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公開日:2022/11/14
更新日:2022/11/14

THEME 経営人材/次世代リーダー

インタビュー社会を変えるリーダー

ヒューマン・ライツ・ウォッチ 日本代表 土井香苗氏

ヒューマン・ライツ・ウォッチ 日本代表 土井香苗氏

予想だにしなかったロシアによるウクライナ侵攻。
戦争という究極の人権侵害をメディアを通じて目の当たりにする日々が続く。
この人権侵害という問題は戦争においてのみ起こるわけではない。
アメリカに本部を置く、世界でも有名な人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチの日本代表、土井香苗氏に、その活動内容と自らのキャリアを語ってもらった。

「声」で人権を守るNGO ヒューマン・ライツ・ウォッチ



人権活動家といわれて大方の人が思い浮かべるのは、まなじりを決し、立て板に水の如く持論を展開するエネルギッシュな人物ではないだろうか。土井香苗氏はそれとはおよそ対極だ。内には強い闘志と正義感を秘めているに違いないが、外見はどちらかといえば華奢で、温雅な雰囲気が漂う。

土井氏が日本代表をつとめるヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は1978年、アメリカのニューヨークで設立された、約500名のスタッフを擁する世界最大規模の人権NGO(非政府組織)。世界中の人々の人権を守るため、人権状況を常に観察し、異常を見つけたら“声”を発する。1997年には対人地雷禁止条約の成立に対する貢献が認められ、他団体と共にノーベル平和賞を受賞した。

その活動は3段階に分かれている。人権が侵害されている状況を徹底して調べるのが第1段階。第2段階はそれを世間に広く知らせる。人権侵害に関する報告書を年間100冊ほど作成している。ここまではある意味、メディアや研究者と同じだが、HRWの真骨頂はここからだ。それらの事実をもとに、政治家や官僚などに働きかけ、制度の改善につながる提言までを行う。

虐待児童が被るもう1つの人権侵害



2014年、HRWが日本に関する初めての調査報告書を発表した。テーマは児童虐待。日本では虐待された子どもは大部分が児童養護施設や乳児院に保護されるが、それ自体が人権侵害、という主張が展開されている。「子どもは特定の大人のケアによって育てるべきで、そうした施設での集団養育は子どもの人権を無視している。国連が定めた子どもの権利条約にも記載されていることですが、衣食住の確保が優先され、日本では無視されてきた」

土井氏は報告書を手に国会議員や厚生労働省を何度も訪問し、法律の改正を訴えた。結果、2016年に児童福祉法の改正につながり、すべての子どもを養子縁組、里親を含む「家庭」で育てるという新しい「家庭養護原則」を謳う条文が新設された。

朗報は続く。今年の通常国会でも同法の改正が実現、新たな児童福祉施設として里親支援センターの創設が決まり、公費負担が法律で定められた。「子どもは、施設ではなく家庭で育てるもの。実親に代わって子どもを育てる里親を、『里親支援センター』がしっかり支援するという道筋ができた。里親委託が加速度的に増える素地になると思います。里親の当事者や仲間のNGO、ボランティアの人たちと毎月ミーティングを重ね、励まし合いながら、ようやくここまで来た。被害者は声が上げられない赤ちゃんで、しかも、施設の職員は自分たちがやっていることが人権侵害になるなんて夢にも考えていなかった難しい案件でしたので、感無量です」

土井氏がこうした人権問題に興味をもつきっかけになったのが、中学3年生のときに読んだ本だった。アジアやアフリカにある難民キャンプの実情を描いた犬養道子著『人間の大地』(中央公論社)である。「東西冷戦の時代で、そのしわ寄せが一番弱い人たちに及んでいるという背景も説明されており、こういう切実な問題にかかわる人になりたいと思った」

難民支援の仕事に就くため、国際関係論を学ぼうと、東京大学文科三類を志望するが、「女性が社会で生きていくには資格が必須。文系なら弁護士に」という母親の横やりが入り、泣く泣く志望を法学部に変えて文科一類を受験、合格する。入学したものの司法試験の勉強は気が進まない。おまけに母親とも対立し、妹と一緒に家出して二人暮らしまで敢行してしまうが、1996年、大学3年生のとき、一発で通った。「やらされ感満載の合格。弁護士はお金持ちのエリートという感じで、当時はその仕事にまったく魅力を感じなかった」

エリトリアでの法律ボランティア



“宿題”を果たした土井氏はアフリカの難民キャンプに行くという夢を叶えるため、長期の船旅による国際交流を目的とした民間団体、ピースボートにボランティアとして登録する。1時間働くと乗船料が1000円割引になるシステムに惹かれたのだ。このとき、ピースボートのメンバーに持ちかけた相談が土井氏を次のステージに引き上げた。「この人たちは世界の事情に詳しいに違いない。アフリカの最前線で人を助ける現場を見てみたいと相談したら、ピースボートの共同代表の1人が、独立したばかりのエリトリアという国が法整備を進めている。司法試験に受かっているなら、役に立てるかもしれないと言ってくれたんです」

