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2030年の「働く」を考える

オピニオン#25 小宮山先生 2015/7/27 生活や社会システムの質を追求する「プラチナ社会」こそ、21世紀のビジョンです 三菱総合研究所 理事長 プラチナ構想ネットワーク 会長 第28代 東京大学 総長 小宮山宏氏

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社会視点量的拡大による経済成長の終焉を迎えた私たちの新たな目標は「質的拡大」です。
社会視点皆が一致団結できる新たな目標を設け、集まる場を創れば、地域コミュニティは再構築できます。
社会視点人々が長く幸せに暮らすためには、短い時間でもよいから働く場が必要です。

量的拡大による経済成長には、世界的な限界が見えています

先生は、「プラチナ社会」を提案されていらっしゃいます。
プラチナ社会とはどのような意味で、どういった背景から生まれた言葉でしょうか。

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 「量的な飽和」が、現代世界をひも解くキーワードの1つです。例えば、「寿命の飽和」があります。古代ローマ時代の平均寿命は25歳程度で、1900年の世界の平均寿命は31歳(アンガス・マディソン『経済統計で見る世界経済2000年史』)。それが20世紀から一気に上昇し、日本人の平均寿命は80歳を超えました。120歳が人間の寿命の限界といわれていますから、かなり飽和状態に近づいています。

 私が大学生の頃は誰もが自動車を欲しがりましたが、今や日本では2人に1人がクルマをもっています。実は他の多くの先進国も同様にほぼ2人で1台の割合にとどまっており、そこから台数は増えていません。どうやらこれが、必要な人ほぼ全員が自動車を所有している状態なのです。ですから、今後の日本でクルマの台数が大きく増えることはないでしょう。「自動車の飽和」を迎えています。日本では同様にほとんどのモノが飽和しており、もはや量的拡大では経済は成長しません。

 夏目漱石の『三四郎』や『それから』が再び朝日新聞で連載されて話題を呼びましたが、『それから』の主人公・代助は、ろくに働きもしないのに書生を抱えています。書生の多くは地方から上京した貧乏学生で、裕福な家に居候し、家賃の代わりに家の手伝いをしていました。明治時代は生活に苦労する人がまだ多く、衣食住さえ提供されれば、給料がもらえなくても働いたのです。しかし先進国では、もうほとんどの人が衣食住に困らなくなりました。また、『三四郎』では、主人公の三四郎が熊本から東京に向かう際、名古屋で一泊していますが、今ならその日のうちに東京からアメリカに行けてしまう。私たちは、三四郎の時代には考えられないほどの移動の自由を得ています。インターネットが充実して以来、情報も世界中に溢れており、そのおかげでスパイという職業が成り立たなくなりました。現代インテリジェンスの業務内容の99%は、公開情報の分析です。隠された情報がほぼなくなってしまったからです。日本をはじめ先進国の一般市民は、衣食住、移動手段、情報、長寿を十分に手に入れたのです。

 中国やアジアには成長市場がまだ残されているではないかという向きもあるでしょうが、多くの国で、2030年までに自動車需要の飽和が起こります。どの国も急速に人工物の飽和へ向かっており、量的拡大による経済成長の終焉が見えているのは間違いない。量的拡大は、すでに私たちの目標ではなくなりつつあるのです。では、新たな目標は何かといえば、「質的拡大」です。私たちは今後、クオリティの高さを目指すようになる。そこで私は、生活や社会システムの質を追求する社会を「プラチナ社会」と定義しました。プラチナ社会では、従来の飽和型需要から質を高めるための「創造型需要」へ移行して、「プラチナ産業」が次々に生まれます。

「東京と地域を両方楽しむ生活」を妨げているのは、交通費だけ

「プラチナ社会」「プラチナ産業」について、具体的にお教えください。

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 例えば、単に長生きできる環境を用意するのではなく、「健康で誇りのある長寿」を目標にしていくのが、プラチナ社会における正しい戦略です。そのための製品も続々と生まれています。世界初のサイボーグ型ロボットHAL(R)は、脳から筋肉に送られる微弱な信号を読み取り、装着した人の動作をアシストします。脳波そのものを読み取るブレーンマシーンインターフェイスも急速に発展しており、そこにHALのようなロボット技術を組み合わせれば、人はいずれ、体が不自由になっても、意識さえはっきりしていれば自立した生活が送れるようになるでしょう。

