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インタビュー

社会を変えるリーダー

日本バドミントン協会 代表理事 会長 村井満氏

  • 公開日:2024/05/07
  • 更新日:2024/05/18
日本バドミントン協会 代表理事 会長 村井満氏

ひと頃、プロ経営者という言葉が流行ったことがあった。業種をまたいで、複数の組織を渡り歩き、経営の舵とりができる人のことである。今回、登場する村井満氏もそんなプロ経営者の1人だ。民間企業のトップからJリーグ(公益社団法人日本プロサッカーリーグ)のトップへ、そして、公益財団法人日本バドミントン協会のトップへ。どんな経歴が村井氏をここに導いたのだろうか。

目次
自分がそうだから緊張している学生はすぐ分かる
認知度アップのために社名を変更
お詫び会見から始まった全試合のネット配信

自分がそうだから緊張している学生はすぐ分かる

2024年にはプロサッカーリーグのJリーグが開幕し、31年を迎える。これまで6名のチェアマンが経営にあたったが、その意外性から最も世間の注目を集めたのは、2014年1月に就任した5代目の村井満氏だろう。プロ選手としてはもちろん、監督やコーチの経験はない、Jリーグや日本サッカー協会で常勤として働いたこともなく、サッカー素人と呼ぶにふさわしい人がトップに就いたのだ。その歩みを振り返ってみたい。

早稲田大学出身。学生時代は勉学よりも早稲田精神昂揚会という男ばかりのサークルの活動に力を入れた。本人が振り返る。「僕は人と群れるのが苦手で、しかも人とは違う方向を目指すタイプ。テニスやヨットなど、明るく楽しそうな人気のスポーツサークルには足が向かなかった」

同会は国内外を歩いて旅することを目的にしており、村井氏も中国徒歩旅行を志した。当時は1980年代前半で、中国は治安当局の目が厳しく、当初の計画は縮小されたが、それでも山東省の青島から孔子の生誕地、曲阜まで600キロある行程を約1カ月で踏破することができた。

就職先は大手情報会社を選んだ。先輩の下宿に無料で就職情報誌を届けてくれる会社があると感激し、中国徒歩旅行の資金集めのため、すでに同社を訪問していた。「他がやらないことをやる面白そうな会社、というイメージがありました」

配属は営業だった。「僕は人前で話すのが苦手で、すぐ緊張するタイプ。初日、『新人歓迎会をやるから、お前が司会をやって場を盛り上げてくれ』と先輩から言われ、ああ無理だ、この会社は、とその日に辞めようと思ったくらいです」

次第に営業の仕事の面白さに目覚め、1988年、マネジャーに昇格する。翌1989年、部門の人事に異動、1990年には全社を統括する人事部長になった。

「自分がそうですから、採用の最終面接で目の前の学生が緊張しているとすぐに分かります。その場合、その学生を社外に連れ出し、1時間くらい街を歩くんです。何てことはない話をしているうち、緊張で凝り固まった学生が優秀でいい人に思えて、全員採用にしてしまうんです(笑)」

認知度アップのために社名を変更

2004年3月、関連会社の人材紹介会社に社長として移ると、ある決断をした。エージェントという単語が入った社名に変えたのだ。「元の名前に愛着をもっている社員や役員が多かった。先輩含め、たくさんの人が去っていき、大きな孤立感を味わいました」

では後悔したかといえばそうではない。「世間の多くがわれわれを人材派遣会社と勘違いしていました。しかも、われわれは市場シェアの半分以上を占める業界トップでした。トップ企業は、自社の経営より、もう一段高い視座をもち、業界を牽引し、業界認知度を上げる責任がある。そのために大切なのが社名です。元の社名は自分たちが何者なのかを、よく表していませんでした。僕はスポーツ好きで、その世界では選手の移籍には必ずエージェント(代理人)がつく。そこでその名前にしたのです。改名前に転職エージェントと検索すると2件しかヒットしませんでしたが、変更後1年で検索ヒット数は200万件を超えました」

2014年1月、Jリーグの5代目のチェアマンに就任する。それまでは月に1回、Jリーグの理事会に出席する非常勤の外部理事だったが、前任のチェアマンに忘年会の席で打診されたのだ。

新チェアマンになり初めてのリーグ戦が開幕して1週間ばかりの3月8日のこと、浦和レッズ対サガン鳥栖の試合会場で、浦和の一部サポーターが「Japanese Only」という垂れ幕を試合会場に出した。明らかに人種差別的な内容である。

その5日後、村井氏は浦和レッズの次のホームゲーム(対清水エスパルス戦)を無観客試合とする裁定を発表する。プロスポーツの無観客試合は国内初だった。この裁定に際し、主に清水側に立った批判がJリーグに山のように押し寄せた。(浦和に行くための)新幹線のチケットもとったし、宿も押さえたのに、なぜ何も悪くない清水のファンを排除するのかと。「抗議の投書にすべて目を通すと、心が折れました。俺、何やっちゃったんだろうと。一方でこう考え直しました。これはJリーグだけの問題ではない。日本の問題だ。無観客試合にすることで『人種差別は許されない』というメッセージを日本中に知らしめることが大切なんだと」

