「能力」の二側面−非認知能力は重要であり続けるのか 労働市場における非認知能力の価値

技術進歩にともなって、人がもつ能力の価値はどのように変化していくのでしょうか。先行研究を紹介しながら、経済学の視点から考察していきます。


「能力」の2つの側面

学生時代の試験に苦労した記憶は誰しももっているだろう。だが、実はその学校教育においても、近年は多少風向きが変わりつつある。知識や技能に加えて、論理的な思考力や表現力、あるいは行動の主体性や他者との協働性などの必要がさかんに強調されるようになっている。少しでも企業人事に触れたことのある人ならば、こうした多面的な能力観にさほど違和感はあるまい。表現こそさまざまだが、企業においてもやはり、測りやすい業績や成果だけでなく、それ以外のさまざまな行動特性も評価の対象とされるのが通例である。職能や情意、あるいはコンピテンシーなどを評価制度に取り入れている企業は多い。こうした評価やフィードバック、あるいは研修などを通じて、企業は組織を担うにふさわしい人材を育成し、望ましい能力を習得させようとしている。

経済学や心理学などの分野では、人がもつ能力を「認知能力」(Cognitive skills)と「非認知能力」(Non-cognitive skills)に概念上区別している。前者の代表例は、試験や知能検査などで具体的に測定できる学力や知的能力である。一方、後者の非認知能力とは、仕事の成果や人生の行方に影響を与えるようなパーソナリティや対人能力を指している。もう少し細かく言えば、仕事に対する誠実さや忍耐心、リーダーシップやコミュニケーション能力などが例として挙げられる。なお、非認知能力は、しばしば「ソフト・スキル」や「社会的スキル」(Social skills)などと呼ばれることもある。これらの呼び名の方が、むしろその内容を端的に表しているかもしれない。

近年、人工知能の発達により多くの職業が代替されるとの展望が発表され、大きな話題となった(Frey and Osborne, 2013)。確かに、技術進歩によって人間の働く場が狭まっていく可能性はあり得るのかもしれない。しかしその一方で、だからこそテクノロジーでは容易に代替できないような人間的要素の価値が、いっそう高まっていくようにも思える。技術が日々進歩していくなかで、人がもつこれらの能力は価値を減じていくのだろうか。それとも、よりいっそう必要とされるようになるのだろうか。もし変化があるとすれば、必要性が高まっていく(あるいは低下する)のは認知能力と非認知能力のどちらだろうか。この小論では、これらの点について経済学の分野で議論されていることを、いくつか簡単に紹介してみたい。

非認知能力の重要性

労働市場における非認知能力の重要性に早くから言及していたのは、2000年にノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘックマン教授である。まず、その研究の一端を簡単に紹介しておこう(Heckman and Kautz, 2012)。

アメリカにはGeneral Educational Development(GED)という試験がある。たとえ高校を卒業していなくても、この試験に合格すれば、高校卒業相当の学力をもっていることの証明になる。ヘックマン教授らは、1979年時点のGEDを受験していない高校中退者(中退群)、GEDに合格した高校中退者(GED群)、および高校卒業者(高卒群)のデータを集め、さまざまな観点から統計的な分析を行った。なお、GED群と高卒群は、いずれも高校より上に進学していない人々を対象としている。

まず、陸軍の入隊資格試験の成績を比べてみると、GED群の平均成績は高卒群とほぼ同等の水準であり、中退群を明らかに上回っていることが分かった。前述のとおり、ペーパーテストの成績で把握できるような学力は認知能力の典型例である。つまり、認知能力の程度を示す指標としては、GEDは確かに正しく機能している。

ところが、若年時の飲酒や喫煙、あるいは非行や犯罪などの問題行動の頻度を比べてみると、GED群は中退群とほぼ同様か、あるいはそれよりも悪い傾向を示す。また、失業や離婚、逮捕・投獄などのネガティブな状態に陥る確率も、やはりGED群は中退群とほぼ同様であり、学力においては同等である高卒群に比べると、明らかに悪い状態にある。学力があるにもかかわらず高校をドロップアウトしたのだから、学力以外の面で何らかの原因があったということなのであろう。つまり、GED群に含まれている人々は、高卒相当の学力こそ有するものの、総じて仕事や生活上の誠実さや忍耐心に問題があり、物事を達成しにくい傾向があると考えられるのである。そして、労働市場における賃金水準もそれを裏付けている。ヘックマン教授らの分析によると、GED群が受け取っている平均的な賃金は、時給も年収も高卒群よりも明らかに低く、一部の年齢層では中退群をも下回っていることが分かったのである。

これらの分析から得られる1つの示唆は、分かりやすい認知能力面の指標だけで、人がもつ多面的な能力を測ろうとすることの限界である。GEDは高卒相当の学力保有を示すよいシグナルであるが、その一方で、明らかに非認知能力の側面を測り損ねている。むろん、これはやや極端な例かもしれない。しかし、例えば学歴や業績指標などの日常的に用いられている指標についても、そこに反映されていない要因があることに十分な注意が払われるべきであろう。

そして、より重要な2つ目の示唆は、GEDに反映されていない非認知能力が、実は職業生活における重要な要因であるということである。上述の賃金の分析結果はそのことを示している。GED群の相対的な賃金の低さは、生産性の低さの反映である。この群に含まれる人々はそれなりの学力をもっているにもかかわらず、非認知能力面の問題によって生産性が低下していると考えられるのである。

非認知能力は重要であり続けるのか?

