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インタビュー

千葉大学 小口孝司氏

メンタルヘルスツーリズム

  • 公開日:2008/09/24
  • 更新日:2024/03/26
メンタルヘルスツーリズム

近年、「心の病」がクローズアップされ、個人、企業、そして社会全体が取り組まなければいけない切迫した課題として認識されつつあります。しかし、心の病については決定的な治療法が確立されていません。そのため、症状が悪化した後の「治療」のみならず、悪化する前の「予防」にも関心が広がってきています。このような観点から、今回はメンタルヘルスの維持向上策のひとつとして、「メンタルヘルスツーリズム」を提唱されている、千葉大学の小口孝司先生にお話を伺いました。

現在社会に見られる心の病の問題
心の病の問題の対策としてのツーリズム
企業へのメンタルヘルスツーリズムの導入に向けて
今後の展開

現在社会に見られる心の病の問題

― 研究の背景を教えてください。

現在の日本を見てみると、日本は元気がないといわれることが多いようです。では、日本の停滞を招いているものは何なのでしょうか?原因のひとつとして、人びとの疲労の蓄積があると考えられます。一般に、現代日本の社会人は働くばかりで、休みがなく、あまりリフレッシュできていないように見受けられます。海外の友人たちを見ていると特にこうした思いを強くもちます。
限られた期間であれば、仕事に全力を傾けることもできるでしょう。しかし、それが続くと、あるとき限界を迎えてしまうのです。心理学でいう「バーンアウト」(燃え尽き症候群)のようになってしまうのではないでしょうか。傍目には働いているように見えるものの、何の成果もあがらないという状態に陥ってしまう。新しいアイディアや工夫で仕事に向かうのではなく、惰性でルーチンワークをこなすだけ。これでは、めまぐるしく変わる消費者の変化や企業のニーズに対応したサービスや商品を提供することはできなくなってしまうでしょう。OFFがあってこそ、あらたな発想や意欲が生まれてくるはずです。こうしたOFFのなさが、今の日本の閉塞感と低成長、さらには心の病の問題の多発につながっているように私は感じています。
心の病の問題への注目が高まっているのは周知の事実です。1996年に比べ、2006年の精神疾患の患者数は2倍以上に増加しています。2007年の内閣府の調査では、精神障害者の推定数は約303万人、うち約30%がうつだと伝えられています。さらに、うつは職業生活にも影響を及ぼし、長期休職や職務ミスなどを引き起こしているといわれています。心の病の問題への対応、特にうつの予防と対策は、企業にとっても重要課題なのです。このため、大手企業を中心に予防・休職・復職・早期離職対策の面から、コストの投入が図られていますが、残念ながら決め手に欠けるというのが現状のようです。それほど、うつの対策は難しいのです。

― 心の病の問題への対策としてはどのようなことが考えられるでしょうか?

代表的なうつの予防策として、休むことが一番大切だといわれています。ただし、休むことが苦手な人がいたり、強いストレス状況下におかれて逆に休むことができなくなったりして、症状が悪化してしまう場合があります。もうひとつの予防策として、カウンセリングや研修などの「心理教育」という外部からの介入がとられています。カウンセリングや研修は一定の効果はあげますが、自主的に参加するのに躊躇や戸惑いを感じてしまう人も多いのではないでしょうか。このように、予防の重要性は認識され、さまざまな予防策が講じられているものの、自分から休むというような自主的にストレスに対処していくことを促すことは難しいのです。
そこで、本人の主体性を引き出しやすいメンタルヘルス向上の予防策として「メンタルヘルスツーリズム」を私は提唱しています。メンタルヘルスツーリズムとは、いくつかの要件を満たしたツーリズム(観光、旅行)によって、メンタルヘルスの維持向上を図ることを目的としたものです。

心の病の問題の対策としてのツーリズム

― メンタルヘルスツーリズムとはどのようなものでしょうか?

