- 公開日:2024/04/01
- 更新日:2024/05/16
機関誌RMS Message73号では、「仕事における余白と遊び」というテーマで特集を組んだ。『「余白」と「遊び」』という特集テーマはどのような印象を与えるだろうか。そんな「余裕」があったらいいが、「暇」がない。「ふざけて」いる。「自由」な感じがする。「ワクワク」してきた。それらはすべて当特集の範囲内だ。しかしイメージが散らばったままでは話を始めにくくもある。そこで、「時間の余白:ヒマ」「目的や意味の余白:アソビ」「資源の余白:ムダ」の3つについて考えながら関連する概念や研究を集めた。本稿は、特集の冒頭に掲載した記事より転載したものである。
- 目次
- 【時間の余白:ヒマ】暇と退屈の倫理学
- 暇と退屈は別物 上質な気晴らしとは何か
- 時間の余白を作るには
- 【目的や意味の余白:アソビ】共感するサルとして
- 「労働の対義語」から新しい何かの源泉へ
- 無意味に耐える力 手段から目的を生む力
- 【資源の余白:ムダ】価値を生むムダ:組織スラック
- その集まりは参加者に意義と居場所を感じさせるか
【時間の余白:ヒマ】暇と退屈の倫理学
まず、時間の余白から考えてみたい。使い道のない時間があること、いわゆる「ヒマ」と呼ばれる状態はその1つだろう。哲学書ながらベストセラーとなった國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』からその内容を紹介して、時間の余白について考えてみたい*1。
狩猟・採集時代は豊かな社会であり、人類は移動生活で優れた探索能力を獲得し、新しい環境から受ける刺激を快いものとして本能に刻んだはずだと國分氏は述べる。その後、定住生活が始まると、人類は優れた探索能力をもて余し、文化・文明を発展させた。それは人類が退屈との戦いを強いられるようになった結果でもある。
人は、退屈を抑え込もうとする。やるべきことを探し、気晴らしを求める。何もすることがない、むなしい状態に人間は耐えられない。
暇と退屈は別物 上質な気晴らしとは何か
しかし定住・農耕生活は早々に所有の概念を生み出し、身分制や格差が生まれ、時間の余白・余裕は一部の有閑階級に独占された。暇を過ごすすべをもたない大衆が、ふたたび退屈と戦うことになるのは近代以降だという。
ここで國分氏は「暇」と「退屈」の類型図を提示する(図表1)。身分制からの解放や労働生産性の向上で大衆は、右下から左上のゾーンに移動した。大衆は暇を得て、退屈するようになった(哲学者のパスカルやラッセルは人間の性質をそのように描いたそうだ)。
<図表1>暇と退屈の類型
左下に分類されるかつての有閑階級は、暇を過ごす知恵を発明していたはずと論じられる。その内容は割愛し、國分氏が本書で問題視する右上、すなわち暇がないのに退屈している不思議(?)な状態に話を進める。
國分氏は右上のゾーンを、労働生産性を高めるために与えられた「余暇」において、気晴らしさえ資本主義に支配され、終わりのない消費に駆り立てられている状態として問題提起した。
ボードリヤールという思想家が挙げた例が紹介される。広告が「個性的」であるべきという強迫観念を作り出し、個性的な自分を人に見せるために新しい服を買う。「忙しさ」という見栄のために不要な仕事が作り出される。さらには、「自分は生産的労働に拘束されてなんかないぞ」という証拠を示すために旅行に行く……。
「こうあるべき」という強迫観念に追い立てられて消費や労働に身を投じることは自らをむしばむ行為だ。退屈との戦いは今や、あるべき姿への強迫観念による消費や労働の誘惑に抗う戦いとなった。退屈は、刺激がなく不快な感情である。つまり退屈の反対は、刺激があり快い感情となる。自己や他者を害するような刺激でも、退屈を脱することはできる。だからこそ暇と退屈を生きる倫理が必要なのだ。
本書の結論に近い議論では、右上のゾーンで、退屈から逃れる気晴らしに身を投じながらも、それが気晴らしであることを自覚することが重要とされる。没頭する対象を自ら選択することは、「自由」の証拠なのだ(國分氏はこの着想をハイデッガーの論から得たという)。そのために何をすべきか? 國分氏が導き出した「暇と退屈の倫理」の内容はここで述べない。ぜひ書籍を手にとってみてほしい。
