- 公開日:2023/07/24
- 更新日:2024/05/16
「大人の学び」を理解する上で、「成人教育」という学問領域がある。成人教育学の観点からは、リスキリングや企業内教育はどう見えているのだろうか。成人教育学の専門家で、企業人事の経験もある東洋大学 文学部 教育学科 准教授 堀本麻由子氏にお話を伺った。
成人教育では本人が主体的に学ぶ意欲をもつまで待つ
私は成人教育や生涯学習を専門としていますが、成人教育は、リスキリングや企業内教育とは異なるスタンスを取っています。その違いが分かるエピソードを1つ紹介します。
10年ほど前、アメリカの成人教育の専門家にインタビューする機会がありました。彼女はあるとき、企業研修のファシリテーションを務めたのですが、その場で受講者の1人が延々と話し続けたのだそうです。彼女はその語りを止めずに見守りました。そうしたら、終了後に企業担当者から「なぜ彼の話を終わらせて、プログラムを進めなかったのだ」と批判されたといいます。
成人教育の専門家の多くは、こうした場面では相手の話を途中で止めません。しかし、人事の皆さんは、ほとんどの方がファシリテーターに話を止めてほしいと思うはずです。なぜこのような違いが生じるのでしょうか。
成人教育理論(アンドラゴジー)では、学習は学習者本人が主体的に行うものだ、と考えます。何を学ぶのか。なぜ学ぶのか。どのような方法で学ぶのか。学ぶことでどういった方向を目指すのか。すべて学習者が決めることであり、教える側はあくまでも学習者の学びを援助する存在だという考えが、成人教育の理論的背景にあります。
ですから、成人教育では、本人が主体的に学ぶ意欲をもつまで待ちます。最も大事なのは本人の学ぶ意欲であり、学びへの意欲を高めることを支援するというのが、成人教育の考え方なのです。冒頭のシーンに遭遇したときも、成人教育の専門家は、学習者の主体性を奪うことはしない、話す必要があるのなら支援する、と考えるわけです。
しかし、企業内教育では、そういうわけにはいかないでしょう。企業が従業員に身につけてほしいことがあり、そのための学習機会を提供するのが企業内教育です。冒頭の話し続ける人は企業が求める学習の妨げになっているわけですから、話を止めるのが企業内教育の基本姿勢でしょう。
この意味では、成人教育と企業内教育の間には大きな溝があります。
社会全体で「大人の学びの場」を構築することに興味がある
成人教育の立場から話してきましたが、私も、約20年以上前にある企業で人材開発に携わった経験があり、「忙しいのに、なぜ研修など受けなくてはならないのだ」などと従業員が嫌々学ぶ様子を見てきました。せっかく研修に時間を費やすのなら、実りある時間にできないかと思ったことが、成人教育学の研究を始めたきっかけでした。
リスキリングや企業内教育において、従業員が自ら学ぶ意欲をもつことは簡単ではないでしょう。多くの場合、企業主導のニーズと従業員の生涯にわたる成長につながる個人のニーズとの間にギャップがあるわけで、主体的に学ぶことはかなり難しいと思われます。そこに企業内教育やリスキリングのポイントがあると感じています。
私の研究上の課題の1つは、大学の成人教育と企業内教育をどのように連携していくか、ということです。もっと大きくいえば、大学と企業だけでなく、社会全体で「大人の学びの場」をどのように構築していくかに興味があります。
なぜなら、日本でも終身雇用制度がなくなりつつあり、企業が新卒入社から定年まで、責任をもって従業員の面倒を見られなくなったからです。人生100年時代も近づいています。その上リモートワークが進み、組織ぐるみで部下を教えることに限界が出てきました。大人の学びは、企業内教育だけでは不十分であるといえます。こうした現状で、働く大人たちが広く平等に学ぶ機会を得るためには、社会全体が学びの場を用意することが欠かせません。
しかし、現状はそれほどうまくいっていないようです。例えば、日本の社会人大学院は、まだ欧米のようには機能していません。今後、産学官が連携して、職業教育や成人教育の機会をもっと多様に用意する必要があります。
「雰囲気づくり」をして学習意欲向上を待つのが近道だ
以上の話を踏まえた上で、成人教育の立場からリスキリングや企業内教育に対して、いくつかの視点を提供したいと思います。
第一に、今の日本企業に必要なのは、「教える-教えられる関係を壊す」ことではないでしょうか。成人教育論では、学習者と教育者は本質的には対等であり、両者は時によって入れ替わり可能だと考えます。学習者が教育者から学ぶ一方で、教育者も学習者から学ぶことがある、というのが成人教育の見方なのです。実際、教育者が学習者から学べることは数多くあります。
企業ではどうしても、上司や先輩が教え、部下が学ぶ関係になりがちです。しかし、その固定的な関係を続ける限り、管理職の負担は増えるばかりです。それに現代は上司や組織が正解を知っているわけではありません。もしかしたら若手従業員の方が正解に近く、変化やイノベーションを生み出せるかもしれないのです。それなら、教える-教えられる関係を壊し、全員で学び合った方が意味があるのではないでしょうか。
第二に、従業員の主体的な学習意欲が高まらなくて困っている人事の皆さんには、「雰囲気づくり」に取り組むことをお勧めします。
成人教育では、雰囲気づくりを重視します。場の雰囲気を変えることは、主体性を高める上で効果があるのです。例えば職場内に、若手が気軽に相談しやすい雰囲気、一緒に学び合う雰囲気、研修メニューにアクセスしやすい雰囲気を醸成するとよいでしょう。また、失敗を責めないようにして、果敢にチャレンジしやすい雰囲気を作ることも大切です。雰囲気づくりをして、一人ひとりの学習意欲が高まるのを気長に待つのが、成人教育のやり方です。企業の現場で、個人が主体的に学ぼうとするのを待つのはとても難しいことですが、それでも学習者主体の環境づくりを考えることが大事ではないか、と思うのです。
【text:米川 青馬 photo:平山 諭】
※本稿は、弊社機関誌 RMS Message vol.70 特集2「変化の時代に求められるリスキリング」より抜粋・一部修正したものです。
本特集の関連記事や、RMS Messageのバックナンバーはこちら。
※記事の内容および所属等は取材時点のものとなります。
PROFILE
堀本 麻由子(ほりもと まゆこ)氏
東洋大学 文学部 教育学科 准教授
IT系グローバル企業に勤務後、米ジョージ・ワシントン大学大学院修士課程修了。2012年お茶の水女子大学大学院博士後期課程単位取得退学。2015年より東海大学現代教養センター准教授。2020年より現職。専門は成人教育論・生涯学習論。著書に『Japanese Women in Leadership』(共編著・Palgrave Macmillan)などがある。
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