オピニオン

2030年の「働く」を考える

オピニオン#37 戸塚様 2017/3/27 「自分の本業で東北創生に貢献したい」その想いから社内ベンチャーを起業しました 株式会社パソナ東北創生 代表取締役社長 戸塚絵梨子氏

オピニオンのトップへ

個人視点ヒト・シゴトのマッチングという「本業の強み」を活かしながら、釜石と東北のために力を尽くしたいと思います。
個人視点「日本の未来を先取りしている地域」として、釜石を一つのモデルにできたらと思っています。
個人視点私が東京と釜石を行き来しているように、2拠点で暮らすことが当たり前になれば、地方創生はさらに加速していくのではないかと思います。

2015年、パソナ東北創生を立ち上げて
釜石で地域内外のヒト・シゴトのマッチングを行っています

現在、どのようなことをしているのですか?

写真2

 2015年4月に、パソナ東北創生という会社をパソナグループ内で起業し、岩手県釜石市をベースに地域内外のヒトの交流・なりわい作り、シゴトのマッチングを行っています。現在の社員は私と石倉、林の3名で、もとはみな人材派遣の営業職でした。その経験・スキルを活かしながら、さまざまなプロジェクトを進めています。

 最初に始めたのは「研修ツーリズム事業」です。主に大学生や社会人を対象に、数日間の地域滞在型研修を年10回程度行っています。釜石の地域リーダーの方々の話を伺い、そのビジネスの一部などを体験しながら、彼らが持つ課題の解決策を企画・提案するというプログラムです。例えば、牡蠣漁師の方のもとでは、採ってきた牡蠣を参加者全員で洗いながら話を伺い、どうしたら地元の牡蠣のブランド化を進められるかを一緒に考えました。また、山の中でエコハウスを作って生活している方のところでは、薪割りを手伝ったり、沢の水を汲みに行ったりして、自分たちでおこした火と汲んだ水で淹れたコーヒーを飲みながら、エコハウスの活用アイディアを皆で出し合いました。

 参加する大学生の皆さんは、さまざまな気づきを得て帰っていきます。例えば、「被災地は自分とは違う世界の話だと思っていたけれど、東北は日本の社会問題が集積している"課題先進地"といわれるように、私がここで体験したのは日本全体の課題だと思う。そうだとしたら、自分にも日本の未来に貢献できることが何かあるはずだと確信しました」というコメントを残してくれた大学生の方がいました。一方、釜石の方々にも、地域外の若者がやって来ることで喜んでいただけます。双方にとって良い効果をもらす研修ツーリズムには意味があると感じています。

 そのほかに、移住交流ツアーや漁業就労の体験講座などを実施する「移住関連事業」、主に社会人の方々に2カ月ほど釜石に住んでいただき、自分の本業や強みを地域に活かす「ローカルステイ事業」、海外の旅行者を受け入れて民泊体験などをする「インバウンド事業」、移住者の起業を支援する「ローカルベンチャー事業」などを進めています。移住関連事業は岩手県、インバウンド事業は釜石市など、行政の方々と協力しながら、釜石と岩手に地域外の方を呼び込む接点を作っています。

ガレキの山を前にして
自分の無力さに絶望感を味わいました

最初から、そうした活動をしたいという想いがあったのでしょうか。

写真2

 子どもたちと社会の接点である教師という職業に憧れを抱き、大学では教育学部を選びました。大学では「留学生が主役の学園祭」を作るサークルで実行委員を行っていました。また、留学生を対象にした学園祭を開催するだけでなく、大学近くの商店街の方々を巻き込んで学園祭に参加してもらったり、地域の少年少女合唱団と一緒に歌ったり、障害者施設の方々と一緒に活動したりしていました。そうして大学3年生になった頃、次第に社会人経験のないまま教師になることに不安を抱くようになっていきました。サークル活動の経験もあり、さまざまな人生の"節目"をサポートしたい、さまざまな"出会い"をプロデュースし、より豊かな人生を送る方々を増やしたいという気持ちが強くなったのです。そこで、人材サービス業界を中心に就職活動を行い、2009年にパソナに入社しました。

 パソナを選んだのは、社内ベンチャーが次々に立ち上がっていたり、有志活動やサークル活動も盛んだったりして、会社にいながら様々なことに挑戦できる環境があったからです。創業者で代表取締役グループ代表でもある南部靖之が「社会の問題点を解決する」という強い信念のもと、様々なサービスを生み出している点、そして遊び心に溢れていて、何事にもスピーディーで柔軟に、寛容に対応している点にも強い感銘を受けました。

パソナ入社後は、どのような仕事に就いたのでしょうか?

