「プロ経営者」の育ち方・育て方 第2回 ベストパフォーマンスを出すために学び続ける 山田 修氏

執筆者情報
組織行動研究所
所長
古野 庸一
執筆者情報
組織行動研究所
主任研究員
藤村 直子

このシリーズでは、「プロ経営者」の育ち方・育て方への示唆を得るために、複数企業で経営者としての実績をあげた社長へのインタビューを行っています。今回はその第2回として、20年以上に渡り外資系4社、日系2社で社長職を歴任された山田修氏にお話を伺いました。


経営者になる覚悟
〜「ベストパフォーマンスを出す」というこだわりの結果

― まず、経営者になる覚悟というのは、どのように決められたのでしょうか?

もともと私は経営者になるつもりはなかったんですよね。社長になってくれと頼まれたからなりました。野心は強くないほうでした。20代に大病したこともあって、復帰して会社勤めをしていた頃は、勤め続けられないのではないかと思ったり、自分のベストライフとしてはマンションの管理人になって安逸な人生を送れればと思ったりしたこともありました。

ビジネスでトップになるつもりはなくて、ナンバー2、参謀的な立場が向いていると考えていました。経営者は大変ですよね、責任をとらなくてはいけないしプレッシャーもかかるので。ライフスタイル的にも望んでいませんでした。ただ、それぞれのポジションで「ベストパフォーマンスを出す」という美学はずっとありました。そのポジションをやるからには責任を果たす。果たすだけでなく、他の誰がやるよりも自分がやるのがいちばんであるくらいのパフォーマンスを、結果もそうだけれども仕組み作りの面も含めて出したいと思って、一生懸命やってきました。そうしたら、転職していたこともあってか次々と上のポジションになり、37歳の時に“社長をやってほしい”と言われて社長になりました。経営者になってからも、この「ベストパフォーマンスを出す」というこだわりは変わっていません。

― その「ベストパフォーマンス」へのこだわりは、どこで培われたのでしょうか?

きっと高校時代のスポーツでの達成願望と達成体験なんでしょうね。高校時代からボート部で、当時は母校における戦後最強のクルーでした。国体でもインターハイでも準決勝に行き、大学2年の時に全日本の学生選手権で優勝しまして、大変強かったわけです。高校1年の時に非常に弱くて、負けて悔しい思いをして、その冬にみんなでがんばったら翌年全日本レベルにたどりつけました。そういう達成体験があって、ベストパフォーマンスを出すことにこだわれば結果を出せるんだ、と考えられるようになったのでしょう。

― それは、たとえば“ベスト4には入ろう”というような目標があって、がんばられたのですか?

そこまでは考えていませんでした。目標の置き方としては、トップを目指すというよりは、高校1年の時に新人戦でこのへんのところに勝とう、そこの環境で負けないようにしよう、そういうような取り組みでした。

― そうすると、社会人になられてからはずっとその美学でお仕事されてきたのですね。大病された後には、ハードワーキングには気を付けようなどと思われたのでしょうか?

私は、ライフスタイル的に、昔から激しく働きません。社長になってからも同じです。要するに効率の問題です。それも1つ美学的なところがあります。ボート部の時からそうでしたね。お互いに痛めつけ合うというよりはストイックに練習していました。もちろん猛練習で相当の時間を費やしていましたけれど。

日々の鍛錬
〜ビジネスの構造を学び続ける

― その「ベストパフォーマンスを出す」ために、日頃から意識して行っていたことはありますか?

仕事の中では、仕事の手順を工夫するなど、合理的にやる方法を考えていました。楽に結果を出すにはどうしたら良いか、と。

― 留学についても同じような動機だったのでしょうか? サンダーバードに留学されたのはいつ頃ですか?

