行動経済学からモチベーションを考える 互恵性・公正性と労働意欲

どのような条件の下でならば、人々はより高い意欲をもって仕事に取り組めるのだろうか。企業の人事担当者にとっては、これは身近でありながらも、そう簡単には答えが出ない厄介なテーマの1つであろう。本レポートでは、この点に関して主に経済学の分野で議論されていることをいくつか簡単に検討してみたい。


金銭の効用と限界

まず動かしがたい現実として、多くの人々が企業で働いているのは賃金を得るためである。ならば、より多額の賃金を目標として掲げれば、その獲得を目指して人々は懸命に努力するのではないだろうか。このアイデアはシンプルで分かりやすい。経済学の標準的な理論においても、適切な賃金格差を設けることで、人々の努力を最大限引き出すことができると論じられている。実際、金銭的なインセンティブによって意欲を引き出そうとする人事上の仕組みは、多くの企業でごく一般的に見られるものである。

このアイデアは、むろん間違いではないだろう。しかし、これですべての説明がつくとも考えにくい。例えば、同じ人事制度の下では皆が同じ賃金格差に直面するはずだが、労働意欲が部署や個人によって異なるのはなぜだろうか。仕事であと一頑張りしようというとき、われわれの脳裏には常に賞与の金額がちらついているだろうか。

近年の一時期、我が国の企業人事の分野では「成果主義」という大きな潮流があった。その内容を一言で要約するのは難しいが、より大きな金銭的インセンティブによる動機づけ強化、というアイデアがそこに含まれていたことは確かであろう。だが、この成果主義も最近はあまり大きく取り上げられないようになり、巷間ではむしろ反省の弁が多く目につくようになった。安易な一般化は慎むべきだが、少なくとも金銭による動機づけという点に限って言えば、それに大成功したという企業は少なかったのではないだろうか。

労働意欲は非論理的?

では、労働意欲を高めるインセンティブとしては、金銭以外にどのような要因が考えられるのだろうか。

経済学といえば金銭のことばかり研究する学問と思われがちだが、実はかならずしもそうではない。特に行動経済学と呼ばれる領域では、被験者に簡単なゲームなどをプレイしてもらって、その行動や意思決定を具体的に観察する実験的手法が盛んに用いられている。そのなかから、チューリヒ大学のエルンスト・フェール教授らによる興味深い実験(Fehr et al.[1993])を簡単に紹介しよう。

この実験のために集められた被験者には、まず「経営者」もしくは「労働者」の役割がランダムに割り当てられる。そのうえで、次のような簡単なゲームを行う。最初の第一ステージでは、経営者が賃金を提示し、それを見た労働者が雇用契約を結ぶかどうかを決める。続く第二ステージでは、雇用された労働者は自分の努力水準、つまりどの程度頑張って働くかを選ぶ。

努力水準の選択肢は10段階に設定されており、それぞれについて「費用」が定められている。これは労働のつらさを金銭換算したものと思えばよい。したがって、高い努力水準ほど費用は大きい。この費用と賃金の差が労働者の利得となる。一方の経営者の利得は、労働者の努力から得られる生産物の価値と、支払う賃金との差である。努力一単位あたりの生産物価値は予め定められている。このゲームを何度か繰り返して、双方の行動パターンを観察する。

ごく単純なゲームだが、興味深いのは先に賃金を固定して、その後に労働者が自分の努力水準を選ぶ点だ。つまり、経営者は金銭で労働者を「釣る」ことができない。むろん、評判や出世などのような実社会のしがらみもこの際、関係ない。したがって、純粋に労働者個人の損得勘定だけで考えれば、賃金が決まった後はできる限り怠けて費用を抑えた方がよい。一方、その労働者の選択は簡単に予想できるので、経営者は最低賃金よりも高い金額を提示するメリットがない。かくして、この繰り返しゲームの論理的帰結は、最低賃金と最低水準の努力に落ち着くと予想される。

ところが、実験結果はこの予想に反している。下図は、この実験に関するフェール教授らの論文からの抜粋(Fehr et al.[1993], Figure 1, p.447)である。一見して明らかなとおり、提示された賃金が高いほど、労働者の平均的な努力水準も高くなる傾向が顕著に表れている。また、経営者側が提示する賃金も最低額に止まってはおらず、それよりもかなり高い金額であることが多い。いずれの側の行動も予想と異なっていたわけである。

図表01 提示された賃金と労働者の努力水準の関係

出所:Fehr, E., G. Kirchsteiger and A. Ridel(1993)

その後、この実験は条件設定を変えながら複数の研究者によって繰り返し行われているが、いずれの場合も、何らかの形で上記の予想とは異なる結果が得られている。これらは何を意味しているのだろうか。

2つの鍵概念:「互恵性」と「公正性」

この実験結果の意味を考えるうえでの鍵は、人々がもつ行動特性としての「互恵性(Reciprocity)」、およびそれを支える規範意識としての「公正性(Fairness)」である。

2001年にノーベル経済学賞を受賞したジョージ・アカロフ教授は、雇用契約は少なくとも部分的には「贈与交換」の性格をもつとの理論仮説を提示している(Akerlof[1982])。簡単に言えば、企業は労働者の高意欲を期待して高めの賃金水準を設定し、労働者はその返礼として高めの努力水準を選ぶ。このような双方の(まるで贈り物の交換のような)互恵的行動が、企業の賃金水準や失業率などの労働市場の動向に影響を与えているというのである。

