イノベーション研究 第15回 ドコモ・ヘルスケア 事業の「幹」となる本質的な価値を、「幹」のあるサービスによって増幅させる

執筆者情報
HR企画統括部
リサーチ&デザイン部
エグゼクティブプランナー
井上 功

本研究では、組織の中でのイノベーション創出のヒントを得るために、イノベーターの方々にインタビューを実施しています。

第15回は、ドコモ・ヘルスケア社長の竹林一氏にご登場頂きます。

竹林氏はオムロンで様々なイノベーションを成し遂げてきた人です。ソフトウェア会社の構造改革、自動改札機を活用した駅を起点とする全く新しいビジネスの創造、生産受諾(EMS)会社の変革などです。これ等全てのイノベーションを、先頭に立って実現してきました。その語り口は明朗快活かつ沈着冷静。それでいて瞬時に相手を惹きつけ巻き込んでいく魅力の持ち主です。

竹林氏がここ数年取り組んでいる事が、ヘルスケア分野でのイノベーションです。これはNTTドコモと協働で推進中です。それでは、さっそく竹林氏に語っていただきましょう。


個別対応の健康管理を推奨するサイト

2013年4月に開設された健康管理のためのプラットフォーム「WM(わたしムーヴ)」。今どき新しいプラットフォームやサービスができたといってもあまりニュースにならないが、このサイトはニュース価値がある。内容が実にユニークなのだ。

健康管理といっても、コンテンツの中心は、想像されるような、病気予防のアドバイス、地域の名医紹介といった読み物ではない。主役は、血圧や体重、体温、睡眠時間、歩数といった身体のデータなのだ。「WM(わたしムーヴ)」に登録すると計測機器にスマホをかざすだけで、それらが記録されるとともにサーバーに送られ、利用者はいつでも推移が確認できる。いわば個別対応の健康管理を推奨しているプラットフォームなのである。

そうやって自分の身体データを「見える化」することで、日々の生活に刺激を与え、「誕生日までにダイエットしたい」「運動不足を解消したい」「毎朝すっきり目覚めたい」といった個々のニーズを適えてくれる仕掛けだ。

基本となるサービスは無料だが、2013年6月から始まった女性向けの「カラダのキモチ」、同12月スタートの「からだの時計 WM」は月額300円(税抜)の利用料がかかる。

前者は婦人体温計と連動し、女性のリズムにあわせた最適なアドバイスを行ってくれると共に身体に変調があった場合、いち早く知らせてくれる仕組みが組み込まれている。受診勧奨メッセージをきっかけとして病院を訪れると見舞金が贈られる。保険会社、東京海上日動との連携がそれを可能にしている。

後者は「体内時計を整える」がコンセプト。生活リズムに応じて、睡眠、食事、移動、運動、入浴、ワーク、リラックスという7カテゴリーに関するアドバイスが適宜受けられる。手首にはめる別売りのムーヴバンドを購入すれば、アドバイスのもとになるデータを簡単に計測し、転送したデータをスマホで確認できる。利用者は「カラダのキモチ」が40万人、「からだの時計 WM」が20万人と、右肩上がりで伸び続けている。

それは幹か、枝か、葉っぱか

プラットフォームを運営しているのがドコモ・ヘルスケアだ。NTTドコモと、健康機器のトップメーカー、オムロンヘルスケアが共同出資し、2012年7月に誕生した。

同社を率いるトップがオムロン出身の竹林一氏である。1981年の入社以来、プログラマー、SE、プロジェクトマネージャーなどを経験した後、新規事業をいくつも立ち上げてきた。同プラットフォームの立ち上げも、そうした経験が大きくものを言った。

竹林氏にはかつての上司が発した忘れられない言葉がある。「事業の幹」だ。上司とはオムロンの元副社長、滝川豊氏であり、オムロン社会システムカンパニーのトップだった。当時、新規事業開発部長だった竹林氏が話す。「こんなビジネスはどうでしょうか、と提案に行くと、『それは幹か、枝か、それとも葉っぱか』と必ず尋ねられ、明確に答えられないと『やり直して来い』と。なんと6カ月もの間、毎週それを繰り返しました」

最終的にICカードを利用した電子マネーサービスを提案したところ、了承された。正直、電子マネーがなぜ幹なのか、当初はまだよくわからなかったが、しばらくすると、閃くものがあった。「幹の意味がようやくわかったんです。過去の例でいえば、あれこそ幹だったんだと」