社会人になって3社目の会社、コーニングに勤めていた時のことです。外資ではMBAがあるのとないのとでは仕事の範囲で天井の違いがあります。MBAホルダーでないと大きな仕事を任せてもらえないと。それはつまらないことだと考えていました。

それは1つの要素で、もう1つは勉強したいという単純な欲求です。ビジネスをやっているからには、うまくいくためのその構造を理解したい。ポジションによって色々と必要なスキルがあります。スキルはツールですが、武器がたくさんあったほうが強くなって効率的に仕事ができる、という考えからです。

ポジションごとにツールを身につけると仕事が楽になる、そんなアプローチで他にも様々な勉強をしてきました。(最初の社会人経験としては)太平洋クラブに1年、その後トミーの貿易部門で仕事をして、29歳にコーニングに移りました。太平洋クラブでは海外部という海外のゴルフ場との提携や国際トーナメントの運営をする部門にいたので、英語ができたほうが良いと考え、英語を勉強し始めました。25歳の時のことです。学生の頃は『伊勢物語』の研究者として英語は必要ないと思っていて、合理主義者なので語学の勉強は放棄していたんです。トミーの貿易部門でも英語の勉強を続け、貿易のセミナーに行ったりもしていました。

― 勉強が好きなのですか?

『MBA社長の実践「社会人勉強心得帖」』という本にも書きましたが、私は日本でいちばん学校に行ったビジネスパーソンだと思います。英語についても、そのうち英語の勉強だけではつまらなくなって、英語でビジネスを勉強しようということで、日米会話学院の上級校である国際関係学院国際ビジネス学科に4年半、平日の夜と土曜日に通いました。当学院第1号の修士ディプロマ取得者の1人です。その後、青山学院の社会人大学院経営学(マーケティング)専攻に行きました。3課目くらい履修したところでサンダーバードへの留学が決まったので中退しましたけれど。

それ以外にも合間に色々な専門の学校に行っていました。コーニングでは電子部品事業部だったので、夜間1年間日本電子専門学院に、MBA取得後のコンピュータランドでは、駿台電子専門学校に夜間1年間通いました。37歳で最初に社長をやったポントデータでは、国際金融情報を国際投資家に提供する上で、顧客であるポートフォリオマネジャーやアナリストたちと仕事をする必要があったので、証券投資学校に夜間1年間通いました。最後は社長をやりながらの法政の経営大学院での博士課程に、46歳から49歳まで夜と週末に行って卒業しました。

― それだけ学校に通うには、すごいエネルギーが必要ですよね。

そうですね。ライフスタイルとして働くのがあまり好きでなく、合理主義者なので、限られた時間の中で楽をして、なおかつ誰にも負けないパフォーマンスを出すためにそれだけの力が出たのでしょう。大病の後に人生観が変わったというのもあります。当時お世話になっていた弁護士の先生に励ましていただいたその数日後に、その先生が急逝されました。人生何があるかわからない。拾い物の人生だから、自分は病気を克服して好きに生きようと決めたので、残りの人生は自分の好きに組み立てよう、と覚悟したのがその時で、自分の価値観を表に出すようになったんですね。周囲との衝突もいとわずに。トミーでも、18時の終業時間になると学校に行っていました。英語、貿易、国際関係学院です。学校に行っていることを誰にも言っていなかったので、当然、周囲からは付き合いが悪いと思われていました。でも、周囲がなんと言おうと自己流で構わないと、自分なりの時間配分で好きなやり方を貫くことができました。

― なぜ、学び方として本を読むのではなく、学校に行ったのですか?

学校はインタラクティブにやるところに面白みがあります。本からは断片的な知識は得られますが、面白いのは先生との対話です。よく質問をするので、大学生の時から履修すると先生が喜んでくれていたようです。教える立場に立つと、一方通行がつまらないことがよくわかりました。学校に行くのは人生の中でレジャーのようなものです。ずっとテニススクールや、ジム、プールにも行っていましたが、根っこは同じです。

主観的な業績
〜経験と学習から成るV字回復経営の自論

― 次に業績の話をお聞かせください。ご自身として主観的に自慢できる業績は何でしょうか?