渡りに船と、提案に乗ってみることに。が、日本からエリトリア政府に連絡してもつながらない。その共同代表は大胆な提案をしてきた。直接、現地で法務大臣に会ってお願いしてみようというのだ。そんなことが可能なのか、半信半疑のままピースボートに乗船して現地に着くと、法務大臣と本当に会えた。ボランティアとして働きたいという要望を伝えると、受け入れてくれた。「世界各国の法律をリサーチしてほしい」というのだ。

そこから1年間、首都アスマラにも滞在しながらリサーチの仕事に勤しむ。「その間、多くの日本人弁護士にお手伝いいただく機会があり、私の弁護士観が一変したのです。鼻持ちならないエリートではなく、弱い人や貧しい人の人権を守る活動をしている尊敬すべき人もいるのだと」

難民キャンプも訪れてみたが、そこも想像とは異なる世界だった。「援助する側の国連やNGOの職員は有刺鉄線で囲まれ、難民と隔絶された場所で生活しており、助ける側と助けられる側に大きな溝があった。難民たちの希望は一刻も早くキャンプを出て別の国に行くこと。ただし、枠は非常に限られており、それを決めるのも国連やNGOの職員で、厳然たる上下関係があった。難民たちと同じ目線の支援を考えていた私からすれば、これは私の就きたい仕事ではないと思いました」

かくして、土井氏は改めて弁護士になることを決意する。2年間の司法研修所での研修を経て、2000年に弁護士登録し、エリトリア時代に世話になった人権派弁護士の事務所に5年間勤務する。

その間、日本で難民申請をしたアフガニスタン人9人が東京入国管理局によって強制収容されてしまった事件に弁護団の一員として参加する。難民問題は日本でも発生していたのだ。「強制収容の無効を訴える、国を相手にした裁判は負けてしまいましたが、この経験は大きなものでした。一人ひとりの難民の弁護をしているだけではきりがない。難民発生の原因となる人権侵害を解決する活動がしたいと。そのためには国際人権法を学ぶ必要がありました」

日本政府を動かし問題を解決する



2005年、ニューヨーク大学の法科大学院に留学し、1年間、勉強漬けの毎日を送る。そこの授業で、以前から知っていたHRWの資料が使われており、その存在を改めて認識した。「事実を調べ、事実の力で政府を動かす、世界でも希有な政策提言型NGOだと。当時の私は日本で人権派弁護士として活動していくことに限界を感じており、こんな組織が日本にもあったらいいと思っていました。何しろ本部が同じニューヨークですから、ここで働きたいと思ったのです」

勤務先としてのHRWは人気が高く、インターンシップでも倍率100倍を超す難関だったが、アメリカのNGOで働く日本人に1年間の生活費を支給してくれる国際交流基金のプログラムに運良く選ばれた上に、HRWから採用OKが出て、フェローとして働けることになる。

ただ、仕事内容は予想外だった。「日本の外交を通じて世界の人権問題を解決する仕事をやってほしいと。世界中の人を助けたいと思っていたのは確かですが、日本人である私が自国の政府を動かして問題を解決するという発想は目から鱗でした」

1年間はあっという間に過ぎた。「すごい組織でした。同じような組織を日本で作るなんてとても無理、むしろHRWの東京オフィスを作りたいと思ったんです。その思いはトップの思惑とも一致し、それに向けて動き出しました」

最大の課題は資金集めだった。HRWは活動の中立性を保つため、政府からの補助金は一切受けない。だが、大学時代の友人の伝手で出会ったベンチャー経営者が寄付を了承してくれたばかりか、知人も巻き込み、支援の輪を広げてくれた。その経営者はこう言った。「自分がこの会社を立ち上げたとき、年配の経営者が多大な出資を約束してくれた。私もそうやって上の年代から受けた恩を、下の世代の人に返したいんです」と。

2009年に念願の東京オフィスがオープンし、現在は7名のスタッフが調査と寄付金集めに奔走している。「この仕事には無償で協力してくれるボランティアが不可欠です。制度や法律の改善につながったとしても、お金をもらえるわけではない。おまけに活動のほとんどはうまくいかない。大切にしているのは、私たちがやろうとしていることは実現可能だと一緒にやる仲間に信じてもらうこと、自分自身も希望を失わないことです」

日々ウォッチしないと消えてしまいそうな人権をこれからも守り抜く覚悟だ。

※2019年4月からは出入国在留管理局

【text:荻野 進介 photo:山崎 祥和】

 
※本稿は、弊社機関誌 RMS Message vol.67 連載「Message from TOP 社会を変えるリーダー」より転載・一部修正したものである。
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※記事の内容および所属等は取材時点のものとなります。


PROFILE
土井 香苗(どい かなえ)氏
ヒューマン・ライツ・ウォッチ 日本代表

1975年生まれ。1998年東京大学法学部卒業。2000年弁護士登録、東京駿河台法律事務所入所。2006年ニューヨーク大学ロースクール修士課程修了、ヒューマン・ライツ・ウォッチフェロー。2008年より現職。著書『巻き込む力』(小学館)。

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