そもそもツーリズムの中には、昔からの湯治のように、健康を増進するための観光・旅行である、ヘルス・ツーリズムがあります。また、グリーン・ツーリズムと呼ばれる旅のように、緑あふれる「自然」の中に身をおくことによる、自然の癒し効果が存在するものがあるといわれてきました。ヘルス・ツーリズムでも、自然の重要性は認められています。こうした「自然」の効果に加えて、「視点の転換」、「五感の活性化」、「心理学的視点からの研修」の要件を満たすことによって、メンタルヘルスの維持向上を図ることができると考えています。
まず、非日常的な経験や感覚を得ることで「視点の転換」が生じます。日常生活を異なる視点から見つめなおすことで、新たな価値観が得られ、抱えている問題への別な考え方やアプローチが可能になるといった効果が得られます。また、パソコンなどに囲まれた視覚中心の日常とは異なり、土に触れたり、鳥のさえずりに耳を傾けたりするなど、普段とは異なる感覚を味わうこと、つまり「五感を活性化」されることによって、リフレッシュすることができると考えられます。さらに、単なる旅で終わらせず、メンタルヘルスマネジメントなどの「心理学的視点からの研修」を行うことによって、物事をとらえるときの自分の傾向性を理解し、対人コミュニケーションを円滑にさせる技術を学びます。さらにはリラックスする術を学ぶことができます。これらにより、ツーリズムの効果を一層持続させることができるようになるでしょう。

― 心の病の問題の対策として、なぜツーリズムに着目されたのでしょうか?

先ほど述べた点に加えて、ツーリズムにおける「主体性」「自律性」がほかの対策とは異なると考えています。カウンセリングや研修など、企業における対策には、本人が希望をしてというよりも、会社や上司、周囲の人に勧められて受講する場合が多いと思います。しかし、予防や治療の観点からすると、本人の主体性が効果の持続性に大きくかかわってきます。その点、ツーリズムであれば、プランの選択にも主体性が生まれるのです。休むことがなかなかできないワーカホリックに陥ってしまった人たちでさえも、一度、メンタルヘルスツーリズムに参加することによりなんらかの効果を実感できたならば、休日に休むことを学び、また行ってみようと自分で旅行の計画を立てるかもしれません。会社から案内されるカウンセリングや研修などは、どうしても受動的になってしまいがちです。しかし、ツーリズムであれば本人も楽しみながら積極的に参加することができるでしょう。さらに仕事では、物事を自分だけで進めることは難しく、さまざまな制約が課されていて、主体性を感じながら、自律的に時間を使うことができないことが多いでしょう。こうした日常生活において欠落しがちな、主体性や自律性の感覚を、ツーリズムによって回復できるのではないでしょうか。こうしたツーリズムにおける主体性、自律性が、他の対策にないメンタルヘルスツーリズムのもつ強みといえるでしょう。

企業へのメンタルヘルスツーリズムの導入に向けて

― 企業への導入を視野に入れていらっしゃるようですが、どのような方法が考えられますか?

ひとつの形態としては、健康保険組合等との提携による福利厚生プランの一環としての導入を検討しています。現在は旅行関連の各社と協力して、個人向け、また企業向けのメンタルヘルスツーリズムのプランをつくっています。カフェテリアプランなどの選択対象として位置づけており、個人がプランを選択した場合に会社からの補助を受けられる仕組みになります。別の形態としては、社員旅行、または社員研修として取り入れてもらうことも可能だと思っています。
このような施策をとることで、ON-OFFのうちOFFの文化を社内に浸透させることができるのではないかと考えています。休むことがうつ対策においても大切であると先ほど述べましたが、仕事に追われてしまっては心身の健康に影響を与えるだけでなく、あらたな発想を妨げることにもつながりかねません。接客業を例にとってみても、心に余裕がなければお客様を迎える柔軟な対応をすることも難しいでしょう。日本は欧米に比べてもOFFを楽しむ時間が極端に少なく、常にON状態、つまり働きすぎだといわれています。OFFの文化、すなわち休日は休む・遊ぶといったメリハリの文化を根付かせることによって、仕事面でもさらなる成果を生み出せるのではないでしょうか。

