学会レポート

国際的なHRDの潮流

ASTD 2007国際会議 参加報告

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ASTD 2007国際会議 参加報告

HRD関係者が集う世界最大のカンファレンス、ASTD(全米訓練開発協会)国際大会が今年も開催されました。弊社組織行動研究所では毎年研究員を派遣し、HRD領域のグローバルな最新動向をウォッチしています。本稿では、今年の世界大会の概要を報告するとともに、昨年度の傾向との比較を通じてHRDの今日的な動向を考察したいと思います。

執筆者情報

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サービス統括部
HRDサービス推進部
トレーニングプログラム開発グループ
主任研究員

嶋村 伸明(しまむら のぶあき)
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国外参加者の増加

6月3日から7日にかけてジョージア州アトランタで開催された2007年国際大会の参加者数は9300人(ASTD発表)、期間中の教育セッション265、エキスポ出展数370と、昨年に比べてその規模は若干拡大しています。とくに、米国外からの参加者は近年増加傾向にあり、欧州やアジアのスピーカーによる教育セッションも珍しくなくなりました。ASTDによると、今大会の米国外参加者は78カ国から1900名強とされています。実際に会場の半数以上が国外参加者といったセッションがいくつかありました。アジアでは韓国が非常に熱心です。韓国の参加者は年々増加しており、今年の参加者は432名。日本の178名と比べれば、その熱心さがわかります。

ASTDによるオープニングセッションでは、グローバル展開をしている企業のCLO(Chief learning officer)が、「今日のようにスピーディに変化するビジネス環境の中で、どのようにして国際的レベルで人材を確保し、スキルアップを図るかが重要な論点である」としてグローバル人材開発の緊急性を強調していましたし、世界地域別のHRD動向を共有するセッションや、「コーチングにおける米国と欧州の違い」などといった国際的なテーマのセッションが今年は目立った印象があります。国家、企業レベルでのグローバル競争が進行する中で、HRD担当者も地球規模の視点がますます求められているということでしょう。

国外参加者の増加

「ビジネス戦略と学習のリンク」が継続したテーマ

教育セッションのカテゴリー(セッショントラック[図表01参照])は一昨年(2005年)から変化しておらず、HRD領域における主要トピックはここ数年安定してきていると思われます。カテゴリー別では、「学習をデザインし、供給する」「ビジネス戦略としての学習」におけるセッション数の増加が目立ちます。これは、従業員とその学習を企業の競争優位の源泉ととらえる機運が高まる中、今日のHRD担当者に「企業のビジネス戦略と従業員の学習を結びつける」役割が期待されていることの現れと考えることができます。

「ビジネス戦略と学習のリンク」が継続したテーマ

ASTDのプレジデントであるトニー・ビンガム(Tony Bingham)氏も、昨年に引き続き基調講演の中で、「従業員が競争の差別化要因となりつつある。ベスト企業は従業員の学習と戦略をリンクさせている」と述べるとともに、ASTDが2006年に行った調査結果を引用し、「回答企業の実に96.2%が、現在の従業員に、『求められる能力とのギャップ(スキルギャップ)』が存在すると答えている。世界中の組織で『CLO』の定義の見直しが始まっており、HRDはビジネスパートナーとして組織のパフォーマンス改善に焦点を当て、学習文化の開発に取り組まなくてはならない。これはHRDの機能からOD(組織開発)の機能にシフトすることだ」と主張しました。

こうした「戦略オリエンテッド」とも呼べる動きは、旧来の人材開発における「学習コンテンツありき」、あるいは「(優良な)トレーニングプログラムありき」の発想とは180度異なるものです。そのため、HRD担当者は従来の枠組みにとらわれず、「ビジネス戦略実現のための学習をデザイン」し、「現場のパフォーマンス向上に結びつく届け方(デリバリー)」を開発していく必要性があるわけです。ASTDはこのようなHRD機能の変化の必要性をすでに2000年あたりから主張し始めており、HRD担当者向けに、求められる変化に対応するための資格付与プログラムを提供するなどの啓蒙活動を続けています。

「ビジネス戦略と学習のリンク」が継続したテーマ

インフォーマル学習への関心が再浮上

今大会のキャッチコピーは、「Unlock the knowledge(知識を解放せよ!)」というものです。このメッセージは一見、HRD担当者自身の知識の解放を意味するように思えますが、今年のセッションの傾向をみると、「HRD担当者は、働く人々すべての知識を解放しよう」といった解釈のほうが妥当ではないかと思います。今大会では、「ネットワークによる学習」や「インフォーマル学習」、そして「COP(Community of practice;実践共同体)」といったテーマを扱うセッションが目立ちました。これらは「ナレッジ・マネジメント」とあわせて、2001年の大会でクローズアップされた「組織学習」に関するテーマです。こうしたテーマが今年再び浮上した背景には、すでに始まっているベビーブーマー世代の引退に伴う「知識の移転」の必要性が、その困難さも含めて大きな課題になってきていること、また、「Web2.0」にみられる新たな知識創造の潮流が企業の学習の領域にも応用されるようになってきていることの2つがあると思われます。

