岡山大学 副学長 中谷文美氏 「賃金労働」と「暮らし」どちらも等価に重視する社会へ

日本ではとかく経済的報酬を得る仕事とそうではない仕事を分けて考えることはないだろうか。しかし、国や地域によってはどちらも「生きていくために欠かせないもの」と捉え、同じように価値を置く考え方もある。文化人類学者で、オランダやインドネシアのバリ島で現地調査もしている中谷文美氏に話を伺った。


賃金労働を重視する価値観や働き方

「仕事(ワーク)」と「暮らし(ライフ)」を区別して考える習慣は、いつから始まったのでしょうか。実は、収入に直結する活動のみを「仕事」と捉え、重視する社会の在り方は近代的なものであり、現在でも、家事や育児、地域活動、友人との語らい、宗教的儀礼など、収入には直接結びつかなくても生活していくためには必要だと考えられるさまざまな活動を賃金労働と同じくらい、あるいはそれ以上に重視している国や地域は多くあります。また、労働と休息が一体化したり、連続していたりする社会も少なくありません。広く世界に目を転じれば、実は、私たちが今、当たり前だと考えている労働中心主義的な価値観や働き方は、必ずしも絶対的なものではないのです。

パートタイマーが多いオランダの事情

例えば、私たちにとっても身近な先進国の事例として、オランダを挙げます。オランダは、EUのなかでも女性の就業率が高い国として知られています。雇用就業者に占めるパートタイマーの比率も38.7%と高く、働く女性に限ると、実に6割強がパートタイム勤務です。男性のパートタイム勤務も広がりつつあり、1994年の11.3%から2013年には19.3%に拡大しました。

オランダもかつては専業主婦の比率が高く、結婚したら女性は家庭に入るのが当たり前と思われていた時代がありました。しかし、サービス産業が拡大していくと共に、人々の働き方や働く時間も多様化していき、さまざまな人たちがシフトを組みながら働く必要が出てきた。そうした社会・経済的要請に応えて女性たちがパートタイムに出るようになったというところまでは、日本とほぼ同じです。違うのは、それを政府と労働組合、雇用主3者が議論し、合意のもとでパートタイム勤務をきちんと正規労働のなかに位置づけたことでした。

同じ「パートタイム」という言葉を使っていても、日本とオランダではその位置づけがまったく違います。日本の場合、パートタイマーと言えば身分保障のない有期契約であり、非正規雇用に分類されます。これに対してオランダのパートタイマーはほとんどの場合は無期雇用で、単に働く時間が短いだけ。均等処遇原則に基づき、最低賃金や時間外手当、年次有給休暇、社会保障などあらゆる面でフルタイムと同じ権利が保障されています。日本で言うならば、正社員だけれども働く時間を限定した「短時間正社員」が最も近いイメージです。

オランダの場合、フルタイムで働く男性も育児の時間が必要な場合には、週に36時間労働というフルタイムの契約はそのままで、「育児時間」を確保できます。具体的には、1日当たり9時間働く分、勤務日を週4日に減らして、減らした1日を「育児時間」に充てる、といったことが可能です。圧縮して1日9時間労働×4日にしてしまうという発想は、残業が常態化している日本では驚きですが、オランダではむしろ、残業する人の方が稀です。

労働時間が短くても背負う責任は同じ

オランダを含むEU全体では、終業時間から次の日の始業時間まで「これだけの時間を休ませなさい」というインターバルも決まっており、オランダで働く人たちをインタビューすると、皆「長時間労働なんて効率が悪い。ちゃんと休んだ方がリフレッシュできる」と言います。

労働時間が短くても背負う責任は同じですから、その分、労働生産性も高い。オランダの人たちはとにかく「自分たちはメリハリのある働き方をしている」と言いますし、パートタイマーも「私たちはフルタイムの人たちのようにコーヒーを飲んだり、ゆったりタバコを吸ったりする暇はない」と主張します。フルタイム勤務の人たちよりも、むしろ、自分たちの方が効率的な働き方をしているという自負もあるようです。

オランダの場合、夫婦が共にフルタイムという場合でも、保育園に預けるのはせいぜい週に3日。「週5日も子どもを家庭の外のケアに委ねることは子どもにとって負担が大きすぎる」という考え方をする人がほとんどです。なぜかといえば、経済的報酬を得るために外で働くことも大事だけれども、同じように家庭で育児をすることも大切だ、と考える人が多いから。つまり、彼らは賃金労働を得ることも大事だけれども、それと同じように子どもを家庭で育てることも大事だと考えているわけです。

労働の価値と家事・育児の価値は等価。家事・育児が大事だから女性は家庭を守るべきだと言うのであれば後退ですが、オランダでは、そのために男性も女性も賃金労働を抑制し、自分たちにとって必要な「暮らし」を維持するための時間を確保しようとした結果、パートタイム就労者の均等処遇が可能になったのだと思います。

「儀礼」を重んじるバリ島のような社会も

賃金労働以外を丸ごと軽視しているのが今の日本だとすれば、賃金労働も大事だけれども、それ以外の家事・育児も同じように価値あるものと捉え、その両方を大切にした働き方を実現しているオランダ。これに対し、インドネシアのバリ島に暮らすヒンドゥー教徒の間では、ある意味、宗教的な「儀礼」が賃金労働よりも重んじられています。村の人たちは、儀礼に出席するために休みをとるのが当たり前。儀礼を欠くと災いが起こると彼らは信じていますので、都市部に出て働く場合でも、故郷での儀礼に参加しやすくするため、比較的、時間の自由が利くような仕事を選びます。どこで何をして、どれくらい働くかということが、すべて儀礼との兼ね合いで決まってくるわけです。

地域におけるコミュニティ活動や祭祀を大事にする考え方は、かつての日本にもありました。しかし、近代化の過程でそれがだんだんと削ぎ落とされ、賃金労働中心の価値観に染まっていった。長時間労働を是正する上で必要なのは、そうした賃金労働に寄りすぎた価値観の軸足を、少しずらすことだと思います。

必要なのは「仕事」と「暮らし」を分けて考えるのではなく、トータルなものとして見る視点でしょう。すでに家事・育児で目一杯の女性に対し、その水準を落とさずに男性と同じように働きなさいと言っても無理。それではあまりにハードルが高すぎて、尻込みする女性が多くなってしまいます。

そうではなく、家庭で過ごす時間を大事にしたり、友人と語り合ったり、地域の行事に参加したりすることは、男性にとっても必要なことだという社会的合意を形成すること。男性も女性もトータルで生活を考え、カップル単位で家事・育児に関わる時間を増やしていく。そのために、賃金労働を抑制できるような環境を作っていくことが大事だと思います。

【text :曲沼美恵】

※本稿は、弊社機関誌 RMS Message vol.46 特集1「長時間労働」より抜粋・一部修正したものです。
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※記事の内容および所属等は取材時点のものとなります。

PROFILE
中谷文美(なかたにあやみ)氏
岡山大学 副学長
岡山大学大学院 社会文化科学研究科 教授

上智大学外国語学部卒業後、(財)京葉教育文化センター勤務を経て、オックスフォード大学大学院博士課程修了。社会人類学博士。近著に『オランダ流ワーク・ライフ・バランス』(世界思想社)、『仕事の人類学』(共編著、世界思想社)。

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