― どのような効果があるのでしょうか?事例があれば教えてください。

休むことによって、メンタルヘルスが向上するというバケーション効果の研究は多くあります。ただし、いずれも自己報告式であったり、研究の難しさからリタイヤした人たちを対象にした研究であったり、という制約があります。その中で、私たちの研究室では2008年の2月に、うつが最も起こりやすいとされる30代男性を対象として、自己報告式の質問紙に加えて、生理指標も用いて、ツーリズムの癒し効果を検証する実験を行いました。参加者は、タラソテラピー*1 または農作業体験(グリーン・ツーリズム)のいずれかに参加した後、メンタルヘルスマネジメントに関する研修を行いました。その前後で、質問紙に回答を求め、さらにコルチゾールというストレス状態のときに分泌される唾液成分を採取しました。分析の結果、ストレス状態は大幅に軽減されました。ストレスの自己報告では、ツーリズムに参加した人は、いずれの活動でも、自分で感じるストレスの値が下がっていました。さらに、抑うつ状態を測る得点でも、タラソテラピーを体験した人に大幅な低下がみられました。生理指標としてもコルチゾールの分泌量が、グリーン・ツーリズムを行ったグループでは3分の1、タラソテラピーを行ったグループでは約2分の1減少していました。メンタルヘルスツーリズムが、メンタルヘルスの向上に有効であることが示唆されたといえるでしょう

*1タラソテラピー:
海洋療法ともいい、海水・海藻・泥など、海の資源を用いて身体機能を高めていく自然療法。神経症や循環系障害などの治療やリハビリテーションなどに利用されている。

今後の展開

― 今後の展開について教えてください。

メンタルヘルスツーリズムには、先にあげた要件が必要ですが、この他に、「地域のサポート」も欠かせない条件ではないかと考えています。旅先での雰囲気の醸成や、アクティビティの実践の場の提供、地域の交流の場の提供といった側面に、地域のサポートは必要不可欠です。受け入れてくださる方々が温かく迎えてくださってはじめて、ホッとできるはずです。
さらにいえば、メンタルヘルスツーリズムを企業に導入することによって、単に従業員だけではなく、企業自体にも、さらには地域にも、よい影響を与えることができると考えています。現在、観光に対する国の期待も変わってきました。以前は、観光は個人が自主的に行うものであり、国が関与するようなものではないと考えられていました。しかし、最近では、ツーリズムのもつ経済効果、文化交流効果などが理解されて、我が国の最重要政策の柱として位置づけられています。観光庁の新設などは端的な例です。これは地方においてはなおさらです。財政が逼迫しているほとんどの地方自治体にとっては、ツーリズムを地方再生の核ととらえています。私も千葉や出雲でこうした再生のお手伝いをさせていただいています。心の問題、国策の観点、地域の過疎の問題。一見すると個別な問題を、メンタルヘルスツーリズムは一挙に解決するキーコンセプトであると考えられます。それゆえ、その意義は非常に大きいのではないかと思っています。私たちの取り組みが、「OFF文化をもった元気な日本」になるための一助になればと考えています。

(インタビュー・文:渡辺かおり/主任研究員 内藤淳)

研究者PROFILE

小口孝司(おぐち たかし)氏
千葉大学文学部 准教授

小口孝司(おぐち たかし)氏

●略歴
・東京大学大学院社会学研究科社会心理学専攻博士課程修了
博士(社会学)
・千葉大学文学部行動科学科心理学講座 助教授(准教授)(2004年~)
・放送大学客員准教授(2007年~)
・千葉大学地域観光創造センター 副センター長 (2008年~)

●主要著書・論文
・「社会心理学の基礎と応用」 (共編著) 放送大学教育振興会(2008)
・「観光社会心理学」(編著) 北大路書房(2006)

・“Important attributes of lodgings to gain repeat business: A comparison between individual travels and group travels”
2008, International Journal of Hospitality Management, 27(2), 268-275

・“Features of hotel information in promotion of reservation through Internet: What kinds of hotels are popular in Shinjuku?” 2008, Asia Pacific Journal of Tourism Research, 13(1), 33-40.

・“Mental health tourism: It’s back ground and Concept” 2008, Tourism & Hospitality in Asia pacific, 433-437

・““Why”makes travel, “How” induces packing,” 2007, Coming of the Asian Waves (Tourism & Hospitality: Education & Research)

・“Impact of the inspection of the onsen websites on hope of visiting,” 2007 recommended hope, and spot images. Coming of the Asian Waves (Tourism & Hospitality: Education & Research)

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