インタビュー
東京大学大学院 高橋美保氏
ライフキャリア・レジリエンスで不安定な社会を生きる
- 公開日:2024/09/13
- 更新日:2024/09/13
高橋美保氏は、失業者や働く人への心理的援助、ライフキャリア支援を行う臨床心理士であり、失業者を対象とする研究、非正規就労やワークライフバランスに関する研究などを行う研究者でもある。思うように働くことができなくなった個人の心理的側面について伺った。
- 目次
- 思うように生きられない人が生き抜くために必要な力
- 現実受容にはネガティブ感情の存在を認めることが欠かせない
- 多面的生活と長期的展望で視点をずらすのが効果的
- ライフキャリア・レジリエンスは誰にも備わっている力
- たまに立ち止まって考える「人生の踊り場」が必要では
思うように生きられない人が生き抜くために必要な力
私は現役の臨床心理士としても研究者としても教育者としても、「思うように生きられないこと」に着目しています。多くの人が、思うように生きられない生きづらさを経験すると思います。そんな生きづらさがありながらも、個々人が主体性をもって自分らしい「ライフキャリア」を築けるようにしたいのです。そして、さまざまな弱さや強みをもつ個々人が共生できるコミュニティを作ることができればと考えています。
思うように生きられないことには、多種多様なケースがあります。何らかの理由で離職や失業をした人たちもいれば、体調を崩したりして今の仕事を辞めたいにもかかわらず、辞められずに働き続けている人たちもいます。
ただ、そのような状態には3つの共通点があります。それは、「ライフキャリア上、自分が望んでいなかった状態になっていること」「そのような状態に陥ることを想定していなかったこと」「自分の力だけではその状態に抗えないこと」の3つです。そのために混乱したり、自分は無力だと感じたり、現状に適応できなかったりするのが普通です。
さらに、自身が病気になったり障害者になったりした場合には、命がどこまで続くのか、以前と同じように働けるのか、将来を描けるのかという3つの問題が同時に浮上してきます。実際の生命、職業生活、人生の3つのライフすべてにおいて、展望を失ってしまう傾向があるのです。
私は、こうした人たちの心理的援助やライフキャリア支援、研究を続けてきました。その一環として、彼らが生き抜くために必要な力である「ライフキャリア・レジリエンス」の概念を提唱し、臨床の場で実践的に活用しています。
現実受容にはネガティブ感情の存在を認めることが欠かせない
ライフキャリア・レジリエンスとは、「不安定な社会のなかで自らのライフキャリアを築き続ける力」のことです。現代社会は不安定で、誰がいつどのような状態に陥るか分かりません。私たちは誰しも、ライフキャリアの大変化や危機を繰り返し迎える可能性があります。ですから、ライフキャリア・レジリエンスは今思うように生きられない人たちだけでなく、私たち全員に必要な力です。
ライフキャリア・レジリエンスには、「長期的展望」「多面的生活」「継続的対処」「楽観的思考」「現実受容」の5つの要素があります。
5つのなかで、私が最も大事だと考えているのは「現実受容」です。なぜなら、思うように生きられなくなった現実を受け止めることがライフキャリアの回復に向けた第一歩だからです。それにもかかわらず、現実受容が最も難しいのです。
私はこれまで、病気・障害・失業など何か思いがけないことが起きて、思うように仕事ができなくなったり、生きられなくなったりした人たちのカウンセリングを数えきれないほど行ってきました。彼らの多くは、頭では、比較的早く何が起こったのかを理解して、次に向かおうとします。ところが、頭で理解しただけの人たちは、そのうち体調を崩したり、アルコールを飲みすぎるなどの問題行動に走ったりしてしまうことが本当に多いのです。このことを「身体化」や「行動化」といいます。
なぜ身体化や行動化が起こるかというと、心がついてきていないからです。病気になったやるせなさ、リストラに遭った怒りや恨みなどの感情に蓋をしているから、身体や行動に悪影響が出てしまうのです。つまり、頭で理解しただけでは、現実を受容したことにはならないのです。
現実を受容するためには、たとえ頭で理解したように思ったとしても、心の奥にある自分の感情や心の声をしっかりと受け止める必要があります。現実受容は、「頭→体→心」の順番で進めるのが自然な流れです。
もっと詳しくいえば、感情面で現実を受け止める際、最初に表出するのは怒りであっても、怒りを受け止めるだけでは不十分です。なぜなら怒りは二次感情であり、その裏には、悲しみ、悔しさ、苦しみ、不安、恐怖、困惑、後悔などの一次感情が必ず隠れているからです。自らの一次感情まで見つめて、そのネガティブな感情の存在を認めることが、現実受容に欠かせないのです。自分のネガティブな感情を認めることができれば、次第にその感情と間(Space)がとれて、それを手放せるようになっていきます。悪いことが起きた当初の圧倒される感覚や無力感が薄まって、自分はその体験にどう向き合うかを考え始めるのです。ここではマインドフルネスが役に立ちます。
多面的生活と長期的展望で視点をずらすのが効果的
現実受容が進んだら、次に多面的生活と長期的展望に注目します。この2つには、「視点をずらす」という共通点があります。