 丸の内エリアで人材派遣の法人営業を担当しました。東日本大震災が発生したのは、入社2年目の終わり。その年のゴールデンウィークに、大学時代の友人たちと一緒にボランティアに行きました。レンタカーを借り、底に鉄板を入れた長靴やマスク・ゴーグルなどを用意して宮城県に向かい、5日間、半壊した建物や土砂の撤去作業に携わりました。ですが、私が数日活動しても、撤去できたガレキや土はほんのちょっと。正直に言って、ほとんど何もできなかったに等しい状態でした。「自分は何の役にも立てなかった。このままボランティアを続けるのは体力的にも経済的にも難しい」と、帰りの高速道路で無力感に打ちひしがれ、絶望的な気持ちになったのを覚えています。

 ただ、被災地に一度行ったことで、震災被害が他人事ではなくなり、困難な状況を知っているのに何もしないで生きていくことに違和感を抱くようになり、その後も東北には何度も足を運びました。また、社内の有志の集まりに加わり、東京でも復興支援活動を継続しました。

 主に私が関わったのは、音楽を通しての支援活動です。当時、福島県郡山市の小中学生は、校庭の放射線量が高いために外で遊べませんでした。そこで、外に出なくてもできる楽器の演奏を教えて、オーケストラを結成するという活動に参加しました。パソナでは、「パソナミュージックメイト」という芸術家のビジネスと音楽・演劇活動の両立をサポートする事業を行っており、そこに所属する音楽家の方々、そして外部の音楽家の方々を講師に迎えました。私は事務局メンバーでしたが、実は高校時代に部活動でバイオリンをやっていたので、簡単なバイオリンのレッスンも担当しました。郡山市は音楽教育に力を入れている「楽都」で、市の教育委員会の方々も私たちの活動を後押ししてくれました。この活動は2015年まで続き、オーケストラ団員のなかには今も音楽を続けている子どもたちがいます。

ある日突然、南部代表に声をかけられ
「パソナとして東北復興に取り組みたい」と言われて

社内起業のきっかけになったのは、どのようなことですか?

写真2

 2012年に9ヶ月間会社を休職し、岩手県釜石市でNPO法人の立ち上げ事業に従事したことが大きなきっかけとなりました。

 パソナには、国内外での社会福祉活動や災害支援を希望する社員を対象にしたボランティア休職制度があります。東京での復興支援活動に携わるなかで、一度きちんと被災地と向き合いたいと思い、この制度を活用することにしました。休職中は、NPO法人ETIC.の「右腕プログラム」を通じて、岩手県釜石市の「一般社団法人 三陸ひとつなぎ自然学校(さんつな)」の仕事を手伝うことになりました。さんつなでは、県内外から来るボランティアの方々のコーディネートのほか、子どもたちの居場所をつくる「放課後子ども教室」、山・川・海での自然教室の企画運営に携わりました。また、漁師さんや農家さんのお手伝い、地域の方々の困りごとの解決などを通して、地域の方々とも日常的に触れ合いました。

 さんつなでの日々に大きなやりがいを感じ、一時は釜石に移住することも頭をよぎりましたが、最終的にパソナでの復職を決断しました。休職時に快く送り出してくれた上司や仲間に恩返しをしたいという想いや、釜石での経験を人材派遣の仕事に活かしたいと思ったからです。釜石にいると、「自分は3.11で命を落としていたかもしれない。運よく生き残ることができた」というような言葉を耳にすることがありました。「次にいつ会えるか分からないから、お姉ちゃんと遊ぶんだ」と話す子どもがいて、ショックを受けたこともありました。震災以降、釜石の方々は、今まで以上に人との出会いを大切にしながら暮らしていることを感じました。東京での私は、効率化を重視しながら仕事に取り組んでいたところがあり、改めて自分の働き方を見つめ直すことができたのです。

 ただ、人材派遣の営業に復帰した後も東北との関わりは持ち続けたく、月に1度は後輩や友人などを連れて釜石に通い、ボランティア活動をしていました。そんな折、南部代表からお声がけいただく機会があったのです。

南部代表からはどのような話があったのですか?

