春になると耳にする「今年の新人は―」という言葉 「今年の新人」という幻影

執筆者情報
HRDトレーナー
米国CCE,inc.認定GCDF-Japan キャリア・カウンセラー

仁田山 真一

春になると耳にする「今年の新人は―」という言葉。毎年のように新人とベテラン社員のギャップが取り上げられ、話題になります。しかしながら、それを鵜呑みにして批判するだけでは、彼らの本当の姿は見えません。まずは目の前のフィルターを外す必要があるのではないでしょうか。研修トレーナーとして新人たちを見つめてきた仁田山が、そのフィルターを外すお手伝いをします。


客観性にこだわる就活エリート

靖国で桜の開花宣言がされたころ、私は港区のインテリジェントビル内にある会議室で、数百倍もの倍率の採用試験を勝ち抜いた新人7名を前に、トレーナーとして研修を運営していた。

私が話をしている間、熱心にメモを取っている新人もいれば、そうでないものもいる。「そうやってメモを取るのはいいことだよね。隣の君はしていないけど、どうして?」と話しかけると、ぼんやりと話を聞いていた新人君は、ギョッとした顔で「すいません!」と声をあげた。慌てて机の下にあるカバンに手を突っ込んで、手帳やノートではなく、発売されたばかりのタブレットを取り出したかと思うと、そこに「ホウレンソウ」と記したのである。

また、こんなこともあった。グループワークのセッションで役割分担をする際に、「オブザーバー」を置きたがるのだ。これは、ここ数年の新人研修で見られる光景である。オブザーバーとは、文字通り客観的にグループを見る立場だ。私としては、外から眺めるのではなく、一人ひとりが主役として議論に参加してほしいのだが、彼らは場の空気を読み、客観性を維持したがる。間違えることを極端に恐れているのだ。そこに、何が正しい、何が間違いという確固とした基準がなかったとしても、である。

これらの場面で、トレーナーとしてどう関わるのが正解なのだろうか。いろいろと考える場面が増えているのは事実だ。

最近の新人には問題児が多いと言いたいのではない。彼らはITリテラシーが高く、幅広い知識を蓄えている。立ち居振る舞いもスマートで、研修で行うグループワークもすこぶるうまい。なんというか、場馴れしているのだ。ホワイトボードを上手に使い、議論し、結論を出すまでの流れも心得ている。恐らくこれは、大学のゼミやクラブ活動、そして就職活動を通じて養ったものだろう。なにしろ彼らは、学生生活における成果を引っ提げて、激戦を勝ち抜いてきた就活エリートなのだ。

新人との共感の接点はどこに?

今の新人は、昔の新人とは違う。これは、外形的にはいつの時代にも言えることだ。だから人事担当者が、新人が職場にマッチするかどうか心配する気持ちはわからないでもない。ここ最近は、新人が上司に対して、自分から積極的に関わるようにしてほしいというオーダーを受けることも増えた。社員一人ひとりの業務量が増え、上司も目の前の仕事を片付けるのに精一杯なので、新人に関わる時間をつくることはなかなか難しい。そのため、新人から上司に働きかけられるようにしてほしいというのだ。

一方で、昨今の新人には客観性を維持し、間違えないように仕事をしたがる傾向があるように感じる。上司に相談するのは、自分が無能な証拠であり、評価を下げることにつながると考えてしまう新人も少なくない。となると当然、相談したがらない。インターネットで検索したほうが早いと考える。これはITリテラシーの功罪とも言えるかもしれない。

このようなことを言う新人もいた。「上司と一対一でいるときに叱られるのはいいけど、同期の前で叱られるのはありえない」。場の空気を読むのがうまい分、自分がどう見られているのかにも、彼らはとても敏感なのだ。そこを意識するあまり、本来持っている能力や個性を発揮しきれていない気もする。

だからといって私は、今の新人がダメだとは思っていないし、昔の新人と本質的な違いがあるとも思っていない。「今年の新人は―」というフィルター越しに新人を見てしまうと、その実態を見紛うことになってしまう。

