「戦略人事」に取り組んだ先に何があるのか? だから人事はやめられない

執筆者情報
経営企画部
部長
本合 暁詩

簡単ではない「戦略人事」に取り組んだ先に何があるのか? 
様々な現実を乗り越えた先に待っている「人事の醍醐味」とは何か?
 
コンサルタントや研究員を経験し、HRMの理論や概念に精通している弊社人事責任者が日々直面している現実とそのホンネを綴りました。


普通の人事部長

土曜日の午前中、私は都内某大学のキャンパスにいる。

経営学部の講義「Corporate Finance(企業財務)」を教えるためだ。学部生向けのクラスは、いわゆるMBAの講義に比べて一クラスの受講人数が多い。講師は話す人、学生は聞く人、と立場は明確に分かれ、必然的に一方向的な講義になる。加えて、学生には特にわかりやすい仕立てにしないと伝わらない。それはそうだろう。二十歳前後の学生が、企業が利益を上げるためにはどのような投資評価の仕組みが必要か、と言われたところでピンとこないのは当然である。噛んで含めるような説明を心がける私は、学生に企業財務を教える身としておそらく良心的なほうなのではないかと思っている。

さて、講義を終えると点滅する携帯が目に入る。手を伸ばせば「ウィーン」という不吉な音。「○○さんの御尊父様が逝去されました」という短いメールが届いている。訃報である。この手の情報が私には確実に、そして速やかに入ることになっている。週末も関係なく、文字通り速やかに。

それは、私が人事担当部長だからだ。

そして、私は総務担当部長であり、経理担当部長であり、企画担当部長であり、広報担当部長であり、法務担当部長であり、コンプライアンス担当部長である。対外的には全社情報管理責任者であったり、内部統制管理責任者であったりするし、全社災害対策本部の事務局長という立場でもある。

大学を卒業した私の最初の職場は、超がつく大企業だった。その会社には人事部長がもちろんいたが、そのほかにも総務部長、経理部長、資金部長、法務部長、経営企画部長がいて、秘書部長も知的財産部長もいた。今ならきっとCSR部長もいるのではないだろうか。

私の正式な肩書は「経営企画部長」だ。この肩書のもと、プライバシーマークの監査を受け、コストダウン策を検討し、健康保険組合の委員を務め、全社ホームページ改訂のカットオーバーを見つめ、社員総会を開催する。
何も特殊ではない。従業員500名以下の企業であれば、人事部長が他の役割も兼務するという状態は極めて普通のことである。

人事の日常、その厳しい現実

その私に、世の中の学者や人事コンサルタントは言う。

「個別の人事的な処理に右往左往するのではなく、長期的なビジョンを実現するための戦略的な人事であるべきだ」と。

もう少し具体的に言えば、
「全社戦略と整合した人材配置と任用を行い」
「全社のビジョンに沿った人材の採用と長期的な育成を行い」
「グローバル化と多様化を前提とした柔軟な人事制度を導入し」
「戦略を推進し得る組織力の開発を大きく仕掛ける」
ことが人事に求められていると。
その通りである。

当たり前のことだが、人材マネジメントを生業にしている、当社も同じことをお客様にご提案している。自分たちが提案していることだから、これらのことが間違っているということは決してないと誓って言える。
そして、私も本当にそうあれたらと思っている。

しかしながら、とそれでも私は考えてしまう。
現実は、強風の日の朝にビルのエントランスが落ち葉で汚れても、ビル管理の悪さでトイレの清掃が行き届いていなくても、アウトソース先の手違いで給与支払いにミスが起きても、オフィスサプライの納入が遅れてホワイトボードのマーカーが切れても、全ての責任をとるのが私の立場なのだ。
この現実と戦略人事の間に途方もない距離が存在することを気にかける人は少ない。そして最近は、この距離感を大きな声で主張することが、人事として恥ずかしい行為であるという風潮になってしまっているようだ。

「戦略人事」の葛藤

恥ずかしいという風潮を作り出している一番の理由は、「戦略人事」という、なかなか厄介な言葉の流行にあると私は思う。
この言葉は、つい最近までほとんど語られることはなかったのだが、昨今のような変化の激しい環境下においてその重要性が強調され、この1〜2年で急速にメディアにも取り上げられるようになってきた。

戦略人事とは、戦略と人事をリンクさせ、経営戦略に沿った人事戦略を実行することだ。

例えば、IT化やグローバル化の進展によって起こる環境変化を予測し、そこでビジネスを展開するためには、どのような人材が何人必要なのかを判断し、そのための採用・育成・配置を行うことが戦略人事である。

しかし、戦略人事を行うためには、会社のビジョンと、それを実現するための中長期的な経営戦略、そして経営計画から議論を始める必要がある。「環境変化→戦略→必要な人材像」というパスを描く必要があるのだ。

この作業は極めて困難である。将来のビジネスは、現時点では存在していないことさえあり得るし、仮にビジネスを見通せたとしても、本当に必要な人材のスペックを正確に予測するのはやはり簡単ではない。そんなあいまいさが残る中で「このような人材が何人くらい必要になるはず」と人事は決断しなければならない。

そもそも戦略人事の成功は経営戦略の成功が必要条件であるが、将来に向けた経営戦略は不確実なものである。したがって、経営戦略を土台にした人事戦略は、たとえどれだけ強固なものであったとしても宿命的に不確実になる。ここに「戦略人事」の葛藤がある。

私は今、経営企画部長として、戦略と人事の両機能を併せ持っている。戦略人事を進めるには最適なポストであり、私にできなければ誰にもできないと言えてしまうぐらいである。
しかし、ご存じのとおり経営戦略を立てることはそう簡単ではない。当然、戦略人事が簡単であろうはずもない。

人事は社長か?

ここまで考えてくると、ところで、と新たな疑問がわきあがる。

経営戦略を考え、その実行に向けて人材を含めた必要な資源を調達・配分するのが戦略人事だとすると、これを全体としてやることは、まさに社長の仕事ではないだろうか。極端に言えば、戦略人事を人事にやれということは、人事に社長になれということか、それとも社長が人事もやれということか、のいずれかを意味するのではないだろうか。

もちろん、人事部長は社長ではない。しかし、戦略人事を志向するほど、人事部長が社長と同じ視界で考え、判断することが求められる。そして、その立場の重要性は高まっていく。

人事の対象は人である。そのため、誰もが注目し、誰もが意見を持っている。従業員はもちろん社外の人も人事には敏感に反応するし、どれほど慎重に言葉を選んだとしても、人事からの発信は思いもよらない影響を与える。
人を大切に、ということに反対する人はいない。しかし、どれほど良い人事施策を導入しても、全員を幸せにすることが不可能であることを私は既に経験的に知ってしまっている。

そのような不完全で脆弱なものに向き合いながら、会社の経営を考える。それが人事だ。

一方で、人事は経営戦略を実現し業績を向上させることもできる。多くの従業員が仕事にやりがいを感じ、その過程と結果によって喜びや幸せを感じられるようになることも、私は知っている。
これが人事の醍醐味だ。

私の行うことがたとえ不完全で脆弱なものだとしても、そこへのチャレンジは、多くの従業員のやりがいや喜びや幸せの実現にチャレンジすることにほかならない。

だから人事はやめられない。

強風の日、エントランスで落ち葉を踏みしめながら、私はそう思う。
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