 南部代表からは、「パソナとしてより東北復興に関わっていくために、現在の被災地の状況を知りたい。また、よいアイディアがあれば教えて欲しい」と、私を含め東北復興に携わっていた社員を集めて話がありました。その際初めて、パソナの事業として東北復興に貢献する方法があると気づくことができました。そこで、自分が東北でやりたいと思っていたことを提案してみようと思い、南部代表に集められたメンバーのなかに社内ベンチャー制度の担当者がいたので、その方に協力してもらいました。さらに、ちょうどボランティア休職制度を利用して釜石でボランティア活動をしていた石倉を巻き込んで、「パソナ東北創生」の事業企画を立て、社内ベンチャー制度に応募したのです。それが通って、2015年4月に会社を設立し、冒頭でお話ししたようなビジネスを展開してきました。

 振り返ってみると、震災直後のボランティアで無力感・絶望感を味わったとき、芸能人やスポーツ選手の方などが本業を活かしながら復興支援に関わっている姿を見て、羨ましいと思いました。「ああやって本業を活かさなければ、本当に役に立つ復興支援はできないんだ」と強く感じたのです。パソナ東北創生を立ち上げたことで、それがようやく実現できました。「自分の本業で東北創生に貢献したい」という想いを実現することができたのです。

 また、パソナ東北創生では、学生の頃に抱いていた「さまざまな人生の"節目"をサポートしたい、さまざまな"出会い"を作り出し、豊かな人生を送る方々を増やしたい」という想いを実現することができています。研修ツーリズム事業、移住関連事業、ローカルステイ事業、インバウンド事業、ローカルベンチャー事業。すべての事業が、人生の節目のサポートであり、さまざまな出会いを生むお手伝いにつながるというやりがい、責任を感じて取り組んでいます。今後も、ヒトの交流・なりわい作り・シゴトのマッチングという本業の強みを活かしながら、釜石と東北のために力を尽くしたいと思います。

今後はどのようなことに力を入れたいと思っていますか?

 これから特に注力していきたいのは、ローカルベンチャー事業です。地方は人口減少や後継者不足などの課題がある一方で、ビジネスの種はいくつも転がっています。木材や魚、鉄、農作物などのさまざまな地域資源や自然環境は、ビジネスを生み出す大きな可能性を秘めていると感じています。そこで私たちは今、地元の行政や地元の事業者の方と連携し、釜石に移住して、釜石の資源を活用した新たな事業を創出したい方や、自らの事業を釜石と結びつけて新たな事業を生み出したい方の支援を始めています。地域のなかでローカルベンチャーが増え、雇用を生むことができれば、釜石は「日本の未来を先取りしている地域」として、ひとつのモデルになりうるのではないかと思っています。

最後に読者へメッセージをいただけたらと思います。

 まったく関わりを持ったことのない地域にいきなり移住するのは、なかなかハードルが高いのが現実です。しかし、今よりもう少し流動的な生き方、働き方を選ぶ人を増やすことはできるのではないかと考えています。例えば、私は今、釜石と東京の両方にオフィスを持ち、2拠点を行き来しながら釜石に関わっています。ITツールを上手に使えば、私のような2拠点生活も十分できるようになってきています。また、そのような関わり方を受け入れてくれる地域の存在も心強いです。そうした生き方・働き方に一歩踏み出しチャレンジする方が増え、そのような関わり方をするヒトを受け入れる地域が増えて、2拠点で仕事をし、暮らすことが当たり前になれば、地方創生はさらに加速していくのではないかと思います。このような生き方・働き方を釜石や岩手で実践したい方、ご興味のある方は、ぜひ声を掛けていただけたらと思います。

インタビュー:古野庸一 テキスト:米川青馬 写真:伊藤誠

戸塚絵梨子氏プロフィール

株式会社パソナ東北創生 代表取締役

早稲田大学教育学部卒業後、2009年にパソナ入社。都内で人材派遣の営業活動を行いながら、友人や社内有志と共に東日本大震災のボランティア活動を行う。2012年に休職し、釜石の「一般社団法人 三陸ひとつなぎ自然学校(さんつな)」を支援。2013年に復職した後、2015年4月にパソナ東北創生を設立し、現職。

ページトップへ