- 公開日:2024/09/20
- 更新日:2024/09/20
「健康経営」や「ウェルビーイング経営」が以前から注目されており、例えば経済産業省は2014年度から「健康経営銘柄」の選定を行っているが、実際にどのような成果や効果があるのか。実践時のポイントはどこにあるのか。経営学の側面から研究する森永雄太氏に伺った。
- 目次
- 私が健康経営研究に携わるようになるまで
- 健康経営は健康と生産性のジレンマを解消する
- 中小企業にとって健康経営には採用力を高める効果がある
- 援助要請しやすいかどうかが治療と就労の両立に直結する
- メンバーの援助要請を促すインクルーシブ・リーダーシップ
私が健康経営研究に携わるようになるまで
私は、大学院時代はモチベーション研究を専門としており、その流れでジョブ・クラフティングの研究などに取り組んできました。
その後、大学で働き始め、実際に企業の皆さんと話してみると、モチベーション向上以前に、従業員が働きすぎて疲れているので、やる気が出ないという側面もあるのではないかという声を多く耳にするようになりました。
また一方で、メンタルヘルスの不調ではなく、ポジティブな側面に着目する「ポジティブ・メンタルヘルス」という概念が生まれ、従業員がワークエンゲージメント(熱意・没頭・活力)を高め、生き生きと高いモチベーションで働くことが、活躍を促して生産性向上に寄与すると考えられるようになってきました。従来、従業員のメンタルヘルスは産業保健学が扱い、モチベーションや生産性は経営学が扱うというすみ分けがあったのですが、そこにつながりが出てきたのです。
そこで私は、従業員の健康とモチベーションの関係を研究するために、2016~2017年に17の企業・組織の皆さんと健康経営の研究会を開き、皆で学ぶと共に、共通施策を実施し評価しました。私はそれ以降、健康経営やウェルビーイング経営の研究にも携わっています。その研究成果は『ウェルビーイング経営の考え方と進め方』(労働新聞社)にまとめています。
健康経営は健康と生産性のジレンマを解消する
「健康経営」にはいくつかの定義がありますが、私が最も的を射ていると感じるのは、「Health and Productivity Management」という言葉です。つまり、健康経営の要点は「従業員の健康と企業の生産性のジレンマを解消し、両者の間にシナジーを生み出していくこと」なのです。
従業員の健康を重視しすぎると、企業の生産性が疎かになりかねません。それでは経営はうまくいかないでしょう。しかし、企業の生産性を追求しすぎると、今度は従業員のオーバーワークやバーンアウトが発生して、彼らの健康が損なわれ、かえって生産性を下げる可能性が高まります。従業員の健康と企業の生産性の間にはジレンマがあるのです。このジレンマをどうやったら解消できるのか。それが健康経営の眼目です。
「ウェルビーイング経営」の基本的な意味は健康経営と同じです。ただ、健康経営という言葉はどうしても病気でない状態を増やす取り組みと考えられがちです。そのため体調の悪くない従業員は、健康経営は自分と関係がないと思いがちなのです。また経営層からすると、健康経営はビジネスへのポジティブな効果が見えにくいところがあります。
そこで、私は「ウェルビーイング経営」と言い換えて、心身のポジティブな状態を作り出す側面をより強調するようにしたのです。従業員の健康を良好に保つことは、個人のモチベーションを向上させたり、職場の関係性を豊かにしたりして、最終的に生産性を高める効果があります。そうした側面に光を当て、経営層や現場の皆さんの理解を得ることをねらっています。ウェルビーイング経営の各種施策を導入していけば、健康と生産性のジレンマを解消していけるのです。
中小企業にとって健康経営には採用力を高める効果がある
しかし、ウェルビーイング経営や健康経営のポジティブな効果を科学的に実証するのは簡単ではありません。例えば、ウェルビーイング経営や健康経営によって、従業員の病気や医療費が減少したことを検証するには長い時間が必要です。健康経営関連でよく調査されているのが病欠率と生産率の低下ですが、これらの調査データもまだ十分には蓄積されていません。エンゲージメントはさまざまな要因に影響を受けるため、健康施策の効果だけを実証するのは至難の業です。科学的に証明できる要素は決して多くないのです。