チェアマン就任早々に取り組んだのは、全国のクラブを訪問、スタジアムで試合を観戦し、サポーターが集う飲み屋で飲み、市役所、県庁、商工会議所を訪ねることだった。すべてのクラブを回るには半年かかったが、見えてきたものがあった。

「クラブには高度な力をもったデジタルエンジニアが少ない。Jリーグで一括してそうしたエンジニアの採用ができないかと思ったのです。その提案をクラブにしてみたところ、ほぼ全会一致で賛同を得ることができた。これがJリーグデジタル化の最初の一歩となりました。これこそ、足を使ったからこそできた。東京のオフィスに閉じこもっていたら、できない提案だったでしょう」

お詫び会見から始まった全試合のネット配信

デジタル化の最たるものとして、2016年7月、スポーツのライブストリーミングサービスDAZN(ダゾーン)と契約、世界のサッカーリーグに先駆け、公式戦全試合のネット配信を実現する。翌2017年から10年間で2100億円という日本のスポーツ団体最高の契約規模も話題となった。

ところが、2017年2月26日に始まった初放映試合で画面がまったく映らないというトラブルが発生してしまう。

Jリーグ内で、村井氏が常日頃から口にしていた言葉が「天日干し経営」である。関係者の視線がいつも降り注ぎ、上下の忖度なく自由に物が言え、常にオープンで、隠しごとのない経営を指す。「魚と組織は天日にさらすと日持ちが良くなる」ともいい、村井氏オリジナルの言葉だ。

トラブルが起こったときこそ、まさに天日干しの真価が問われる。「DAZNのCEOと共に、お詫び会見をしました。問題から絶対に逃げないこと、何が原因で、どこまで究明できているか、すべてを天下にさらし、つまびらかにすることを覚悟しました」

天日干しの対象は、選手の試合データにも及ぶ。そこからこんなことが分かってくる。Jリーグのショートパスの速度は、スペインの名門レアル・マドリードのそれに比べ、秒速1メートルも遅い、Jリーグのコーナーキックに要した時間は、2014FIFAサッカーワールドカップのそれに比して、4秒も遅い……等々。村井氏はそれまでに、「笛が鳴るまで全力プレー」「リスタートを早く」「選手交代などの際の見苦しい時間の使い方はやめる」という「チェアマン3つの約束」を発していたが、その現場への浸透度もこうしたデータの公開があればこそ、といえるだろう。

2020年1月から始まったコロナ禍では国内の感染者がたった1名の1月22日の時点で、各クラブの社長に新型肺炎に関する情報窓口設置の要請を行った。続く27日にはJリーグの幹部あてに「スポーツ界で最も早く、警戒レベルを高める責任がある」と、すばやいコロナ対策を求めるメールを送った。

その年の第1節の試合は2月21日から23日にかけ行われていた。翌24日に全クラブの社長を集め、第1節の反省会を開く。大きな問題もなかったので、第2節に向かうことを全会一致で決めた。「その夜のことです。政府の専門家会議がこれから1~2週間が急速に感染が進むか、収束するかの瀬戸際になる、とコメントしたのです。私はその『瀬戸際』という言葉が頭を離れませんでした」

村井氏は翌25日、クラブの社長に緊急招集をかけ、試合開催についての議論を重ね、最終的にコロナを理由とした試合の開催延期を決断する。「裁定には賛否両論ありましたが、政府が大規模イベントの自粛要請を発したのは翌26日で、27日には全国の学校に一斉臨時休校の要請も発出されました。無観客試合もそうですが、このように、範とすべき前例も指示もないなかで、自ら意思決定していく際に頼りになるのが、自分たちが社会を先導していくという覚悟だと思います」

村井氏がキャリアを積む上で大切にしてきたのは「緊張する方を選ぶ」ことだ。「人前でのスピーチもそうですが、特に20代は緊張して物事から逃げたことがたくさんあり自己嫌悪に陥っていました。それを逐一記録する緊張ノートをつけており、読み返すと、自分はできるかできないかというギリギリのときに緊張することが分かった。緊張が大きくなることを成長というのです。こんなことで緊張してどうする、というのは間違いで、それを乗り越えたら、その人はもっと大きな物事に立ち向かえるようになるんです」

2023年6月、請われて日本バドミントン協会の会長に就任した。「これも緊張する方を選んだ結果です。ここでも天日干し経営を貫く覚悟です」

【text:荻野 進介 photo:山崎 祥和】

※本稿は、弊社機関誌 RMS Message vol.73 連載「Message from TOP 社会を変えるリーダー」より転載・一部修正したものである。
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※記事の内容および所属等は取材時点のものとなります。

PROFILE
村井 満(むらい みつる)氏
公益財団法人 日本バドミントン協会 代表理事 会長

1959年生まれ。1983年早稲田大学法学部卒業後、日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス)に入社し営業部に配属。2000年同社執行役員(人事担当)、2004年リクルートエイブリック(現リクルート)代表取締役社長、2011年RGF Hong Kong Limited取締役社長、2014年Jリーグチェアマン。2023年6月より現職。

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