人事視点 | 生活と仕事の調和がとりやすい環境を作るには、風土改革が重要です。 |
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人事視点 | 「生活視点」は、コンプライアンスの強化やビジネス創出力アップにもつながります。 |
個人視点 | 「ライフのキャリア」での試行錯誤が、「ワークのキャリア」の力になります。 |
渥美さんは「イクメン」という言葉の生みの親ともいわれており、「ワークライフバランス・ダイバーシティの伝道師」として大変活躍されていらっしゃいますが、なぜこの分野の研究を始められたのでしょうか。
自分の幼少期の話から始めますが、私は、三輪車でどこまでも行って警察に保護されたこともあるほど、落ち着きのない子でした。教室でもじっとしていられず、今でいうKYで、親にも周りにもよく迷惑をかけてきました。それでも、母はこう言ってくれたのです。「あなたは何か好きなことを見つけなさい。それを一生懸命頑張れば、生きていけるから」。
20代の頃も私は落ちこぼれでした。社風にも合わず、最初の会社での評価は低いものでした。そこで私は、社内で評価されるのではなく、社会に評価される仕事をしようと考えるようになりました。そして、好きなテーマ、追求したいと思えるテーマを探したのです。それがワークライフバランスやダイバーシティでした。私のようなマイノリティでも働きやすい組織が増えれば、あらゆる人が働きやすくなると考えたからです。最初の会社に入って2年目のこと、20年以上前の話です。当時の上司にはビジネスになるテーマではないと反対され、研究禁止命令を出されました。そこで有休や休日にさまざまな方へのヒアリングを行い、論文を読み込みました。以降10数年は、ほとんど趣味で研究を続けてきたようなもの。ビジネスとしてモノになってきたのは、この5、6年の話です。
素晴らしい先見の明だと思います。
私が何か優れているとすれば、自分の好きなことを追求してきたことと、徹底して現場に足を運んできたことだけだと思います。職場の机にしがみついていては、未来は開けないというのが私の持論です。多くの人々と話すなかで世の中に注目される前の「種」を見つけることが、自分のキャリアにつながるのです。多くの人々にとって、そのような社外ネットワークが生きる糧になる時代が来ていると思います。
例えば、私は2006年に、「社員の家族の顔まで見えている優れた中小企業の経営者ほど、ワークライフバランスを意識している」と主張したのですが、これは多くの人々とお話しして初めて分かったことでした。優れた中小企業の経営者は、優秀な社員に長く働いてもらうため、社員の生活と仕事の調和に対して知恵を絞り、さまざまな行動を起こしているのです。ただし、すべての中小企業が進んでいるわけではありません。2極化が進んでいます。
それでは本題に入りますが、2030年の会社や職場はどのような形になっていると思われますか。
まず大事なのは、2030年頃に介護人口がピークに達するということです(図表1)。私の試算では、少なくとも平均して社内の3人に1人が介護をしながら働くことになるでしょう。加えて、子育てに携わる人などもいるわけですから、今のように多くの人が時間制約なしで働ける社会ではなくなります。
そのとき、ワークライフバランスに力を入れていない会社では、介護のために辞める優秀な人材が増えてしまうでしょう。なぜなら、私がヒアリングしてきた経験からいうと、特に介護のために会社を辞めるのは優秀な人が多いからです。彼らは辞めて実家に帰っても転職できると比較的楽観視する傾向にあります。また、彼らの多くは「今まで親に大切にされてきたから、親孝行したい」という気持ちが人一倍強いのです。彼らの生活と仕事の調和によく配慮して、彼らを引き留められるかどうかが、今後は会社の人材の質を大きく左右することになるでしょう。
これらの変化はじわりじわりと進行しますから、短期的には気がつきにくいかもしれません。しかし、企業は今から一気に改革していくべきです。1、2年では目に見える成果は出ないかもしれませんが、10年後、20年後、ワークライフバランスの状況が人材の質にとどまらず、企業の業績にも歴然とした差として表れてくるはずです。そうなったときにはもう遅いのです。
ワークライフバランスが会社の業績も大きく左右するということでしたが、
人材の質以外にも何か具体的な影響が出てくるのでしょうか。