 「自然との共生」もプラチナ社会の目標の1つです。これまで私たちは皆、一生を送る上で、都市の刺激や便利さと、地域の自然の豊かさのどちらかを選んできました。都市を選ぶ人が多かったから、地域は過疎になったのです。しかし、今は両方を同時に選ぶことができます。日本には全国で約800万軒の空き家がありますから、地域の物件は格安で借りられますし、現代農業はセンサーで水撒きなどを管理するため、毎日田畑を見回る必要はありません。普段は都市で働きながら、時折地域に赴いて農業に携わり、土のリアルな感触を味わう生活が、比較的容易に実現できるのです。

 地域に住み、たまに都市生活を楽しむというスタイルも可能です。徳島県の山間地にある神山町には、すでにIT企業のサテライトオフィスがいくつもあり、何人ものエンジニアが働いています。彼らは、昼はコンピューターに向かい、夜は星降る空の下で暮らして、定期的に東京本社に行って打ち合わせなどをする生活を送っています。こういった「都市と地域を両方楽しむ生活」の障害となっているのは、交通費だけです。交通費が半額になれば、2拠点居住は一気に増えるに違いありません。

 「再生可能エネルギー」も、プラチナ社会の大きなポイントの1つです。私たちが低炭素社会戦略センターで行った試算では、2030年には、太陽光発電システムの発電コストは1kWh当たり6円まで下がります。2014年の1kWh当たりの発電コストが、原子力で10.1円以上、石炭火力で12.3円、一般水力で11.0円(出典:資源エネルギー庁「長期エネルギー需給見通し小委員会に対する発電コスト等の検証に関する報告」)ですから、太陽光発電は極めて低コストのエネルギーとなるわけです。なお、1kWh当たり6円というのは、ごく常識的な技術的進歩があったときの予想コスト。画期的な技術革新がなくても、再生可能エネルギーは確実に安くなっていくのです。2050年頃には、ありあまるほどの再生可能エネルギーを生み出し、エネルギー自給率70%に達する国になることも夢ではありません。

 こういったプラチナ社会では、他に、美しい生態系の再構築、スマートで大規模な農林業、金属資源のリサイクル、予防・先制医療、健康・自立産業などがプラチナ産業として大きく成長すると考えています。

新たな目標を設け、集まる場を創れば、地域コミュニティは再構築できます

しかし、今の日本には、少子高齢化・人口減少など、暗い未来を予想している人が多いように感じるのですが。

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 まず整理しておきたいのですが、私は「高齢化」が悪いこととはまったく思いません。昔から誰もが長寿を望んできたわけで、それが人類史上初めて実現できたのですから、喜ぶべきことです。しかし、「少子化」は問題です。若い人々が、子どもをたくさん産みたいと思える社会にしていかなくてはなりません。それは、「個人が希望をもてる社会」です。開発途上国には、量的拡大を目指し、先進国になるという希望がまだ残っている。しかし、量的飽和を迎えた先進国には別の希望が必要です。それが質的拡大だと私は考えています。

 拡大すべき「質」とは、具体的にどのようなものか。私たちもまさに今、それを議論している最中ですが、健康、安全、旅、学び合い、人との交流などは代表的な「質」として挙げてよいだろうと思います。特に大事なのが、交流やつながりです。これからの日本には、独居世帯がますます増えていきます。人は社会的動物ですから、交流やつながりを失った独居老人たちは、精神的な健康を損なう可能性が高い。最近の認知科学や行動科学でも、人は人と話さないと認知症となることが明らかになっています。衣食住が満たされても、それだけでは幸せに暮らせない。希望は決して独りでは生み出せないのです。彼らの生活の質を上げるには、交流するための場を作り、つながりを得るチャンスを増やしていく必要があります。

 交流やつながりを活性化するには、基盤となる「地域コミュニティ」を再生しなければなりません。「やねだんの奇跡」を起こした鹿児島県のやねだん(柳谷集落)、「葉っぱビジネス」で成功した徳島県上勝町、見事に商店街を復活させた香川県高松市丸亀町などの事例を調べると、衰えた地域コミュニティを再構築するには、リーダーやフォロワーの存在に加えて、皆で取り組む「目標」が必要だということが分かります。