1つめのベビーブーマーの引退問題は、すでに2000年あたりから喫緊の課題としてその重要性は認識されていましたが、ASTDとIBMによる調査の発表セッションでは、実際のアクションをとっている企業はさほど多くないという結果が発表されていました。セッションでは、「ベビーブーマー世代が培った経験に基づく知恵や顧客との関係性を引き継ぐこと」が大きな課題であり、「退職しつつある層と若い層それぞれが持つトレーニング形態に対する好みや傾向を“正しく”理解し、そのうえでこれらの形態をうまく組み合わせて効果的な学習を促進すべきだ」との主張がなされていました。そこでは、いわゆるクラスルームトレーニングだけでなく、コーチングやメンタリング、人脈のネットワーキングなどインフォーマルな学習機会が必然的に求められることになります。

Web2.0世代の学習ツール

インフォーマル学習への関心が高まっている2つめの背景は、「Web2.0」と呼ばれるテクノロジーが組織に新しい知識創造環境を作り出しているというものです。今大会では「Wiki」や「SNS」、「ソーシャルブックマーク」「ブログ」といったツールが、学習者主体の学習環境を作り出す可能性を持っており、「フォーマルな学習」と「インフォーマルな学習」を通じた新たな知識創造環境を組織内部に実現できる、という趣旨のセッションが多くの参加者を集めていました。エネルギー大手Shellの発表セッションでは、フォーマルな学習機会とインフォーマルな学習機会を統合した同社の取り組みが紹介されました。Shellではフォーマルな学習機会として上司、職場を巻き込んだコースを運営するとともに、コーチングとメンタリング、Web上でのCOP、そして「Shell Wiki」と呼ばれる独自の知識データベース(世界中の社員が協働作業で知識更新できる)などによるインフォーマルな学習環境を整えることで、学習者が主体となって知識を交換、更新、創造するグローバル規模の学習インフラを構築しているとのことです。

Eラーニングにおいても、Web2.0世代のツールを活用した学習システムが数多く紹介されていました。「Eラーニング2.0」と銘打たれたセッションでは、「Eラーニングも2.0世代へのシフトが起きており、そこでは学習の主催者はワーカーであり、学習コンテンツ自体もユーザーが構築していく」とした主張が展開されていました。注目すべきはポッドキャスティングを使ったオンデマンド学習でしょう。日本でも音楽番組などを中心にポッドキャスティングサービスは普及しつつありますが、IBMやXerox、National Semiconductorといった企業では日常的な現場での情報収集や知識獲得にポッドキャスティングを活用しており、従業員は日常の仕事の中でi-PodやMP3プレーヤーを活用して、動画や音声によるコンテンツをミュージックビデオを見るように学習していると紹介されていました。こうした学習形態の普及には「デジタル・ナイーブ(デジタルに敏感な世代)」と呼ばれるデジタルやネットワークに慣れ親しんだ世代が従業員の一定数を占めるようになってきた背景があるとのことです。

Web2.0の流れがもたらす最大のインパクトは、参加者(学習者)自体が知識発信者であり、相互作用を通じて新たな知識を創造し、更新していくという点にあると思います。それは旧来の教える側、教わる側という関係の中にあった情報の非対象性という前提を覆すものであり、組織学習のあり方自体を変えていく可能性を持っています。

ポジティブアプローチの台頭

昨年に引き続き、ポジティブアプローチへの関心が高まっています。昨年の基調講演者の一人であるマーカス・バッキンガム氏(※1)に続いて、今年も同様にギャラップで「Strength Finder(自己の強みを見つけるツール)」の開発に携わったトム・ラス氏(※2)が基調講演を行いました。ラス氏は、ギャラップが長年行った調査結果を披露しながら、「何が人々のエンゲージメント(会社とつながっている感覚で生き生きと仕事ができる状態)を高めるか」「強みへの着目がいかに人々の能力を引き出すか」そして、「職場でのよい人間関係がいかに人々の意欲を高めるか」といったテーマでポジティブ心理学の有効性を主張しました。

能力開発の手法においても、ポジティブアプローチによる新しい提案が出てきています。昨年のレポートでも触れたAI(Appreciative Inquiry;ポジティブ心理学と社会的構成主義に基づいた組織開発手法)は、よりポピュラーな手法になるとともに、今年はAIのセオリーを活用したコーチングが登場しています。「Appreciative Coaching: A positive Model for change」というセッションでは、「伝統的なコーチングはギャップを明らかにすることから始めるが、AIの原則をコーチングに適用することで、より前向きなエネルギーとパフォーマンスを引き出すことができる」という主張が展開されていました。

