学会レポート

国際的なHRD・ODの潮流

ATD2015国際会議 参加報告

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ATD2015国際会議 参加報告

ATD(Association for Talent Development:タレント開発協会)の2015年度国際会議は5月17日~20日にかけて、米国フロリダ州オーランドにあるOrange county convention centerにて開催されました。

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サービス統括部
HRDサービス推進部
トレーニングプログラム開発グループ
主任研究員

嶋村 伸明(しまむら のぶあき)
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大会概要

人材・組織開発に関する世界最大の会員制組織であるこの協会は、昨年、発足70周年を機にそれまでのASTD(American Society for Training and Development:米国人材開発機構)からATDに名称変更し、今大会はATDとしての初めての国際会議となります。

大会概要1

名称変更と共に、ブランドカラーやロゴも一新され、赤を基調とした新しいブランドイメージで統一された会場は、心なしか参加者を上気させる雰囲気がありました。オープニングセレモニーでは、今日の学習を描写するいくつかのキーワードがちりばめられたイメージムービーが流れ、“Together we create a world that works better(共により良い世界を創り出そう)”というメッセージと共に、Empower professionals to develop Talent in the Workplace(職場でのタレント開発を担う専門家をエンパワーする)というATDの新たなスローガンが投影されました。

大会参加者は9,600名、そのうち米国外からの参加者は2,300名(いずれも公式発表)とほぼ例年と同程度の規模でしたが、日本からの参加者数は昨年よりも大幅に伸びており、日本における関心も高まっていることがうかがえます(図表01)。大会期間中に開催される教育セッション(約300セッション)、およびエキスポの展示社数(約450ブース)も例年と同様の規模でした。

図表01 海外参加者数(上位5カ国)

図表01 海外参加者数(上位5カ国)

教育セッションは今年は14のトラック(図表02)に分けられていました。トラックに大きな変化は見られませんが、昨年大会にあったTraining Design & Deliveryというトラックは、今年Training Delivery(トレーニングの提供)とInstructional Design(学習施策の設計)の2つに分かれました。また、一昨年から設けられていたWorkforce Development for Non-Training Professionals(トレーニングの専門家ではない人々のための従業員開発)というトラックは今年はシンプルにManagementというトラックになっています。産業別のトラックではHealthcare(ヘルスケア)が新たに設けられています。

図表02 ATD国際会議 カテゴリー別セッション数

図表02 ATD国際会議 カテゴリー別セッション数

大会基調講演は例年通り3名のスピーカーを招いて行われました。元AVON社のCEOで、フォーチュン誌やフィナンシャル・タイムズなど著名な経済誌が選ぶ世界のトップ女性リーダーの1人、アンドレア・ジュング(Andrea Jung)氏(現在グラミン・アメリカ:Grameen AmericaのCEO)、英国ニューキャッスル大学の教育テクノロジーの教授で、TED Prizeを受賞したこともあるスガタ・ミトラ(Sugata Mitra)氏、そして国際的に有名なグラフィック・アーティストで起業家でもあるエリック・ワール(Eric Wahl)氏が今年の基調講演者です。

大会概要2

アンドレア・ジュング氏はグローバル企業での10年以上にわたるCEOとしての自身の経験をもとにしたグローバルビジネスをリードする上でのポイントを、スガタ・ミトラ氏はテクノロジー時代である今日の学習のあり方を、そして、エリック・ワール氏はダイナミックな即興のペインティングを交えながら、人々が本来もっている創造性を引き出すために枠を飛び越えてチャレンジしていくことの重要性を、それぞれメッセージしました。

どの基調講演もスピーカーの才能と経験が反映された刺激的かつ深い内容でしたが、特にスガタ・ミトラ氏の講演は今大会の参加者に非常に大きなインパクトを与えたと思います。

伝統的な学習と今日的な学習

スガタ・ミトラ氏の講演では、氏が携わった「壁の穴(Hole in the Wall)」と名づけられた初期の実験プロジェクトの成果(※1999年、デリー郊外において、インターネットにつながるコンピュータを街中の壁に埋め込んだだけの“教える人が誰もいない”環境下で、子供たちに想像をはるかに超えた学習が起きた実験)を筆頭に、教師からの直接的なインプットがないなかでも、好奇心を刺激する環境さえあれば、独学と仲間との知識の共有を通して学習が起こるということを実証した、約10年間にわたるさまざまな(驚くべき)実験結果が圧倒的な迫力をもって紹介されました。
※この一連の実験については現在もTEDで見ることができます。これらはすべて「自己組織化された学習環境(Self-organized Learning Environments)」がもつ想像を超えた可能性を示唆するものでした。