6社で社長をやって、数字的にはこれがいちばん大きいと思うのは、フィリップスライティングの時の業績です。私の着任前3年間で売上が150億円から半減していたのが、私がいた3年強で3倍になりました。いわゆるV字回復です。社員を85人から61人に4分の1減らして、ほとんど増やさずに達成しました。4分の3の社員で3倍の売上を担保したということは、1人あたりの効率は400%改善したんです。利益も結果として1人あたり経常利益が1600万円、次の年で2000万円。公表している会社でこれを超えているのは当時任天堂とアルゼの2社しかありませんでした。

他には、ミードウエストベーコで、売上が6年間下がり続けていたのを、40億円から50億円にしました。売上回復はフィリップスに比べればたいしたことはないですが、利益の回復については大きいものでした。1999年下期に着任した当時、上期に5億3800万円の赤字を計上していました。年間で言うと10億円です。下期に着任してリストラはせずに下期には黒字になって、2年後には対売上経常利益率は8%という優良会社に変身しました。

― 著書で「重要なのはコミュニケーションと選択と集中」というように拝見していましたが、フィリップスライティングであれば商品を絞るとか、そのために社員の話を聞いたとか、どのようなことを意識されていたのでしょうか?

やはりコミュニケーションは基本となります。それから、いちばん効いてくるのは このように売上を伸ばしていると「成長戦略」や「選択と集中」という話が出てくるのですが、その前に「組織戦略」だと自覚しています。「組織戦略」がいちばん重要である、と。社長1人では何もできません。もちろん社員のやる気だけでもどうしようもない。そうすると、誰に何をやらせてどう組み合わせるかを考えるのが経営者の役割で、それがいちばん効いてくるわけです。

一方で耳触りが良いのは、「企業は人なり」という話があるけれど、それは経営者の立場から言えば組織論の墓場であると考えています。何もしなくてよいことになってしまう。良い人がいれば会社は良くなる、良い人がいなければだめになる。人を改善すればうまくいくというロジックを裏側に持ち込めますが、人はそんなに変わらない。成長はしますが時間がかかります。われわれのような経営者が求められている時間枠は「3年くらいでV字回復してください」というものです。その時間枠の中では人は思うように伸びてくれない。全員が伸びてくれるわけではない。伸びる人もいるけれど伸びない人のほうが大半です。人に期待してそこで終わってしまうと組織論の墓場だと思うのです。経営者に求められているのは、与えられた手駒をどう組み合わせてどう打って、誰に何をやらせてどう組み合わせるか、そこにマネジメントの出番があるというのが私の理解です。

― それは、適材適所を実現する、ということでしょうか。

そうですね。適材適所の概念としては、今の組織を固定的にとらえて人の駒だけを動かすというのではなくて、組み合わせ自体も新しく、上位戦略を実現するために組織そのものも組み替えて、というようなもっとダイナミックな話でしょう。

― 組織・人の話の前に、戦略があるわけですね。

戦略という概念を考えると、企業行動には全て戦略が付くとも言えます。どの企業行動がその経営者にとって優先順位が高いのか、重要なのかという価値判断です。そのことに対して戦略という言葉を付けているだけです。上位概念の戦略は会社によって違うわけですが、一般的に言えばものを売るための戦略が優先されて、それを実現するために組織をどう作ればよいかという順番になります。そうすると、見違えるように効率が上がります。たとえば、戦略商品を決めて、営業と技術支援が別になっていたのを、技術支援の組織を解体して各チームに入れてミニ事業部のようにして、間接部門の人を大幅に減らしたというような例があります。

― このような自論はどのようにして培われたのですか?

経験と学習の両方です。研究者のレベルで勉強していたと同時に、会社をいくつもやってきて、最初は試行錯誤だったのがだんだんやり方として確立してきました。そのやり方は勉強してきた理論とも矛盾しないものでした。企業再生で社長をやってくれと言われたら、今でも判断に迷いはありません。時と場合に応じて戦略は変わりますが、戦略をひねり出すステップはこうすればよいというのはわかりました。

それには、抽象化する能力が必要なんです。ビジネスの現場にはありとあらゆるものがあって、社長は時間的なプレッシャーもある中で大混乱して、何が何だかわからない状態で毎日が進んでいきます。色々な経営の事象を要素としてとらえて、要素がどういう関係にあるのか、それを幾何的に抽象化して考えると、モデルがわかってきます。

― 「要素をとらえて抽象化する」というのは、やれば身につくものなのでしょうか?