この「強みへの着目」という主張は、昨年の国際大会からずいぶんと目立つようになった印象がありますが、今年はさらに、もう一人の基調講演者キース・フェラッツィ氏(※3)が、「Relationship for Success」というタイトルで「成功には、弱みもさらけ出せるような関係を築いていくことこそ重要で、そのためには自分から偏見を捨てて開放的な態度をとることが必要だ」という持論をエネルギッシュに展開しました。「強み」に着目するだけでなく、「弱み」も理解、受容できる高信頼の組織を築いていこうという考え方は、「ダイバシティ・マネジメント」のテーマの中でも取り上げられており、組織開発やリーダーシップ、マネジメント開発の領域においても今後新しい動きにつながっていくと思われます。

マーカス・バッキンガム(※1)Marcus Buckingham;国際的調査会社ギャラップ出身のコンサルタントで『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』(日本経済新聞社)の著者
トム・ラス(※2)Tom Ruth;ギャラップ社のプラクティス・リーダーで『How full is your bucket?;邦題;心の中の幸福のバケツ』(日本経済新聞社)の著者
キース・フェラッツィ(※3)Keith Ferrazzi;ベストセラー『Never eat alone』の著者で、ダボス世界経済会議で「明日のグローバルリーダー」と称された若き経営者

ますます高まるタレントマネジメントへの関心

今大会では、「ビジョナリーカンパニー」の著者で有名なジム・コリンズ氏も基調講演者の一人でした。コリンズ氏は、「ビジョナリーカンパニー」の続編である「ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則」の研究をもとに、「偉大になった企業のCEOは90%が社内から選ばれていた」「沈んでしまった会社は、正しい人を会社の中にとどめておくことができなかった。外部の変化よりも内部の変化で滅ぶ会社のほうが多い。偉大な会社になろうとするのなら、“正しい人”を連れて来て、定着させる……これしかない!」とHRDの役割の重要性を強調しました。

「タレントマネジメント(高い潜在能力を持つ人材の獲得、開発、維持)」は今日、HRD領域の定番的なテーマになりました。国際大会でも、2005年から「Career Planning and Talent Management」というセッションカテゴリーが設けられるようになりましたが、今大会では参加者の関心がますます高まっており、優先度の高い課題になってきていると感じました。「人材の定着」や「リーダーの後継者育成」に関するセッションは盛況で、積極的な質疑応答がなされていました。今年感じられた傾向としては、「(一部の)優秀なタレントの獲得、維持」という文脈が弱くなり、替わって「従業員一人ひとりが持っているタレント(才能)を発見し、それを最大限に発揮させる」という意味合いが強くなってきているという点です。前者がどちらかといえばHRM(人的資源管理)の領域であるのに対して、後者はまさにHRD(人的資源開発)の領域といえるでしょう。

今年は、「Preference(選好)」という言葉を聞くことが多かったように思います。ロングセラー『あなたのパラシュートは何色?』の著者であるリチャード・ボウルズ(Richard N. Bolles)氏は、複数のセッションで「仕事は細かく分解していけば“動詞”として定義することができる。自分が楽しかった仕事から“好きなこと”を抽出すれば、それがキャリアの軸になる」と主張していました。タレントの定着戦略で著名なベバリー・ケイ(Beverly Kaye)氏は、一人ひとりの才能に重点を置いた組織を構築し、従業員のエンゲージメントを高めるために、退職者インタビューではなく、残っている人へのインタビューを通じて、「どんなときが楽しくて、どんなときにそう感じないのか、何がその人を引き止めているのか」を引き出すほうが有益だというアイディアを提案していました。一人ひとりが「楽しく」「生き生きと」「個性や才能を発揮できる」のはどのような仕事や瞬間なのか、それを働く側も、企業側も探求し続けていくことが、これからのタレントマネジメントの基本なのかもしれません。

以上、2007年の国際大会の概要とそこから読み取れる動向を述べてきました。全体に昨年までと比べてそれほど目新しいコンセプトや手法が登場した印象はありませんでしたが、90年代後半以降、主に米国を中心として開発されたコンセプトや手法がグローバル企業を中心に世界的規模で実践に入っているということは実感できました。今後ともこうした拡散の動きは加速するものと思われます。また、先進国を中心とした労働力不足とスキルギャップの拡大が進行していく中で、人々の学習と成長は企業の競争力を左右する要因として、ますますその影響力を高めていくでしょう。私たちHRD関係者にとっては大きなチャンスですが、同時に従来の枠組みにとらわれない発想と行動が求められるチャレンジでもあります。来年の国際大会はサンディエゴで開催されるというアナウンスがありました。弊社では引き続き情報収集を続けてまいります。

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