 昔の日本の農村部では、「稲作」の成功が皆の目標でした。水田には灌漑施設が必要ですから、地域の人々が力を合わせなければうまくいきません。水の管理、秋の収穫祭など、稲作や関連行事を協力して行うことで、地域コミュニティの絆が強まっていきました。戦後は、第一次産業の稲作に替わって、今度は第二次産業・第三次産業の「会社」の成功が多くの人の目標となった。終身雇用・年功序列で長く働き、社内運動会や社員旅行で盛り上がるなかで、仲間同士の絆を深めていったのです。しかし、昭和から平成へと進むあいだに、多くの地域で稲作コミュニティが必要なくなり、終身雇用・年功序列の解体が始まってからは会社コミュニティの多くも崩壊していきました。こうして日本のコミュニティは衰えたのです。

 しかし、皆が一致団結できる新たな目標を設け、集まる場を創れば、コミュニティは再構築できます。アメリカ・オレゴン州のポートランドは、自動車がなくては生活できないことに疑問を持った住民たちの運動をきっかけとして、「Walkable City(歩いて移動できる町)」というコンセプトで全体が変わり、今やアメリカ人が最も住みたい都市の1つとなっています。同じようなことが、日本の都市や地域でできない理由はありません。

生きる希望は、最終的には雇用が握っています

プラチナ社会では、皆はどのように「働く」のでしょうか。

 オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授は、「雇用の未来―コンピューター化によって仕事は失われるのか」という論文で、10~20年後、人間の仕事のほぼ半数がコンピューターに奪われると予測しました。そのなかには、例えば「弁護士」が入っています。実は、すでに弁護士の仕事は減り始めています。判例などの精査・分析は、これまでは若手の弁護士見習いが行っていたのですが、高度なコンピューターサービスが取って代わりつつあるのです。

 一方で、日本ではインフラの整備・メンテナンスに必要な土木・建設作業員が足りていませんし、オランダは徹底したIT化・効率化を図った農業「スマートアグリ」で大成功を収めていますが、最後の収穫作業だけは人手を必要としています。ホワイトカラーの仕事がコンピューターに奪われていますが、ブルーカラーの仕事は増えている。この流れが進めば、世界中で職業ギャップが起こるかもしれません。現に、中国では大学卒業生の就職難が起きてしまっています。

 人工知能の発達によって、機械的な仕事の多くをコンピューターが行うようになるのは本当でしょう。しかし、コンピューターにはできない仕事がある、というのも真実だと思います。コンピューターが物理法則に基づいてすべての計算を行ってしまうから、いずれ化学や化学実験は必要なくなるといわれた時代がありましたが、化学は今も健在ですし、今後もなくならないでしょう。googleのスーパーコンピューターはついに猫を認識できるようになったそうですが、人間は生まれて数カ月でお母さんを認識でき、大人になれば、ぼうっとしていても視線の片隅に猫が通ったことが分かります。私は、人工知能と人間の知能では、根本的なレベルが違うと思っています。結局、人間のすべてをコンピューターが肩代わりすることはできないでしょう。

 では、2030年にはどのような仕事が残り、どのような仕事を生み出せるのか。私は今、それを真剣に考えています。先ほどブルーカラーの仕事が残るとお話ししましたが、人と人の関係を築く仕事、交流を深める仕事もコンピューターにはできないと思います。その領域で、私たちは新たな仕事を創出できるでしょう。例えば今、Airbnbが大人気です。私も先日、アメリカ・サンディエゴでAirbnbを利用し、ある見知らぬ方のお宅の空き部屋に泊まってきましたが、Airbnbのホストなどもコンピューターにできない仕事の1つといえそうです。

 問題は、仕事がないと、人はノイローゼや認知症になってしまうということです。「今後もかなりの時代にわたって、人間の弱さはきわめて根強いので、何らかの仕事をしなければ満足できないだろう」とケインズが書いたのは、1930年の「孫の世代の経済的可能性」(J・M・ケインズ『ケインズ説得論集』所収)です。ケインズは80年以上前に、しっかりと未来を見通していたのです。彼はこのようなことも記しました。「一日三時間働けば、人間の弱さを満足させるのに十分ではないだろうか」。そのとおりだと思います。独居老人たちが長く幸せに暮らすためには、交流の場と同時に、短い時間でもよいから働く場が必要です。生きる希望は、最終的には雇用が握っています。