「あれ」とは何だろうか。話はそれより前にさかのぼる。前任の社会システムカンパニーのトップから、こんなミッションが竹林氏に下された。「ICカードやモバイルの進化のなかで駅がどんどん変わっていく。その流れをうまくとらえて、機器メーカーから脱却したい。どうしたらいいか、考えてほしい」。2000年6月のことである。

実は、オムロンは日本で初めて駅の自動改札機を開発したメーカーなのだが、パスネットやスイカといったICカード、さらにはそれらが組み込まれた携帯電話が普及していくなかで、改札機の内部構造が簡素化し、改札機自体の価格が下落していくことが想定される。しかも日本中のほとんどの駅に導入済だったから、今後は数の伸びも期待できない。次の戦略を考えないと売上げも利益も先細りになっていくと思われる。

竹林氏はメンバーとともに頭を捻り知恵を振り絞ったが、なかなか答えが出なかった。6カ月ほど後にようやく解らしきものが見つかった。

われわれは、これまで駅を電車に乗るための入り口だと考えていた。それをこう改めたらどうだろう。駅は「電車への入り口」だけではない。電車を降りた後は「街への入り口」にもなると。つまり、駅員さんの負荷をなくす省力化機器という位置付けだった自動改札機がメディアになったり、安心や安全の起点になる!

どういうことか。

竹林氏らが、そのコンセプトをもとに自動改札機を通るたびにメールを配信するプラットフォームを開発。それを使って、自動改札機を通過して街に出た人向けに、駅周辺のタウン情報と飲食店のクーポン券や広告を組み合わせたメールマガジンを配信、駅から街への人の導線を創ってきた。また、子供の電車の乗り降りが保護者の携帯電話に通知されるサービスも始まった。メールマガジンの配信自体は現在行われていないが、子供の安心・安全を担うサービスは首都圏、関西の公民鉄で広く活用されている。駅を街の入り口としてとらえることにより、安心・安全な街づくり、駅を起点とした電子マネービジネスへの広がりへとまったく新しい価値創造が生まれている。その結果、省力化のための機器だった自動改札機が、街と人を繋ぐ、新たなビジネス文脈を獲得したのである。

「幹とは何かという禅問答のような繰り返しのなかから、ふとこの事例を思い出してわかったんです。新事業のよりどころになる本質的な価値――この場合は『駅が街への入り口』――それが事業の幹なんだと」

WとMを融合させ、その価値をMで伝える

では、竹林氏は、ヘルスケアの事業の幹は何だと考えたのか。

その答えは「WとMの融合」。Wはウェルネス、Mはメディカルである。健康の維持増進、予防から病気の治療まで、一連の流れのなかでサービスモデルを考えることだ。

その基盤に置かれるのが身体に関する様々なデータだ。その計測については健康機器のトップメーカーであるオムロンが得意とするところである。そして、WとMの融合の中心に来るのが、オムロンが世界シェアトップを誇る血圧計だ。血圧が上がると病気になる。その血圧を上げないようにするには、まず体重のコントロールだ。そのためには活動量を多くするか、食事の量を減らすかすればよい。そうした計測器をオムロンは各種揃えている。

この「WとMの融合」による価値を人々にきちんと届けるにはどうしたらいいか。「肝心なのはサービスの仕組みです。事業に幹があるように、サービスにも幹があるべきだと考えたのです。辿り着いた答えがB to M to Cモデルです」

一般コンシューマ向けサービスをB to Cモデルと呼ぶことはよく知られているが、B to M to Cの場合のMとは何か。「モチベーション(motivation)です。そしてモチベーションを上げる仕組みがモバイル(mobile)であり、医療との連携(medical)です。ウェルネス(W)に関しては、利用者が自らのスマホや携帯を活用して健康維持のモチベーションを持続する仕組みを構築し、一方のメディカル(M)については、医師や製薬会社、さらには調剤薬局(medical)をきちんと介在させ、同じように病気治療のためのモチベーションを維持してもらうという仕組みです」

企業の存在価値は利益ではない

ここまで来て、事業の全体像が見えてきた。

「WM(わたしムーヴ)」というネット上のプラットフォームで、利用者が日々、自らの身体のデータを計測し、蓄積する。そしてそのデータを活用して身体の状態を予測してアドバイスを送る。また、「からだの時計 WM」サービスにはヨガ、音楽、ストレッチ、ツボおしといったコンテンツが充実している他、24時間365日の相談料、通信料無料の健康電話相談や検診予約サービス等、楽しみながら健康維持できる仕掛けも用意されている。先ほどの東京海上日動のようなアライアンス企業の存在も大きい。現在、料理教室のABCクッキングスタジオや、有機野菜などの宅配サービスを行うらでぃっしゅぼーや等との連携も検討されている。

