学会レポート

米国産業・組織心理学の最新動向

SIOP(米国産業・組織心理学会)2011 参加報告

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更新日
SIOP(米国産業・組織心理学会)2011 参加報告

26回目となる今年のSIOP(Society for Industrial and Organizational Psychology)の年次大会は、4月13日~4月16日の4日間、米国シカゴにおいて開催されました。今回の大会参加者は4600名を上回り、これまでで最も多くの参加人数を記録しました。大会では、口頭の研究発表やポスターによる研究発表など800を超える発表が行われました。リーダーシップや人材アセスメントに関するセッションはいつもどおり研究発表の数が多かったのですが、ここ最近のトレンドでもある、グローバル関連の発表セッションやチームに関するセッションも増加傾向にあったようです。

本年度の大会で参加したセッションの中から、特に興味深かったものを取り上げ、以下に簡単に報告を行います。

執筆者情報

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技術開発統括部
研究本部
組織行動研究所
主幹研究員

今城 志保(いましろ しほ)
プロフィールを⾒る

ストレスを引き起こす自己認識への攻撃

ベルン大学のSemmer氏は、Occupational Health Psychology(労働衛生心理学)の第一人者であり、ヨーロッパを中心に、ストレスとメンタルヘルスについての研究を行っています。このセッションでは氏の数年来の研究テーマである「自己への攻撃としてのストレス」について、実証データを交えた紹介が行われました。

人は仕事をすることで、社会における自己認識(social identity)を構築すると考えられます。つまり、仕事をしている自分は、自分を自分たらしめる側面の一つなのです。自己への攻撃というのは、仕事をしている自分の存在価値への攻撃と言い換えてもよいでしょう。例えばSemmer氏と氏の共同研究者たちは、illegitimateな仕事がストレス源になることを実証的に示しています。illegitimateな仕事というのは、自分がやるべき範囲を超えた(unreasonable)仕事や、やる必要がないと思われる(unnecessary)仕事のことで、このような仕事を行わざるを得ない状況は、仕事の負荷とは別にストレス源になり得るのです。例えば、看護士にとって病院のトイレ掃除はillegitimateな仕事ですが、患者の個人的なわがままに付き合うのは存外ストレスにはなりません。illegitimateな仕事を行う状況は、社会的な存在として自分が重視する特定の職業役割にふさわしくない行動を強制されることで、ありたい自己像を傷つけてしまうのです。

また、氏らは他者からの軽蔑といった、社会的なストレスについても指摘をしています。通常自分が困ったときに他者から受けるサポートはありがたいものですが、社会的サポートの研究では必ずしもこれを支持する結果ばかりではありません。氏らの研究では、対人サポートはそれが自己の評価を低めるものではなく、他者からの感謝や配慮を意味するものであるときに初めて効果的であり得ることを示しています。助けてくれても、同時に批判されたり、感謝を強要されたりするようでは、ストレスを減らすどころか、増やすことになってしまうのです。

Semmer氏らの一連の研究と、そこから得られた知見は、メンタルヘルスを考える上で重要な情報となります。つまり、当人への攻撃ととられないように仕事や役割を割り振るためには何に気をつけるべきか、仕事で行き詰まった部下を助ける際には何に留意する必要があるのか、などに関してヒントが得られます。

経営判断としてのHRM (Human Resource Management)

南カリフォルニア大学のBoudreau氏から、経営やビジネスに関する理論をHRMに応用することについての提案が行われました。

Boudreau氏と彼の共同研究者は、近年“Talentship”と呼ばれる概念を提唱しています。これはHRMにおける意思決定の科学をさし、この意思決定の科学は財務やマーケティングの意思決定の科学のように、合理的で、信頼性が高く、かつ柔軟であることを目指すべきだとしています。氏らは、これまでのHRMでは、実務のための知見は豊富に蓄積されてきたが、意思決定のための知見が足りないことに問題意識を持っています。今後の企業の生き残りを考えるときには、戦略的なHRMが必要になりますが、そのためには人事の主体的な意思決定が求められます。IT技術の発展によって以前と比べて豊富で使い勝手のよいHR関連のデータが手に入る環境が整いつつありますが、それを効果的に活用するために必要なのが、意思決定のための科学です。

