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2030年の「働く」を考える

オピニオン#32 鬼頭先生(後編) 2016/5/30 働き方に関する制度や意識を変えない限り、出生率は回復しないでしょう 静岡県立大学 学長 鬼頭宏氏

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社会視点日本やドイツなど、親子が3世代で同居する「直系家族」文化圏では、
出生率がなかなか上がらない傾向があります。
企業視点ワークライフバランスの改革が進めば、
子どもをつくろうと思う夫婦、結婚しようと思うカップルは確実に増えるでしょう。
社会視点次にくるのは、やはり「再生可能エネルギー革命」でしょう。

ワークライフバランスなどを改善すれば
日本も、スウェーデンのように出生率が上がるにちがいありません

フランスやイギリスの出生率は回復していますが、日本の出生率はなぜ回復しないのでしょうか。

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 それに関しては、フランスの人口学者、エマニュエル・トッドの主張が当たっていると思います。彼は、簡単にいえば「家族制度」に違いがあると言っています。今、先進諸国の出生率を見ると、完全に2グループに分かれていることが分かります。アメリカ、イギリス、スウェーデン、フランスが2.0近くに落ち着いている一方で、オーストリア、スペイン、イタリア、ドイツ、日本は1.5にも満たないのです。韓国や東欧の多くの国も同様に、1.5を下回っています。

 このうちフランスやイギリスは、かれこれ500年ほど前から「核家族」の伝統がある地域です。ですから、夫婦だけで子どもを育てられる社会的な仕組みが早くから整っていましたし、国家が育児手当を手厚くするといった制度改革をしやすい文化があります。対して、日本、韓国、ドイツなどは、親子が3世代で同居する「直系家族」の文化が長く続いてきました。東欧・南欧では、直系家族に加えて兄弟も同居する傾向があります。こうした家族制度の地域では、出生率がなかなか上がっていません。なぜかといえば、近代化によって核家族化が進んでいるにもかかわらず、家父長制の権力構造が残っており、「子育てや家事は女性の仕事」という意識がいまだに根強いからです。

 ここで興味深いのは、スウェーデンです。スウェーデンは、地域によっては直系家族が多い社会ですが、男性の意識改革、働き方や制度の改革、育児手当などの社会保障制度改革などによって、現在はフランスと同程度まで出生率を回復させています。直系家族の文化だからといって、絶対に出生率が上がらないわけではないのです。日本でも、核家族を前提として制度や社会、文化を変えていく努力を進めていけば、出生率を上げていけるにちがいありません。

 今の日本で特に問題となっているのは、「ワークライフバランス」でしょう。夫の意識改革も大事ですが、それ以前に、夫が家事・育児に参加できないような働き方を真っ先に変えなくてはなりません。それは、働く女性の負担を減らすことにもつながります。ワークライフバランスの改革が進めば、子どもをつくろうと思う夫婦、結婚しようと思うカップルは確実に増えるだろうと思います。

 それから、「親が子どもを育てる権利」が大切ではないでしょうか。子ども・子育て支援法の第二条には、「子ども・子育て支援は、父母その他の保護者が子育てについての第一義的責任を有する」と書かれていますが、ここは、責任ではなくて「権利」と書くべきだと思います。両親が幼い子どもに寄り添って、協力しながら子育てできる環境を整えるには、「子育ての権利」を守ることが第一義だからです。その権利を守ることを目的にして、新たな制度や最適なワークライフバランスを考えなくては、いつまでも出生率は本格的に回復しないのではないでしょうか。

しかし、市場で勝ち抜くためには、企業はどうしてもワークライフバランスを後回しにしなくてはならない側面があるのではないかと思うのですが。

 江戸時代の17世紀、日本の農民たちは、狭い土地で、できるだけ多くの収穫を得る「土地生産性」の高い農業を選択しました。そのためには、勤勉に長時間働き、労働集約性を高める必要がありました。これが、速水融先生が提唱した「勤勉革命」です。現代の多くの日本人が、汗水たらして長時間働くのがよいことだと思っているのは、実は、この勤勉革命によるところが大きいのです。私たちは江戸時代以来、こうした文化を引き継いできたというわけです。