氏の主張は、机が整然と並んだ教室で、教師が教え、全員が同じ内容を同水準になるまで学ぶという伝統的な教育スタイルは、統制された組織で成員が同一の標準的な作業を分担していた工業社会にフィットしたスタイルにすぎず、人々の労働のあり方が大きく変化している今日の社会では、それにフィットする新しい教育スタイルが必要であるというものです。それと同時に、人々の生活、働き方、コミュニケーションの仕方が劇的に変化し、デジタルテクノロジーを生活の一部としてきた世代が中心となりつつあるにもかかわらず、学習という行為だけは100年前のパラダイムで発想していないだろうか? という強烈な問いが投げかけられた講演でもありました。

この、教える人がいない学習環境については、Google社の事例発表セッション(TU307:The Challenge of Scale: Designing Learning Experiences for a Growing Global Audience)でも「どのようにして講師のいないクラスルームをデザインするか」という同社の取り組みが紹介されるなど、すでに実践面でも探求が進んでいることがうかがえます。

教える側にも学ぶ側にもなる

今日的な学習のあり方が示されたもう1つの例として、今大会で登場したモダンメンタリング(Modern Mentoring:現代のメンタリング)という手法に触れておきたいと思います。ATDプレスから同タイトルの書籍を出版したばかりのランディ・エメロ(Randy Emelo)氏のセッションでは、従来のメンターとプロテジェの一対一の組み合わせによるメンタリングが期待成果をあげていないこと、特にミレニアルズと呼ばれる若い世代の学習スタイルとはフィットしないことが問題提起され、今日的なメンタリングのあり方が紹介されました。

メンタリングは米国でも多くの企業が導入している、いわば定番ともいえる人材・組織開発手法ですが、今日、プロテジェの対象となるミレニアルズ世代(*)にとって、従来のスタイルのメンタリング(経験のあるリーダーと若手の有望なメンバーを、第三者<人事など>がマッチングして、運営させる)は不自由さを感じさせるものであるというブルームバーグ・ビジネスウィーク誌(Bloomberg Businessweek March 2013 “The Misery of Mentoring Millennials.”)の記事をきっかけに、見直しが始まっているそうです。セッション会場は満席で、参加者の関心の高さをうかがわせました。
(*)1980年代から2000年までに生まれた世代。米国には8,000万人以上存在し、米国史上最大の集団を構成している。

伝統的なメンタリングと今日的なメンタリングの対比は図表03のとおりです。今日的メンタリングは関係性からの学習であり、一対一ではなく一対多(あるいは多対多)の学習であり、オンライン上の人々も含めて誰もが教える側にも学ぶ側にもなるというのがその主要な概念ですが、注目すべきは背景にある学習パラダイムの対比でしょう。なかでも「一方向の学習」ではなく「多方向の学習」、学習の成功を「具体的な知識を固める」ことから「流動性/可塑性」に求めるといった新しい学習パラダイムは、今日の学習施策のデザイン、および効果測定のあり方に見直しを迫るものと感じました。

図表03 伝統的なメンタリングと今日的なメンタリングの対比

図表03 伝統的なメンタリングと今日的なメンタリングの対比

出所:ATD International Conference 2015 SU117: Are You Ready for Modem Mentoring? ,Randy Emelo

学習の科学の応用

昨年から「学習の科学」というトラックが独立して設けられ、神経科学や行動心理学における近年の研究の知見を学習のデザインに応用しようとする動きが活発になってきていますが、その傾向は今年も変わらず、むしろ応用の分野は拡大しているという印象です。
応用の領域は大きくインストラクショナルデザイン(学習施策の設計)、チェンジマネジメント、パフォーマンスマネジメントに分けられるのではないかと思います。

