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2030年の「働く」を考える

オピニオン#20 曽根原氏 2015/2/2 未来の日本の農業は、生産性向上型農業、付加価値農業、そしてライフスタイル農で成長します 特定非営利活動法人えがおつなげて 代表理事 曽根原久司氏

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社会視点日本の農村資源を活用すれば、10兆円の産業と100万人の雇用を創出できます。
企業視点都市の大企業が、「企業ファーム」を耕す時代が来ています。
個人視点農地法が改正されたら、日本版ダーチャが日本中で流行するでしょう。

「2015年が転換点になる」と1995年に考えて、山梨へ移住しました

えがおつなげては、昨年、日経ソーシャルイニシアチブ大賞を受賞されましたが、この組織はどのように始まったのですか。

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 発端は、私が山梨県白州町(現:北杜市)に移り住んできた1995年に遡ります。それまで10年ほど、私は東京で金融コンサルタントとして働き、ちょうどバブル絶頂期からバブル崩壊までを目の当たりにしました。そこで感じたのは、バブルの崩壊とともに日本経済の栄光の時代、高度成長期を長年支えてきた経済・社会構造も終わりを迎えたということです。そして同時に、これから日本社会は大転換期に入るだろうと考えたのです。
 そこで私は大転換が起こる時期を予測して、目標地点を定めました。それがちょうど今年、2015年です。なぜなら、統計データを調べると、2015年に団塊世代が全員年金受給者になることが明らかだったからです。そうなれば、必然的に日本の雇用構造は大きく変わらざるを得ないと考えました。さらに、当時すでに中国やアジア諸国の経済が伸びつつあり、いずれは日本の製造業が海外にどんどん進出して、日本の雇用を支えられなくなるだろうという予感もありました。
 そうして私は、20年前に今年を目指して行動を始めました。その際、私は「農村」「地方」というテーマを自らに設定しました。農業の高齢化が進み、耕作放棄地が増えることは予測済みでしたが、それをむしろチャンスと捉え、農村から日本の経済や雇用を変えられないかと考えたのです。さらに、私が子供時代、長野県で自給自足に近いスタイルの家庭に育ち、農業や農村文化に昔から縁があったこともこのテーマに決めた理由の1つです。実際、その経験があったためでしょう、白州町に引っ越した後、スムーズに人間関係を構築し、農村コミュニティに溶け込むことができました。

えがおつなげての創立時から、会員の70%は都市の人々でした

山梨に移り住んで、まず何を始めたのでしょうか。

 1995年、移り住んだ家の近くの耕作放棄地を借りて、100坪の自家農園を始めました。手始めに自分の家族の食料を確保できるようになろうと考えたのです。100坪の農園がうまくいったので、2年目は300坪、3年目は800坪と毎年拡大していき、5年で2ヘクタールになりました。その過程で、自分たちで食べきれない作物を徐々に販売するようになりました。当時から耕す農地には困ったことがありません。何しろ山梨県は耕作放棄地率全国第2位で、耕作放棄地はいまだにそこら中にあるのですから。
 一方で自給林業も始めました。最初は林業を手伝い、自宅の薪ストーブに使うだけの薪を手に入れるところからでしたが、林業も少しずつ拡大するうちに薪が次第に余ってきたため、八ヶ岳周辺の別荘への薪の販売をスタートしました。当時は薪ビジネスをしている人が他におらず、飛ぶように売れていきました。おかげさまで、今ではこの辺りは薪屋さんばかりです。
 この頃まではあくまでも自給農業・林業の延長で、余ったものを周囲におすそ分けする程度のビジネスでしたが、それでも2000年には家族が食べていけるくらいの収入を得るまでになりました。また、食料やエネルギーの備蓄も十分な量になりました。今や私の家には、2年分の米、5年分の味噌、3年分の薪などが蓄えられています。