経営に向いている資質には、文学と数学の2つの要素が含まれていると考えています。私は戦略を作る上でシナリオライティングという方法を用いています。ビジネスは実証できない未来の話で、選択可能性は無限にあるので、起こり得ることを1つ、無理のない形でロジカルにまとまっていて流れるような話として作り出すことがシナリオの有効性です。そういうシナリオをたくさん持っていると、この中でこれがいちばん良いというのを主張できます。それも実証できないことですが、リーダーとして色々可能性がある中で“これがいちばん良い案だ”と言うのです。もっと優れたリーダーというのは“これしかない”と言い切って、みんなが信じてやっていけるような、リーダーとして“優れたうそつき”です。シナリオを作るという意味では文章化しているほうがよいでしょう。そういう意味で“文学”です。そして、市場・競合や自社の経営上の数字など“数学”的なものごとを要素として押さえて、要素の関係を考え抽象化して、モデル化して考えてみる、と。

これらを自分でできればよいですが、できなければ既存モデルを経営学から学ぶという次善の策があります。経営者は本を読んで勉強したって良いわけですよ。

優秀な経営者は、こういう仕組みをわかっています。こういう考え方・ツールを使わないで全く同じ結論に直感的にたどりつけるのが、もっと優秀な経営者でしょう。アントレプレナーなど多くの場合は直感的にやっています。才能があって、分析的にたどりつくのと同じことを直感的にたどりつける。

とはいえ、マネジメントとしてはまず組織を率いていくやり方としてはコミュニケータブルでなくてはなりません。考えたこと、やろうとしていることを他の組織成員に理解してもらう必要があります。(仮に直感的にたどりついた結論があったとしても)そこまでのシナリオを理解し直して社員や資本家に説明する責任があります。皆が同じ戦略を共有した上で組織行動を起こさなければ大混乱を起こしますから。そういう意味では言語化は非常に重要です。


― 文学と数学、シナリオライティング、コミュニケータブルというようなお考えはどこで確立したのですか?

自分でやってきたことの後づけのような部分もあります。ここ2年間くらい人に教えていく中で整理してまとまってきたものです。途中で本を書いているから整理されるというのもあります。

― 業績やそれを実現するための自論についてお伺いしてきましたが、山田さんが得意とする企業フェーズというのはありますか? また、その場合、フェーズごとに経営の要諦は違うのでしょうか?

建て直しと創業が得意です。やはり、得意、不得意はあります。うまくいっている会社をさらにうまくやるというのは難しい。建て直し期は、社員や資本家などステークホルダーの危機感が非常に高いのでやりやすいです。シナリオを示すと“やってみてくれ”となるので、思い切った手を打ちやすいです。

― 企業フェーズ以外に、規模も関係ありますか?

関係あります。私がやったのは、上は300人くらいです。経験値を使ってできるところで言うと1000人、売上規模では数百億円くらいまででしょうね。たとえば売上3000億円、1500人くらいだと、バスケットボールとフットボールくらいのゲームの違いがあります。ゴールを目指すという共通のものがあったとしても。

強み・弱み
〜「ゲームズマン」としての自分を客観視

― 業績を支えてきた能力、態度、性格といった話として、ご自身の強みは何だと認識されていますか?

強みは「しらけている」ことでしょうね。没入しない、働かない、合理主義者というスタンスで、人生を楽しむということなんじゃないでしょうか。

― それでも、こちらに行ったらしんどいだろうなというところを選ばれていますよね。

そういう意味では無鉄砲なんでしょうね。こだわりがないから。

それと、仕事は飽きるんですよ、だいたい3年やると。刺激を求めているんだと思います。労働としての仕事は求めていないということなのでしょう。

25年くらい前に出た本で『ゲームズマン』というのがあるんですね(邦訳『ゲームズマン―新しいビジネスエリート』M・マコビー 著、広瀬 英彦 訳、ダイヤモンド社)。その本では、ビジネスパーソンを4分類しています。ジャングルファイター(起業家)、ゲームズマン、クラフツマン(職人・専門家)、ビジネスマン(サラリーマン)と。その分類で言うと、私はゲームズマンなんです。勝とうが負けようがゲームに参加します、ゲームの結果が出たら次のゲームをやりに行きます、というのがゲームズマンの行動で、私はそれにあたります。雇われ社長として乗り込むと半年で打つ手は出てきて、1年目で実行しないと効果が出ない、2年目くらいに効果が出てくる、3年目くらいになると助っ人社長はカードが切れてしまう、というように、ゲームの結果が見えてきます。自分でも歯がゆいですが、そこで私のゲームはオーバーです。最初の半年間は興奮してアドレナリンが出るんですよ。必死にやるので、3年目は燃え尽き症候群ということでも表現できるかもしれませんが。