時間の余白を作るには
心理学において退屈(boredom)の研究は古くからあるが、おおむね個人や組織への負の影響が強調されてきた。しかし、少数だが前向きな効果に目を向ける研究もある。Elpidorou(2014)はそれらを総括し、退屈を感じることの前向きな側面とは、今の活動が自分の目標や価値に適合していないことに気づき、新しい行動を起こすきっかけとなることだとしている*2。
図表1の右上のゾーンにいる人が退屈に気づき、自ら選んで新しい行動を起こすには、時間の余白が必要だろう。どうすれば行動をリセットする時間の余白を作り出せるだろうか。
一定の勤続年数を経た大学教員が半年から1年ほど校務から離れ研究の時間を作る「サバティカル」という制度がある。Carr and Tang(2005)は、企業でもサバティカルをまねた長期休暇制度の導入が、知識の更新を促し、燃え尽きを防止するだけでなく、「(私の休暇をサポートすることで)会社は私に再投資してくれた」という信頼関係を形成し、人的資本を強化すると示した*3。彼らによれば、多くの従業員は休養のためではなく、仕事に対する興奮や熱意を失ったためにサバティカルをとる。自分自身を夢中にさせるものは何かを考えるための時間の余白なのだ。
時間の余白の感じ方の個人差に着目する研究もある。過去、現在、未来への意識の向け方を捉える「時間志向」という概念がある。この分野の著名な研究者であるジンバルドとボイドは、過去の良い面に目を向ける過去肯定型や、目的や計画など将来のことを考えることの多い未来志向が活力や努力を生み出し、人生に幸せや成功をもたらすと述べている*4。
過去のつらい出来事にとらわれる過去否定型や、何をしてもムダだと考える現在志向は努力や幸せを遠ざけてしまう。未来志向は遺伝などではなく、未来への期待をもつ習慣や、安心できる環境に促される。
他方で、過度な未来志向は、時間のプレッシャーや焦りを強めることもあるという。バランスの良い時間志向を訓練することが有益かもしれない。
【目的や意味の余白:アソビ】共感するサルとして
時間の余白に関連して紹介した退屈や未来志向は、人生に目的や意味を見いだし、それらに適合する活動をよしとする立場から論じられていた。そこで次に、目的や意味が「ない」活動、目的・意味の余白といえるような活動の代表として「アソビ」に着目する。「気晴らし」の、より積極的な意義を考えたい。
遊びの研究としては、ホイジンガとカイヨワが有名である。ホイジンガは遊びの特徴を、(1)命令されない自由な行動、(2)物質的利害や生活の目的のためでなくそれ自体を楽しむ、(3)限定された時間・空間で独自の秩序をもって完結する、と整理した*5。遊びには秩序や美学があり、生活の枠の外に自由にはみ出していける。それが文化を発展させることも多い。
秩序や美学を共有できるのは、ヒトの共感する能力のおかげだというのは、京都大学におけるゴリラの研究で有名な山極壽一氏だ。山極氏は、言語以前のヒトの進化の節目として、遊びや音楽を通じて集団の仲間と共感し合う能力の獲得があったと論じる*6。
また、人間だけがする遊びがあるという。カイヨワは、遊びを「競争(アゴーン)」「機会(アレア)」「模擬(ミミクリー)」「眩暈(イリンクス)」に分類した(図表2)*7。山極氏によれば、偶然の遊び(アレア)は人間特有の遊びである。人間以外の動物は、自分でコントロールできない偶然性では遊ばない。これは人間の未来に期待する能力の表れであるという。
<図表2>遊びの配分
「労働の対義語」から新しい何かの源泉へ
遊びが文化にとって重要なものと認められても、労働との融合はすぐには起こらなかった。経営学における「遊び」概念をレビューした寺本(2018)は、当初は排除された遊びが、「新しい何か」を生み出す源泉として取り入れられていく変遷を次のように論じている*8。
近代ヨーロッパで労働概念は、当初、キリスト教における「禁欲」の教えと結びついていたため、遊びは労働の意義や生産性の対極にあるもの、排除すべきものとして扱われたという。