 しかし、そろそろこうした価値観を変える時期ではないでしょうか。勤勉革命は、17世紀や戦後など、人口が増えているときには有効でした。しかし、これからの人口減少時代は、労働集約的な戦略がとれません。安価な労働力を求めて中国や東南アジアに出ていく方法も、いずれは限界がやってきます。労働力が減るなかで労働生産性を高めるには、まったく別のやり方を考える必要があるのではないかと思うのです。例えば、いきなりそこまで割り切るのは難しいかもしれませんが、同一労働同一賃金の「オランダ方式」を採用できれば、正社員でも短時間労働が可能になるはずですし、皆が労働生産性を高めようとするのではないでしょうか。

ただ、日本企業が「コミュニティ」である限り、誰かが早く帰ることに不公平感を抱く社員は少なくないと感じます。

 一昔前は、「ゲゼルシャフト(実用や合理を追求する機能的組織)」よりも「ゲマインシャフト(地縁・血縁・精神的なつながりを重視する共同体)」に近いのが日本企業の特質であり、強みであるといわれました。その後、日本企業の多くはいったんゲゼルシャフトに傾きましたが、最近はゲマインシャフトの良さが再認識されてきています。私としては、どちらかを選ぶのではなく、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの中間的な組織があってもよいのではないかと感じています。つまり、新人、働き盛り、子育て中、中高年と、ライフステージによって組織との付き合い方が変わってよいと思うのです。そうした組織が一般的になれば、周囲の労働時間を気にする社員も減るのではないでしょうか。

21世紀半ばには出生率が2.07に回復する可能性は十分にあります

今後、日本の出生率はどのようになっていくのでしょうか。

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 大局的に見れば、死亡率が下がると、必ず出生率は下がります。これは万国共通で、日本に限ったことではありません。日本の平均寿命はどんどん上がり、今や90%近くが65歳まで生きる時代になったのですから、出生率は下がって当然ですし、このままいけば今後も出生率が劇的に上がることはないでしょう。こうした動きを見ていると、人間は生物だと強く感じます。生物だから、無駄なことはしないのです。死亡率が下がったのですから、子どもを無理に増やす必要はない。それなら、子どもを産むエネルギーを無駄に使ったりしないのが、人間という生き物なのです。しかし一方で、私たちは「種の保存本能」も備えていますから、いずれ出生率は人口置き換え水準まで回復するのではないかとも思います。

 また、ワークライフバランス改革や男性の意識改革が進んだとしても、全国に浸透するにはそれなりの時間がかかります。例えば、勤勉革命が全国に広まるまでに、おそらく1世紀以上かかっています。3世代同居の直系家族文化は、早い地域では室町時代からありましたが、全国的になったのは18世紀後半です。変化のスピードが極めて速い現代でも、意識や制度が変わりきるには、数世代が必要ではないかと思います。日本で核家族世帯が優勢になってきたのは1960年代後半以降です。そこで育った世代が1970年代に次の世代を生み、その次の世代が2000年頃に誕生しています。核家族に適した制度や文化が定着してくるのは、この世代が中心となる2030年頃ではないでしょうか。そして、そのまた次の世代が大人になる2060年頃、日本的な核家族文化が完成するというのが、現実的な線ではないかと思います。

 実は、あまり知られていませんが、日本の出生率は2005年で底を打っており、再び徐々に上昇しています。仮にこのままのペースで上昇していけば、2052年頃に合計特殊出生率が2.07に達します。今、日本政府が基本目標に置いている「2030年に合計特殊出生率を1.8にする」のは少々難しいと思いますが、あまり悲観的になる必要もないのです。今後、核家族に合った制度や文化をしっかりと構築していけば、21世紀の半ばには、人口維持できる水準まで出生率が戻る可能性が十分にあります。