― 少し昔に戻って、幼少期はどういう方だったのですか?

男の子を、漫画少年、野球少年、ラジコン少年というように3つに分類するとしたら、私は漫画少年でした。野球少年は肉体派、ラジコン少年は理系、漫画少年は文系ということなのですが、長じて肉体派にもなりましたが文系の素養があったので。本を読むのが好きで、読書量は非常に多かったです。その頃に影響を受けた本は『源氏物語』。こう言う経営者はあまりいないかもしれませんが・・・・・・。

経営者育成の要件
〜様々な経営スタイルでの賢い意思決定

― あらためてお伺いすると、ご自身で経営をする上でこだわってきたことは何ですか?

やはり、利益を出すことですよね。売上よりもいち早く利益回復することが経営者としてのいちばんの責任を果たすことだと考えています。

責任を全うすることへのこだわりは強くあります。他の誰がやるよりも自分のやる仕事がいちばん良いのだと。そのこだわりは社長でも変わりません。

― これまでで最も大きな経営判断は何でしたか?

ミードウエストベーコの時の顧客対応。当時の最大顧客に対して、サービスレベルを極端に上げるという選択をしたことです。ただ、その経営判断に迷いはありませんでした。私は迷わないんですよ。留学から帰って33歳の時にシアーズ・ワールド・トレードの飯島社長に帝王教育を受けたのですが、「悩むな、考えろ」という飯島さんの言葉がありました。ビジネスがうまくいくかどうかということだけで判断して決めろと。そうすれば迷わなくてすむと。悩みが消えれば意思決定は簡単にできます。もちろんトレードオフは必ずあります。でも、意思決定は選択なので、何かをやろうとしたら何かを捨てることですから。判断のよりどころはビジネスがうまくいくか、どちらがよりうまくいく可能性が高いか、ということです。

― 理想の経営者、ロールモデルはいますか?

今お話した飯島さんです。私が33歳の時に60歳くらいでした。あとは、セガの社長だった中山さんは優れた経営者だと思います。優れた経営者の条件は、やっぱり「賢い意思決定ができる」ということにつきるんじゃないですか。中山さんのほうが創造的な意思決定、飯島さんは大人格者で力ずくではなく尊敬を得ていた方でした。お二方ともタイプが違いますが、結果を出すためには賢い意思決定が必要となります。

― 人格者と優れた経営者というのは違うものなのでしょうか?

人格者であることは結果を出すのと連動性はないと思います。経営のスタイル、個性と言ってもよいですが、ワールドカップのサッカーと同じでいろんな戦い方があって、いろんな経営スタイルがあり得て、要は結果を出せればよい。こういうスタイルでなければ、とは言えません。

私はリーダーシップとかお涙頂戴で組織を引っ張るタイプではないですね。

― ターンアラウンドをやろうと思ったら、ある程度ロジカルに戦略的に決めて動かしていくというスタイルでないとうまくいかないのかもしれませんね。

私は社員と距離を置くほうなんです。公平という考え方もあって、フィリップスもミードの時も昼食は社員と食べませんでした。場所的に近い人や気の合った人だけだと不公平だから。そうなるくらいなら誰とも食事しない。プライベートで飲みに行ったこともありません。

― 社員がどういうことを考えているのか知りたい、こちらが考えることを伝えなくてはならないということもありますよね?