インストラクショナルデザインの領域では、主に人間の記憶のメカニズムに関する知見が応用されており、例えば記憶における感情の影響に関する知見からストーリーテリング(物語を使った学習手法)の有効性が語られたり、人間の認知の特性からインフォグラフィックスの活用が奨励されたりしています。ATDが他団体と共同で行ったインストラクショナルデザインに関する大規模な調査発表のセッションでは、台頭しつつあるトレンドとして、ストーリーテリング、インフォグラフィックス、バーチャルシミュレーションなどが挙がっていました(SU104:Best Practices and Trends in Instructional Design: Results of Research by ATD, IACET, and R&A)。

また、日常のなかに小さな学習機会を継続、補強することの方が、長時間の集中した学習機会よりも有効であるという主張も、神経科学による記憶のメカニズムの研究からの知見に裏づけられています。Small bite、あるいはBite size(一口サイズ)という言葉で表現されるこの手法は、Eラーニングのデザインやトレーニング後のフォローアップに応用され、さらに浸透してきている印象です(U314:Bite-Size Content and the New E-Learningなど)。

特に、近年、その可能性が大きく注目されているモバイルラーニング(スマートフォンなどのモバイルデバイスを活用した学習)は、この小さな学習機会の創出にきわめて有用であることから、さまざまな活用の試みがなされています。今年の一例としてはスマートフォンを活用した「ナノ・コーチング」と呼ばれる手法を紹介するセッションがありました(SU221:Nano-Coaching: Using Mobile to Make On-the-Job Learning and Coaching Practical)。これは、従業員が日々の顧客接点で起きたことや、そこでの自身の対処についてスマートフォンでネットワーク上にアップすると、それに対するフィードバックやアドバイスが不特定多数の従業員から寄せられ、パフォーマンス改善を促すという仕組みです。

チェンジマネジメントとパフォーマンスマネジメントでは、主に神経科学による「脳の無意識のバイアス」に関する知見が応用されています。この分野で著名なニューロリーダーシップ・インスティテュートのデビッド・ロック氏は人には5つの無意識のバイアスがあり、これらは避けることができないため、こうしたバイアスを理解した組織運営が重要だと主張しています。今大会ではこうした脳のバイアスに関する研究からパフォーマンスマネジメントの問題点を指摘するセッションや、不安やプレッシャーが従業員のエンゲージメントに及ぼす影響について言及するセッションが目立ちました(SU315:Advancing Performance Through Brain-Based Strategies and Tools/M304:The Neuroscience of Why Bias Persists and What to Do About It.)。なかでも、近年、グローバル企業のなかでパフォーマンスマネジメントにおけるレイティング(得点付け)をやめる(あるいは見直す)企業が急速に増えているという報告は、日本人参加者にとってもインパクトのあるものでした。TU300:Rethinking Performance Management (case studies and trends)というセッションでは、パフォーマンスマネジメントにおけるレイティングの過半が評価者のバイアスに影響されていること、また、レイティングが人々に恐怖心を起こし、かえってパフォーマンスやエンゲージメントを低下させてしまうといった調査結果が示され、これからのパフォーマンスマネジメントは、ジャッジ(評価)型ではなく、コーチ型に変わっていかなければならないという主張がなされ、すでにそうした方向に変えてきている著名企業(マイクロソフト、ザッポス、GAP、シアーズ、フェデックスなど)のリストや事例が紹介されました。こうした企業は過去3年間で急速に増えているとのことでパフォーマンスマネジメントにおいても伝統的なスタイルの見直しと今日的なあり方が模索されているようです。

学習の科学の応用

ストックからフローへ

「今日的な学習」の実践を試みている企業の好例としてフェイスブック社の事例発表セッション(M109:Executing the Talent Strategy by Democratizing and Leveraging Development)を取り上げたいと思います。このセッションでは、フェイスブック社がタレント人材を惹きつけ、定着させるために社内の学習機会をどのように活用しているかが、同社の教育に関する4つの信条と共に紹介されました(図表04)。

図表04 フェイスブック社の教育に関する4つの信条

図表04 フェイスブック社の教育に関する4つの信条

出所:ATD International Conference 2015  M109:Executing the Talent Strategy by Democratizing and Leveraging Development

