なぜか長時間働いてしまう 1日に何時間働くのが適切なのか?

執筆者情報
組織行動研究所
所長
古野 庸一

どこまでを「働く」とカウントするか?

「1日、何時間働くのが適切なのでしょうか?」

企業経営者やパートナークラスのコンサルタントが集まる場で質問をしてみた。50代後半の経営者は、「12時間。それ以上働くと、パフォーマンスが落ちるんだよね。」という答えだった。また、50代前半のコンサルティング会社のパートナーは、「7時間寝るようにしています。そうしないと体調が維持できません」という回答であった。
 
物書きを行っている知人は、「1日5時間以上は書けない。それ以上やっていると、次第にクオリティが落ちてくる」と答えた。アウトプットすることを仕事とみなしているゆえの回答である。普通に生活すること含めて、「街を歩く」「旅に出る」「展覧会などのイベントに行く」「友達と話をする」「本を読む」「セミナーに行く」などのインプットが必要で、それらの行動が仕事なのか遊びなのか区別がつかないと答えていた。

あるトップアスリートは、時期によっても違うが、限界まで追い込んで行う練習は、1日2時間以上はできず、そのほかの時間は、メンタルトレーニングや柔軟運動や軽い反復練習が主であるとの回答であった。ただ、「好きでやっていることなので、自分がやっていることが仕事なのか問われると胸を張って、そうですと言えない自分がいる」とこぼしていた。

いずれの回答に共通していることは、自分というリソースを最大限生かして、最もパフォーマンスを上げるための時間が、働く時間としてみなすのに、適切な時間数と考えているということだった。

「1日、何時間働くのが適切なのでしょうか?」
人事の若手が15名ほど集まった勉強会でも、同じように聞いてみた。
しばらく、返答に困っていた。どう答えると正解なのだろうかと、こちらの意図を探っているように感じたので、質問を少し変えてみた。「人事としてではなく、個人として、どのくらい働くのがいいですか?」
また、しばらく間があったが、30代前半の1人の女性から手が上がった。
「6時間ぐらいがいいのではと思います」
「なるほど。なぜそう思うのですか」
「私は、2人の子どもがいます。下の子どもが1歳になったとき、仕事に戻ったのですが、その時には6時間勤務でした。朝、子どもと夫と朝食を食べて、子どもを保育園に預けて、10時ぐらいに出社します。お昼休みをはさんで、17時ぐらいには退社しますので、6時間勤務です。子どもを迎えに行って、夕食を作って、子どもと一緒にご飯を食べます。夫は、毎日ではありませんが、一緒に夕食を食べるようにしています。そういう生活は、とても人間らしいと思います」

彼女は、仕事のパフォーマンスを最大限にするというよりも、仕事を含めた生活満足度を高めるという視点で、適正な労働時間という話をしている。私たちは、働かなければ食べられないが、働くだけが人生ではない。自分の幸福のために、家族や友人との時間や趣味の時間を優先することもある。あるいは、自分の役割を会社や家族や自分の趣味にだけに見出すのではなく、公の仕事を行うということも考えられる。NPOやPTAなどの各種団体を通したコミュニティ活動の時間を増やし、市民としての義務を果たすことを重視している人である。そういう人から見ると、稼ぐ仕事だけを行っている人は義務を怠っているようにみえる。

日本の労働時間は減っているのか?

1日、何時間働くのが適切なのだろうか。

労働基準法では、原則として、1日8時間、1週間40時間を超える労働はさせてはいけないことになっている。しかしながら、労使で時間外労働を合意し、協定を結び、行政官庁に届け出て、時間外労働を行っているのが実態である。