上記のフェール教授らの実験結果は、この互恵性の表れと考えられている。また、先ほどのゲームのルールを変えて労働者の努力水準を一定値に固定し、労働者が互恵的に行動できないようにしておくと、経営者の提示する賃金が明らかに低下することも、やはりフェール教授らによって確認されている(Fehr et al.[1998])。つまり、一方が互恵的に行動しないような状況では、他方も互恵的に行動する動機を失い、結果としてゲームの行方は大きく変わるというわけである。このように、人々の行動特性としての互恵性がもたらす具体的な影響は、今や理論的にも実証的にも認められていると言ってよいだろう。

ただし、アカロフ教授も紙幅を割いて議論しているとおり、こうした互恵性が発揮されるには、前提条件として「公正性」の共通認識が必要である。上記のゲームの例で言えば、賃金水準と努力水準の「公正」なバランスについて共通認識があり、それが規範として機能していなくてはならない。確かに、それがなければ互いに相手の行動に期待を抱くことができず、したがって互恵的行動も生じえないだろう。

公正性の基盤としての制度と文化

公正性に関するアカロフ教授の指摘はもっともである。だが、公正性とはいかにも観念的で漠然としている。そのうえ、人々の公正感覚とはその場の状況に応じて簡単に変わってしまうものであるらしい。やはりノーベル経済学賞の受賞者であるダニエル・カーネマン教授らの調査(Kahneman et al.[1986])によれば、ある金銭的な損得について人々が公正と感じるかどうかは、その損得が生じた状況の設定次第で大きく変化するという。公正性の担保が互恵的行動につながるとしても、組織としてそれを意図的に仕掛けることなどできないのではないだろうか。

これは難しい問題だが、もう少し分かりやすいアプローチがないわけではない。その1つの切り口は過程公正性(Procedural fairness / justice)と呼ばれるものである。例えばニューヨーク大学のタイラー教授らは、組織の意思決定プロセスに対する公正性の認識が、人々の職務満足度や忠誠心、協調行動などのさまざまな側面にプラスの影響を与えていることを見出している(Tyler and Blader[2000])。また、評価・処遇決定プロセスにおける公正性も重視される要素の1つである。冒頭に触れた成果主義に引きつけて言えば、仮に賃金格差を拡大するとしても、「カネで釣る」ことを主眼に置くのではなく、むしろその格差づけを決定するプロセスの公正性を担保することが重要である。改めて成果主義に関する議論を振り返ると、初期の頃は賃金格差そのものに注目が集まることが多かった。しかし年月を経るにつれて、むしろその決定過程としての評価の仕組みや、その運用の担い手たる管理職層の育成などに現場の関心の比重は移っていったように思われる。成果主義におけるこうした側面の意義は、過程公正性確保の観点から再認識されるべきであろう。

もう1つは、組織としての価値観の共有である。詳細は省くが、いくつかの実証研究によって、人々がもつ公正感覚や互恵的行動の程度は文化圏によって異なることが示されている。文化とは人々に共有された価値観の集積であるから、これは当然といえよう。企業組織においても同様で、どのような行動に対してどのような評価や対応がなされるのが「公正」とみなされるのか、その共通認識を打ち立てることが、人々の互恵的行動の促進につながる。裏を返せば、組織において何らかの改革を行う際には、この点にもっと明示的に注意が払われるべきなのだろう。再び成果主義を例にとれば、従来とは異なる論理で人々の賃金を決めようというとき、人事処遇に関する既存の公正感覚はいったん壊されることになる。壊すのはよいとしても、それに代わる新たな公正性を提示・共有できなければ、結局は互恵的行動の芽を摘み取るだけの結果に終わるかもしれない。

個人や組織が公正であることは、むろん一般論としても望ましいことである。しかし、特に企業においてはそればかりではなく、互恵性を通じて人々から意欲を引き出すインセンティブとしても重要な意味をもちうるということを、われわれは改めて認識すべきであろう。


引用・参考文献
Akerlof, G. A. [1982] “Labor contracts as partial gift exchange”, Quarterly Journal of Economics 97(4): 543-569.
Fehr, E., G. Kirchsteiger and A. Ridel [1993] “Does fairness prevent market clearing? An experimental investigation”, Quarterly Journal of Economics 108(2): 437-459.
Fehr, E., G. Kirchsteiger, A. Weichbold and S. Gachter [1998] “When social norms overpower competition: gift exchange in experimental labor market”, Journal of Labor Economics 16(2): 324-351.
Kahneman D., J. L. Knetcsh and R. H. Thaler [1986] “Fairness as a constraint on profit seeking: entitlement in the market”, American Economic Review 76(4): 728-741.
Tyler, T. R. and S. L. Blader [2000] Cooperation in Groups: Procedural Justice, Social Identity, and Behavioral Engagement, Philadelphia, PA: Psychology Press.


PROFILE
柿澤寿信(かきざわひさのぶ)氏
大阪大学 全学教育推進機構 特任講師
株式会社リクルートマネジメントソリューションズ 組織行動研究所 客員研究員

博士(応用経済学)。複数のコンサルティングファーム勤務、同志社大学商学部助教を経て現職。企業の内部労働市場に関する計量的研究を主に行っている。主な業績として『人事の統計分析:人事マイクロデータを用いた人材マネジメントの検証』(ミネルヴァ書房、共著)など。

※記事の内容および所属は掲載時点のものとなります。

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