私たちが感じている仕事の面白さ、人間的成長の喜びなどに対しては、彼らだって共感するのだ。どのようなビジネスにおいても、普遍的な面白さや喜びが存在する。それらは、新人、ベテラン関係なく、会社全体で共感できるものだと私は思う。違いに目を向けることは大切だ。でも、彼らとの共感の接点を探し、仕事の面白さや醍醐味を伝えていくことが、さらに重要だと思うのだが、そのことに気づいている人は少ない気がする。

新人たちも火が付けば熱い

私の好きな新人研修プログラムのひとつに、グループに分かれて就職活動をしている学生向けの会社案内を作るというものがある。

会社案内づくりはまず、「そういう感じでいいんじゃない」という論調で進んでいく。新人たちからすれば、場の空気を崩さず、円滑に進めたいという思いがあってのことだろう。しかしながら、当たり障りなく作られた企画は、ビジネスでは差別化ができず、価値を持たない。上司役の私が、あがってきた企画を見て「これではダメ。何を一番伝えたいのか分からない」と突き返すことになる。

何度かそういうやり取りが続くと、次第にグループ内の空気が変わり、メンバーの意見に対して「それってどういうこと?」という疑問がぶつけられるようになる。さらに進むと、「それではダメなんじゃないか。伝わらないんじゃないか」という否定も飛び交うようになる。ここから本気の議論が始まるのだ。

とにかく客観性を担保し、正しいものを作りたいという考えから脱却し、自分たちの思いを乗せた会社案内を作り、それに共感する学生を集めたいという明確な目的を見つけ出す。それは、自分たちがなぜこの会社を選んだのかを、振り返ることにもつながる。

例えば、ある会社の新人は、幼いころからスポーツで輝かしい成果をおさめていたが、ケガで挫折を味わい、絶望の淵に立った。そのとき、自社が放映した番組を見て、再び生きる気力がわいてきたということをメンバーに明かしたのである。また、別のある会社の新人は、自分が恵まれない環境で育っており、自社の学資保険があったおかげで大学に行くことができたと告白した。だから自分はこの会社で、社会に価値を残す仕事をしたいのだと―。

熱をおびた言葉は伝播する。新人たちは課題の合格ラインを探るのをやめて、自分たちが納得するまで議論を尽くし、最高の会社案内を作り上げるために本気になる。なかには夜通しで制作するグループもあるほどだ。彼らだって、火が付けば熱い。

照れるな、臆するな、本気で向き合え

毎年新人たちと向き合っている私も、スマートフォンやタブレットなどを巧みに使いこなす姿を見たり、学歴や留学経験などの事前情報を聞いたりして、身構えてしまうこともある。でも、そこで「今どき、研修で手書きのパンフを作らせるなんて…」などと、彼らに照れてはいけないと思うのだ。グループで議論を尽くし、力を合わせて最高のものを作り上げるプロセスは、どの世代にとってもエキサイティングなものである。ぜひ新人たちにそれを体験してほしいし、それが彼らの人生の糧にもなるはずだと、教える側が信じて臨まなければ、伝わることも伝わらなくなってしまうのではないか。

これは職場でも言えることだ。留学経験が豊富で三カ国語を操る新人がきたら、留学経験のない上司は戸惑うかもしれない。しかし、上司として教えるべきことは教えるべきだし、新人たちもそれを望んでいる。自分と違うところがあるからといって、必要以上に気を遣ったり、恐れたりしてはいけない。育ってきた環境は違うかもしれないが、新人だって我々と変わらないのだ。同じようなところに会社の魅力を感じているし、部署の目的達成のためなら、仲間として一緒に熱くなってくれるだろう。これらのことは、時代が変わったからといって簡単に変わるものではない。

そういえば、研修後のアンケートでこのようなことを書いてくれた新人もいた。「大学時代にこの研修を受けていたら、僕の大学生活は変わっていたかもしれない」と。つまり、彼に限らず新人たちは、グループで徹底的に議論を重ね、ときには衝突もしつつ、一つのものを作っていくという泥臭い体験に飢えているではないだろうか。

とにかく、仲間と協力して目標を達成する経験は、新人たちの心を動かしているのだ。新人たちがタブレットを出してこようが、豊富な留学経験を持っていようが、照れず、臆さず、本気で向き合えばいい。桜の季節が来るたびに、私はそう思うのである。
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