OECDのデータベースによると、日本の平均年間労働時間は、1980年代後半まで2100時間で推移していたが、その後、着実に減少し続け、2013年には1735時間になっている(※1)。過労死や長時間労働問題がニュースになることが多いので、労働時間が短くなっていることは意外と感じる。
それもそのはず。先の企業経営者やコンサルタントのような長時間労働者は、昔と同様、長時間労働を続けている。フルタイムで働いている人の6人に1人は、1日12時間以上働いている。一方で、非正規社員に代表される短時間労働者の人数が増えているので、日本全体の労働時間が減少しているという構図になっている(※2)。
長い時間働いている人は昔と同様、長い時間働いている一方で、日本全体としては、短い時間働いている人が増えているということである。労働時間の二極分化である。
長時間、働きたい個人。長時間、働かせたい企業。
双方のニーズが合致しているのであれば、長時間働いてもいいのでは、という理屈もある。一方で、個人と企業に任せておくと、短期的な視野に陥り、健康を損なう可能性があるという理屈もある。長時間労働によって、脳・心臓疾患や精神障害リスクが高まることは、多くの研究で支持されており(※3)、長い目で見たときには、長時間労働は、個人、企業にとってリスクであるという理屈である。
政府の立場も難しい。経済を発展させるためには、労働時間がある程度長いのは仕方ない一方で、国民の健康を損なうような長時間労働は促進できない。あるいは、育児という観点でも短時間労働を推奨したい。時代としては、後者のほうが重視される傾向にある。
 
果たして、個人は長時間働きたいのだろうか。働くのが好きなのか、働かされているのか、働かざるを得ないのか。

1日3時間働けば、経済的な問題はなくなる!?

経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、1930年に『孫の世代の経済的可能性』というエッセイを発表した(※4)。同エッセイは、1928年ケンブリッジ大学の学生に向けて行った講演をまとめたものであった。
そのエッセイの中で、ケインズは100年後の経済予測を行っている。
「100年以内に、経済的な問題は解決する」と。 
ここでの経済的な問題が解決されるということは、衣食住で悩まされ、健全なよい暮らしができないということから開放されるということである。つまり、全世界の人が生きていく上での最低限の富が満たされるということである。その際には、多くても1日3時間、週15時間働けば、経済的な問題はなくなるという趣旨の予測も行った。

予測は当たったのだろうか。
1人当たりの実質所得は、ケインズの予測と一致していた。しかし、それは偶然であった。
ケインズの見積もりに比べて、現実の人口は2.5倍増えている。一方で生産高もケインズの予測の2.5倍になっており、二つの誤りが打ち消し合って、予測がたまたま合ったというわけだ。

しかしながら、労働時間の予測は、大きく外れている。
ケインズは、100年後、週15時間の労働時間になると予測していたが、実際には、私たちは週40時間以上働いている。
大学者のケインズは何を見落としてしまったのだろうか。つまり、ケインズから見ると、十分に豊かになっているはずなのに、私たちは、なぜ長時間、働いてしまっているのだろうか。どのくらい働くのが適切なのだろうか。疑問がわいてくる。

ケインズ研究の第一人者であるロバート・スキデルスキーは、ケインズの予測が外れた理由を三つ述べている。「働くのが楽しい」「働かざるを得ない」「もっともっと稼ぎたい」という理由である(※5)。

生活の満足≠収入の満足

働くことは、苦役であり、できれば避けたいと考えているのならば、最低限の生活コストが満たされると仕事は辞めるだろうと考えるのは当然である。
実際、ケインズの頃の労働は、肉体的に苛酷であり、単調な労働が多かったので、そのように考えるのも自然であった。それに対し、今日では、面白くてやりがいがあり、創造性に満ちた仕事も多く、「働くのが楽しい」から長時間働いてしまう。

しかしながら、多くの労働者にとって、本当に仕事は面白くなっているのだろうか。
内閣府が行っている調査では、「仕事のやりがい」が、満たされている割合は、1980年代前半においては30%台であったが、2005年には16.6%になっている(※6)。長期低落傾向が続いている(※7)。「働くのが楽しい」というのは、労働時間が減少しない理由の一部になるかもしれないが、「仕事のやりがい」の長期低落傾向という事実を考えると、理由として適切でないとも考えられる。
 