特筆すべきは、それはオムロンの事業にも好影響を及ぼす、という点だ。このプラットフォームが大きくなればなるほど、オムロンの本業である計測機器の売れ行きも伸びるからだ。「アプリサービスもアライアンス企業も、自然増殖的にどんどん増えています。今は生態系を作っているイメージです。そうやって生態系が勝手に形成される事業ほど、幹が優れているということでしょう」。幹が集まり林になり、さらには深い森になる。竹林氏はその手ごたえを感じ始めているのだろう。

その竹林氏が折に触れて拳拳服膺(けんけんふくよう)している言葉がある。オムロンの創業者、立石一真氏が発した次の言葉だ。

<企業は利益を追求するもんや。それは人間が息をするのと同じや。そやけど人間は息をするために生きてるんか。ちがうやろ>

名言である。同じような言葉を伊那食品工業会長の塚越寛氏から聞いたことがある。彼いわく、利益はうんこだ。健康体なら出て当然だが、さほど大切なものではない、と。

では企業は何のために存在するのか。竹林氏はきっぱりこう言った。「世の中にない新たな社会システムを創造し、より良い社会をつくるため」と。

「WM(わたしムーヴ)」がそういう意味の社会システムに成長できるかどうか、正念場はこれからだ。

総括

竹林氏のイノベーション創出ストーリー、いかがでしたか。

いつものようにイノベーション研究モデルに則って、いくつかの観点で話を振り返ってみたいと思います(図表01参照)。今回注目する領域は、【イノベーション戦略】と【思いつく】の2つです。

図表01 イノベーション研究モデル

事業の幹を考える
技術と価値の進化を考え抜く

ヘルスケア事業におけるイノベーション戦略を語るにあたり、竹林氏と上司であった滝川氏との対話を忘れることは出来ません。「事業の幹」。『それは幹か、枝か、それとも葉っぱか』。このエピソードだけを捉えると、極めて概念的に感じます。この思考を支援する意味で、竹林氏がひとつのマトリクスを示してくれました(図表02参照)。

技術の進化のみを追求すると、コスト競争に巻き込まれてしまいます。また、価値の進化を技術革新なしに成し得ることは非常に難しい。本質的な価値創造は、技術と価値両方が進化することで、初めて実現できると竹林氏は語っています。つまり、「事業の幹」は右上の方向の矢印の中にのみ表われてくるものだと。

図表02 事業の幹マトリクス

もう少し具体的に考えてみます。自動改札機を中心に駅を起点にしたサービスを開発した時は、今後IC化、モバイル化という技術革新によって機器の価格破壊が起きることが予測されました。勿論オムロンはナンバーワンメーカーだったのですが、成長の限界を自覚せざるを得ない状況だったはずです。そのとき、竹林氏は、「駅は電車への入口」という基本的考え方から、「駅は街への入口」という概念に辿り着いたのです。それが右シフト、つまり価値の進化の方向への移行です。

そこに、上シフト、つまり技術的進化の要素を加えていき、「安心・安全」といったソリューションとしての事業の幹を創りだすことに成功したのです(図表03参照)。

図表03 事業の幹マトリクス−駅務システム事業

こう書くと、ごく簡単に成し得た概念の昇華に思えますが、実際は試行錯誤や熟考の連続だったことは想像に難くありません。 『それは幹か、枝か、それとも葉っぱか』という問い、正に禅問答をメンバーと共に徹底して考え抜く。考えたら議論する。関係者と対話する。その繰り返しで右上に向かう大きな流れ、すなわち事業の幹が産まれていったのでしょう。

ひと言でいえるか?伝わるか?

竹林氏は、ドコモ・ヘルスケアのほかに、今までにいくつものイノベーションを成し遂げてきました。オムロンのソフトウェア子会社では、価格勝負のソフト受諾開発から、開発から得た知識や知見を提供価値そのものに価値転換して、イノベーションを興しました。

生産受諾(EMS)会社を変革するときには、事業構造に注目し、サービス業の本質を製造業に新結合させ、新たな価値の創造を実現しています。

前述した駅の変革も含めて、竹林氏が成し遂げたイノベーションには共通していることがあります。それは、ひと言でいえる、ということです。ソフトウェア会社のイノベーションは、『知のエンジン創造』。生産受諾会社の変革は、『ものづくりサービス』。駅務システム事業の価値創造に於いては、『街への入口』というコンセプトを打ち立てます。そして、ドコモ・ヘルスケアでは、『WとMの融合』となります。何れも、ひと言で事業の幹が表わされています。