私は今、東大総長時代より賢くなっています

人と人の交流が盛んになると、どのような社会になるのでしょうか。

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 僕自身の経験からいくと、交流が盛んになれば、人々は賢くなっていくでしょう。実際、私は東大総長を辞めてから6年経ちましたが、嬉しいことに6年前より明らかに少し賢くなりました。なぜかといえば、今まで出会ったことのなかった種類の人たちと、たくさん付き合ったからです。東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(東大EMP)には、日本のビジネス界の将来を担う40代の方々が大勢学びに来ていますが、先生と生徒のあいだで学び合いが起こっており、生徒だけでなく、東大の先生たちもおおいに鍛えられています。未知なる出会いが起こるところに、賢くなるチャンス、成長するチャンスがあるのです。

 小学校や中学校にも、さまざまな大人が教えに行けばよいと思います。海外経験豊富なビジネスパーソン、優れたエンジニアなどと対話することで、子どもたちが学ぶことは数多くあるはずです。昔の日本では、お母さん、お父さんだけでなく、おじいさん、おばあさん、ひいおじいさん、ひいおばあさん、親戚や隣近所のおじさん、おばさんが皆で一緒になって子どもを育てました。子どもの方は、さまざまな「先生」に囲まれながら、社会を学んでいった。現代の核家族では、お母さんだけが子どもを育てていますが、これは非常に過酷な状況です。多様な大人たちが子どもたちを教えていく仕組みが、どこかになくてはなりません。

 いや、子ども時代だけではありません。生まれてから死ぬまでずっと、学び合い、交流し合い、一緒に行動を起こし、旅をして、自然と共生する。高齢になっても生きがいをもちながら、誇りある人生を全うする。多くがこうした人生を送れる社会こそ、私の考えるプラチナ社会です。

プラチナ社会では、自立した市民に企業が協力していく形が基本となります

プラチナ社会を築くためには、誰がどのように行動したらよいのでしょうか。

 第一に、市民の自立が欠かせません。自立した市民が行動を起こすというのが、プラチナ社会の基本です。市民たちが自ら目標を設定し、コミュニティを作り、ソーシャルキャピタルを充実させていく。この動きがプラチナ社会をかたちづくるのです。

 ただし、そこにベンチャー企業などが関わり、協力する必要はあるでしょう。企業といっても、現在の形とは限りません。例えば最近、「ソーシャル・インパクト・ボンド」「インパクト・インベストメント」といった新たな投資スタイルが、イギリスを中心に世界で盛んになってきています。社会や環境問題の解決を目的とする投資で、社会問題を解決しているNPOなどの貢献を評価して、国や投資家がリターンを支払うのです。例えば、イギリスの刑務所で服役者の再犯率を減らそうとしている組織があります。彼らが再犯率を減らした分だけ、国や投資家がその組織にお金を支払う仕組みになっています。

 今後おそらく、日本にもソーシャル・インパクト・ボンドのような新たな投資スタイルや、それに合わせた組織が増えてくるでしょう。プラチナ社会では、自立した市民と新型組織も含めた企業体が協力して、コミュニティを形成・運営していくのが基本型になると考えています。

インタビュー:古野庸一

小宮山宏氏プロフィール
三菱総合研究所 理事長
プラチナ構想ネットワーク 会長
第28代東京大学 総長
1944年栃木県生まれ。1967年東京大学工学部化学工学科卒業。1972年同大学大学院工学系研究科博士課程修了。1988年東京大学工学部教授。2000年工学部長、大学院工学系研究科長、2003年副学長などを経て、2005年4月東京大学第28代総長に就任。2009年3月に総長退任後、同年4月に三菱総合研究所理事長、東京大学総長顧問に就任。2010年、生活や人生の質を求める「プラチナ社会」実現に向けて、自治体や企業のトップ、学識者等をメンバーとする「プラチナ構想ネットワーク」を設立し、会長に就任。主な著書に『これから30年 日本の課題を解決する先進技術』(日本経済新聞出版社)、『日本「再創造」』(東洋経済新報社)、『「課題先進国」日本』(中央公論新社)、『知識の構造化』(オープンナレッジ)、『地球持続の技術』(岩波書店)など、他論文多数。

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