「案件を取れ、手は貸せない」の罠
「佐々木くん、正直しつこい。今、ちょうど開発の山場なのはあなたもよく分かっているでしょう? できるだけ自分で何とかしてもらえないかな」
ここでもう1回お願いしたら、多分泉はしばらく口を利いてくれなくなるだろう。佐々木はおとなしく引き下がることにした。
2007年2月、外はスコールの真っ最中だった。シンガポールの2月は雨季なのだ。
佐々木は、2006年4月に、日系大手証券会社・鶴亀証券の海外支店のシステム・サポートをするためにシンガポールに赴任した(第3回参照)。1年近く経って、シンガポールでの仕事や暮らしにもだいぶ慣れ、生活に支障のないレベルでシングリッシュも使えるようになった頃、新たな悩みが出てきていた。それは、「他社が作ったシステムのサポート」である。
帝都システムが構築した海外支店システムなどが抱えていた問題を解決していくうちに、佐々木は、鶴亀証券のシステム課長・松本や、ディンをはじめとする現地のシステム担当者たちから、ITの専門家としてかなりの信頼を得ることができた。
それはもちろん良いことなのだが、信頼の高さと比例して、新たな仕事が舞い込むようになったのだ。それは、鶴亀証券が使っている他社製システムのサポートだった。競合なら、契約外だと言って断るかもしれない。だが、そういうことをしないのが帝都システムの強みだと佐々木は考えた。帝都システムの日本本社で、鶴亀証券のシステムを一手に担当するプロジェクトマネジャー・泉も同じ意見で、「クライアントのために、ぜひ他社製品のサポートも頑張ってほしい」と励ましてくれた。
ただ、問題は、本社のエンジニアの工数が逼迫していることだった。本社では、鶴亀証券のグローバル基幹システムの入れ替えをちょうど行っている最中だった。他社製品のシステム改修となると柔軟な対応が必要になるため、中国・大連のオフショア開発に任せるのは難しい。とはいえ、佐々木一人の手には余った。何としても、日本本社の優れたシステムエンジニアの力を借りる必要がある。しかし、日本側は猫の手も借りたいくらいの忙しさで、救援を頼めそうなメンバーは皆無だった。そこで佐々木は、無理を承知で、プロジェクトマネジャーの泉に真正面から当たってみたのだ。しかし、にべもなく断られてしまった。
もはやどうすればよいのか。そもそも「ぜひ協力するように」「でも日本本社の手は貸せない」……この背反する言い分と、解をくれない泉の対応は何なのか。ただでさえ、日本で仕事をするよりは時間もかかるし気も使って疲れているのに。たまの休日も睡眠と生活に精一杯で、まったくリフレッシュできていないし……。
佐々木は自分の頭のなかを行き交うさまざまな感情を眺めるように、外のスコールを呆然と見つめていた。
率先し、仕事の意義を伝えて人を動かす
とはいえ、止めるわけにはいかない。佐々木は仕方なく、要件定義や詳細設計だけでなく、プログラミング設計・プログラミングから、テスト・導入に至るまで、システム改修の全工程を自分の手で行ってみることにした。依頼されているもののうち、一番小規模のシステム改修だったから何とかなったが、さすがに残業なしで終わらせることはできず、3週間は休日返上で取り組んだ。
しかし「やっぱり、自分1人で他社製システムをサポートするのは無理がある」と、佐々木はあらためて認識した。1人では小規模のサポートしか対応できないし、品質もベストとはいえない。1人というだけでさまざまなリスクもあるし、最悪、納期に間に合わないことだってあり得るからだ。
そんな頃、ディンがコーヒーを差し入れ、こんなことを言ってくれた。「佐々木さん、相変わらず忙しいですね。でもこれまでは時差のあるパートナーとメールでやり取りするしかなかったのが、佐々木さんがサポートしてくれるようになって、気軽に質問や相談ができるようになったし、スピーディに問題を解決してもらえて、とても助かっています。皆感謝してますよ」
また同じ頃、泉からフォローのメールが届いた。日本側も本当にギリギリなのだという。これまでいくつもの大規模プロジェクトを動かしてきた泉が言っているということ、そしてメールの送信時刻が日本時間のAM2:00であることが、その深刻さを物語っていた。
佐々木は、システム改修の1つくらいは自分でやらないと、と思い直した。日本にいる泉や仲間たちも、必死に働いている。自分だけが白旗を揚げるわけにはいかない。何より、せっかくこれまで積み上げた鶴亀証券からの信頼に応えるためにも、自分だけで何とかしなければと考えたのだ。
すると、グローバル基幹システムの開発が山場を越えつつあったこともあり、1週間のうち半日だけなら応援できるよ、週1日なら何か手伝おうか、と言ってくれる仲間が1人、2人と出てきた。
更に、佐々木はせっかく協力してくれているメンバーに、今ここでシンガポール支店のシステム改修に力を入れることが、回り回って本社のビジネスに良い影響があることを説明した。なぜなら、他社製システムの改修をすることで、鶴亀証券の新たな課題、新たに必要なシステムが見えてくるからだ。つまり、次の提案の種が見つかるのだ。そうしたことを話すことで、メンバーのモチベーションは少しずつ上がり、快く手を貸してくれるようになっていった。
佐々木は、更にこの話をあらためて泉にも伝えた。今回は、短期的には無理をしても投資をするメリットを具体的に伝えることにした。その上で、佐々木は強く念を押した。「この案件は、一見不利に見えるが、今後の鶴亀証券との関係性において重要な意味を持ってくるはずなんだ」。泉も、シンガポールでの佐々木の奮闘を耳にしていた。「分かったわ」と、今度は1人当たり週10時間までという条件付きで、プロジェクトメンバーに応援を要請すると約束した。こうして、このシステム改修は、厳しい条件を乗り越えて見事完了した。
このシステム改修がきっかけとなって、新たなシステムの開発も決まった。しかも、この案件で培った信頼関係により、帝都システムと鶴亀証券はその後も密な関係が続くことになったのである。
鶴亀証券シンガポール支店のシステム上の問題を一通り解決した上で、佐々木は2008年の末に任務を終了し、帰国することになった。シンガポール訛りの英語、オフショア開発のノウハウ、直接権限が及ばないメンバーへの協力要請のコミュニケーション、そしてシンガポールのたくさんの友人を得て、佐々木は再び日本に降り立った。最初はどうなることかと思ったし、途中何度も心が折れそうになったけれど、終わってみれば本当に実のある海外勤務だったと、佐々木は成田空港でコーヒーを飲みながら思い返した。