えがおつなげての設立は2001年ですが、どのような経緯でできたのでしょうか。

 私の活動に関心をもつ人々が増えてきたこともあって、1998年頃に「白州いなか倶楽部」を結成し、地域内外の人々を募って異業種交流会を行ったり、「南アルプスいなか新聞」を発行するなどの活動を始めました。そのネットワークを中心として、2001年に都市と農村をつなぐ組織「えがおつなげて」を立ち上げたのです。
 都市からの参加者は最初から多く、えがおつなげての創立時には、すでに会員の70~80%は都市の方々でした。実をいえば、私は事前に、彼らがこの活動に興味をもつだろうと予測していました。都市に住む人々のなかには、自分の生活に何らかの形で「農」を取り入れたい人、田舎暮らしや農業に憧れる人が多いことを知っていたからです。都市の魅力は何といっても資本主義経済ですが、その魅力がバブル崩壊以降は色褪せました。また、企業に短期成果主義が広まり、収入は増えず、ストレスばかり積み重なっていく人が続出しました。都市にいても以前ほど幸せではないのですから、田舎で過ごしたい、田舎に移り住みたい人が増えるのは当然のこと。例えば、私が移住した集落は20年前、人口約300人でしたが、今では移住者や二地域居住者が急激に増加して2.6倍になっています。移住者は20代から60代までまんべんなくいらっしゃいます。60代の方でも、自給農園をベースにした田舎暮らしを始めるのはそれほど難しいことではないのです。

都市の大企業が「企業ファーム」を耕す時代になりました

えがおつなげての主な活動を教えてください。

 事業は大きく3つに分かれています。今や5ヘクタール以上に広がった「えがおファーム」を耕し、「えがおマルシェ」で販売する農業事業、都市と農村をつなぐ人材を育てる人材育成・教育事業、そして最近特に拡大している企業ファーム事業です。
 企業ファームとは、企業のニーズと農村資源を結びつけ、農村資源を有効活用する活動です。具体的には、北杜市増富地区の耕作放棄地を共に耕しています。例えば、三菱地所グループとは2008年から「空と土プロジェクト」を行っています。彼らの協力のもと、荒れ放題だった棚田はほぼ昔の美しい姿に復活し、現在ではそこで栽培される酒米「ひとごこち」を原料にした「純米酒丸の内」が作られています。「純米酒丸の内」づくり以外にも、都市部に住むグループ社員やその家族、丸の内エリアの就業者、住宅事業のお客様などを対象にした「食と農」「森林」「エネルギー」「ツーリズム」の各種ツアーを実施するほか、農産物・間伐材など地域資源と三菱地所グループの経営資源を融合させ、新たな価値を創造するプロジェクトを推進しています。
 企業のニーズはさまざまで、博報堂と博報堂DYメディアパートナーズの社員が耕す「はくほうファーム」をはじめ、研修プログラムの1つとして企業ファームを取り入れる企業も増えていますし、地元の菓子店が原料を栽培し、新商品を開発するために利用するケースなどもあります。
 土をいじり、畑を耕す大企業の社員の方々を見ていると、日々の仕事で体内に貯め込まれたストレスが大地にアースされ、確実に癒やされていくのが分かります。増富地区はいわば限界集落といってもよいほどの過疎地で、ここに多くの大企業の方々が毎年やって来るなど、一昔前は到底考えられないことでした。企業ファームに接していると、時代が確実に変わってきていることを実感します。

他に何か新たな活動はあるのでしょうか。

 私たちには人材育成・教育事業などを通して日本全国にネットワークがあり、それを活かした新事業にもチャレンジしています。例えば今、JTBと共同で「農村ツーリズム」の開発を始めています。古民家を改修した民宿などに泊まり、農園体験をはじめとする田舎体験をしていただくツアーで、日本人のみならず、海外の方々にも日本の農村生活を楽しんでいただけたらと考えています。