これを見ると、左側が学習と開発に関する伝統的なパラダイムで、右側が今日的な学習パラダイムであることが分かります。すなわち、1の「自分より経験豊かな人からもっとも学べる」というのは、上下関係で行われる伝統的なOJTが依拠している前提ですが、右側の「周りの誰からでも学べる」は、前述のモダンメンタリングと同様に教える側と教えられる側の上下関係は前提とされていません。左側はいわば「ストック(蓄積)」に、右側は「フロー(流れ)」にそれぞれ価値を置くパラダイムといえます。同様に、2の「卓越さ」、3の「キャリア開発」、4の「効果的な学習」のそれぞれの対比も、知識やスキルをストックすることではなく、実際の仕事や周囲とのやり取りを通じた知識や経験のフローに焦点が当たっていることが分かります。これらの対比は、前出のモダンメンタリングにおける新しい学習パラダイム(図表03)とも多くの共通項をもっています。

2013年の大会の基調講演で、元パロアルト研究所のジョン・シーリー・ブラウン(John Seely Brown)氏が、「21世紀の学習は知識のストックではなく知識のフローに身を置くことである」という主張を展開しましたが、フェイスブック社の信条はまさにそれを実践に移そうとしているものであるといえるでしょう。同社はこれらの信条に基づいて、SNS(Facebook!)を活用したさまざまな社内コミュニティやハッカソンなどの学習イベント、ポジションの昇格だけでなく多様な経験を開発できることに焦点を当てたキャリア開発の仕組みなどを用意しているとのことでした。

実際の仕事や周囲とのやり取りを通じた知識や経験のフローからの学習は、学習者が主体的に周囲に働きかけて、学びの連鎖を作り出していくもので、誰かが「仕組める」ものではありません。こうした文脈から今年はラーニングエコシステム(生態系)という考え方も登場しました。これは個人が必要なリソースにいつでも気軽にアクセスできるような、テクノロジーとリソース(人々含む)が融合した環境を作り出すことです。SU209:Beyond Competence: The Journey From Novice to MasterやM117:Exploring the Expanded Talent Development Ecosystemなどのセッションでは、こうした環境の具体的なイメージが紹介されていました。

知識や経験のストックに価値を置くパラダイムを見直そうという文脈は、キャリア開発やリーダーシップ開発の領域でも見られました。タレントマネジメントの著名な研究者ビバリー・ケイ(Beverly Kaye)氏は今年のセッションにおいて、今日のキャリア開発は垂直にのぼるはしご(キャリアラダー)のようなものではなく、行ったりきたりしながら少しずつ可能性を広げていくボリダリング(壁のぼり)のように考えた方がいいとメッセージしていましたし、リーダーシップ開発で著名なCCL(Center for Creative Leadership)による、「将来のリーダーシップ開発のトレンドに関する白書(White paper: Future trends in Leadership Development)」では、細分化されたコンピテンシーに基づいたリーダーシップ開発からは離れるべきだという見解が述べられていました。

VUCAの時代には管理ではなく解放

“VUCA(ブーカ)”は昨年の大会でのキーワードの1つで、変化が激しく予測困難な今日の世界を描写する言葉です(*)。今大会はこのような環境を前提に、従来のような「学ぶべき知識があり、教える人がいて、学び手が一定の基準を達成する」ことをゴールとする伝統的な学習のあり方への強い疑問と共に、学習と開発に関する考え方が大きくシフトしつつあることを随所で感じた大会でした。
(*)Volatility(変動性:変化の性質、量、スピード、大きさが予測不能のパターンをもつこと)、Uncertainty(不確実性:問題や出来事の予測がつかないこと)、Complexity(複雑性:多数の理解困難な原因、抑制因子が絡み合っていること)、Ambiguity(曖昧性:出来事の因果関係がまったく不明瞭で前例もないこと)の頭文字をとった略語

それらは、「クラスルームからモバイルへ」「一対一からネットワークへ」「計画されたイベントから日常の小さな学習へ」「ジャッジ型からコーチ型へ」など、個々のテーマ別セッションのなかでさまざまな言葉として登場するのですが、筆者の理解では通底する1つのメッセージがあったように思います。それは、「人間が生来もっている学ぶ行為を解放することが、今日のタレント(才能)開発(ひいては組織能力の開発)への最良策ではないのか?」という投げかけです。

コントロール不能なほど知識の更新スピードが早く、予測と計画が機能しがたい今日の世界では、タレントや学習をマネジメントしようとする試みよりも、解放しようとする試みの方が有効である……。もしかすると、今大会はAssociation for Talent Developmentという新しい名称に忠実に沿って運営されただけなのかもしれません。
弊社では引き続き、情報収集に努めてまいります。

VUCAの時代には管理ではなく解放
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