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インタビュー

青山学院大学大学院 須田 敏子氏

人的資本の構築戦略はSHRM研究に豊富に蓄積されている

  • 公開日:2023/09/15
  • 更新日:2024/05/16
人的資本の構築戦略はSHRM研究に豊富に蓄積されている

人的資本経営、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)、ジョブ型人事など、この数年で日本の人事を巡る状況は大きく変化している。その背景に何があるのか。SHRM(戦略人事)研究に詳しく、幅広いエビデンスを検討してきた須田敏子氏(青山学院大学大学院 国際マネジメント研究科 教授)に伺った。

資源ベース型戦略論では人事戦略が経営戦略をリードする
サステナビリティ重視の制度環境に適合するSHRMが台頭
背景にある環境を理解してこそ欧米企業の人事を参考にできる
人的資本経営を進めるためには人材流動性の向上が急務だ

資源ベース型戦略論では人事戦略が経営戦略をリードする

2022年の「人材版伊藤レポート2.0」によって人的資本経営が盛んに議論されるようになりました。しかし、学術界では1980年代から、SHRM(Strategic Human Resource Management:戦略人事)研究が行われており、人的資本経営を実現するための具体的な理論が多数蓄積されています。今、人事の皆さんが改めてSHRM研究を学ぶことは有益だろうと思います。

SHRM研究で1980年代によく議論されたのは、経営戦略と人事戦略の連動に関する具体的な方法を示した「マッチングモデル」です。経営戦略のタイプごとに、求められる役割行動や人事施策などの人事戦略が提示されました。ポーターの経営戦略の分類にマッチする人事戦略を論じた、シューラーとジャクソンの研究などが著名です。経営戦略が競争優位性の源泉であり、経営戦略に合わせて有効な人事戦略が決まる、と考えます。

1990年代に入ると、経営戦略論において「資源ベース型戦略論」が普及しました。資源ベース型戦略論では企業の内部資源が競争優位の源泉と考えます。「貴重で、稀少で、模倣困難で、代替となるものが存在しない組織の内部資源が競争優位の源泉である」としたのは、バーニーを代表とする「リソース・ベースド・ビュー(RBV)」です。RBVを皮切りに、野中郁次郎の知識創造企業、ティースらのダイナミック・ケーパビリティなど多様な資源ベース型戦略論が登場しました。

模倣困難な内部資源の代表格である人的資本が組織の重要な資源であるとの考えから、資源ベース型戦略論においては、人事戦略の重要性が高まります。SHRM研究においても、人的資本を形成する人事のプロセスをより重視する「資源ベース型SHRM」モデルが研究されるようになりました。人事戦略が経営戦略をリードし、人的資本の構築を通じて持続的競争優位を形成する人事のあり方への注目が強まったといえます。

サステナビリティ重視の制度環境に適合するSHRMが台頭

2000年代から、欧米では「制度理論型SHRM」が台頭してきました。制度理論型SHRMとは、国や業界ごとに異なる法律・慣習などの「制度環境」と適合した人事戦略を追求して、経済的利益を得ようとするモデルです。このとき重要なのは「制度環境は変えることもできる」ということです。

先駆的な例が、1990年代以降、ヨーロッパを中心に徐々に普及してきた「ESG投資」です。気候変動や労働者の人権などの社会課題に関する問題意識の高まりと共に、投資家グループや金融機関がESG(環境・社会・ガバナンスの頭文字)というサステナビリティ重視の制度環境を形成し、企業がそれに適合してきました。彼らのような「制度企業家」と呼ばれる制度環境を変えるよう働きかけるアクターの活動などによって、地球や社会が自ずとサステナブルになるような制度環境が構築され、多くの企業がその変化に従う戦略をとってきたのです。

ESGだけでなく、CSR、CSV、D&I、そして人的資本の開示なども、同様の現象と捉えることができます。例えば日本でも、有価証券報告書の記載事項として、従業員や管理職・役員における多様性の確保に向けた目標や方針と実施状況を公表することが求められています。そうやって企業や社会が変わるきっかけが作られてきたわけです。

特にヨーロッパの社会は、このような制度を活用した環境改善や行動変革を得意としてきました。例えば、私が留学したイギリスでは、1991年から「Investors in People」という独自の人材管理認証規格を制定しています。人材育成をしっかりと行っている証で、街なかを歩くと、ホテルやスーパーなどさまざまなところに「Investors in People」の認証シールが貼ってあります。働く場所として優れている証明になるからです。また、ISO(国際標準化機構)の本部はスイスにあります。このように、認証規格を活用して新たな制度環境を形成し、経営を変えていくのです。

日本は数年前まで、このような動きに乗り遅れていましたが、金融庁や経済産業省などの制度企業家の働きかけもあり、急速に進んできました。人事の皆さんは今、その劇的な変化を実感しているはずです。今後は日本でも、制度環境と対話する人事施策のあり方がより重視されるでしょう。SHRM研究を踏まえると、制度理論型のプロセスにより一度は人事施策の同型化が進むと考えられますが、その後、資源ベース型のプロセスにより各社の独自性が表れてくると予想されます。

