慶應義塾大学 中室牧子氏 日本の教育には科学的根拠が必要

“教育”は、誰もが親や先生から受けてきた経験があり、自分が教える側に立った経験をもつ人も多い。それだけに、個々の経験に基づいたさまざまな持論が展開される領域である。そんななか、教育のあり方は、より科学的な根拠に基づいて議論されるべきだとする慶應義塾大学の中室牧子氏に、連載でお話を伺っていきたい。
第1回は、現状への問題意識と、教育経済学が目指すことについて述べていただく。


経験に基づく議論からデータに基づく議論へ

私の専門は教育経済学という。これは、経済学の理論と実証的な手法を用いて「教育」という対象を分析することを目的にした応用経済学の一分野である。おそらくほとんどの人が耳にしたことがないであろう教育経済学は、まだまだマイナーな学問分野である。が、私は教育経済学にはこれからの教育を変えていく力があると思っている。

経済財政諮問会議の議事録を読むと、財政、金融、経済政策に関する話題では、それなりにデータに基づく現状分析が行われ、経済学的に見て妥当な議論が行われている。ところがいったん、教育再生に話題が及ぶと、多くの委員が「私の個人的な意見ではあるが」とか「私の友人で、ある学校の校長をしている人の話によると」とか「わが社の例では」などのように、個人的な体験に基づく主観的な議論を展開し始めている。

私の問題意識はまさにここにある。活躍している人と同じことをすればその人のような成果をおさめられるわけではない。人間の成功には、あまりにも多くの要因が影響しているため、一般化することはとても難しいことだからである。ましてや、経済財政諮問会議の委員を務めるような個人の経験談を一般化することなど、ますます難しい。

しかし、財政、金融、経済政策に、文部科学大臣が「私の経験では」と発言する例はこれまで見られていない。ここから明らかなことは、財政、金融、経済政策にデータを用いて客観的な事実や根拠に基づいた政策運営をしていこうという考え方はある程度浸透していても、教育政策にはそれは必ずしもあてはまらないという現実なのである。

このようななか、私は教育経済学という学問を武器にして、断片的な「個人の経験」に基づく政策運営ではない、別の考え方を提示したいと思っている。それが「科学的根拠(エビデンス)」に基づく政策運営である。これは私の独自のアイディアではなく、海外の教育政策の効果検証においては、ほとんどスタンダードとなりつつある考え方である。

※エビデンスベーストとは?
エビデンス・ベースト・エデュケーションとは、科学的根拠(エビデンス)に基づく教育政策のことであり、データに基づいて教育を分析し、そこから得られた知見を政策に生かすという考え方である。端的にいってしまえば「どういう教育が成功する人を育てるのか」ということを、科学的に明らかにしようとしているのである。

ここで、海外の流れを俯瞰するため、米国において2000年代初めに制定された2つの法律がもたらした大きな変化について述べておこう。ブッシュ政権下で2001年に成立した「落ちこぼれ防止法」(No Child Left Behind Act)とその翌年に成立した「教育科学法」(Education Science Reform Act)の精神は、少なくとも米国社会ではかなり広く受け入れられている。それは、自治体や教育委員会が実施している教育政策が学力に与える効果について科学的に示すことなしに連邦予算を獲得できないというものである。

これはそんなに難しい考え方ではない。企業であれば、当然、経営上意識するであろうKPI(重要業績評価指標)を設定し、PDCAサイクルを繰り返すことによって業務を継続的に改善していこうとするであろう。教育にも同じ考え方が必要だということにすぎないのである。

ところがこういう考え方を紹介すると、必ず「教育は数字では測れない」という人が出てくる。しかし、私はそうは思わない。もちろん、教育のすべての面を数字で計測することはできないが、最近の心理学や経済学の発展によって、さまざまな仮定を置きつつも、教育の効果を定量的に計測できるようになってきている。そもそも、教育以外の政策では―高速道路建設も地球温暖化対策も―その政策効果を定量化することが定着している。

教育の効果は定量的に検証すべき

教育の効果は数字で測れないからといって、有識者の断片的な経験やイデオロギーに基づいて教育政策を決定し、「子どもの目がキラキラするようになったので、この政策は成功した」などと言っていては、とても納税者を納得させられはしまい。実際、急ピッチで少子化と財政赤字の拡大を経験するわが国において、過去15年の間に文教予算は20%も削減されてしまっている。

ではこうしたなか、教育経済学者はいったい何をしようとしているのか。一言で言うと、教育経済学者は教育の「因果」効果を定量的に把握しようとしている。誌面の関係上、今回はこの手法上のことは述べないが、要するに1人の経験談ではなく、個人の経験を大量に観察することによって得られる規則性を、その原因が何で、結果が何かということに注意を払いながら明らかにしようとしている、ということである。さらには、その政策の費用対効果(コストパフォーマンス)までをも算出する。

下図は、過去に「学力の上昇」という政策目標のために行われた教育政策の費用対効果を一覧にしたものだ。このように、海外では政策の費用対効果を明らかにすることはほとんど当然のように行われている。一方、日本が過去実施してきた「子ども手当」や「少人数学級」は、海外のデータを用いた研究のなかでは、すでに費用対効果がないか、極めて低いことが明らかになっているのである。無論、海外のデータを用いた検証の結果が直ちに日本にあてはまるかどうかは分からない(これを「外部妥当性の問題」という)。

しかし、海外のデータによって費用対効果が低いことが分かっている政策を積極的に採用するのであれば、せめて日本のデータを用いてその費用対効果を科学的に検証してから財政出動を決定すべきではないか。この連載を通じ、日本の教育政策に科学的根拠が必要な理由を読者のみなさんと一緒に考えていきたいと思う。

※本稿は、弊社機関誌RMS Message vol.39連載「<寄稿> 中室牧子の“エビデンスベーストが教育を変える”」より転載したものである。

PROFILE

中室 牧子(なかむろ まきこ)氏
慶應義塾大学 総合政策学部 准教授。1998年慶應義塾大学卒業。米ニューヨーク市のコロンビア大学で学ぶ(MPA、Ph.D.)。専門は、経済学の理論や手法を用いて教育を分析する「教育経済学」。日本銀行や世界銀行での実務経験がある。
主著に『「学力」の経済学』(ディスカヴァー・トウエンティワン)など。

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