上述のヘックマン教授らの分析はやや古いデータを用いたものであった。そこで見出された結果は、その後の労働市場においても意味をもち続けているのだろうか。

目覚ましい技術進歩が生じているのは最近に限ったことではない。少し過去を振り返れば、1980年代には「ME革命」があり、続く90年代以降にはインターネットの爆発的な普及と、それに伴う「IT革命」があった。大きな技術革新が連続した時代である。そうした流れのなかで、人々の能力に対する労働市場の需要のあり方は変化したかもしれない。

この点については、カリフォルニア大学のキャサリン・ワインバーガー教授による分析を見ておきたい(Weinberger, 2014)。この論文では、まず、1977年から2002年までの米国内において、どのような職業が増え、あるいは減る傾向にあったかを、大規模なデータを用いて分析している。ここには、米国労働省の「職業辞典」(Dictionary of Occupational Titles)によるおもしろい情報が含まれている。それぞれの職業において、数量的な分析力や対人能力がどの程度必要であるかを10段階で評価した値である。このデータを用いた分析の結果、この期間中のアメリカにおいては、数的分析力と対人能力の両方を要する(いずれの評価値も5より上)職業が増加しており、いずれか一方の能力のみに偏っている(一方の評価値が5より上、他方が5以下)職業は、それがどちらの能力であるにせよ、減少していたことが分かった。

続いて、この論文は1972年および1992年に高校3年生だった2つの年齢層に着目している。それぞれの層の個人について、高校時代の数学の成績、課外活動などのリーダー経験、および高校を卒業して7年後、つまり1979年もしくは1999年時点での職業と賃金のデータが得られている。これらを用いた分析の結果、まず、高校時代のリーダー経験が7年後の賃金に与えるプラスの影響は、1979年よりも1999年において大きくなっていたことが分かった。つまり、非認知能力に対する労働市場の評価は、この間に上昇したと考えられる。次に、これらの年齢層の間で賃金の変化を比較すると、数学力とリーダー経験の両方をもっている人材の賃金が増加傾向にあり、いずれか一方だけの人材の賃金はほぼ変化がなく、いずれももたない人材の賃金は下落していることが分かった。

なお、ハーバード大学のデビッド・デミング教授も、より新しいデータを用いて分析を行い、ワインバーガー論文とほぼ同様の結果を得ている(Deming, 2015)。それによれば、1980年から2012年までの期間中に、高レベルの非認知能力を要する職業が10%増加した半面、認知能力の方を専ら要する職業は3%減少している。また、非認知能力に対する労働市場のリターン(賃金)が、1980〜90年代よりも2000年以降の方が大きくなっていることも確認されている。

認知能力と非認知能力の「補完性」

これらの分析が示す結果は興味深い。単に直感的に予想すれば、急速に技術進歩が進む環境においては、その技術を使いこなすための数的能力などの認知能力が重視されがちになるように思える。あるいは逆の予想として、そうした認知能力はテクノロジーに代替されてしまい、残る非認知能力の価値が高まるようにも思える。ところが、米国の労働市場で実際に起きていたことは、そのいずれでもなかった。どちらか一方の能力だけではなく、両方の能力を比較的高い水準で必要とする職業が増えた。また、それらを兼ね備えた人材の賃金が上昇する一方、どちらか一方だけを得意とする人材の賃金には、さほどの変化は見られなかった。いずれももたない人材の賃金は低下傾向を示し、格差は拡大した。

ワインバーガー教授は、これを「補完性」という言葉で説明している。つまり、認知能力と非認知能力は、それぞれ単独ではなく、組み合わせることでより大きな価値を生み出しているのである。上記の研究結果は、過去30年ほどの間に、その補完性の価値が次第に増大してきたことを示唆している。この間の技術進歩は人の能力、特にその非認知的側面と反発し合うのではなく、むしろ補完性を通じてその価値を高め、需要を増やしてきたと見るべきだろう。低スキル労働との間に生じた格差拡大はその裏面である。

冒頭に触れたFrey and Osborne(2013)は、「社会的知性」(Social intelligence)を技術で代替することの困難さを指摘している。この場合の社会的知性とは、他者の反応の理解や交渉、説得、支援などといった類の人間行動を指す。むろん将来の予測は難しいが、少なくとも、こうした困難が短期的に克服されるとは考えにくいだろう。それだけに、人の非認知能力によってこれらの機能を補完していくことは、今後の技術進歩にともない更に必要性を増していくのではないだろうか。学校教育や企業の人事管理において、人材の非認知的側面の評価・育成を図っていくことは、当面その価値を減じることはなさそうに思える。

参考文献
Deming, D. J. (2015) “The growing importance of social skills in the labor market”, NBER Working Paper 21473.
Frey, C. B. and M. A. Osborne (2013) “The future of employment: How substitutable are jobs to computerisation?”, Oxford Martin School Working Paper No. 7.
Heckman, J. J. and T. Kautz (2012) “Hard evidence on soft skills”, Labor Economics, 19: 451-464.
Weinberger, C. J. (2014) “The increasing complementarity between cognitive and social skills”, The Review of Economics and Statistics, 96(5): 849-861.


PROFILE
柿澤寿信(かきざわひさのぶ)氏
大阪大学 全学教育推進機構 特任講師
株式会社リクルートマネジメントソリューションズ 組織行動研究所 客員研究員

博士(応用経済学)。複数のコンサルティングファーム勤務、同志社大学商学部助教を経て現職。企業の内部労働市場に関する計量的研究を主に行っている。主な業績として『人事の統計分析:人事マイクロデータを用いた人材マネジメントの検証』(ミネルヴァ書房、共著)など。

※記事の内容および所属は掲載時点のものとなります。

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