研究レポート

—日本的雇用慣行の変化の一側面—

転職のネガティブなイメージはなぜ生まれ、薄れたのか(前編)

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転職のネガティブなイメージはなぜ生まれ、薄れたのか(前編)

1971年に発行された『職業の世界—その選択と適応—』によると、転職はかつて「職業観の甘い者」や「脱落者」が行うものとされ、社会からネガティブなイメージを抱かれていたようです。現在では転職に対するネガティブなイメージは薄れてきていると考えられますが、そのような変化が起こる過程では何があったのでしょうか。転職のイメージの変化は働く人の行動に影響を及ぼすと考えられるだけでなく、変化の背景を押さえておくことは今後の労働市場を考えるうえでも有益であると思われます。本レポートでは、なぜ転職のイメージはネガティブであったのか、そのイメージがなぜ変化してきたのかを考察します。

執筆者情報

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技術開発統括部
研究本部
測定技術研究所
主任研究員

松本 洋平(まつもと ようへい)
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1.転職のイメージは変わった

現代において、自身のキャリアを考えるうえで転職を全く考えたことがないという人は少ないのではないでしょうか。
直近10年を見ても、転職希望者は大きく増えており、特に正社員の希望者が伸びていることが特徴的です(図表1)。

<図表1>雇用者(役員を除く)における転職希望者数の推移

雇用者(役員を除く)における転職希望者数の推移
出典:総務省統計局「労働力調査(2013年‐2024年実績)」より筆者作成

また、近年の人材採用難から新卒採用以上に中途採用を増やす企業も多くなっています(リクルートワークス研究所, 2023)。さらに厚生労働省の分析(2018)では、転職者の職業生活全体の満足度は就業者全体よりも高いことが示されました。多くの企業は転職者を必要としており、転職者も新しい環境に満足している人が多いようです。このような状況を見ると、現代社会においては企業も転職者自身も転職にネガティブなイメージはないように思えます。しかし、転職や転職者に対する社会のイメージは、かつてはかなりネガティブなものでした。
具体的な例を見ると、1971年に発行された『職業の世界—その選択と適応—』では、離職された側の事業者の転職者に対する見方として「尻の軽い者として、また職業観の甘い者として非難するのも~自然の理である」と述べています。また同書では、1967年に労働省(現 厚生労働省)より「積極的な意味のある転職ならいいが、軽はずみな転職は避けよ」という転職を抑制する方針が出されたことをきわめて注目すべきこととして紹介しています。というのも、こうした内容は裏を返せば、それまでは「どんな事情があっても、転職はよくないもので抑制すべきである」というのが労働省の見方であったことを示しているからです。こうした内容からも、当時の社会における転職に対する厳しい見方がうかがえます。
また採用の100年史を振り返った「採用100年史から読む 人材業界の未来シナリオ」(黒田・佐藤,2019)では、1976年から1984年まで転職情報誌「就職情報(株式会社就職情報センター 現株式会社リクルートホールディングス)」の編集長を務めた神山陽子氏の思いとして「一度会社を辞めると『脱落者』のように見る社会を変えたいという気持ちが強かった」という声を紹介しています。ここでも転職者に対し、「社会」がネガティブなイメージをもっていたことが示されています。
このような、昔から存在する転職に対する否定的観点を、安藤(2021)は「転職悪玉説」と呼んでいます。では、そのようなイメージはなぜ生まれたのでしょうか?

2.「敷かれたレールから外れる行為」だった高度経済成長期までの転職

安藤(2021)は、転職悪玉説が生まれたのは明治期に普及した“勤勉な日本人”というイメージに対し、“怠惰な遊民”というイメージが転職者に被せられたからだと述べています。
しかし仕事をしていないならともかく、新たな仕事に就こうとする転職にネガティブなイメージがあるのは不思議です。その理由を、本稿では長期勤続(つまり、転職をしないこと)が、日本の労働市場におけるスタンダードであったからだと考えます。
歴史を振り返ると、明治時代までは職を転々とするのは普通のことでした。しかし明治期に産業が高度化・複雑化するにつれ、熟達したスキルをもつ人材の必要性が増してきます。そのため企業は、他社への転職を防ぎつつ自社内でスキルを高め続けてもらうために、長期勤続を優遇する人事制度を導入していきました。優秀な人材に長期に勤続してもらうためにはなるべく早い時期に就業してもらった方がいい、という発想も生まれ、学校卒業後の人材を囲い込む動きも出てきます。大正期には従業員の採用を学校卒業時等に限定する「定期採用制」が確立し、学校を卒業したらすぐに就職し、そのまま長期勤続する、という流れができました(濱口, 2024)。
なお、上記の流れは主に生産工程や現場作業を担う労働者について述べたものですが、明治期に近代的な企業が誕生するなかで幹部候補生として求められるようになった事務系の職種一般に就く労働者も、大学卒業と同時に就職することが同時期に確立しています(菅山, 1989)。また、両者は元々は管轄する省庁も異なっていましたが、第二次世界大戦中には管轄省庁や関連制度が一本化されて同じ社員として扱われるようになり、加えて戦争遂行に必要な業種における労働力確保の観点から労働者の自由な移動が禁止されるなど、長期雇用慣行につながる制度もできたといわれています(濱口, 2024)。

終戦後にこれらの制度の見直しが行われる機運もあったものの、産業が急速に復興し、経済が成長するなかにおいては、就業経験のない新卒者を低い賃金で雇用し、長期勤続により能力開発を行いながら昇給させ、手厚い家族手当などとあわせて従業員の生活を保障するような人事制度は、企業にとっても労働者にとってもフィット感のあるものでした。このような人事制度は「日本的雇用慣行」として日本企業、ひいては日本社会のスタンダードな考え方となり、世界的にも注目されるものとなります。

長期勤続が日本社会のスタンダードであれば、転職はスタンダードから外れる行為です。転職をすれば長期勤続による能力上昇と昇給がリセットされてしまうため、キャリアのごく浅い若年層はともかく、中堅以上にとってはデメリットが非常に大きいものでした。このような長期勤続を前提とする「日本的雇用慣行」下においては、転職者は“スタンダードな雇用慣行にうまくなじめなかった人”“社会の一般的で理にかなったレールから外れざるを得なかった人”として、問題のある人だと捉えられるようになり、転職者や転職自体にネガティブなイメージが付与されたのだと想定されます。

前編では、日本社会において転職がネガティブなイメージをもつに至った経緯について述べました。後編では、そのイメージがなぜ薄れてきたのかについて考察します。

参考文献:
安藤りか. (2021). 転職悪玉説の誕生をめぐる試論: 明治時代後期に注目して. 名古屋学院大学論集 社会科学篇, 58(1), 107-126.
藤本喜八.(1971).職業の世界-その選択と適応-.日本労働協会
濱口桂一郎. (2024). 賃金とは何か: 職務給の蹉跌と所属給の呪縛. 朝日新聞出版.
神林龍. (2016). 日本的雇用慣行の趨勢: サーベイ. 組織科学, 50(2), 4-16.
厚生労働省. (2018). 平成30年版 労働経済の分析 :働き方の多様化に応じた人材育成の在り方について.
黒田真行, 佐藤雄佑.(2019).採用100年史から読む 人材業界の未来シナリオ. クロスメディア・パブリッシング.
菅山真次.(1989). 戦間期雇用関係の労職比較 : 「終身雇用」の実態. 社会経済史学 ,55(4),. 407-439,554.
孫亜文. (2023). 転職希望者の約87%は1年後に転職していない. リクルートワークス研究所.
総務省統計局.(2024) 労働力調査(2013-2024).

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