娘の中学受験を終えて考えたこと オトナになるための学び、オトナのための学び

執筆者情報
組織行動研究所
所長
古野 庸一

―予測困難な不連続の変化が起こる、未知の領域で正解のない判断が求められる
多様な価値観の中で、自分なりの考えを導き出す
リーダーはもちろん、多くのビジネスパーソンに、このようなことが求められる時代に突入しています。そこでは、一人ひとりの「学習する力」が問われ続けます。
今回は、弊社・組織行動研究所所長の古野が、「娘の受験」という実体験から考察した「オトナのための学び」についてご紹介します。
私たちがオトナであり続けるために必要な学び、学び方とはいったいどのようなものでしょうか?


受験を通して得られたこと、失ったこと、その裏側

少し前の話である。
私の娘が第一志望の中学校に合格した。

久しぶりに娘の笑顔を見た。本当に久しぶりだった。
そう、この子はよく笑う子だった。いつのまにか、笑顔を失くしていた。
緊張感が高い毎日を強いられていたことを物語っていた。そう思うと胸が締め付けられた。

中学受験は、彼女にとってひとつの修羅場経験であり、それを乗り越えたことは、間違いなく大きな成功体験になった。

彼女が受験勉強を通して、得たものは何だろうか。
努力すれば報われること
スランプに陥っても、継続してやり続ければ壁は乗り越えられること
最後まであきらめなければ、結果がついてくること
やっぱり、勉強は面白いこと
塾の先生に言われた通りにやれば、うまくいくこと
受験テクニック
万能感

もちろん娘に聞いてみなければわからない。
こちらが思ってもいなかったことを得たのかもしれない。

得たものがある一方で、失ったものは何だろうか。
読書する時間
ピアノを弾く時間
友達と遊ぶ時間
家族と話をする時間


親として最も恐ろしいのは、得たものの裏側である。
自信が傲慢になること
受験テクニックで、すべてうまくいくと思うこと
塾の学習スタイルが自分の学習スタイルだと思うこと
そして、「学習する力」を得る機会を逃したこと

帰り道の違和感

合格発表の帰り道だった。
学習塾の関係者が、一列に並んでいた。「おめでとうございます」と声をかけながら、チラシを配っていたのだ。

6年後の大学受験のために、今から手をつけないと間に合わないと煽られると、親たちも浮足立つ。

「入学前に英語の塾に通わせようと思うけど、古野さんのところはどうするの?」と、娘と同じ小学校から同じ中学校に合格した親から聞かれる。
妻も、「……と言っているんだけど、どうする?」と私に聞く。

ちょっと待て。
何かおかしくないか。

受験半年前の塾の先生とのやりとりが蘇った。
「うちは娘に学習の計画を立てさせ、実行させたいのです」と、私は伝えた。

「やり方はうちがよくわかっているので、うちのやり方に従ってもらいます。だいたい、ほとんどの小学生は自分で計画をつくることはできません。それはオトナの論理であって、コドモには無理です」と返ってきた。

「そんなことはない」と言いかけて、その言葉をいったん呑み込んだ。その一瞬のすきに、同席した妻が「先生の仰るとおりですね」と合いの手を打った。その場はそれで終わった。

確かに、娘は学習計画をつくるのに苦労していた。毎月、懇切丁寧に計画をつくるのを手伝っていたが、なかなか独力でつくることができなかった。

親の方針と塾の方針。
どちらが合格に結び付くのか、コドモはコドモなりにわかっている。

妻は、私の考えに合意するものの、娘をここで混乱させてはいけないということで、とりあえず、塾の方針に従うことにした。中学受験において、「学習する力」を身につけさせるのは、一旦保留にした。

そこへ、学習塾のチラシである。
中学に入って、また塾に通わせ、エスカレーターに乗せて、大学に行かせるのか。

文字通り、エスカレーターである。その上に乗っていれば、合格確率は高まる。しかし、階段で上に登るときにしかつけられない筋肉をつけることはできない。そのまま社会人になると、現実に起こるさまざまな問題に対処できなくなり、折れてしまうのではないか……。

オトナにも不可欠な「学習する力」

「学習する力」は、人が生きていくうえで求められる根源的な力である。
対処できない問題に対して、試行錯誤しながら解決していく力と言い換えてもいい。そもそも人生、あるいは社会は、今まで対処しなかった問題に直面することの連続である。オトナになる前に、その力の基礎をつけさせなければ、と思う。