これからの社会をどうしていくかを考え 準備を始める絶好のタイミングです

では、日本の出生率は過度に心配することはないのですね。

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 そうです。ただし、それはあくまでも、社会が変わっていく前提での話です。そこで心配なのは、社会システムに関する国の具体的な長期ビジョンがないことです。2060年に出生率を維持する仕組みは、1970年代とはまったく違うはずです。1970年代はほとんどの人が結婚しましたから、結婚したら2人以上子どもを産めば、人口を維持できました。ところが、今は結婚しない人が増えています。今後の日本社会も、おそらく「結婚する/しない」「産む/産まない」のライフコースの多様性を認める方向に進んでいくでしょう。その前提で人口を維持できる出生率を保つには、子どもを産みたいと望む女性は、3人目、4人目も産める社会にしなくてはなりません。そのときの働き方、保育所などのあり方、家族の役割などは、1970年代とも現代とも違うはずです。にもかかわらず、国からは社会システムに関する具体的な提案は出ていません。国は「人口を維持します」「GDPを維持します」というだけで、「こうした社会や地域を作ります」という将来ビジョンにはまったく言及していないのです。これでは不安にならざるを得ません。

 縄文時代後期、鎌倉時代、江戸時代後期などの人口減少期・減退期は、成熟社会であると共に、次の時代を準備する変化の「芽」が生まれた時代でもありました。例えば、2015年、全国二十数カ所の「明治日本の産業革命遺産」がまとめて世界遺産に登録されましたが、その多くが実は江戸後期にスタートしています。韮山反射炉は、幕末期の代官・江川英龍が手がけたものですし、鹿児島の集成館は、幕末の薩摩藩主・島津斉彬がいち早く欧米の技術を導入して建設した工場群です。江戸後期の取り組みが、明治以降の工業化を進める基盤となり、明治から戦後の人口増加を促したのであって、明治政府が工業化を一から始めたわけではないのです。同様に、江戸前期の経済成長は、鎌倉時代から始まった貨幣の輸入が土台となったものですし、縄文時代後期に栗や雑穀を管理し始めたことが、弥生時代の稲作定住文化を形づくりました。

 こうした歴史の流れを踏まえると、現代は、今後の社会をどのような形にしていくかを考え、準備を始める絶好のタイミングです。そのヒントの1つとなりそうなのが、OECDが毎年発表している「Better Life Index」です。暮らしの11の分野(住宅、収入、雇用、共同体、教育、環境、ガバナンス、医療、生活の満足度、安全、ワークライフバランス)について、36カ国間の比較ができるようになっている指標で、例えば、「日本」は「安全」がほぼ最高点ですが、「ワークライフバランス」は大変低いことが分かります。こうした手がかりを得ながら、未来の日本を具体的に想像していくことが大切です。

 私の考えでは、変化のベースとなるのは「エネルギー」です。イタリアの経済学者、カルロ・チポラは『経済発展と世界人口』で、産業革命と農業革命の2つの「エネルギー革命」が、世界に人口増加をもたらしたと述べています。農業革命では、家畜をエネルギーとして利用すると共に、水車・風車・帆船などの形で自然力をエネルギーとして使うようになりました。産業革命は、言うまでもなく化石燃料を新たなエネルギー源としたことが革命でした。

 これを踏まえると、次にくるのは、やはり「再生可能エネルギー革命」でしょう。再生可能エネルギーを活用して、環境を破壊せずに、どのようにより快適な社会を形成するか。そのプランを具体化していく時期に入っています。現に、すでにそうした提言をしている方がたくさんいらっしゃいます。一例を挙げると、東北大学名誉教授の石田秀輝先生は、地下資源に頼る「地下資源文明」から、生命や自然の循環を基盤にした「生命文明」へ移行しなくてはならないとおっしゃっています。これまで私は「過去」を相手にしてきましたが、今では「未来」を相手にして、こうした想像をするのが楽しくて仕方ありません。

インタビュー:古野庸一 テキスト:米川青馬 写真:伊藤誠

鬼頭宏氏プロフィール

静岡県立大学 学長

1947年、静岡県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。上智大学経済学部教授、同大学院地球環境学研究科教授を経て、2015年より現職。主要研究テーマは、日本経済史、歴史人口学。著書に『愛と希望の「人口学講義」』(ウェッジ)、『人口から読む日本の歴史』(講談社)、『2100年、人口3分の1の日本』(KADOKAWA/メディアファクトリー)など多数。

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