他方、心理学においては、学習や発達における遊びの機能が論じられ続けてきた。20世紀初めに活躍した旧ソ連の心理学者L.ヴィゴツキーは、「遊びの中では、こどもは頭一つ抜け出たもののように行為する。遊びは発達における先導要因である」と述べたという。「ひとりでできる」と「まだできない」の間にある「他者と一緒にならできる」という段階を重視し、遊びのなかで新しいことを誰かと一緒に「やってみる」、ごっこ遊びのように自分でない何者かに「なってみる」ことを通して、「できる」の領域を広げていくとした*9。
寺本氏によれば、経営学においても20世紀半ば頃には、気晴らしの必要性や、労働と遊びの折衷案として人間関係を充実させるセレモニーが提案された。1980年頃からはより積極的に、「他のルールの可能性を探るために日頃のルールをわざと一時的に緩めること」としての遊びを、組織の創造性の源泉として経営に取り入れるべきだという議論が展開された。
今日、ヴィゴツキーの理論を受け継ぐL.ホルツマンらのグループは、個人の主体性開発の必要を強く理解しているのは教育現場よりもむしろ企業だといい、即興演劇などにより組織に遊びの理論を取り入れるプログラムを提供している*9。
無意味に耐える力 手段から目的を生む力
しかし、意味が見いだせない宙ぶらりんな状態にとどまることは簡単ではない。19世紀の詩人キーツは、「不確実さ、不可解さ、疑惑といった中にあっても、事実や理由を求めていらだつことがまったくなくておれる」能力は、何かに積極的に働きかけるのとは逆のネガティブ・ケイパビリティ(消極的能力)であり、文学界の偉人たちの共通特性であるとした*10。
ネガティブ・ケイパビリティは文学者以外にも有益な結果をもたらす。Simpson and French(2006)は、「今この瞬間」に集中し思考する能力であり、不確実性に直面するリーダーに必要な能力としている*11。
成功した起業家の行動から抽出された不確実性の高い状況での意思決定理論として近年注目される、「エフェクチュエーション」という考え方にも、目的の余白の意義が垣間見える。エフェクチュエーションには5つの原則があり、その第1は「手中の鳥の原則」と呼ばれる。それは、目的を定めて調査・予測・計画するといったやり方とは正反対である*12。手持ちの手段や資源(=手中の鳥)でできることから始め、仲間を増やしていく。そうするうちに、できることや分かることが増えていき、目的も定まっていく。目的に集中して視野を狭めてしまわないからこそできることがある。
【資源の余白:ムダ】価値を生むムダ:組織スラック
時間や目的の余白には価値があるが、それらは捉えにくく見えにくい。組織がそれらに積極的に投資することは、傍からは「ムダ遣い」と見えるかもしれない。そこで最後に3つ目の余白として、資源の余白=「ムダ」について考える。
経営学や経済学においては古くから、「組織スラック」あるいは「スラック資源」という概念で、余剰在庫や余剰人員などの使途の決まっていない資源全般の功罪が検討されてきた。スラック資源には、能率の低さの表れという側面と、変化への備えという側面がある。
またスラック資源は変化対応にも2つの相反する影響力をもつという*13。組織が外部環境との間に葛藤や不具合を経験したとき、その意味を豊かに解釈して、考え方ややり方を点検することは組織変革の契機となる。このときスラック資源が経験を多様に解釈する余裕を生み出し、変革を後押しするという見方がある。他方で、スラック資源があることで、問題に対してその場しのぎの対応が可能になり、むしろ現状維持に傾くという指摘もある。
このような見解の不一致は、スラック資源の内容や、それらを活用する経営や現場の考え方の多様さによるようだ。能率や効率を考えることは比較的たやすく、非効率な余白をマネジメントすることはより難しいといえる。
その集まりは参加者に意義と居場所を感じさせるか
ムダの功罪について、総論が難しいのならぐっと各論を考えてみよう。人が集まるセレモニーはかつて労働と遊びの折衷案として論じられたことを述べた。しかし、人の集まる施策には時間や費用が多くかかるため、組織の能率や効率という観点から取りやめたり簡素化されたりすることも多い。参加者が「ムダな時間だった」と感じる集まりは、個人にとっても組織にとっても有益なムダとはいえない。よって、ただ集まればいいというわけではなく、集まり方が重要となる。