イノベーションは新たな価値の創造であり、集団の営みです。推進する側、享受する側共に、何を成し遂げようとしているのかの理解や共感が不可欠であり、そのスピードや腹落ち感は非常に重要です。ひと言のコンセプト・ワードに表わされた『事業の幹』は、ひと言であるが故に熟慮されていて、イメージが豊かに広がり、込められた想いが伝播していくものなのでしょう。そしてコミュニケーションのたびに小さな新結合が積み重なっていくのです。

東海道を歩き続ける
自分の存在意義を考え抜く

竹林氏は、インタビューの際に、50頁に及ぶ資料を持参いただきました。そして、ご自身のイノベーション経営の本質を、正に立て板に水のようにお話し下さいました。

■ 価値創造へのキーワード
 ● 『事業の幹』をつくること、即ち仕組みをデザインすること
 ● 着眼大局、着手小局で臨むこと
 ● 仮説検証を繰り返すこと
 ● 新しいビジネスの生態系を創ること

■ 顧客満足の公式
顧客満足=Q(Quality)C(Cost)D(design)×S(service、solution、story)
特にCとSが重要、これが顧客満足度(CS:Customer Satisfaction)そのもの

■ 答えは現場にあるがヒントは外にある

といったことを、熱く語っていただきました。

そのエネルギーの根幹は一体何か? そこがインタビューアーとしての自分自身の興味でした。竹林氏のようなシリアル・イノベーター(ひとつではなく、いくつかのイノベーションを興す人)は一体どうすれば生まれるのか? それは生得的なものなのか、それとも獲得的なものなのか? 様々な想いが去来する中、彼が最後に話してくれたエピソードには驚かされました。

オムロンには、マネジャーになって6年目に3カ月間休んでいい、という長期リフレッシュ制度があります。竹林氏はマネジャーになって10年目に、その制度を活用したそうです。当時新規事業開発マネジャーとして激務に追われる日々でした。制度を活用するかどうか、上司に尋ねます。答えは、「おまえが会社に来ているかどうかは関係ない。会社にいようがいまいが、そんなことはどうでもいい、おまえとの約束は事業を成功させるかどうかである。」そこで竹林氏がとった行動が自宅まで歩いて帰る、というものでした。それだけではびっくりしませんが、問題は自宅の場所です。当時、竹林氏は東京に単身赴任。ご自宅は滋賀県大津にありました。元々歩くことが趣味だったので、大津まで東海道を歩いて帰ってみようと思ったそうです。思ったら即実行。都合15泊16日。竹林氏は東海道を歩き続けました。その間に考え続けたこと、それは、「自分は一体何の為に仕事をしているのか?」と。

東海道をひたすら歩く。歩きながら考える。自分とは。仕事とは。社会とは。自分の存在意義は。時間的呪縛から解き放たれて、こんなことを徹底的に考えたのでしょう。この東海道行により、竹林氏は来し方を振り返り切り、行く末を合目的的にイメージしたに違いありません。そこから更に、シリアル・イノベーターとしての竹林氏の活躍が加速していったのです。

そんな「場」を与えたオムロンの寛容は瞠目すべきであり、それを活かし切った竹林氏は、自分自身に対する寛容を醸成したということができるでしょう。

【総括(文):井上功 /インタビュー(文):荻野進介】


PROFILE

竹林 一(たけばやし はじめ)氏

京都、織物の町“西陣”で生まれる。デザインの道を目指していたが、ひょんなことから大学では情報心理学を専攻。“機械に出来ることは機械にまかせ、人間はより創造的な分野での活動を楽しむべきである”との理念に感激して、1981年立石電気(現オムロン)株式会社入社。
仕事の原点は“人のやる気”を基本に、関東のパスネットシステム等大型プロジェクトのプロジェクト・マネジャーを務める。以後、新規事業開発部長、グーパス推進部長、ICカード・モバイルソリューション推進室長、オムロンソフトウェア(株)代表取締役社長、オムロン直方(株)代表取締役社長、オムロンヘルスケア(株)執行役員を経て2012年度から現職。
各種委員会の諮問委員他、プロジェクトマネジメント、モチベーションマネジメント、ビジネスモデルマーケティングなどの講演、執筆などを通じて“日本のエンジニア”“日本の経営者”を元気にする活動を実施中。趣味は街歩き。東京徒歩制覇、東京〜京都徒歩制覇15泊16日等。

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