背景にある環境を理解してこそ欧米企業の人事を参考にできる

私が今、日本の人事の皆さんに提案したいことがあります。より本質的なエビデンスに基づく経営を行うために、「欧米企業の人事の現実」をもっと深く知ってください。欧米企業の人事には参考になる点も多いのですが、日本ではその現実が理解されていないことが多いと感じるからです。

例えば、何年か前から「日本企業は能力開発費が欧米企業に比べて突出して少ない」と話題になっています。しかし実は、能力開発費の支出先がずいぶん違います。欧米企業のホワイトカラーはいくつかの実務団体や専門団体の会員になるのが普通で、それらに関わる費用は企業が能力開発費として支払っており、年間に100万円以上かかる例も少なくないのです。対する日本企業はこうしたことにあまりお金を使いません。

また、アメリカ企業は福利厚生が充実していないイメージがあるかもしれませんが、実態は逆で非常に充実しています。例えば、医療保険や生命保険などは基本的に会社持ちです。ポジションが上がれば上がるほど、福利厚生の条件はさらに良くなっていきます。

それから、多くの日本企業は年1回しか昇給しませんが、欧米のジョブ型・マーケット型人事では、ジョブディスクリプションが変わるたびに市場水準に合わせて昇給する可能性があります。年に3回、4回と昇給することも珍しくありません。日本企業もジョブ型・マーケット型人事に切り替えれば、昇給の仕組みが変わるはずです。すでに変わり始めている会社も見られます。

もう1つ、重要な例を挙げます。最近、アメリカ大手IT企業などの大量解雇がよくニュースになります。なぜかといえば、その企業が自社の大量解雇をPRしているからです。日本にいると理解しがたいかもしれませんが、アメリカ企業にとって人件費の削減は株価上昇の直接的要因なので、広くアピールしたいのです。それにアメリカは人材流動性が高いので、個人側も再就職にそれほど困りません。大量解雇は、日本人が感じるほど深刻なニュースではないのです。

欧米など他国で行われている人事のあり方を取り入れる際には、各国の常識を理解し、表面的に真似するのではなく、その背景にある意図をエビデンスとして取り入れることが大事です。

人的資本経営を進めるためには人材流動性の向上が急務だ

今後、日本企業が人的資本経営に舵を切る上で最大のポイントになるのは「人材流動性」でしょう。現在の日本の労働市場は人材流動性が低すぎます。その向上が急務です。

人材流動性が低いままでは、タレントマネジメントやサクセッションプランも十分に機能しません。選抜・転職・異動などは、社員が磨くべき能力を自覚したり、職場において自社の強みが言語化されたりする機会となります。人的資本経営のためには、そうした機会が多くあることが望ましいのです。また、職務の専門性が高まる現代では、マネジメントに時間をとられるライン管理職のキャリアはリスクでもあります。人材流動性が高く、選抜から漏れても転職しやすい社会なら、早期選抜が可能になり、管理職を目指すかどうかの意思確認もしやすくなります。

日本の人材流動性を高めるためには、採用を大きく変える必要があります。キャリア採用はもちろん、新卒採用でも一括採用から、ジョブ型・マーケット型の雇用への変更を検討する時期でしょう。新卒時から各ポジションに対する募集を行い、職務内容や人材要件を具体的に提示し、市場水準に合わせた年収を明記するのです。すでにそうした取り組みを始めている企業もあります。

そうすれば、大学生・大学院生は何を身につければよいかがはっきりし、大学側もそれに合わせて変わるはずです。欧米では、大学生活を多少伸ばして、留学、インターン、ボランティアなどの経験を積んでから就職するのがよいと考えます。「ギャップイヤー」はそのためにあるのです。新卒採用でまっさらな若者を集めることを考え直してはどうでしょうか。最近は希望職種を絞り込んで自ら学ぶ学生が増えており、多くの学生はこの変化にネガティブではないはずです。

ジョブ型・マーケット型人事が当たり前になって人材流動性が高まると、会社の風通しも良くなります。企業内での出世競争から、外部市場での能力競争に変わるからです。社内で争う必要がなくなるのです。社内評価の必要性も低くなり、ノーレーティングでも問題なくなるはずです。上司・人事とメンバーの面談では、評価よりも今後のキャリアや学びに関する話題が増え、お互いに話しやすくなるでしょう。人材流動性の向上には、実はこのように数多くのメリットがあります。

【text:米川 青馬 photo:平山 諭】

※本稿は、弊社機関誌 RMS Message vol.70 特集1「エビデンス・ベースドHRM─対話する人事」より抜粋・一部修正したものです。
本特集の関連記事や、RMS Messageのバックナンバーはこちら

※記事の内容および所属等は取材時点のものとなります。

PROFILE
須田 敏子(すだ としこ)氏
青山学院大学大学院 国際マネジメント研究科 教授

日本能率協会グループで月刊誌『人材教育』編集長などを歴任後、英リーズ大学大学院で修士号、バース大学大学院で博士号を取得。2005年より現職。専門は人材マネジメント、組織行動、国際比較など。『持続的成長をもたらす戦略人事』(共著書・経団連出版)など著書多数。

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