大きくは2つ、強い影響があります。その1つは、ワークライフバランスやダイバーシティが進んでいない会社では「多面性」が少ないために、不祥事などの問題が起きやすいということです。仕事ばかりしている男性中心の集団では異論が言いにくい。これがまず問題です。さらに、会社の視点からしか物事を考えられない人が多いと、世の中の常識からかけ離れた組織の論理、業界の論理に絡めとられてしまいがちです。例えば、食品偽装などはその最たるもので、自分の子どもに胸を張って食べさせられるかどうかという「生活視点」さえあれば、あのような不祥事が起きる可能性は低くなるはずなのです。この場合の生活視点とは、育児を経験した人の目のこと。この一例からお分かりいただけると思いますが、ワークライフバランスやダイバーシティを進めることは、企業内のチェック機能を回復し、コンプライアンスを強化することにもつながるのです。
もう1つのビジネスへの影響とは何でしょうか。
それは、「ビジネスを創り出す力」です。日本企業は今後、コストではグローバルおいて到底太刀打ちできません。世の中に新しい価値を提供し、世界中の人々が欲しがる「ドリームプロダクト」や「ドリームサービス」を生み出し、高付加価値なナレッジビジネスを推進する必要があるでしょう。このようなビジネスは、決してワークのキャリアだけでは実現できません。日常生活や趣味などから得る「ライフのキャリア」の充実が、今も昔もドリームプロダクト、ドリームサービス創出の鍵なのです。
例えば、ある1人の女性が生み出した製品があります。「自動でオンオフする照明」というものです。この女性は子育て中に夜、お子さんに起こされて、よく一緒にトイレに行っていたのだそうです。そのときに手探りで電気のスイッチを探しながら進むのが危ないと感じ、自動で電気がついたら安全で便利だと思い、製品のアイデアを生み出しました。この製品はヒットして、今では多くのメーカーが同様の製品を作るまでに至っています。
実は、ヒット製品の多くはこうした「生活目線」から生み出されています。有名な話では、日本を代表するドリームプロダクトの1つ、ソニーのウォークマン(R)も、もともとは井深大さんご自身が私生活で使うために社内の技術者に制作を依頼したもので、それに盛田昭夫さんが注目されたのが始まりなのだそうです。井深さんも盛田さんも趣味人で、ライフのキャリアを重視した方としても知られています。今後、日本企業が高付加価値ビジネスを展開するためには、社員のライフのキャリアを充実させ、生活目線のアイデアを豊富にしていく必要があるでしょう。
「ライフのキャリア」というのはとても面白い見方だと思います。もう少し詳しく伺えないでしょうか。
私は、ライフのキャリアを大変重視しており、日常生活でのスキルは仕事にも役立つと考えています。例えば、家事、子育て、介護などから学ぶものは非常に大きく、これらを経験するとビジネススキルも大きく伸びるというのが私の持論です。先ほどお話ししたビジネス創出力だけでなく、業務効率・リスク管理能力・コミュニケーション力なども鍛えられます。一般には、順風満帆なキャリアを送る方が良いと思われていますが、私はまったく逆の考えで、育児・介護などを挟んで、動きの激しいキャリアを経験している人の方がよっぽど豊かで実り多い人生だと思っているのです。育児・介護などによる「制約」とは、むしろ「成功を約束されている」ことだと考えるべきなのです。
現在は、私自身、「市民の三面性=家庭人、地域人、職業人」という座右の銘のもと、会社員・家事・子育て・介護・看護、こども会の「6Kライフ」を過ごしながら、ライフのキャリアがワークのキャリアを充実させることを、日々身をもって実感しています。
ところで、海外のワークバランスはどのようになっているのでしょうか。
また、海外から私たちが学べることは何でしょうか。
日本は明らかにワークライフバランス後進国です。進んでいる国・地域と比べれば、それは一目瞭然。例えばスウェーデンは男性の育児休暇取得も当たり前になっており、今や企業経営層の約90%が育児休暇利用者です。しかし実は、40年前のスウェーデンは今の日本とほぼ同じような状況でしたから、決して悲観する必要はありません。このまま改革を進めていけば、2030年には日本の経営層にも育児休暇取得者は増えているでしょう。
