういう経営者でありたいかというと、企業の変革のステージに今後も携わりたいなと思っています。起業は、やっぱり10個新しいことをやったら1個うまくいくとか、2個うまくいくとかなもので、10分の1とか2の運に自分の能力と時間をつぎ込むよりは、これだけのアセットがあるんだからやってみなさい、というような、一定のアセットを預かってそれをマネジメントして再成長させることにコミットするのはすごく面白いなと思います。

― 変革への興味というのは、冒頭のアイアコッカの本を読んだ経験からつながっているのでしょうか?

そうかもしれないですね。あの本は変革の話ですからね。特に、人もコトも変わるのを見るのが好きというのもあります。

― どんな会社でも、事業でも、自分だったら変えられると思いますか?

BtoCのコンシューマーインサイトが重要である会社や事業ならば、ある程度できるんではないかと思います。好きでうまくやれる自信がある程度あるので、それを極めたいと思っています。

― 日本では、自分は経営者になるんだと思っていてもなかなか言わなかったり言えなかったりすることもあると思うのですが、田岡さんにはそういった迷いはなかったのですか?

経営者も職業の1つですよね。社長だからといって人間として偉いわけではないので、プロ野球選手になりたいっていうのと何も変わらないと思います。もちろん社長には人間性が求められますが。医者とか弁護士とかと一緒で、プロフェッショナルの1つとして社長がある。それに、企業の全てのステージを経営できる人ってなかなかいないと思うし、かつ社長の業務は激務になっているので10年、20年やれる人ってごくまれじゃないですか。だから社長というのは、経営スタイルとか企業ステージとかその企業の状態にフィットするプロフェッショナルがやる職業なんだ、というのをポケモン在籍中ぐらいから感じていました。0から1にする創業ステージが得意な人もいれば、私みたいに再成長ステージが好きな人もいるんだと思います。

― 経営者としてやりきれるという自信はあったのですか?

社長業をやってる多くの人を近くで見る機会が増えると、これぐらいのレベルまでだったら何とかできるかなという感覚っていうのはあります。現状60点なのが80点にはなるかも、90点にはならないかもしれないけれど、というような。

― 理想の経営者はいないというお話ですが、経営者の要件についてはどのようにお考えですか?

BtoCに限ってかもしれませんが、いかに階層をフラットにして顧客接点を理解するかということと、それに基づいて戦略を立て意思決定できるか、ではないでしょうか。意思決定も、独断で決めるのではなくて、顧客接点理解をメンバーと共有し、ディスカッションを重ねて、というスタイルが良いと思います。

社員には自発的に動いてもらうのがいちばん大事だと考えています。社員に対して仕事をアサインする場合でも、会社のためということではなく、その人にとっての意味を話すようにしています。そこはリクルートの遺伝子なのでしょうか。会社と個人は対等という前提があって、「会社のため」と「自分のため」との重なりをどうやって増やすかを社員には考えてほしいし、上司と会社はそれをサポートするというようなスタイルでありたいと思っています。

インタビューを終えて

田岡さんのお話で興味深かったのは、中学・高校時代から漠然と経営者になることを意識してこられた一方で、本気でその経験を積まれたのは30代になってからということです。その分、この10年間の経験は非常に高密度なものでした。予期せず会社の方針が変わったことによってキャリア・チェンジを余儀なくされたこともあったようですが、人との縁を大切に、ご自身の強みや志向を認識し、その意思に従って経験を積んで結果を出し続けてきたことが田岡さんの今につながっているように思えます。「好きなことをやって得意なことを伸ばしていく」と決めた31歳での転機がとても大きかったのでしょう。田岡さんが社員に求めている、「会社のため」と「自分のため」の重なりをどう増やすかを考えるということは、ご自身がずっと体現してきたことなのかもしれません。

インタビュー:組織行動研究所所長 古野庸一 /文:主任研究員 藤村直子
協力:株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO 井上 和幸 氏
※本インタビューは2010年11月18日に実施したものです。

PROFILE

田岡 敬(たおか けい)氏 株式会社JIMOS 代表取締役社長 株式会社サイバードホールディングス 上席執行役員

1968年生まれ。東京大学工学部卒業。1992年株式会社リクルート入社。2000年株式会社ポケモン入社、マッキンゼー&カンパニー・インク・ジャパン、株式会社ナチュラルローソン(現 株式会社ローソン)を経て、2006年株式会社アイ・エム・ジェイ入社。取締役、常務執行役員、関連会社の取締役および代表取締役社長を歴任した後、2009年株式会社JIMOS入社。2010年6月より現職。

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