ただ、多くの企業事例を見る限り、ウェルビーイング経営や健康経営は「従業員のモチベーションを高める効果がある」といえるでしょう。例えば、東京都の浅野製版所は100を超える健康施策を展開し、人が辞めない組織、会社に来ることが嫌ではない職場環境を築くことに成功しているといいます。
また、採用面でポジティブな効果が上がっている事例も多く見られます。特に知名度が高くない中小企業にとって、ウェルビーイング経営や健康経営は、採用時に高い効果を発揮するのです。愛知県瀬戸市の大橋運輸などが、健康経営を採用力強化につなげている会社として有名です。
援助要請しやすいかどうかが治療と就労の両立に直結する
治療と就労の両立は、ウェルビーイング経営の重要な論点の1つです。私が両立に最も必要だと考えるのは「援助要請しやすい組織風土」です。ここでいう援助要請とは、治療と就労を両立したいメンバーが、上司・人事などに対して必要な配慮を求める行動のことです。援助要請のしやすさが、治療と就労を両立できるかどうかに直結するのです。
この点で、私は「プレゼンティーイズム(従業員が心身の不調を抱えながら仕事をしている状態)風土」の研究に注目しています。従業員が病気になっても出社するような援助要請しにくい組織風土のことです。この風土を形づくる3大要因は、「同僚との激しい競争」「長時間働く人を偉いとみなす職場の空気」「病欠が嘘だと疑われがちな人間関係」だといわれます。昭和の頃は、日本にも3要因が蔓延する企業が数多くありました。現在は3要因が目立つ会社はさすがに減りましたが、完全になくなったわけではありません。治療と就労の両立を当たり前にするためには、プレゼンティーイズム風土を解消することが肝要です。
メンバーの援助要請を促すインクルーシブ・リーダーシップ
援助要請しやすい組織風土を醸成するポイントは、プレゼンティーイズム風土の反対を目指すことです。そのために欠かせないのが、ウェルビーイング経営を促す各種人事制度と、インクルーシブ・リーダーシップです。
「インクルーシブ・リーダーシップ」とは、メンバー全員が組織への所属感や帰属意識をもつことと、全員が自分らしさや長所を発揮することの両方を実現するリーダーシップのことです。インクルーシブ・リーダーは、声を上げにくいメンバーの意見も積極的に引き出し、チームの心理的安全性を高めていきます。治療と就労の両立を目指す人が援助要請しやすくなるのです。
インクルーシブ・リーダーシップは、後天的に身につけられるといわれています。ただそのためには、「多様性を肯定的に捉えること」「多様な意見がチームの成果を高めることを理解すること」「自らのアンコンシャスバイアスに気づき、ステレオタイプで安易に判断することをやめること」の3点を特に学ぶ必要があります。
正直なところ、ウェルビーイング経営は研究も現場での実践も道半ばです。例えば、企業が治療と就労を両立する個人に対して、どのくらい援助するのが妥当なのか、答えは見つかっていません。インクルーシブ・リーダーシップは大事ですが、一方でマネジメントの負担を減らす必要もあります。解決すべきことは数多くあるのです。ただ、これからの企業にとって、ウェルビーイング経営が欠かせないこともまた確かでしょう。
【text:米川 青馬 photo:平山 諭】
※本稿は、弊社機関誌 RMS Message vol.75 特集1「ワークヘルスバランス─治療しながら働く」より抜粋・一部修正したものです。
本特集の関連記事や、RMS Messageのバックナンバーはこちら。
※記事の内容および所属等は取材時点のものとなります。
PROFILE
森永 雄太(もりなが ゆうた)氏
上智大学 経済学部 経営学科 教授
神戸大学大学院博士後期課程修了。武蔵大学経済学部教授などを経て、2023年より現職。『ウェルビーイング経営の考え方と進め方』(単著・労働新聞社)、『ジョブ・クラフティングのマネジメント』(単著・千倉書房)など著書多数。
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