農地法が改正されたら、農家レストランや「日本版ダーチャ」が栄えるでしょう

それでは、曽根原さんが見据える「未来の日本の農業」の姿を具体的に教えていただけますか。

 日本の農業は、これから3つに分化して成長すると私は断言します。1つは「生産性向上型農業」です。大規模化やIT化を図ることで効率性・生産性を高める農業で、今後、参入する企業もさらに増えていくでしょう。すでにオランダがこの30年間で農業改革を進め、生産性を飛躍的に高めました。ITを導入した「スマートアグリ」を追求して、九州と同程度の国土面積にもかかわらず、現在は農作物輸出額で世界有数の国になっています。日本が真似できないわけはありません。
 2つ目に「付加価値農業」があります。いわゆる農業の6次産業化で、生産者が加工やサービスも行うことで利益を増やす農業です。昨年、新潟県新潟市が革新的農業実践特区に、兵庫県養父市が中山間農業改革特区にそれぞれ選ばれましたが、その予定特例措置の1つに「農家レストラン」の設置があります。現在の農地法では、農地転用の許可なく農地にレストランや住居などの建築物を建ててはいけないのですが、6次産業化が目的なら建ててもよいと特例で認められようとしているのです。今後、この特例が決まり、成功を収めれば、農地法そのものが改正される可能性があると私は考えています。このような改革が進めば、付加価値農業に拍車がかかっていくことでしょう。
 そして、最後が新たな自給農業「ライフスタイル農」です。今後5~10年間で日本の農業従事者は半減するといわれていますが、その代わりに、田舎で自給生活を営む個人が増えることは間違いありません。完全に移住する人だけでなく、「日本版ダーチャ」が普及することで、都市と田舎を行き来する2拠点居住のライフスタイルも一般化すると私は考えています。ダーチャとはロシアに昔からある郊外型の自給農園付きセカンドハウスで、ロシアでは都市生活者を中心に約3000万人がダーチャをもち、合わせて200万ヘクタールもの土地を耕しているといわれています。ソ連崩壊をはじめとして、ロシアでは幾度となく経済危機が訪れていますが、その際に餓死者がほとんど出なかったのはダーチャのおかげなのだそうです。先ほどもお話ししたように、日本ではまだ基本的に農地に住居は建てられませんが、もし農地法が改正され、農地に住居が建てられるようになったら、日本中にダーチャが流行するのではないかと睨んでいます。
 実は私も、2拠点居住とまではいきませんが、山梨にいるのは1年の3分の1で、残りの3分の1は東京、3分の1はそれ以外の地に赴いて働いています。山梨にいる時間は短いですが、自宅が山梨にあると、どこにいても本当に安心します。都市の生活を完全に捨てる必要はありません。私のように、都市と田舎のいいとこどりをすればよいのです。

農業も林業も漁業もつながりができれば、劇的に変わります

今お話しされた日本の農業の変化や成長は、いつ頃起こるのでしょうか。

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 先ほども触れましたが、今後5~10年間で日本の農業従事者は半減するでしょう。半減するから大変だといわれていますが、私はむしろチャンスと捉えています。新たな行動を起こすには絶好のタイミングになるでしょう。私の見立てでは、今後10年で実際に新たなプレーヤーが次々に参入し、一気に変化が進んで、2030年には日本の農業は様変わりしているはずです。
 農林水産省は「平成23年度 食料・農業・農村白書」で、「6次産業の市場規模を5年後に3兆円、10年後に10兆円に拡大させることを目標としています」と述べていますが、実は私も7~8年前から、日本の農村資源を活用すれば、10兆円の産業と100万人の雇用を創出できると主張してきました。その詳細は『日本の田舎は宝の山』という本に書いています。
 同様に、林業にも大きな可能性が秘められています。日本の森林率はOECD加盟国のなかで2番手か3番手。しかも、植林してから60年ほど経っている木が多く、全国で伐採期を迎えています。それにもかかわらず林業がそれほど多くの利益を生み出していないのは、サプライチェーンが分断されているためです。農業と同じように、林業者と加工場と流通業者、それに住宅メーカーなどのユーザーを上手につなげ、そこに新たなアイデアを持ち込みさえすれば、利益を生み出すチャンスはいくらでもあるのです。
 漁業も含めて、日本の第一次産業には産業規模を拡大し、利益と雇用を生み出す余地が膨大に残されています。まさに、日本の田舎は宝の山なのです。

インタビュー:古野庸一

曽根原久司氏プロフィール
特定非営利活動法人えがおつなげて 代表理事
1961年長野県生まれ。2014年度アショカ・ジャパンフェロー、内閣府地域活性化伝道師、山梨県立農業大学校講師。大学卒業後、アルバイトをしながら音楽活動に熱中する。その後、企画会社、コンサルティング会社などに勤務し、4年後に独立。1995年、東京から山梨県白州町へ移住。2001年、NPO法人えがおつなげて設立。代表として「村・人・時代づくり」をコンセプトに、農業を中心とした都市農村交流事業を展開している。著書に『日本の田舎は宝の山―農村起業のすすめ』『農村起業家になる―地域資源を宝に変える6つの鉄則』、編集書に『田舎の宝を掘り起こせ:農村起業成功の10か条』がある。

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