個人的な話ですが、育児休暇を経験してからマネジメントの質が変わりました。とても弱く、何もできない乳幼児との格闘を経て、私には力を発揮できていない部下に対する「父性愛」が芽生えてきました。私も20代の頃は仕事ができませんでしたから、その頃を思い出しながら、「こうしたらいいんじゃないか」と部下にアドバイスをしてみることにしたのです。それ以来、彼は着々と成長を遂げています。それに、彼とはとても仲良くなれました。
では今、日本企業のワークライフバランスはどの程度進んでいるのでしょうか。
大手企業は、制度はかなり整ってきていますが、風土改革はこれからの会社がほとんどです。ワークライフバランスで重要なのは、制度よりも風土。今後は、風土改革をどのように進めるかがポイントとなります。
その点で現在ネックとなっているのは中間管理職の層です。経営層の多くは、ワークライフバランスやダイバーシティを進めなくてはいけないことを認識しています。一方、若手にはむしろ積極的に進めてほしいと思っている人々も多い。その間の管理職層のなかにも理解のある人が増えているのですが、一部が「粘土層」となって風土改革の浸透を阻んでいる傾向があります。
風土を変える最も手っ取り早い方法は、上司が早く帰ることです。部下が帰りやすくなりますから。そうすると、上司は部下たちの憧れの存在にもなれる。実は管理職にとっても、ワークライフバランスを進めるのは良いことなのです。それをいかに「粘土層」の人々に理解していただき、いかに彼らを変えるかが、大手企業の1つの大きな課題です。なお、なかには人事部が不夜城となっている会社もありますが、その場合はまず人事部から率先して変わるべきです。
中小企業の場合は、社長や経営陣の意識が風土に強く影響しますから、先にもお話ししたとおり2極化が進んでいます。その傾向は、今後さらに強まるでしょう。
ただ、そうは言っても、管理職のなかには、仕事はたくさんあるのだから、部下たちを早く帰らせることはできないとおっしゃる人も多いと思います。その点はいかがでしょう。
その問題は、実はそれほど難しくありません。仕事を減らせばいいのです。日本社会は全体的に過剰品質・過剰サービスの傾向にあります。お客様に対するサービスや業務は過剰でよいと思いますが、社内に対しても同じ品質を保つ必要は必ずしもないはずです。時には70点くらいでもよいでしょう。そう考えたら、減らせる仕事はあります。
仕事の減らし方の具体例として、2つの方法を紹介します。1つ目は、私が部下たちと共に行っている「やかましい」の手法です。「やめる業務はないか」「簡単にできないか」「真似できないか」「してもらえないか」「一緒にできないか」の5軸で徹底的に業務を洗い出し、効率化と簡略化を図っています。これを行えば、定時に帰ることも十分可能になります。
それから、部下に対しては「点、線、面」の考え方を伝えています。たいがい、残業の多い部下は常に目先の業務だけを見ています。業務を「点」で捉えているのです。そこで、まず上司である私への報告業務などを減らし、時には私がいくつかの仕事を引き受ける。その代わり、今週中の業務を前倒しで着手させるのです。すると、彼らは1週間のなかで、これまでは点だった仕事を「線」として考えるようになります。これを続けるといずれ「線」が「面」になり、他のメンバーや関係者の業務などの全体をも意識しながら行動できるようになります。これで、確実に残業の多い部下を減らすことができます。
ワーキングマザーなど時間制約のある人は、このような生産性を上げる工夫を誰もが各自行っています。なかには、職場全体の業務改善アイデアをもつ人も少なくないでしょう。組織が彼女ら・彼らの声に真摯に耳を傾けることも、今後は重要になってくると思います。
最後に、働く人たちに対してメッセージをいただければと思います。
これからは、個人の力で、企業と対等に渡り合える可能性が十分にある時代です。ワークもライフも自分でマネジメントする覚悟がある人、キャリア自律している人には、活躍のチャンスがいくらでもあるでしょう。育児・介護なども、自己研鑚の機会と考えて前向きにチャレンジすれば、必ずワークのキャリアにもプラスと認められるようになってくるはずです。閉塞感のある時代だといわれることもありますが、私自身は以前に比べればずいぶん生きやすくなりましたし、今後ますますそうなるだろうと感じています。マイノリティの私が生きやすいのですから、多くの方々にとっても、より生きやすい世の中になるのではないでしょうか。
インタビュー:山下健介