私たちは、思うように生きられなくなると、近視眼的な視野狭窄に陥りがちです。どうしても目の前のネガティブな現象にばかり目が行ってしまうのです。だからこそ、認知的なとらわれに対して適切な距離を置くために、多面的生活や長期的展望によって視点をずらし、ものの見方を広げることが効果的です。
「多面的生活」とは、仕事以外の趣味や活動にも積極的に取り組むことです。この取り組みは日常のささやかなことでかまいません。仕事以外のことで自分らしい部分を探していくのです。
「長期的展望」とは、長期的視野をもって、今できることを積極的に行うことです。こちらは時間軸を広げて、視野をずらす力です。
私がライフキャリア・レジリエンスを高めるプログラムで行っているワークでは、長期的展望を考えてもらうとき、日本庭園の写真をよく使います。日本庭園は、もともとの地形や植生を生かし、周囲を借景として利用しながら設計していくものです。しかし、庭園は完成後にも変化します。木が枯れる、隣にビルが建つなどのさまざまなことが起こり得ます。日本庭園のこうした様子が、人生に似ているのです。私たちは自らが生まれながらにもつ特性を生かしながら、自分なりの展望を抱いて人生を歩みます。計画的に進むこともあれば、偶然の出会いからうまくいくこともあるでしょう。一方で、思うように生きられなくなることもあるわけです。こういう視点から、自分自身が生きてきた人生を振り返ると、少し前向きになり、長い目で物事を考えられるようになっていくのです。
ライフキャリア・レジリエンスは誰にも備わっている力
ここまで来たら、楽観的思考と継続的対処の力を使って対応するステップに進みます。
「楽観的思考」は、やはり生きていく上で必要なのです。私がワークで楽観的思考を促すときは、自分が過去にどうやって苦難を乗り越えてきたかを思い出してもらうようにしています。困ったときは誰かに相談する人もいれば、困ったときこそ1人で冷静に考える人もいます。現在の苦境も、以前と同じように自分らしい方法で乗り越えていけばよいのだと思えたら、少しは楽観性を取り戻せるようになります。
「継続的対処」とは、これまでの4つの力、現実受容と多面的生活と長期的展望と楽観的思考を継続的に使えるようにすることです。これらを自分なりに意識して使いこなせるようにトレーニングしていくのです。そうすると、ライフキャリアを築き続ける力を磨くことができます。また次に何か起こったとき、自分でより早くショックから立ち直れるようになるでしょう。
レジリエンスを心理的特性や状態という視点から捉える研究もありますが、ここでは成長や発達という視点からレジリエンスを能力として捉えています。ライフキャリア・レジリエンスは、本来は誰もが備えていて、高めていける力です。しかし、レジリエンスは自覚的に使える状態にしておかなければ、あまり役に立ちません。ですから、私はその人のなかにある力を耕し、引き出すことをいつも心がけています。ライフキャリア・レジリエンスを高めるときのポイントは、自分の力を思い出してもらい、それを自分で使える道具として磨いていってもらうことなのです。
たまに立ち止まって考える「人生の踊り場」が必要では
先ほども触れましたが、ライフキャリア・レジリエンスは、思うように生きられなくなった人だけでなく、私たち全員に必要な力です。
私はこれまで、忙しい最中に立ち止まりたくなる瞬間が何度もありました。もちろん、一心不乱に集中して取り組む時間はかけがえのないものです。しかし一方で、ずっと走り続けるのは危ないこともあります。なぜなら、忙しいときには、主体性を失っている可能性もあるからです。
そんなときには、たとえ思うように生きられているときであっても、時々立ち止まって、人生を振り返ったり、今のままでよいかどうかを考えたり、今後のライフキャリアについて想いを巡らしたりする時間をもった方がよいと思います。だって、誰がいつどうなるか分からないのですから。
私は、このように立ち止まって考える時間を「人生の踊り場」と呼んでいます。人生の踊り場でゆっくり内省する時間をもつと、自分が本当に大切にしたかったことを思い出して、新たな一歩を踏み出したくなるかもしれません。あるいは今後思うように生きられなくなったときの予防ができるかもしれません。自分の主体性を取り戻して、今の仕事に改めて励むことができるかもしれません。たまには、人生の踊り場を迎えてみることをお薦めします。そして、組織やコミュニティには、それを受け入れるような土壌ができると嬉しいと思っています。
【text:米川 青馬 photo:平山 諭】
※本稿は、弊社機関誌 RMS Message vol.75 特集1「ワークヘルスバランス─治療しながら働く」より抜粋・一部修正したものです。
本特集の関連記事や、RMS Messageのバックナンバーはこちら。
※記事の内容および所属等は取材時点のものとなります。
PROFILE
高橋 美保(たかはし みほ)氏
東京大学大学院 教育学研究科 教授
民間企業勤務を経て、1999年慶應義塾大学大学院修士課程修了。臨床心理士として病院、企業、大学などに勤務。2008年東京大学大学院博士課程修了。東京大学大学院専任講師を経て、2017年より現職。『心理職の学びとライフキャリア』(単著・東京大学出版会)など著書多数。
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