P.パーカーは『最高の集い方』という書籍で、意義ある集まりの大敵は「慣れ」であり、無難な目的ではなく、「特殊で独自性があり賛否両論ある」目的を置くことの重要性を強調する*14。図表3で目的の進化の例を確認してほしい。
<図表3>目的をもった集まりに移行するポイント
以上、「時間の余白:ヒマ」「目的や意味の余白:アソビ」「資源の余白:ムダ」について、さまざまな概念を拾い集めながら書き進めてきた。「余白と遊び」は、活動の本質を問いかけ、今までと違うやり方を試し、機会を生かすことを通して、仕事や組織を、面白く、しなやかにする。取り上げた概念のなかに、読者が今を楽しみ、新しい何かや未来の可能性に目が向くきっかけが紛れ込んでいたらありがたい。さらに本稿が、誰かと一緒に話が弾むきっかけとなれば望外の喜びである。
*1 國分功一郎(2021)『暇と退屈の倫理学』新潮社.
*2 Elpidorou, A. (2014). The bright side of boredom. Frontiers in psychology, 5, 1245.
*3 Carr, A. E. & Tang, T. L. P. (2005). Sabbaticals and employee motivation: Benefits, concerns, and implications. Journal of education for business, 80(3), 160-164.
*4 P.ジンバルド・J.ボイド著、栗木さつき訳(2009)『迷いの晴れる時間術』ポプラ社.
*5 J.ホイジンガ著、高橋英夫訳(1973)『ホモ・ルーデンス』中央公論新社.
*6 山極壽一(2023)『共感革命 社交する人類の進化と未来』河出書房新社.
*7 R.カイヨワ著、清水幾太郎・霧生和夫訳(1970)『遊びと人間』岩波書店.
*8 寺本直城(2018)「経営学及び経営組織研究における『遊び』概念の変遷―Kavanagh(2011)への批判を中心に―」拓殖大学経営経理研究, 113, 21-36.
*9 L.ホルツマン著、茂呂雄二訳(2014)『遊ぶヴィゴツキー 生成の心理学へ』新曜社.
*10 吉賀憲夫(1986)「キーツにおける『消極的能力』と叙情の構造」愛知工業大学研究報告. 21(A).
*11 Simpson, P. & French, R. (2006). Negative capability and the capacity to think in the present moment: Some implications for leadership practice. Leadership, 2(2), 245-255.
*12 吉田満梨・中村龍太(2023)『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』ダイヤモンド社.
*13 山岡徹(2015)『変革とパラドックスの組織論』中央経済社.
*14 P. パーカー著、関美和訳(2019)『最高の集い方 記憶に残る体験をデザインする』プレジデント社.
※本稿は、弊社機関誌 RMS Message vol.73 特集1「仕事における余白と遊び」より抜粋・一部修正したものである。
本特集の関連記事や、RMS Messageのバックナンバーはこちら。
執筆者
技術開発統括部
研究本部
組織行動研究所
客員研究員
藤澤 理恵
リクルートマネジメントソリューションズ組織行動研究所主任研究員を経て、東京都立大学経済経営学部助教、博士(経営学)。
“ビジネス”と”ソーシャル”のあいだの「越境」、仕事を自らリ・デザインする「ジョブ・クラフティング」、「HRM(人的資源管理)の柔軟性」などをテーマに研究を行っている。
経営行動科学学会第18回JAAS AWARD奨励研究賞(2021年)・第25回大会優秀賞(2022年)、人材育成学会2020年度奨励賞。
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