スキルデルスキーの2つ目の理由はどうだろう。
短時間勤務したいが、「働かざるをえない」という理由である。
実際、労働時間を減らしたくなるほど実質所得は伸びているわけではない。それ故に労働時間は減らせられない。日本における世帯当たりの平均所得は、1994年の664.2万円をピークに2013年には528.9万円となっている(※8)。
しかしながら、内閣府の調査を見てみると、生活面での満足度は高く、十分に暮らしていけると感じている。それにも関わらず、収入に対する不満が高いことが分かる(※9)。2014年調査によると、食生活に対する満足度(「満足している」「まあ満足している」の合計割合)は86.4%。一方で、所得・収入の満足度は44.7%。生活には満足しているが、もっと稼ぎたいという状況である。

拡大し続ける人間の欲望

こうなると、3つ目の理由、「もっともっと稼ぎたい」が浮上する。満足することがない人間の欲望が「もっともっと稼ぎたい」と私たちを駆り立てているということもありそうだ。私たちは、物質的に豊かであっても、自分の持っているものだけでは満足できない。他者とつい比較してしまい、他者が持っているから自分も持ちたいと考える。あるいは他者が持っていないからこそ欲しくなる。自己を表現するための消費、他人から承認されたい消費、あるいは見せびらかしの消費などもあるだろう。
ケインズの誤りは、豊かになればそれ以上望まなくなると考えたことであり、良識によって欲望が抑制されるだろうと予測したことにある。人の消費欲求は、強烈である。

イギリスの社会学者で、日本の労働問題に詳しいロナルド・ドーアも、ケインズの予測に触れて、労働時間が減らなかったのは、人間の欲望の限りない拡大としている(※10)。また、元米国労働長官のロバート・ライシュも、ケインズの予測に対して、現在の経済の構造が私たちを忙しくさせているのだという見解を持っている(※11)。

私たちは消費者である一方で生産者である。買い手であり売り手でもある。
買い手の私たちは、より良い製品やサービスを求める。もし気に入らなければ他の製品やサービスにスイッチする。そのことで、買い手の私たちは、豊かな生活を享受することができる。しかし、買い手の要求が高度になればなるほど、売り手の私たちはその要求に応えようとして忙しくなるという構造を持っている。

もちろん、日本の状況が、米国と同じかどうかは精査する必要はある。しかし、米国の話は、強欲な浪費家の話ではない。普通に暮らしていて、少しおいしいものを食べたい。少しいい服を着たい。少し広い家に住みたい。子どもたちにいい教育を受けさせたい。と普通に考えた結果である。日本でも同様の傾向はみられ、参考になる。
消費をしたい。ゆえに「もっともっと稼ぎたい」というのが、私たちが長時間労働してしまう、スキデルスキーの3つ目の理由であった。


人として、1日何時間ぐらい働くのが適切だろうか。働き方を考える上では、避けて通れない問いである。




<注釈・引用元>
※1 OECD Database “Average annual hours actually worked per worker”
※2 総務省(2012年)『就業構造基本調査』
※3 例えば、岩崎健二. (2008). 長時間労働と健康問題. 日本労働研究雑誌, 575, 39-48.
※4 ケインズ(2010年)『ケインズ説得論集』日本経済新聞出版社
※5 ロバート・スキデルスキー&エドワード・スキデルスキー(2014年)『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』筑摩書房
※6 内閣府『国民生活選好度調査』
※7 長期低落傾向は、経済がサービス化しているだけでなく、日本経済そのものの成熟、停滞ということも考えられるし、非正規社員の増加も要因であると考えられるし、モノやサービスが豊富になり、やりがいに対する期待レベルが高まったとも考えられる。原因を特定するのは難しい。
※8 厚生労働省『国民生活基礎調査の概況』
※9 内閣府『国民生活に関する世論調査』
※10 ロナルド・ドーア(2005年)『働くということ グローバル化と労働の新しい意味』中公新書
※11 ロバート・ライシュ(2002年)『勝者の代償』東洋経済新報社

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