学びの最初のステップは、あるフォーマットにのっとり、まねることである。「守・破・離」の「守」である。計算ドリルであり、100マス計算であり、漢字の学習であり、英語の音読である。言うなれば「基礎の学び」だ。

やがて自分なりのやり方、解き方を学んでいくのが次のステップである。「守・破・離」の「破」の段階であり、「離」の段階へつながる。

現実の社会では、それだけの学びで対処できないことが生じる。
「守・破・離」の世界はある閉じられた空間での話であり、それを越えた学習が必要になる。算数の世界だけでは対処できなくて、国語も道徳も社会も駆使して解くような問題である。

Henry Mintzbergが言っているように、財務、会計、マーケティングといった専門的な知識ではなく、それらを統合した学習が必要とされる。「基礎の学びの統合」である。

しかしながら、人生や社会においては、前例がない、正解のない問題への対処も必要だ。学びの統合だけでは解けない問題、あるいは「そもそもなぜやるのか」「何をやればいいのか」が、よくわからないという問題である。

このような問題に直面した場合には、「基礎の学びの統合」を超えるアプローチが必要となるのだ。

一つのアプローチは、先ほどから述べている「学習する力」を身につけることである。
わからないなりに仮説を立てて、計画を企て、やってみる。そして反省して、計画を修正して、実行する。このプロセスは実験であり、試行錯誤であり、失敗からの学びである。学習の仕方を考えるという観点で、ダブルループ学習(※1)である。

しかし、言うは易く行うは難しだ。
そもそもの仮説設定力、課題設定力、メタ認知(※2)能力が問われる。その学習計画をつくるための選択肢や創造性も問われる。戦略策定力ともいえる。

もう一つのアプローチは、「多様な価値観」に触れることである。
異なる価値観を持つ人が身近にいることによって、正解は一つでないことを知ることができる。そこで、「あなたはどう思う」と何度も聞かれて、自分なりの見解、意見、哲学をもたなければならないことに気づく。そのような経験を経て、正解がない問題に対応する際のスタンスができあがる。さまざまな観点から、「何をやるのか」「なぜやるのか」ということまで考えるという観点でトリプルループ学習(※1)である。

これらの観点で考えたとき、あの学習塾のチラシには注意が必要ではないか。

単一のフォーマットで、問題を解決するためのマニュアルは他者が用意して、学習の仕方も規定してしまっているのだ。オトナになるということを「対処したことがない問題に直面したときに対処できるようになる」と定義した場合、学習塾での学びは、果たして本当にオトナになるための「学習する力」を身につけることになるのだろうか。

「理不尽」の中にある学びの機会

さらに、小・中・高・大を通して、学ばなければならないことは、「理不尽なことに耐える力」である。
そもそも世の中は理不尽なことだらけである。私の常識は他者の非常識であることは珍しくない。そのような他者と一緒に仕事をすれば、何かを我慢しなければならない。どれほど面白い仕事でも、やりたくない作業は発生する。それでもやらないと共同体は維持できない。

どのような環境でも、どのような配偶者でも、どのような仕事でも楽しめ、幸せに感じる力を伸ばすことが大事である。理不尽な環境を与え続けると、そこでダメになることもあるが、そのうち、どのようにすれば楽しめるかを考えるようになる。そうでなければ、面白くないからである。

「球拾いばかりしているとつまらない」
「こんなことに時間を使ってもったいない」
と言って、野球部を辞める人もいる。

一方で、球拾いをしながらでも、うまい先輩を見て体の使い方を学ぶ、あるいは球拾い中に足腰を鍛える方法を学ぶ人もいる。理不尽な環境だとしても、学びの機会がある。


「学習する力」「多様な価値観」「理不尽なことに耐える力」

これらは、コドモからオトナになる際に必要な学びである。
そして、オトナになっても必要な学びでもある。

__

※1 ダブルループ学習とトリプルループ学習
シングルループ学習とは、あることがうまくいかなかった場合、うまくいかなかった要因をみつけ、修正し、うまくいくようにする学習スタイルである。
ダブルループ学習とは、学習のゴールそのものを問い、違うゴールを設定することまでを考える学習スタイルである。
さらに、トリプルループ学習とは、ゴールが前提にしている文化や価値観を相対的にとらえ、その中で考えていく学習スタイルである。

※2 メタ認知
自己の認知活動(知覚、情動、記憶、思考など)を客観的に評価したうえで制限すること
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