そうですね。今お話したのは、アドホック的なコミュニケーションはいっさい排して、という意味で、システマティックなコミュニケーションは徹底的にやっていました。このクラスの人とは月に1回ランチ、他の人には2ヶ月おきにランチ、グループでランチなど。漏れがないように公平な順番でやっていました。

新しい会社に赴任すると、着任3ヶ月くらいまでは、外出を除くと全て社員とのビジネス・ランチとなります。“こんなに社員と飯を食う社長はいない”といつでも言われました。その後はペースが落ちますが、定例となります。工場に行くと必ず現場の社員をグループで招き、ランチ懇談をしました。“社長と話すのは初めてだ”とどこでも言われました。

私が避けるコミュニケーションの形態は、アドホックで、無作為で、不公平な対象設定となるもの。内容がプライベートでインフォーマルなものです。一方、追求したコミュニケーションは、プログラム化され、システマティックで、公平感があり、階層別にその密度が配慮されたもの。ビジネスの内容のみにフォーカスし、個別であろうとグループ面談であろうとフォーマルなコミュニケーションです。プライベートな話はしないし、聞きません。

社長が社員と距離を取ることは正しいことなのです。来月解雇を申し渡すことを決めている幹部と親しく飯を食って談笑する、酒を飲むなどと言うことを続けると、たぶん人格破たんすることになるでしょう。あるいは、その可能性のある社員、再建を目指している場合は全員にその可能性があると言っても過言ではないのですが、その距離感も同じことです。

私が追求したのは、「ドライなコミュニケーションの量と質を徹底する」ということです。「ウエットなコミュニケーション」は社長にとっては大いに危険なことだと思います。

― ここまでお話を伺ってきて、経営者の要件に影響を与えた最も大きな体験は25歳の時の大病でしょうか?

いや、やっぱりボート部の時の成功体験でしょうね。努力してエネルギーを出してやると成功する、やりたいことは実現する、という信仰を獲得できたこと。その後の人生の組み立てや、エネルギーの出し方を支えています。


インタビューを終えて

山田さんは、若手の頃から「ベストパフォーマンスを出す」という仕事に対する強いこだわりをもち続け、その結果として経営者になるというキャリアを積まれてきました。効果的・効率的に仕事で成果をあげるために、英語から始まって、貿易・コンピュータ・株といった事業領域に関わるものから経営学に至るまで、様々な学校に通われましたが、その種類や数の多さは簡単にはまねのできないものでしょう。ただ、毎回の仕事において「ベストパフォーマンス」を出し続けようとするこだわりや、学び続けるという強い意思をもち続けることは、他のビジネスパーソンにも参考になることではないでしょうか。

プレッシャーのかかる限られた時間の中で数々の企業再生・V字回復を成功させた秘訣は、強靭な精神と、ご自身の得意領域や経営スタイルを見定め、経験を抽象化して勝ちパターンを構築できたことなのかもしれません。ビジネスのみならず、水泳、スキーでも資格を有しプロ級である山田さんの、何事に対しても強い意思とこだわりをもっておられる姿勢が印象的でした。

インタビュー:組織行動研究所所長 古野庸一 /文:主任研究員 藤村直子
協力:株式会社 経営者JP 代表取締役社長・CEO 井上 和幸 氏
※本インタビューは2010年7月14日に実施したものです。

PROFILE

山田 修(やまだ おさむ)氏 有限会社MBA経営 代表取締役

1949年生まれ。学習院大学・大学院修士卒(国文学)。 サンダーバード国際経営大学院MBA、元同校准教授及び元日本同窓会長。20年以上に渡り外資系4社(イギリスのポントデータ株式会社(1987〜1992年)、香港の王氏港建日本株式会社(1992〜1996年)、オランダのフィリップスライティング株式会社(1996〜1999年)、アメリカのミードウエストベーコ株式会社(1999〜2004年))、日系2社(キッチンハウス株式会社(2004〜2005年)、株式会社トーラス(2006〜2008年))にて社長職を歴任。不調業績を全て回復させるなどして「再建請負経営者」と評された。フィリップス社長在任中に経営学博士課程を満了し「MBA社長」の異名も。「売れる仕組みと儲かる仕組みの構築」を早くから提唱、組織戦略とコミュニケーションを重視している。ブログ「山田修の戦略ブログ」を執筆。
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