この講演では、上記の考えを一歩推し進めて、これまで経営やビジネスで用いられてきたモデルや理論などのツールを活用することを“retooling”と名づけて、これがどのように行われるかについて紹介を行いました。

retoolingの例として、例えばこれまでの報酬システムは、従業員の不満を最小化するように個別ニーズに応える、あるいは、不平等のリスクを避けるために全員に同じ方法で報酬を出すことが志向されてきました。しかし、マーケティングにおける顧客のセグメンテーションの考え方をretoolすると、さまざまな従業員がいる中で(従業員のセグメンテーション)、不満の軽減をさせるための個別ニーズへの対応が必要な部分と、不平等を減らすための対応のバランスを、どこでどうとるかを戦略的に検討することが可能になります。また、従業員の離職や欠員補充の問題について、これまでは、欠員が出た場合にはなるべく早くそれを埋めて人材不足のリスクを最小化するとともに、離職を最小限にとどめることが志向されてきました。例えばここに在庫管理の考え方を応用すると、従業員数の過不足のバランスを最適化できるように、離職のレベルと空いたポストを埋めるまでの時間の調整を行うことができるかもしれません。

人事管理やそれに関する意思決定をより科学的で合理的にするために、すでにビジネス場面で用いられてきた合理的な意思決定のための理論やモデルを応用することは、面白い視点だと思われます。人には心情があるため、ものと同様の在庫管理は難しく、一歩誤れば思いもよらないネガティブな結果を招きかねません。ただし氏が主張するような発想の転換を行うことで、HRMは財務管理やマーケティング同様、より組織のビジネスに密着した役割を果たせるようになるのではないでしょうか。

パフォーマンス向上を目的とした人事評価

民間の研究機関に所属するPulakos氏とMueller-Hanson氏によって、パフォーマンス管理に関するワークショップが行われました。ここでパフォーマンス管理と名づけられたものは、具体的には人事評価をさします。産業組織心理学において、これまでの人事評価に関する研究は、いかに正しく、誤りや偏りのない人事評価を実現するかをゴールにおいて行われてきました。しかし、近年Pulakos氏を含めて、数名の著名な学者からも、人事評価のゴールはパフォーマンス向上におくべきではないかとの提案が行われるようになっています。

このワークショップでは、より高いパフォーマンスの実現のためにはどのような人事評価を行えばよいかについて説明が行われました。正確な人事評価からパフォーマンス向上へと目標を切り替えた理由の一つは、客観的に評価したりすることが難しかったり、本人の能力や努力ではどうしようもない環境からの影響がある中で、正確な評価の実現はかなり困難であることがあげられていました。人事評価は、上司と部下のコミュニケーションツールであり、特に上司が部下に何を期待するかを明確に伝えるために利用すべきというのが彼らの主張です。例えば、これまでの人事評価システムは、公平性を期するために統一されることが普通でしたが、新しい目標のもとでは、統一する基準は最小限にとどめて、仕事の性質や状況に応じてフレキシブルに決めるほうがよいとしています。また評価を行う管理職は、システムや細々とした規制に従うことを求められるのではなく、自らの判断で正しいことを行うことを期待されるべきであるとしています。このような評価システムを用いる一方で、報酬を決める際には、責任の重さやマーケットの動向などの、評価以外の情報の重みを増やすことも勧められていました。

氏らの提言は、大きな発想の転換であり、具体的な実施に際しては注意が必要ではあるものの、有望な考え方であると思われます。Pulakos氏はこの内容に関連する研究で昨年度のSIOPで、Distinguished Professional Practice Award(実務の世界におけるめざましい成果に対して与えられる賞)を受賞しています。Pulakos氏自身も、評価の正しさを向上させるための研究をこれまで行っており、その研究知見自体の重要性を否定するものではありませんが、正しい評価の限界を認識した上で、実務に生かせる次の研究を志向している点は見習いたいものです。

今年紹介した3つのセッションは、人事管理における科学の利用において少しずつ異なった視点を与えてくれています。Semmer氏のストレスの研究は、ストレス源について「自己への攻撃」という新しい視点を持ち込んで説明することで、ストレスマネジメントのヒントを与えてくれます。一方、Boudreau氏のretoolingの話は、今後のHRMのあり方を考える際の意思決定の科学のための研究の必要性を述べており、今後の研究の方向性を示すものといえます。最後のPulakos氏の発表は、正確さを目指した人事評価に関する研究知見があったからこそ、現場の状況をにらんだ上で次のステージの提案を行うことができたといえます。これもある意味で新しい研究分野の提案といえるでしょう。

研究におけるスピードアップには限界がありますが、Semmer氏の研究にある自己への攻撃は、組織という文脈を離れれば数多くの研究と知見の蓄積があります。変化スピードの速い環境をにらみながら、他分野での知見も参考に、何を研究対象とするかには、今後ますます研究者のセンスが問われるものと思われます。

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